暁の星 32
馬車列は収穫時期の小麦畑が広がる平野を進む。
農業に大きな改革は起きていないように見える。
当然ながら機械化もされておらず、人の手で収穫を行っているようであった。
前世の歴史ではどうなんだっけ?
ノーフォーク農法が広まるまで、農業は停滞した状態が続いたと聞いた覚えがある。
農業生産力はつまり生存可能な人間の数に影響する。
余剰食糧があれば、人口は増え、また農業で働いていた労働者の一部も別の仕事に移行し、産業を盛り立てることができる。
人類の進歩は食料供給の増加によって加速してきた。
とは言え、本格的に世界の人口が大爆発するには化学肥料の登場を待たなければいけないだろう。
これは電気を使うし、俺もどうやるのかなんて覚えてないから、伝えられるとすればノーフォーク農法ということになる。
どんなものかというとWeb小説なんか散々手垢がついているので知っている人も多いだろう。休耕地にカブを植えたりして、年間の土地あたりの生産力を上げる手法だ。
だけどこれまであえて黙ってきたんだよな。
食糧難があっても、俺が魔物の肉を供与することで凌いできた。
即時性が必要だったし、そういう知識面で目立ちたくないし、収納魔法の中身を少しでも減らしたかったからさ。
でもまあ、レギウムはノーフォーク農法にはもう辿り着いているかもしれない。
俺もわざわざ他国で言うようなことでもないか。
俺は賢くなったのだ。
その日は穀倉地帯にある農業都市ニルファートで宿泊となった。
夕食の前後で使節団との会談が行われているらしいが、リディアーヌにお任せで、俺はデラシネに戻ったり、そっちで忙しい。
デラシネは今のところ安定しているが、これから冬を迎える。
俺の支援なしで冬を越せるかどうかが一つの山場だ。
隠れ里なので農地を開拓できないのがツラい。
保存の利く木の実などを集めてはいるが、果たしてどうなるやら。
アレクサンドラとともにデラシネからニルファートに戻ってくると、俺の部屋に妻たちが勢揃いしていた。
俺は部屋を遮音の魔法で覆う。窓はもともとカーテンを閉めてある。
これでここでの会話は外には漏れない。
「まず今日の出来事を報告するか」
「まず旦那様の秘密の開示を求めます」
「ちなみにリディアーヌはどんな内容だと思ってんの?」
「誤魔化してないで、全部話してください。ぜ・ん・ぶ! です!」
有無を言わさない口調に、俺は観念した。
「どこから話したものかな。まず俺には前世の記憶がある。前世といっても過去の誰かというわけじゃない。この世界とはまったく別の、まったく違う人生を生きた男の記憶だ」
「そういう話は時折聞きますが、大抵は過去の偉人の生まれ変わりを主張されますわね。別の世界というのはどういうことなのでしょうか?」
「言葉通りだ。地図や国名、言語、歴史、そして文明の発展度などがなにひとつとして一致しない」
俺の言葉にリディアーヌは首を傾げた。
「夢、ということはありませんか?」
「可能性はある。でも自分の感覚では夢ではないな。俺の住んでいた国は民主主義国家で、科学技術は遙かに未来だ。馬車から馬は必要なくなった。燃える水を使って車は走る。世界中の誰とでもいつでも連絡が取れたり、顔を見ながら話ができる。手のひらで持てる道具で、世界中のありとあらゆることを調べられる」
「魔法使いたちの時代だったというわけではなく?」
「地図が全然違うからそれはない。記録通りなら魔法使いはそういう技術を発展させるような生き物ではなかったしな。魔法という言葉はあったが、実在はしない。そんな世界だった。もちろんどこかに魔法使いが隠れ住んでいたのかもしれないが」
「ではその世界で旦那様は魔法使いではなかった、と」
「そうだな。仕事もせず、親の遺した金を食い潰して生きていた」
「貴族だったのですか?」
「いや、両親が死んだ事故の慰謝料が沢山入ってきただけだ。運良くいい人に後見されて、財産を奪われずにすんだ。まあ、自分で投げ捨てるように使っていたわけだが」
「申し訳ありません。嫌な事を思い出させてしまいました」
リディアーヌが殊勝に謝罪を口にした。
「いや、それはもういい。その後、結局俺自身も事故で早世するわけだが、死後の世界で俺は天使さまに、あー、まあ、なんというか」
天使さまのミスについては言わないほうがいいよな。
「別の世界でやりなおさないかと言われたんだ。そのときに可能な範囲で好きな才能を授けられるということになって、俺は魔法を選んだ」
「それはおかしくないですか?」
リディアーヌが首を傾げる。
「旦那様の魔法はボーエンシィ機関に黒い宝石を埋め込まれたことによって発現しているものですわよね。天使さまというのは関係がないのでは?」
「俺にもよくわからないが、相手は魂を別の世界へと持って行けるような存在だし、俺が魔法を望んだことで、ボーエンシィ機関が誘導された、という可能性もある」
「行動を誘導、ですか。であれば、旦那様が魔法と答えたのも、誘導されていた可能性がありますわね」
「それは――、考えたことなかったな」
俺が魔法を望み、魔法使いになること自体が天使さまの狙い通りだったということか?
「そりゃ疑い出せばきりはないが、とにかくそうして生まれ変わった俺には、その前世の記憶が引き継がれているということだ。少なくとも俺の自己認識としてはそうなっている」
「なるほど。では旦那様には文明的により発展した世界の知識があるということですわよね。それ自体は納得できます。私の違和感もそれで解消できます。でも旦那様はその知識を使って、世界の文明を推し進めようとはされていませんでしたわよね。それはどうしてですか?」
「いや、単純にそんなに詳しくないってことと、俺には魔法という優位性があったからな。必要だとは思わなかった」
「ねえ、どこかのタイミングでそうなったわけではなく、生まれた時からそうだったのよね?」
これまで黙って聞いていたシルヴィが言う。
「そうだな。俺は生まれつき、前世の記憶があった」
「そう、ならいいのよ。今のあなたがアンリという人を乗っ取ったのでなければ」
「それはない。アンリという人間は生まれたときから俺で、それは一瞬たりとも違ったことはない」
「斬らずに済んで良かったわ」
こわ! あぶな! 返答次第では斬られるところだったんかい!




