黄泉返りの魔王 99
アレクサンドラの案内に従って帝国上空を飛ぶ。
防衛用に亡者を配置している関係で場所を間違うことは無いらしい。
「東に向かってるけど、間違いないのか?」
「はい。誰しも祖先の土地に戻りたいと願っていますが、西側では誰かを贔屓することになってしまいますので、全員に我慢してもらうことにしました」
「なるほど」
難民の中で優遇されている者とそうでない者という格差を作りたくなかったということなのだろう。
「各々の祖国があった土地に戻ってもらうことは不可能です。それをするには、あまりにも生き残りが少なすぎるのです」
「総数はどれくらいなんだ?」
「百人に満たないくらいですね」
「そうか……。レギュムに近くなるが、そっちに問題は?」
「連合国はあまり積極的に攻めてはきません。帝国領土内に引っ込んでいれば大丈夫かと」
「そうなのか……」
てっきり魔族はガンガン帝国に侵攻してきているものだと思っていた。
「まあ、私は亡者と相対する連合国軍しか知らないので、その、それについてもアンリ様にお伝えするべきだと思うのですが……」
「それについて?」
心当たりが無くてオウム返しにする。
「魔族、つまりレギュム連合国人についてです」
「魔族について?」
「はい。以前の私は魔族を恐ろしい化け物、知能を持った魔物だと思っていました」
「ああ」
俺もだいたい同じ認識だ。
「亡者を以て連合国に攻め入った結果、私は亡者たちの情報から知りました。知ってしまいました」
「なにを?」
アレクサンドラは続きを言うのに躊躇いを見せた。
「……彼らは、魔族は、我々となんら変わるところの無い人だ、ということです」
「――は? じゃあ、なんで魔族だなんて」
「おそらくは、彼らの肌の色が我々とは異なるからかと思います。しかし違いはそれくらいのものです。彼らには鋭い牙も、角もありません。腕が四本あったり、翼があったりすることもない。そして超常の力が使えるわけでもない。ただの、人です」
「ちょっと、待ってくれ。納得に時間がかかる」
脳裏をよぎる幼い日に聞いた母さんの言葉。
『悪いことをしたら魔族がアンタを連れ去りに来るからね!』
フラウ王国で親が子どもを躾ける時の定型句だ。
レギュム連合国はフラウ王国から遠く、わざわざ子どもを攫いに魔族がやってくるなんてことがあるわけが無い。というのが分かるのは大人になってからで、子どもたちはなにか怒られるようなことをした日の夜は布団の中で魔族がやってくるのではないかと怯えて過ごすものだ。
脅し文句をより効果的にするために親は魔族の姿を恐ろしく子どもたちに伝える。鋭い牙、禍々しい角、闇に紛れる黒い肌、蝙蝠のような翼、血走った眼、魔族はともかく魔物の脅威は日常的なものなので、大人の伝える魔族の姿は子どもたちにとって容易に想像できるものだった。
現代日本の知識のある俺だって魔族はそういうものなのだと思っていた。むしろゲーム知識がある分、魔族というものに先入観がありさえした。悪魔の眷属、あるいは魔王の一族。悪しき者共。人類の敵。そういう種族が存在することを疑っていなかった。
しかし今、アレクサンドラが、魔王自身がそれを否定した。
「じゃあ、なんで帝国はレギュムとの戦いに手こずっていたんだ? てっきり魔族という種族が人間より強いのかと思っていた」
「純粋に技術力の差ですね。彼らは投石器より遙かに遠くまで爆発物を飛ばしてきますし、手にした筒から鉄の玉を避けられないような速さで飛ばしてきます。これは距離にもよりますが、鎧を貫通するほどの威力があります」
「は?」
砲と銃?
砲と銃だ。
ここは中世ファンタジー世界ではなかったのか?
常識がひっくり返る。
「すまない。鹵獲品はあるか?」
「あります。用意しておきますか?」
「頼む」
アレクサンドラの配置変更の権能は物資輸送手段としても有能だ。
亡者が手にしているものは、生物でなければ一緒に配置を変更できる。
生存している亡者は、まあ、生物ではないという判定なんだろう。
「あの辺りです」
街道も何も無い森の中をアレクサンドラは指差した。
「上からだと分かりにくいですが、清流があるため飲み水に苦労はしません。食料は今のところ森の恵みと、配置変更で各地の保存食を運び入れています」
「分かった。降りるぞ」
空から人が舞い降りてくることで難民たちに混乱は、起きなかった。
先んじてアレクサンドラが手紙を持たせた亡者を配置変更で送り込んでいたからだ。
むしろ人々はアレクサンドラを迎えるために集まってきた。
「アレクサンドラ様」
人々は口々にアレクサンドラの名を呼びながら、畏敬をもって離れたところで跪いた。
「皆様、どうぞ楽にしてください」
アレクサンドラが優しく言うと人々は立ち上がった。
なんとなくその動きから、何度も行われてきたやりとりなのだと分かる。
「ここにいらっしゃるのは王国出身の魔法使いアンリ様です。彼は私の味方になってくれると約束してくださいました。フラウ国王と、フリュイ大統領の首を持ってくるお約束してくださいました」
人々がどよめく。
「ちゃんとした交渉はこれからですが、内容によっては我々の復讐はそこで終わりです。両国民には国王と大統領の罪を語り継いでもらわなくてはなりません。我々の悲劇を後世に語り継ぐ、語り部が必要です」
はて、共和国は滅ぼすのではなかったのか?
だが俺は人々が放つ怒気にも似た圧に気付いた。
「安心してください。必ず両国は我々に牙を剥く。攻めてきた軍隊は皆殺しです。その度に皆殺しです。彼らの父を、彼らの夫を、彼らの子を、殺して、亡者にして、次の同国民を殺させます。苦しみを、悲しみを、必ず彼らには味わわせますとも」
無言の圧力が少し弱くなった。
「そして皆様にはアンリ様の家族を受け入れてもらいます。そのまま王国にいれば反逆者の家族として拷問の末に殺される人たちです。国を追われた人たちです。我々の仲間です。いいですね」
人々は顔を見合わせた後に頷いた。
王国民とは言え、難民を迫害するのは感じが悪い、というところだろうか。
とにかく俺の家族はこの地に落ち着くことになりそうだ。




