黄泉返りの魔王 94
いつもの俺やバルサン伯爵では決して受け入れることのできなかっただろう提案。
しかし俺たちは直近であまりにも死に触れすぎ、狂っていたのだと思う。
リディアーヌの提案に反対する者は誰もいなかった。
「ですが、そこが限界点です。それを越えるようなら、私は全力であなたの敵に回る。ああ、これは王国の公式見解ではありません。アンリ様の妻として、個人の発言ですので、そこは履き違えないでくださいね」
「しかしリディアーヌ殿下、それを認めてしまえばあなたは」
バルサン伯爵が注意深く言う。
そうリディアーヌは父親の、王国国王の死刑執行書に署名をしたも同然だ。
「私は帝国に亡命します。アンリ様もアレクサンドラ女帝陛下に付くようですし、私も継承権を巡る争いから逃げられます。父のことは残念ですが、貴族とは、特に王族はそういうものでしょう? 足抜けしようとしている私が言うのもなんですが、敗戦の責任は取らねばなりません」
「殿下はお認めになるのですか!? 死者の帝国を、黄泉返りの魔王を!」
ピエールが叫ぶ。
彼にとっては黄泉返りの魔王への報復がすべてだ。
それが許されてしまうのであれば、彼はなんのためにここまで来たのか分からない。
「あなたは、ピエールでしたね。あなたがこの席に座っていられるのは、シクラメンの人々を鼓舞するため、それ以外にはありません。本来であれば発言どころか、参加もできない場にいるのです。身の程をわきまえなさい」
ぴしゃりとリディアーヌはピエールを切って捨てた。
ピエールが戦力としてまったく役に立たなかったかと言えば、決してそんなことはなかったが、彼がこの場で物を言えるような立場であるかどうかで言えば、そうではない。
「リディアーヌ殿下は敗戦したとおっしゃられたが、シクラメンは耐え、亡者は引きました。我々はその状態で対話に付いている。ならば敗戦とまでは言えないのでは?」
「バルサン卿、あなたはシクラメンの惨状をあまりご存じで無いからそう言えるのです。シクラメンは事実上陥落していました。我々は反撃し、小さな橋頭堡を築いたに過ぎません。アンリ様がシクラメンに残り続ければ耐えられたかもしれませんが、その場合は他の場所を守り切れないでしょう。ひとつとは言え都市が陥落した状態での終戦は、敗戦です。そもそもアンリ様が黄泉返りの魔王側に付いた時点で、どうあっても王国に勝ちはありませんよ。つまり王国にとってこれは敗戦処理なのです」
「しかしリディアーヌ殿下、それではあまりにも……」
「短期間的に見れば王国は手痛い敗戦をしたことになりますね。ですが死者の帝国は長続きはしませんよ。アレクサンドラ女帝陛下自身が、己の死後、亡者がどうなるか分からないと仰っている以上、死者の帝国は規模を縮小していかなければなりません。そうしないのであれば私が、アンリ様が再び敵に回るだけです。なぜならアレクサンドラ女帝陛下が崩御された際に世界が再び滅びの危機に瀕することを見過ごしてはいられないからです。故に王国が真に憂わなければならないのは、死者の帝国が縮小するのに合わせて、その領土をどう受け取っていくかのほうです」
「王国は魔族と国境を接することになる、ということですか」
「いずれは。アレクサンドラ女帝陛下も帝国が規模を縮小することについてはご理解いただけますわよね?」
「私が世界を滅ぼしたくないと思うのであれば、そうするしかないでしょう。せめて語り継がれたらいいのですが。アルブルという帝国と、その末路を」
「しばらくは忘れられることはないでしょう。しかしいずれはおとぎ話になり、人々はそれを過去の事実だと思わなくなる。魔法がこの世から途絶えたままであればそうなるでしょうね」
「そうなる未来を望まなければ、私がやらなくともボーエンシィ機関によって人類は滅び、魔法使いの時代が来る、ということですね」
「さて一度まとめましょうか。まず王国は国王の公開処刑をもって手打ちに。共和国は亡者によって攻め落とします。私とアンリ様、ネージュ様は帝国に亡命を。シルヴィはどうするのですか?」
当然の如くネージュは亡命組に組み入れられ、当人も異議を発しない。
シルヴィは少し考える時間を取った。
「……コルネイユ家の帝国への亡命を求めたとして、アレクサンドラ女帝陛下に受け入れる意思はありますか?」
「コルネイユ家というのは王国においてどのような立ち位置ですか?」
再び小考。
コルネイユ家は王家との繋がりが深い。
王家の直系が途絶えた場合に、王位を継いでも文句が出ないほどには。
しかしシルヴィは正直に話すことにした。
「王族との血縁の深い由緒ある侯爵家ですね」
「では認められません。シルヴィさん、アンリ様の妻としてあなたお一人ならいいですが、家族は受け入れません」
「分かりました。私はアンリの妻として亡命を希望します。家は捨てます」
「シルヴィ、本当にいいのか?」
「誰もが何かを失っているわ。私だけ、というわけにはいかない。特に私の立場であればね」
「立場?」
俺の妻ということに何か問題が?
「アレクサンドラ女帝陛下も、リディアーヌ殿下も、そしてあなたも、どこか壊れてしまった。誰も正気ではいられない地獄を見たわ。きっと私もそう。今は世界の滅びを回避できても、この先にどう転んでもおかしくない。もしもそうなりそうだと思ったら、私は全力で止める。そのためにあなたたちの傍にいるわ。その覚悟を示すわ。だから私はただのシルヴィとしてここに立つわ」
「俺たちは全員がそれぞれを監視する、ということか。それぞれの思惑を持って」
「残念ながら私はその輪には加われそうにありません。私は黄泉返りの魔王を決して許すことができないからです」
そう宣言したのはクララ・フォンティーヌだった。




