黄泉返りの魔王 89 [魔法使いの戦い 5]
それぞれの主張を証明せよ。
そう求めたアレクサンドラにルキオは眉を顰めた。
不機嫌さを隠しもせずに吐き捨てる。
「証明だァ? んなもんはとっくに終わってんだろうが。断頭台にかけられたおまえを救ったのは誰だ? 俺たちだろうが」
乱暴な物言いをアレクサンドラは静かに受け止めた。
「そのことには感謝しています。恩を忘れることはありませんし、あなた方が礼節を忘れない限り、私も礼節を持って応対させていただきます。――ですが、これはこれからの話です。私は帝国を滅ぼしました。王国と共和国にも報復します。それで、その上で、私はそのまま世界を滅ぼしたいと望みます。一人残らず人類という種を、探し尽くして、殺し尽くします。隣人のルキオ、あなたは私の望みに最後まで付き合ってくださいますか?」
「もちろんだ。下等生物どもは皆殺しだ。それでいい。俺ァ最後まで付き合うぜ」
機嫌を急上昇させながらルキオは満足げに言う。
アレクサンドラは頷いて視線を俺に向けた。
「なるほど。ではアンリ様、あなたは私の望みを聞いて、その上でどうするのですか?」
「止める。もう十分だ。アレクサンドラ。君は十分に報復をした。王国と共和国にケジメを付けさせて、それで終わりだ」
そうさせるしかない。それ以外に共存の道は無い。
アレクサンドラがこの条件を受け入れられないのであれば、俺たちはもう殺し合うしか無い。
だが当然アレクサンドラにとっては受け入れがたい返答だったようだ。
「終わり? じゃあ私のこの憎しみは、恨みは、怒りは、悲しみは、苦しみは、慟哭は、絶叫は、いったいどうすればいいというのです? どこに行くというのですか?」
すべてに裏切られたアレクサンドラにしてみれば、当然の感情。
だから俺は覚悟を決めなくてはならない。
世界を滅ぼしたい彼女に、そうしないように願うのであれば、当然俺も代償を支払わなければならない。
そしてなによりも、俺も同じ、いや、彼女とは比べるまでもないが、日常を奪われた過去を持つ者として、彼女に寄り添いたいと思った。
苦しみの深さは違っても、似た苦しみを知る先人として、できることがあるはずだ。
「俺が受け止める。傍にいて、ちゃんと話を聞く。まず話をしよう。その感情は力任せにぶつけても解決なんてしないんだ。本当は誰かに話を聞いて欲しいんじゃないか? 苦しさを知ってもらいたいんじゃないか? 誰かに知ってもらわないと、気持ちは落ち着いたりしない。君がやろうとしていることの先にあるのは、君の気持ちを伝える相手が誰もいない世界だ」
「言葉だけでは何とでも――」
そう、言葉では何とでも言えるから――。
だから俺は転移魔法でアレクサンドラに接近した。
彼女の目の前に出現して、そしてその体を抱きしめた。
俺が自分にかけていたあらゆる強化魔法が消えていくのを感じる。
この状態からでは魔法を使うことはできないだろう。
魔法に変えようとした魔力はその場で、また魔力へと拡散されてしまうと分かる。
例外は精神魔法だけだ。
これはおそらく幻想魔法でも実現魔法でもないくくりなのだと思う。
だが、今は使うことをしない。
「君と話をするときはずっとこうしている。君はいつでも俺を殺せるし、殺してからでもいい。ただ俺の死体は多分魔法を使えないから、その時はただの物言う死体だろうけれど、それでも良ければ話を聞くよ」
「莫迦めッ!」
唐突に隣人のルキオと呼ばれた黒マントが馬上ランスを手に明後日の方向から攻撃してきて、そして耳障りな高音を立ててアレクサンドラの召喚した大盾を持ったスケルトンに弾き飛ばされた。
完全に想定していない方向からの攻撃に面食らったが、アレクサンドラは予測していたらしい。
全周をスケルトンたちに守らせながら、アレクサンドラは告げる。
「ルキオ、隣人のルキオ、あなたは私の権能をお忘れではありませんか? そして先ほどの言葉を理解していないのですね。礼節には礼節で返すと私は言いました。そしてあなたは嘘を吐いた。私には分かるのですよ。私の権能が働く相手の心の内が」
次々と召喚されるスケルトンたちが、ルキオの体を打った。
鋼鉄の如き堅さに弾かれ、ダメージを与えられているようには見えないが、それでも動きを封じることには成功している。
そしてアレクサンドラは目線を俺に戻した。
俺の腕の中で、俺を見上げている。
「アンリ様、あなたの残りの人生を私にくださいますか? それと引き換えに、私は一度足を止め、あなたと語らうことをお約束します。結論がどうなるかお約束はできませんが、私は私の思っていることをあなたに伝えたい」
「ふざけるな! アレクサンドラ! 黄泉返りの魔王! おまえには義務がある! 人類を名乗るヒト擬きに絶望を与え、苦しませ、徹底的に叩きのめす義務が!」
ルキオはランスを棍に変え、スケルトンを叩き潰していくが、スケルトンの召喚のほうがずっと早い。
「約束するよ。アレクサンドラ。今度こそちゃんと君と向き合う。君の話を聞く。俺の思っていることを伝えるよ。分かり合えるかどうかはまだ分からないけれど、そうなるように努力をする」
「来いよ! マステ! 聞いているんだろうが! こいつらをここで! 殺す!」
「愚かな。伏兵を喧伝するなどそれこそ愚の骨頂ではないか」
もうひとりのボーエンシィ機関、黒マントが床から召喚されるスケルトンのように現れた。そいつも自分の首を抱えている。
「と、いう囮だ」
何かが空気を切り裂く音に顔を上げると、天井から落下してくる黒い槍。
俺の反応は遅れた。
アレクサンドラに接触していることで魔法の効果をすべて失った俺は、この世界においては平均以下の能力しか持ち合わせていない。
とっさにアレクサンドラを守らなければならないと思った。
彼女が死ねばそれで解決するはずなのに、俺はそうしてしまった。
彼女を突き飛ばし、槍の落下地点から遠ざける。
たちまちのうちに、用意してあった魔法が発生する。
が、間に合わない。
すでに魔法障壁の内側に入り込んでいた槍は、俺の身を貫いた。
ピンで標本にされた蝶のごとく、俺は床に縫い付けられた。
咄嗟に風魔法で槍を切り飛ばして、腹から抜く。
ぼたぼたと腹の中身がこぼれ落ちるが、回復魔法で腹の中に収まっていった。
あまりにも一瞬のことで、痛みよりも違和感が勝った。
口の中に戻ってきた胃の中身を吐き捨てる。
「頭を狙ったつもりだったが、アレクサンドラを守るとは」
「外してんじゃねぇよ。マステェ!」
声とは違う方向からルキオが来る。
障壁はルキオの身に触れた瞬間にかき消えた。
魔法とじゃ相性が悪すぎる!
今度こそ頭部を狙った一撃。
さしもの俺も頭部破壊には耐えられないだろう。
首から上が無くなったら、死体になってもアレクサンドラと話し合うことができない。
そう思った瞬間、俺の頭部に接触しようとしていた黒い馬上ランスはどこかへ消えた。
耳に届いたのは聞き慣れた声だった。
「ふーっ、流石にちょっと焦ったわね。…‥まだ動くか、死体」
びゅんと武器を振って、そこに付着した血液を払い落としたのは、俺の妻のひとり。
シルヴィだ。




