黄泉返りの魔王 87 [魔法使いの戦い 3]
猛烈に立ちこめる死の臭い。
なぜなら完全なる亡者は回復魔法で消滅するが、復活した生存者が殺された場合、その死体が残るからだ。
謁見の間はたちまちのうちに死体が敷き詰められていく。
大人も、子どもも、老人も、男も、女も――。
撒き散らされる血と臓物の臭いが謁見の間に充満する。
俺が直接やったわけではないにせよ、責任の一端を担う死だ。
なぜなら俺なら救えた命だったからだ。
にもかかわらず、戦闘に負担だ、というだけの理由で彼らを救うのを諦めた。
死体の下からまた新たな亡者が現れて、先ほどの回復魔法で復活した人々が殺され、俺は回復魔法を放ち、亡者を消滅させ、生存者を復活させる。死なせるために。
人々の恐怖の絶叫、肉を絶つ音、断末魔の声。
「もう止めろ! アレクサンドラ!」
「時間稼ぎですか? 魔力というのは魔法を使う度に空間から消耗されていく。そうですよね。この場を満たす魔力が尽きるか、私の亡者がいなくなるか、どちらが先か。これはそういう戦いでは?」
アレクサンドラは亡者の召喚を止めない。
俺が使っているのは幻想魔法の回復魔法だから魔力消費はそれほどでもない。
だが周辺から自然に流れ込んでくる魔力よりは消費量の方がずっと多い。
いつかは枯渇する。
だがその前に離脱する手もある。
仲間と合流し、空間魔力の回復を待って、再度戦いを挑むのだ。
だがその間にどれだけの亡者が増える?
それを始めてしまえば、この場の魔力とアレクサンドラの亡者数の戦いではなく、世界中の人々の命を天秤に乗せた戦いへと移行する。
間断なく出現する亡者へ対処するために実現魔法を構築する時間が取れない。
たとえ実現魔法でアレクサンドラを攻撃するにしても、防御用の亡者はまだいるに違いない。
このままでいいのか?
いいわけがない。
なにかをしなければいけない。
でもそれって、なんなんだ!
耳に届く人の死ぬ音のせいで、考えがまとまらない。
「いいんですか? さっさと私を殺して奥様たちを助けにいくべきでは?」
「彼女らは問題ない」
むしろ心配なのはバルサン伯爵とピエールのコンビだ。
あの二人組は明確に戦闘力で劣る。
ピエールには身体強化の魔道具を貸してあるが、あれは一回だけの超強化しかできない。それくらいの火力でなければ、ピエールの力では貫ける可能性すら生まれないと思ったからだ。
きっと大丈夫。
元より黒マントたちは魔法使いに対して相性がいいだけで、強い人間には敵わないと思っていた。
おそらくこの場に駆けつけてくる者がいるとすれば、それは仲間たちだ。
天秤は先にこちらに傾く。
でも、なんだかそれは嫌だ。
何もかもが気に入らない。
破滅へと全力疾走するアレクサンドラのことも。
それに対して何もできない自分のことも。
ここで無為に時間を潰している自分のことが。
そのうち仲間が現れて強制的に解決へと向かうのを待っている自分が。
人々が死ぬことはもう仕方がない。そう思う自分が嫌だ。アレクサンドラに手を汚させていることがもっと気に食わない。
そもそも俺はなんのためにここにいるんだ?
アレクサンドラが黄泉返りの魔王だというのなら、止めたかった。
彼女にそうさせてしまったという罪悪感があったから。
だからつまり自分のためだ。
自分の罪深さに恐れおののく。
俺は回復魔法を放てずに立ち尽くす。
人々が鏖殺されるのを見ているしかできない。
俺へと殺到した亡者たちは魔法障壁に阻まれて、俺には届かない。
「おや? 作戦変更ですか? 確かにその防御の内側への配置はできないようですね。でも、その後は?」
俺はほぼ飾り同然に腰に佩いた長剣の柄を握った。
剣術は相変わらず苦手だ。
魔法が使えるのに、直接切った張ったするなんて意味が分からない。
でも黒マントへの対処のために訓練は積んできた。
まあ、魔法使いだから結局魔法を乗せちゃうんだけどさ。
「ああ、そうでした。非固定式魔法障壁は自分に追随させることができましたね。亡者への対処を止め、直接私を叩く、というところですか」
俺は魔法障壁を解除し、剣を水平に振った。
斬撃魔法。
風の刃に比べると威力も自由度も下がるけれど、この魔法には斬ったという実感がある。
ざぐん、と、謁見の間にいた亡者たちの体が水平に断ち切られた。アレクサンドラには効果が及ばなかったようだ。
幻想魔法だから当然の結果だ。
これは斬撃を伸長する魔法だ。
よく創作物である斬撃を飛ばす魔法だと思ってもらって構わない。
俺は斬った。
生存者の混じる亡者たちを、真っ二つにした。
もちろん亡者とは活動する死体という概念生命だから、真っ二つにされただけでは止まらない。
だが、亡者に混じる生存者は確実に死に至った。
俺は、人を、殺した。




