黄泉返りの魔王 83 [人外の戦い 3]
当然ながら目の前で繰り広げられる戦いをクララはまともに認識すらできない。
彼女は濃い魔力による恩恵を受けたことがほとんどなく、黒い宝石に蝕まれていた期間も短い。
絶望から立ち直った彼女は黒い宝石から受ける影響も少なくなっており、魔力から肉体への影響は軽微だ。
つまり魔法が少しだけ使える比較的普通の人間。
人間の枠すら超えたシルヴィの動きは当然ながら、ネージュの動きも追いきれないし、なんなら自分が何度か命の危険に陥っていたことにすら気付いていない。
だが彼女はこの程度のことは気にならない。
自分が周りに比べて劣っているくらいのことがなんだ。
自分が、家族が、友人が、知人が、全ての人類が、魔法使いという種に作られた魔法生物が繁殖したものだという事実に比べたら大した問題ではない。
クララは深い絶望を知っている。
だからこそ、この程度のことで心を揺らしたりしない。
死よりも恐ろしい事実の上を歩いているのだ。
死くらいのことがなんだ?
死ぬときは死ぬ。
それだけのことだ。
生き続けることよりはずっと楽だ。
それでも、苦しくても、生きたい、と願ったから、クララはいま立っている。
生きたいと願うけど、死にたくはないけれど、いつか死ぬのだと知っている。
それは遠い将来かもしれないし、不意に訪れる直後かもしれない。
クララはそれを知っていて、容認して生きている。
覚悟とはちょっと違う。そんなに苛烈なものではない。
どちらかというと悟りに近い。
だが強い気持ちが無いわけではない。
魔法生物だとしても人々には幸せでいて欲しいという善性が彼女にはある。
以前はそれこそが彼女を苦しめていたが、今はもう違う。
生きている者はただ生きればいいのだ。
知って苦しんでもいい。苦しみの果てに狂うのもいい。
知らずに愚かであってもいい。そうとは知らず他人を傷つけてもいい。その報いを受けるのもいい。報いを受けずにそのままであることもあるだろう。
幸せとは快楽ではない。
人々に真に幸せであって欲しいとそう願うからこそ、彼女の善性は、いわゆる人の気分を良くするだけの偽善とは一線を画したものとなった。
クララは人の行いを、その思いを、全てを容認した上で、己の正しいと思うことを遂行するだけだ。
悪意を以て、多くの同胞を、人間という種で見れば仲間達を、その生を、その死を、あのように辱めた、その元凶には報いを受けさせる。
己の無力によってすべきを果たせず果てるとしても、そうあれと魂が叫ぶのだ。
その魂の慟哭に耳を傾け、クララは何が起きているかも分からぬ戦場に立っている。
彼女がするべきはネージュとシルヴィの支援だ。
クララの持ち札は回復魔法だけ。
だが範囲回復魔法にはひとつ欠点がある。
範囲内の全ての生物を回復させてしまう。
つまり対象を指定できない。
範囲に含まれてしまえば、敵だって回復する。
では、クララにできることはなにも無いのか?
そんなことはない気がする。
アンリの使う回復魔法を手本に、魔法を覚えたクララは、アンリの癖のようなものが習性的に身についた。
己を魔力の変換装置として、周辺の魔力に形を与えるのがアンリの魔法だ。
そしてクララは見た。
アンリが魔法を使って帝城の床に大きな穴を空けるのを。
それは完璧に収束させた光による攻撃魔法だったが、クララはこう解釈した。
[穴を開ける魔法]
アンリの起こした現象に、まったく違う方向からアプローチし、その在り方を自己に定義づけする。
ストッと何かが嵌まった感覚がクララに生じた。
穴に棒を落としたらあまりにも綺麗に嵌まってしまい、穴など初めから無かったかのようになったような、完全なる一致。
隙間の無いその挿入によって向こう側に押し出されたもの。
それが結果。
光を放って、床に穴が開く。
敵の足下。そこに。
あり得ないその現象に足を取られたその敵を、シルヴィが手にした鎚で打った。
否、斬った。
「よし、通った! 常に硬いわけじゃない。なんだ、それならどうにでもなるじゃないの。クララ、今の感じでどんどん好きにやっていいわ。直接攻撃は多分無効化されるから、それだけ注意ね! あ、あと回復魔法こいつには効かないだろうから、バンバン使っちゃっていいからね」
「それ先に言ってください! でもいいんですか? 回復魔法以外は自分でも何が起きるか分かりませんよ」
「いいじゃないの。びっくり箱。私は好きよ。そういうの」
「オレも楽しくなってきたぞ。さあ、どこまで成長する。新造!」
「――ぷっ、あははっ!」
どうして敵までクララの成長を喜んでいるのか、クララには訳が分からない。
訳が分からなさすぎて笑ってしまった。
笑ったから、楽しいのがちょっと分かってしまった。
世界の摂理を独自に解釈し、自在に認識を押しつけることって楽しいのだ。
誰だって知っている。
自分の理論で殴るのは最高に気持ちいい。




