黄泉返りの魔王 75
「落ち着いてきたから入ってきていいわよ」
蚊帳の外にされていた俺をシルヴィが呼び戻す。
室内に入ると、件の女性は部屋の椅子に座らされていた。
改めて見ると若い娘である。
メイド服を着ているからには帝城に勤めるメイドなのだろう。
「えっと、どうなった?」
「彼女はセーラだ。帝国貴族の令嬢だった。アレクサンドラが捕縛され、帝城に引っ立てられてきた時に、同情的なことを言い、仲間から袋だたきにされたが、そのため結果的に命を繋いだ」
バルサン伯爵が説明してくれる。
「ということは」
「黄泉返りの魔王はアレクサンドラで確定だ」
己の罪を告げられる瞬間とはこのような気持ちなのか。
自分のせいではない、と言う気持ちが湧いたことが許せない。
自分を許せない。
「そうか……」
「良い報せと悪い報せがある」
「この状況で良い報せが?」
「帝城内にスケルトン他の亡者はいない。アレクサンドラは僅かなお気に入りの生き残りだけを帝城において、他の亡者は外に出した。悪い報せは黒マントとやらだが、二人いる」
「はー……」
俺は息を吐いた。
連中が複数人いることはとっくに分かっていた。
だけど連中は、これまで出会った二人はそれぞれ単独行動をしていた。
だからそういうものだと思い込んでいた。
見通しが甘かった。
せめて――、
「このメンバーで来て良かった、と思うことにするしかない」
「あの? 黒マントとは?」
情報共有を受けていないピエールが疑問を口にする。
「なんというか、黒幕の黒幕みたいなものだ。元帝国皇女アレクサンドラの絶望に引き寄せられ、彼女に力を与えた張本人だな」
「では叩くべき敵は三名いるというわけですね」
そう断言してくれるピエールの存在がありがたくもあり、疎ましくもある。
だからこそ、君にはまだここにいてもらいたい。
「黒マントからこそ情報を引き出したい。あいつらのことは何も分からないままだ」
「だがここではある程度喋っているようだぞ。セーラが言うには、奴らは[ボーエンシィ機関]となるものを名乗っているらしい」
「[ボーエンシィ機関]? 聞き覚えが無いな」
俺たちの全員がそれぞれに否定を意味する仕草をする。
この場合は誰も知らないという意味だ。
「機関というからには、組織か。となると総力がまったく想像できないな」
片割れのアルデは起きているのは8人だと言っていたが、それは眠っている者がいる、という意味にも聞こえる。
主と呼ばれている誰かの意思に従っている様子だったが、その目的は魔法使いを作る一方で、現行人類を滅ぼすことであるようだった。
俺が最初に接触した黒マントは、片割れのアルデの言葉によると喋らずのエイザルと言われているようだ。
俺との接触時は戦闘をしているつもりすらなかったようだから、その気になった場合の戦闘能力はまったく分からない。
それから片割れのアルデ。
彼女は黒いマントを武器に変形して戦う。
まともな戦闘こそ発生しなかったが、その強さの片鱗は見えた。
シルヴィひとりでは抑えきれないかもしれない。
「マステとルキオというらしいが……」
知らない2人か!
となると初見で対応する以外に無い。
エイザルは黒マントの武器化をしなかったから、あれがアルデの固有能力である可能性もあるし、黒マントがみんなあの能力を持つのかもしれない。
それぞれに別の固有能力を持っている可能性もある。
なにせ黒い宝石が与える力は、その人によって千差万別のようだ。
連中がそういう力を使いこなしている可能性は十分にある。
「黒マント2人に、アレクサンドラか」
黒マントの1人にシルヴィとネージュ、もう1人にバルサン伯爵とピエール、双方の回復役にクララ、そして俺がアレクサンドラの説得を試みる、という布陣しか考えられない。
「シルヴィ嬢は攻撃特化であるし、ネージュ嬢は回避特化だ。ピエールは、まあ中衛支援、となると組み合わせとしてはそれ以外は無いな」
バルサン伯爵の同意も得られる。
ちなみにバルサン伯爵は自身をどう思っているかを言わなかったが、まあ盾役だよな。この人は。
帰らずの迷宮で再会したときに、部下を守って負傷したことは忘れられない。
あれは致命傷だった。俺がいなければ死んでいた。
もちろんバルサン伯爵は俺が近くにいたことなど知らなかったから、死を覚悟して部下を守ったことになる。
「クララの回復魔法は俺のものほど強力じゃない。バルサン卿、無茶だけは避けてもらいたい。あなたには奥さんと、これから生まれてくる子がいるのだから」
バルサン伯爵には最悪の場合、ピエールを見捨てる判断をしてほしい。
正直なところバルサン伯爵はピエールを守りながら戦うことになって、逆に総戦力としては下がる。
俺はピエールを買っているが、それは彼の人間性であって、戦力としてではない。
だが彼は今ここに政治的に立っていて、彼が戦わないという選択肢は無い。
なんなら彼がこの戦場で死んでも、政治的には役割を果たしたと言えるのだ。
こんな風に考えてしまう自分が嫌だけどさ。
もうこれはこの場だけでは収まらない命のやりとりなんだ。
甘ったれた自分は捨てなければならない。
「アンリ、私は国王に誓いを立てた。国民を守るために剣を取ると。守るべき国民には彼も含まれているし、妻も理解してくれている」
「そんなもの!」
あなたは誓いを守って勇敢に死んだと奥さんに伝える誰かの気持ちを考えてくれ!
「そんなものではないのだ。それが全てなのだ。貴族が貴族として戦場に立つとはそういうことであるべきだ。現実にそんな貴族が多い訳ではないからと言って、自分をそこに落としてしまいたくない」
「誇りなんて地に塗れてもいい。全員生き残ることを目標にするなら、もちろん自分だって勘定に入っているんだよな?」
「もちろんだ。だがもし力が足らず、彼を死なせ、自分が生き残れば、それは恥だ。屈辱だ。死よりも恐ろしい。誰も死なせぬ努力をする。自分も死なぬように努力する。その上で、私は矢面に立つ。それだけのことだ」
「あなたは!」
「あのー、私は普通に死にたくないんですけど、このまま放置されちゃう感じです?」
セーラが場の空気を台無しにする。
「死なせないように努力をする。まずは眠ってもらおう。目が覚めたらすべて解決している。証言に期待する」
俺はセーラに睡眠魔法を掛けて、彼女を収納魔法に仕舞った。
もう一人くらい生存者を確保してもいいが、どうやらタイムリミットだ。
ドンと帝城が揺れる。
ドンドンドンと近付いてくる振動と破砕音は、おそらく帝城の壁や天井をぶち抜く衝撃だ。
こんなことができるのは魔法使いか、あるいは――、
「来るぞ!」
俺たちの足下、床をぶち抜いて黒い穂先が現れる。
誰にも当たらなかったのは幸運以外の何物でもない。
大きく空いた穴から、翼の意味も無く上昇してくる影。
巨大な馬上ランスの形状をした黒い武器を手に、それはマステかルキオか。
ボーエンシィ機関、黒マントが現れた。




