黄泉返りの魔王 67
「ピエール!」
俺は思わず彼の名を叫ぶ。
シクラメンが王国に占領される前からの住民で、母親を守るために王国の兵士になった男性で、かつて俺が案内を頼んだことのある人物だ。
いつか自分のところで働いて欲しいとすら思っていた。
「無事で良かった。いや、無事では無かったかも知れないが」
「クララ様たちに救われました。しかし母は……、いえ、文句を言いたいわけではありません。私の無力が原因です」
「自分を責めるな。なんとかできた人なんていなかったんだ」
あれだけの強さを得たレオン王子ですら無理だった。
一介の兵士であるピエールに何かを求めるのは酷だ。
だがピエールにとっては、俺の言葉が救いになるはずもない。
彼が救いたかったのは母親で、それを達することができなかったのだから。
「彼は元々シクラメンの人で、兵士だから、民の誘導を手伝ってもらってる」
「ピエール、大丈夫か?」
「手伝わせてください。いえ、これは私の役割なのです。お邪魔で無い限り私は私のやるべきことをやります。そしてこれはお願いなのですが……」
一般市民の兵士であるピエールは、本来俺たちに何かをお願いできるような立場では無い。
もちろん彼もそのことを分かっている。
その上で、彼は願いを口にする。
「この先、この事態が完全に決着するときまで同行を許してください。一矢報いる機会を私に下さい」
「分かった。だがまずはシクラメンだ。そしてそれ以降も私を支えてくれ。それが条件だ」
ピエールは目を見開き、軍隊式の敬礼をする。
よく訓練されていると分かる、美しい所作で、その目には決意が燃えていた。
「じゃあ協力して生存者を邸宅へ。道は作ったから表に亡者はいないはずだが、屋内から出てくる恐れもある。水たまりがあるうちに移動を完了して欲しい。クララ、今はここにいる生存者の安全確保だ。その後はまた働いてもらう」
「仰る通りにいたします」
「アンリは?」
「邸宅に先に戻る。今後の方針についてリディアーヌと相談がしたい。邸宅の人数が増えたことによる問題もそろそろ出てくると思う。それからアドニス村の村民がピサンリに到着する頃合いだ。念のため清浄化して城壁の内側に避難できるようダヴィド殿にお願いをしなければ」
「隙間を見て休憩しなさいよ。分かっていると思うけど、いまアンタが倒れたら終わりなんだから」
「そうだな。その通りだ。シルヴィは賢いな」
シルヴィは強くて、賢くて、可愛い。
「君も邸宅に到着したら休憩を。人に言っておいて自分は無理するのは無しだ」
「分かってる。切り札はまだ残してるから、心配要らないわ」
それでネージュの身体強化の魔道具が使用済みであることを思い出した。
「これをネージュに渡しておいてくれ」
大魔法の回復魔法によって広がった清浄範囲の人々を邸宅に誘導するため、ネージュはこの場にいない。
彼女は無言のまま仕事に向かうことが多いから、役割がある場合、気が付くと姿を消していることが多々ある。
ガルデニアに仕込まれたせいで、すっと消えちゃうんだよな。
俺は飛翔魔法で邸宅に帰還する。
俺の姿を見つけたリディアーヌが、真剣だった表情を和らげる。
「旦那様、いいところに」
「なにかあったのか?」
「食料の問題が表面化してきています。旦那様には供給手段がありますわよね」
「生肉ばかりだけど、それで良ければ。すぐに出すか?」
「いいえ、それは後で。こちらで発生している問題をまとめておきました。旦那様も同様だと思います。そろそろ書きだして、同時に対処できるものがあればまとめてしまいたいと思います」
「それは良い案だ」
生存者の問題、清浄化の問題、ピサンリへの報告、アドニス村の人々の避難、やることは山積みで時間も人手も足りない。
時間を無駄にしている余裕が無い今、効率化は必須だ。
「クララは限界が近い。こちらに向かっているが、場合によっては無理にでも休みを取らせてやって欲しい。浄化のペースは上がったが、外から流入してくる亡者も多い。かと言ってこれを完全に塞いでしまうと、亡者が離れていってしまう恐れがある。拡散されるのが一番厄介だ。シクラメンの負担は増すが、このままここで引きつけたい」
知らない顔の男性が俺の言葉をすらすらと紙に書き出していく。
「ピサンリの様子も見に行きたい。万が一あちらに亡者が到達してたら大問題だ。投石器は移動していないから、ピサンリが落ちることはないと思うが、アドニス村の人々が犠牲になる」
リディアーヌが眉間に皺を寄せる。
こつこつと右手の指先で左手を叩いている。
「思ったより形勢は悪いですわね。こちらは人数が増えたことで食料、寝床、統制にそれぞれ問題が。それから復活した貴族が不満を漏らしていますわ。今のところ封殺していますけれども、平民を扇動して妙な動きをするかもしれません。収納魔法に収めて欲しい人々は別室に待機させています。いま、横になるよう指示をしました。収容をお願いします」
「収容、食料はすぐに取りかかる。まだまだ人は増えるが、行けるか?」
「今はまだ。しかし限度があります。崩壊する前に元凶を叩く判断も視野に入れてください」
「そうか。1度、確認に行く必要はどうしてもあるな」
シクラメンの安全を確保してからと思っていたが、思っていたより状況は悪い。
「ピサンリへの報告、アドニス村の人々のピサンリへの収容。サンタル・ルージュの偵察の順か。貴族の件もあるが、俺がいなくても大丈夫か?」
「大丈夫かと言われると、大丈夫ではありません。生存者から話を聞きましたが、情報が錯綜していて、正確だと確信が持てません。おそらく旦那様がいなければ保って数日です」
つまり決着を付けるなら数日以内が絶対条件となる。
そして状況が悪化していく現状、その猶予時間すら削れていっているのだ。
「元凶を叩くとした場合、シルヴィ、ネージュは最低でも連れていきたい。可能であればクララもだ。ピエールも連れて行くと約束してしまった」
「ピエール?」
「シクラメンの兵士だ」
「役に立つのですか?」
「その期待はできない」
リディアーヌは少しの間、思考に沈んだ。
それから首肯する。
「……逆に言えばその方がシクラメンにいてもあまり意味はありませんわね。元凶を叩く場にシクラメンの人間が参加するのは、残された人々を鼓舞する役に立つでしょう。クララ様は残していただきたいですが」
「クララは危うい。彼女を守れるだけの実力者が護衛に付かなければ彼女を失うことになりかねない」
「そうですわね……。ひとり、任せられる人物が」
「本当に?」
この状況でクララの護衛に付かせることができるほどの実力者が!?
俺がびっくりしているとリディアーヌは苦笑した。
「旦那様のほうがよくご存じな方ですよ。もし転移魔法を彼に知られても良いというのなら、協力を仰いでもらえませんか?」
「一体誰なんだ?」
「バルサン伯爵です」
あ、それは安心して任せられますわ。




