黄泉返りの魔王 62
翌日は1度ピサンリに報告に戻った。
ダヴィドさんにシクラメン陥落を伝え、またある程度の生存者がおり、救出作業に入っていることも伝える。
王都へはピサンリからの伝令に任せることにした。
国王は後から兵を送るとは言ったが、数日で編成が終わるようなものでもないし、必ず斥候が先行する。
軍が王都を出立する前に、こちらの状況は伝わるはずだ。
アドニス村からの避難民はまだピサンリに到達していない。
探知魔法からすれば明日か明後日には到着すると思う。
大森林の感じからすると、おそらく亡者が迫ってきているようなことはないが、すでに完全に死んだ亡者は探知魔法に引っかからないようだ。
そういう亡者だけが追撃してきているという可能性はある。
森に覆われていて視界が遮られているため、目視では分からない。
リディアーヌたちは乾かしたウエディングドレスを再び身に纏った。
他の衣装もあるのだけど、市民が望む聖女としての服装に一番似つかわしいのが、純白のウエディングドレスだったのだ。
あとリディアーヌの体に合う服はないです。
幸いなことに夜の間に復活させた市民が亡者に襲われるようなこともなかった。
回復魔法の雨はあちこちに水たまりをつくっていて、亡者たちはそこに近付けなかったのだ。
これは非常に嬉しい誤算で、1度浄化したエリアはしばらく安全になることを意味する。
さらに状況を説明し、子どもや老人のような庇護が必要な者については睡眠魔法で眠らせた上で収納魔法に入ってもらった。
時間経過を止めてあるので、彼らの生存に必要なコストも抑えられる。
いま動ける市民の数は、ええと、たぶん3,000人くらい?
瞬く間に増えていくので、ぶっちゃけ数えていられない。
だが浄化を終えた範囲を考えるとこの数は決して多いとは言えない。
おそらく現地にいた人の半分も救えていない。
時間の経過と共に救える人の割合は下がっていくだろう。
それがどれほどのペースなのか分からない。
できる限りのことはしたいが、ペースを見誤れば共倒れだ。
それだけは避けなければならない。
自分の能力に依るものではないが、魔力量が不足している。
そもそも空間に存在する魔力量は決して多いとは言えない。
これまでは自分が魔力の残存するエリアに移動することで大魔法を連発してきた。
だがシクラメンの上空に留まらなければならない状況が、俺に使える魔力量を制限する。
よって回復魔法の雨は100メートル弱の範囲から広げられない。
人員が増えたお陰で、範囲内は桶を掲げて雨を受け止める人でいっぱいだ。
ある程度回復魔法が貯まったところで彼らはそれを手に亡者のいそうな場所や屋内に向けて駆け出していく。
そして別の桶を持った誰かが隙間を埋める、ということの繰り返しだ。
つまり回復魔法による浄化サイクルのペースはすでに上限に達しており、これ以上ペースが上がることはない。
これ以上の浄化ペースを求めるなら、根本的な改革が必要だ。
だが回復魔法の継続使用は集中力を維持しなければならない。
考えるような余裕が俺には無い。
一旦雨を止めて、まだ降らせていない地域に大魔法級の雨を降らせるか?
だがそれでは復活した市民が、ふらりと屋内に入って再び亡者に襲われるかも知れない。
現在、範囲内の市民が統制できているのは3人の聖女がいるからだ。
シルヴィとネージュには回復魔法の魔道具を渡してあるが、幻想魔法のものだ。実現魔法が発動するようなものではない。
つまり手分けはできない。
くそ、頭が回らない。
考えるのはリディアーヌに任せたほうがいいのは分かる。
彼女は俺よりよほど頭がいい。
だからといって頼り切りになりたくない。
彼女は魔法に対する知見がほとんど無く、知っていれば当たり前の視点が欠けていることがある。
実体化した回復魔法を直接振りかけるなんてのは、逆に魔法の常識を知らないから出てきたアイデアだろうけど。
「なにか救出速度を上げるアイデアは無いか?」
何度目かの収納魔法への避難者を受け入れながら聞いてみた。
「現状が手一杯です。今より多くの復活者が発生した場合、彼らの混乱を収めることができません。今この場にいる人員は3つの層に分けられます。第1に旦那様、回復魔法の雨を降らせることのできる唯一の存在です。第2に私たち、市民たちを統制する役割があります。第3に市民たち、亡者に回復魔法をかける役割です。今足りていないのは1と2です。そしてこれは増やせないものです」
「2なら1人いる」
ネージュの指摘。
「かつて観測所で絶望派の旗印として動いていた。彼女には人がついてくるだけのカリスマがある」
「クララ・フォンティーヌか!」
確かに彼女はできるはずだ。
魔法は使えずとも、人を動かすことが。
「その方は存じ上げていませんが、そういう人がいるのであれば助けにはなります。旦那様が説得してすぐに駆けつけてこられるのであれば、人手はいくらあっても困りません」
フォンティーヌ家のご令嬢なんですけど、ご存じないんですかね?
リディアーヌは時々こういう抜けがあって怖い。
いや、この場合、クララ・フォンティーヌがあまり社交に立っていなかった感じかもしれない。
そもそも観測所に研究者側で応募してくる貴族家女性というのがかなり例外的な存在だ。
実家からは扱い難いと思われていても仕方ない。
それで社交界デビューしてなかったのかも。
ただの推測だけどな。
「事情を伝えれば手伝ってくれるはずだ。あれで良識あるほうだし」
単にちょっと心が弱いだけだね。
あれ、それってシクラメンの現状に絶望してしまうのでは?
でも彼女は絶望している人間に寄り添えるはずだ。
彼女自身が深い絶望を経験しているのだから。
「さくっと行って連れてくる」
「待って。クララには転移魔法のこと教えてないでしょ。そこの信用は置けるわけ?」
シルヴィはクララ・フォンティーヌの参加に懐疑的だ。
「シルヴィの目から見て、そこに疑問符が付くのですね」
「悪い人ではありません。ですが、信用できるかと言うと話は別です」
「なるほど。旦那様の秘密が絡むことですから、私に判断はできかねます。私はすでにシクラメンの民衆を1度見捨てた立場です。旦那様が危険を冒す必要はありません。ここでの犠牲はすべて私が責任を持ちます」
「リディアーヌ」
俺は思わず彼女の手を握った。
「俺たちは夫婦だ。君が背負うものは、俺も一緒に背負う。それに先に見捨てたのは俺だしな」
それが情報が欲しいという打算に基づくものでも、1人でも救いたいとリディアーヌが言ったから今の状況があるのだ。
なんとしてもクララ・フォンティーヌを連れてこなければならない。




