黄泉返りの魔王 61
ネージュが情報を持って戻ってくるまでそれほど時間は必要なかった。
少なくとも日が沈むより手前で、シクラメンが完全浄化されるまでの道のりを考えると、初期も初期のうちに戻ってきてくれたと言える。
「レオン王子もクリストフ王子も無事は確認できなかった。確認できた最後の状況からするとどちらも亡者化していると見るのが妥当。それから邸宅で生存者を発見した。外には出ないように言い含めてある。レオン王子の最後についても聞いた。邸宅の人々を守るために邸宅の防衛戦に参加した。クリストフ王子もそれに同行したみたい」
「そう、分かりました。ありがとうございます、ネージュ様」
なぜかリディアーヌはネージュに礼を言った。
生存さえしていれば亡者化していても復活できるとは言え、確実ではない。
レオン王子たちが助かるかどうかで言うと、悪い方に天秤は傾いた。
それでもリディアーヌは礼を言った。
「この周辺は浄化を終えたと思います。移動しましょう」
悲しみを顔に出さないリディアーヌの先導に従って地上の民と、空中の俺は移動する。
シクラメン中央にある邸宅のほうに向かうのかと思いきや、彼女は外側をぐるりと回っていくことを選択した。
リディアーヌは身内より、民を優先したということだ。
彼らに、回復魔法の恵みがあるとは言え、亡者との直接対決をお願いしている。
そんな中で身内を優先することは許されないと考えたのだろう。
傍にいれば手を握ってあげられるのだけど、残念ながら俺は上空から雨を降らすのに忙しい。
リディアーヌの移動に沿って回復雨の降る範囲も変わり、別のエリアへの回復魔法の運搬が容易になる。
これをシクラメン全体を終えるまで回るのだが、かかる時間がちょっと想像できない。
なにせシクラメンには無数の建物があり、その中には亡者化した人々がたくさんいる。
そこに回復魔法の桶を持った一般市民が突入して、亡者に回復魔法を振り掛けなければならないのだ。
ただ雨を降らして終わりというわけではない。
ひとつのエリアを完全浄化するのにはとても長い時間がかかる。
「いずれ休憩、あるいは仮眠が必要ですね。アンリ様、眠っている間も雨を降らせ続けることはできますか?」
「それは無理だ。継続性のある魔法は繊細な扱いが必要で、崩れたらもう魔法は維持できない」
「分かりました。少し戻ってそこで休みましょう。見張りは市民に任せて、私たちはまとめて休むのがもっとも効率が良いと思います」
日が沈むと神秘性も薄れる。
虹がかからなくなるからだ。
ぐっしょりと濡れたウエディングドレス姿の3人を浄化の確認された部屋に上げ、暖炉に魔法で火を入れて、着替えになりそうな服をある程度用意してから俺は退出した。
え? 初夜?
できるか、んなもん!!!!
そりゃ濡れたリディアーヌはエッッッッッッッ!!!! ――ロかったけどさあ。
俺はさっさとタキシードを脱いで、布で体を拭い、予備の服に着替える。
濡れているとは言ってもそれは液体の回復魔法だ。
降る途中で空気中の塵を巻き込んだりはしているだろうが、基本的に体を回復させる効果がある。
まあ、実際元気だよ。なにがとは言わないけど。
俺は所有者がどうなったかも分からないベッドに倒れ込んだ。
転移魔法で観測所なりに戻って休むこともできたし、その方が体は楽だろうけど、いまシクラメンを離れるのは責任放棄だ。
そんな人間っぽい感傷に突き動かされて、俺たちは非合理的で、非効率的なことをしている。
だけどそれが必要なんだろう。
俺たちが一時的にでもシクラメンを離れたら民衆は見捨てられたと感じるだろうし、それが原因でパニックが再燃したら目も当てられない。
ベッドに横たわって少しでも眠ろうとするが、眠気が訪れない。
亡者たちが上げる絶叫が耳鳴りのように残っている。
彼らが藻掻き苦しみにながら絶命する姿が瞼のうらに焼き付いている。
それでも休まなければならない。
俺たちは明日も亡者たちの闊歩するこのシクラメンで活動を続けなければならないのだから。
苦しみながら眠りに落ちて、どれくらいの時間が過ぎていたのだろう。
俺は部屋の扉をノックする音で目を覚ました。
控えめなノックは、心当たりがないからリディアーヌか、市民かのどちらかだろう。
扉を開けると、寝間着ではないがゆったりした服に身を包んだリディアーヌが立っていた。
そのまま、というわけにも行かないので部屋に招き入れる。
え? 初夜始まっちゃうの?
リディアーヌは部屋の中をキョロキョロと見回したあとベッドに腰掛けた。
こういう時は男がリードしないといけないんだよな。
そんな風に思っていると、リディアーヌが言葉を発した。
「これは、あの黒マントの仕業でしょうか?」
俺の気分は冷水を浴びせかけられたように一気に冷えた。
そうだ。もちろんそうだ。そうに決まっている。
ヤツらが黒い宝石をまた誰かに埋め込み、その誰かがこれを発生させている、と見るのが妥当だろう。
なんで今まで俺は思いついていなかったんだ。
「もしそうだとすれば元凶を叩かねば事態を収めることはできないのではないでしょうか?」
リディアーヌは黒マントと直接対峙したことはない。
黒マントによって魂喰らいと化したシルヴィに襲われたことがあるだけだ。
情報として黒マントのことを知ってはいても、彼らのことを直接知っているわけではない。
「見つけることは難しいのでしょうか?」
「状況としてはネージュの時の大氾濫が一番近いと思います。つまり黒い宝石によって能力を得た誰かがアンデッドを大量発生させ、その感染を広げている。恐らくは被害の中心点付近にいるとは思いますが、推測です」
「中心点……。シクラメンが南端だとすれば、帝国全土、ということになりませんか?」
この亡者の軍勢がどこまで広がっているか。
シクラメンを襲った亡者の数はおそらく数万から10万くらいだろう。
少なくとも隣のオルムの人口では到底足りていない。
だがフラウ王国を攻めるために軍隊が詰めていたとすれば足りるだろう。
攻城兵器があったことから、ここに攻めてきたのはオルムの民と帝国軍というのは想像できる。
「オルムで、ということも考えられます。そこまで悲観的にならなくても良いかと。それにその場合でも犠牲になるのは帝国の民です。リディアーヌ、貴女が気にしなくてもいい」
俺がそう言うとリディアーヌはクスッと頬を綻ばせた。
「敬語に戻ってしまいましたわね。さっきまでの口調も男らしくて良かったですのに」
「緊急時でしたから」
「いいんですのよ。私の前では素でいらっしゃっても。人のことを言えたものではありませんけれど、アンリ様も随分と分厚い仮面を被っていらっしゃるようなので」
「それはまあ、おいおい。私たちに課せられた使命は状況に応じて、王国の権益を守ること、ですよね。回復魔法に一定以上の効果があることが分かった今、シクラメンの救済を続けるべきだと思います。ピサンリの安全を確認に戻る時間も必要ですが」
「アンリ様なら一瞬で戻れるのでしょう?」
「ええ、まあ」
「秘密にしている理由は分かります。アンリ様はサンタル・ルージュの帝城内部にも転移できるのしょう?」
「そうですね。屋内への転移はちょっと難しいのですが、可能かどうかで言うのなら可能です」
「ならば帝都の様子を探ってくるのは一瞬で済みますね」
「……はい」
もちろん分かっている。
分かってはいるが、心がどうしても拒絶する。
もしも帝都に転移して、そこも亡者で溢れていたら?
被害範囲は帝国全土ということになり、その周辺国も危うい。
いや、亡者の拡大ペースを考えると、これはもう世界の危機だ。
「強制はいたしません。フラウ王国の王族として、まず祖国を守らねばなりません」
「そう言っていただけると助かります。シクラメンを救うためにすべてを使います」
「ええ、使い惜しみするべきではありません。他にも隠し事があれば教えて欲しいのですが」
「リディアーヌ、貴女のことを信じます。俺の使う収納魔法は意識さえ奪えば生き物でも収容できますし、その容量はまだ底が見えません。生存者に俺の命が失われない限りの安全を保証できることになります」
「それが帰らずの迷宮における奇跡と言われた全員生還のカラクリですか」
「そうなりますね」
「しかしシクラメンの水やりにおいて民衆は必要な手です。彼らがいなければ隅々まで回復魔法を届けるのが難しくなります。彼らを収納するということは、労働の手が減るのでは?」
「例えば子どもや老人だけでも先に保護することができます。身内の安全を確保することは、人を死地に送るときに必要な前提条件だと思うので」
「そうですね。意識が無いことが条件でしたが、いま始めなくて大丈夫なのですか?」
「人を眠らせる魔法も使えますので」
リディアーヌは天井を仰いだ。
「旦那様。私の旦那様。貴方はきっと天が使わした救世主なのでしょうね」
「それは違います。それだけは絶対に違うんです」
俺は転生の時に確かに天使さまに会ったと思っている。
だけど俺に力を与えたのは黒マントで、俺の中にある黒い宝石が俺の魔法の源泉だ。
俺という存在はどちらかというと現行人類の敵で、俺自身の意思がいくら現行人類に寄り添っていても、黒マントたちはそう見なさないだろう。
事実、俺の周りには黒い宝石を宿した経験のある女性が集まっている。
ネージュ、シルヴィ、クララ・フォンティーヌなどだ。
金属書によれば魔法使いの力は、人造人間との間には受け継がれなかったという。
だけど彼女たち、黒い宝石の影響を受けている女性との間に生まれる子がどうなるか分からない。
ごめんな。リディアーヌ。
これだけはまだ言えない。




