黄泉返りの魔王 59
アドニス村の上空に転移した俺たちは眼下の情勢を確かめる。
村からは人の気配が消えていた。
探知魔法を発動すると、ここから南の方角にまとまった生き物の反応がある。
数や強さから、それが人間で、アドニス村の人口と大体一致することが分かる。
「どうやら村民はピサンリに向けて発ったようだ」
「アドニスには大氾濫の時の教訓がある」
ネージュの言葉に俺は頷く。
「そうだね」
かつて大氾濫で逃げ損ねかけたアドニス村では、常に村民全体が即座に避難行動に移れるように準備をしていると聞いている。
その準備が幸いにも、あるいは不幸にも、活かされた形になる。
「北側に反応は無いな。亡者というのが探知魔法に引っかからない可能性も大いにあるけど……」
俺の探知魔法は呼気に含まれる二酸化炭素を感知しているから、呼吸していない相手だと探知できないという弱点がある。
亡者に限らず、植物系や、物質系など、生き物タイプ以外が探知できないので意外とザルだ。
動体検知に切り替えてもいいのだが、こっちはこっちで案配が難しい。
「アンリ様、アドニス村の村民が避難を開始しているというのであれば、まずはシクラメンを確認したいです」
リディアーヌの意見は尤もだ。
アドニス村の人々は気になるが、今はシクラメンの状況を確かめるほうが重要度は高い。
「分かった。行こう」
俺は再び転移魔法を発動する。
いつもの僅かな酩酊感を伴う転移の後に、シクラメンの上空に到達した俺たちは、息を呑んだ。
「これは……」
俺以外の何事にも興味なさげに見えるネージュですら顔を青ざめさせている。
城塞都市であるシクラメンは城塞都市と言うだけあって城壁で周囲が囲われている。
その外縁部を無数の蠢く影が覆っていた。
まるでシクラメンという釜を熱する炎のように、それらは動きを続けている。
「アンリ様、生存者がいるか分かりますか!?」
リディアーヌに言われて急いで探知魔法を発動するが、無数の、あまりにも無数の反応が返ってくる。
亡者たちのすべてではないが、かなりの数が探知魔法に引っかかるようだ。
「少ない……」
シクラメンの内側から感じる探知魔法の手応えが、その人口を考えるとあまりにも少ない。
しかも亡者の一部なりが探知魔法に反応することを考えるとこれは……。
「亡者の一部も探知魔法に反応する。見分けがつかない」
「アンリ、あれを見て」
シルヴィが指差したのは城壁の外側。
埋め尽くすような亡者たちの群れの中に異形が混じっている。
それは魔物ではなく、構造物だ。
「投石器だ……」
帝国がシクラメン攻撃のために用意していた兵器だろうか。
いわゆるカタパルトがいくつか並んでいる。
今は放置されているようだが、ぶらぶらと籠が揺れており、固定されていないところを見るに、使われたと推測できる。
「亡者が使った? でも城壁に破損は見られないわ。そもそも魔物にそんな知能が?」
「知能のある魔物はいる。だけど道具を使いこなすとなると類を見ないな」
「……亡者にしかできない使い方がある」
ネージュが酷い顔色で言った。
自分の考えに気分が悪くなったらしい。
そもそもネージュが言いよどむ、ということ自体が滅多にない。
「教えてくれ」
「投石器でシクラメンに投げ込んだ。自分たちを」
「――!!」
俺たちはそのあまりにも、あんまりな手法に絶句する。
確かに亡者が伝播するというのなら、シクラメンの城壁内に亡者を放り投げるのは非常に有効だ。
空を舞ってシクラメンに落ちた亡者は、その伝播特性こそまだ分からないが、被害者を産み、被害者が加害者となって、シクラメンをあっという間に逃げ場の無い地獄へと変えたことだろう。
シクラメンはもう、ダメだ。
「一旦戻ってアドニス村の人々を守りながらピサンリまで後退するか?」
「アンリ様、生存者はいると思います。なにか見つけ出す方法を」
「見つけ出してどうする? どうやって救出すればいい? 生存者以外の全部を吹き飛ばすか? だけど見つけられていない生存者が巻き込まれる。その選別はどうする?」
「このままではシクラメンは無為に全滅します。せめて現地にいた者から情報を得たいのです。アンリ様、少しでも状況に詳しい者をひとり助けられたらそれでいいのです。他はすべて見捨てます。責任は私に」
兄たちを救いたいのではなかったのか。
俺は思わずリディアーヌの横顔に目線を向ける。
誰だよ。
リディアーヌはどんな時でも楽しそうにしてそうだ、なんて言った奴は。
唇を噛みしめ、激情を抑え込み、こんなに辛そうな顔で決断を下している。
「亡者と生存者を見分ける方法ッ!」
無いか? 何か無いのか?
花嫁にこんな顔をさせていていいはずがないだろうが!
記憶を掘り返して、ずっと深くまで掘って、今世の記憶を通り越して前世にまで辿り着いた。
――そうだ。
両親の死を忘れるために没頭したテレビゲームには、生者への回復手段が亡者に対しては攻撃と判定されるものが少なくなかった。
もしもそれが今回の状況にも適応されるとすれば、一石二鳥だ。
生存者を癒やしつつ、亡者を攻撃できる。
「回復魔法で死なない奴が生存者!」
「なにその理論!?」
テレビゲームなんて全く知らないシルヴィが素っ頓狂な声を上げるが、俺はもう準備に入っている。
ちょくちょく教会の治療所で慈善活動を行っているから、範囲回復魔法は比較的よく使う魔法だ。
だから応用も利く。
「雨のように回復薬を撒く感じで!」
物質化の手順を伴うため、幻想魔法より時間も魔力も使うが、物質化した回復魔法が降り注ぐため、俺たちが亡者に接近しなくていいのがいい。
救助に向かうなら、自分たちが要救助者にならないことが絶対に必要だ。
周辺空間から吸い上げた魔力を、形ある回復魔法に変える。
俺たちの周囲に生まれた回復魔法は、キラキラと太陽の光を反射して、それはまるで強いライトの下にぶちまけたスパンコールのようだった。
「効いてくれッ!」
傷を癒やす奇跡の力が、霧のように拡散し、天気雨となってシクラメンに降り注いだ。
太陽光が回復魔法を通して虹を呼んだ。
地獄と化した地表へと美しい虹と共に降り注ぐ祝福の力はてきめんに効果を発揮した。
耳を塞がねば正気を失いそうな絶叫が空まで届く。
回復魔法を浴びた亡者たちが悶え苦しみ、のたうち回るのが見えた。
あまりにも現実感が無くて、自分がやったこととは思えない。
そして結果は真っ二つに分かれた。
分かれた。
結果は2種類あった。
悶え苦しむのはどの亡者も同じだったが、その結果が異なっていた。
一方は間断なく絶叫をあげ、激しく痙攣した後に、自らを、地面を掻き毟るようにしながらやがて動かなくなった。
死者が絶命するというのは矛盾しているが、そうとしか言いようがない。
まさしく絶命だった。
もう一方は全く異なっていた。
絶叫は止み、その肉体の失われた部分は回復し、傷が癒え、目に正気が戻っていった。
彼らは何故自分がそうしているのかが分からずに困惑しているようだった。
そしてすぐに周囲の苦しみ藻掻く亡者に気付き、彼らは慌てて逃げ惑った。
何が両者を分けたのか、俺には分からない。
状況はより複雑さを増し、混迷を極めていく。




