黄泉返りの魔王 58
結婚式に乱入してきた伝令はシクラメンの陥落を告げた。
誰も想像もしていなかった事態に、辺りは騒然となる。
「っ……」
リディアーヌが小さく呻いて、俺はその細い手を強く握りしめていたことに気付いた。
手から力を抜いて、大きく深呼吸する。
「真か!? 間違いないのだな!?」
国王が立ち上がり険しく問う。
ぜぇぜぇと荒い息を吐く伝令は、すぅと息を吸い込んだ。
「大森林方面より来た伝令はピサンリの外でシクラメンの陥落と、亡者の軍勢について声高に告げ、自らの首を己の剣で掻き切りました。迷いなく一気に」
その言葉に周囲は騒然となる。
この世界には職業軍人はほとんどいないから、伝令はおそらく農民だ。
そういう人たちは自己犠牲を厭わないような勇猛さは持っていないのが一般的だ。
つまり伝令が自らの首を切るという行動は貴族たちからすれば理解不能なのだ。
「その場に崩れ落ちた伝令が死んでいることを確認するため兵が近づいたところ、伝令の遺体は突如として動き出し、兵に襲いかかってきました。首が半分落ちた死体がです!」
ご婦人方から悲鳴が上がる。
貴族の、特にご婦人方は想像力が豊かだから、情景が思い浮かんでしまったのだろう。
「私はこの二つの目でしっかりと見ました。十人隊長が現場判断で王都とシクラメンに向けて馬に乗れる兵を出しました。王都へは私が、その場にいた者でもっとも現場から離れていた私が選ばれました。続報は追って伝令が必ず!」
伝令の叫びは真に迫っており、嘘偽りだとは到底思えない。
亡者の、つまりアンデッドの大氾濫が起きたとでも言うのか?
「アンリ、行け! 後から必ず兵を送る!」
状況から見るに、亡者というものは亡者を生む。
下手に兵を投入すれば敵を増やすだけになるかも知れない。
「状況を確認して参ります。状況によってはそのまま対処に。可能であれば一度戻ります」
「私も行くわ」
そう宣言してシルヴィはドレスの裾を手で引き裂いた。
布の裂ける音はまさしく結婚式の終わりを告げるベルの音だ。
淡い色のドレスから白い素足が覗いて、銀色の煌めきが現れた。
見覚えのある装飾付きの立派な剣だ。
いや、それコルネイユ家の宝剣じゃなかったでしたっけ?
そんなのスカートに仕込んでたの!?
「私も」
当然のようにネージュも言う。
流石にネージュのウエディングドレスは動きにくいだろうと思ったが、彼女の意思は堅く、曲げられそうにない。
「私も連れて行ってください」
意外なことにリディアーヌがそう言った。
「殿下がいらっしゃっても……」
正直、邪魔にしかならない。
伝令の内容が本当であれば、状況は一刻を争うはずである。
「ピサンリはまだ無事だとして、シクラメンに生存者がいるかもしれません。彼らを先導する誰かが必要です」
「!!」
その視点は抜け落ちていた。
生存者がいたときに彼らをどうするのかという問題がある。
隔離しておくにせよ、混乱を収めるために誰か指導者がいたら心強い。
だがピサンリが亡者の手に落ちているというのなら、それは非常に危険な役割だ。
「私はアンリ様を支えると誓いました。貴方の妻は誓いを破るような女でしょうか?」
リディアーヌの瞳が俺を射貫く。
強い意思は決して曲がらない鋼のようだ。
「陛下!」
「許す」
「誰か窓を! 3人とも、こっちへ!」
俺のところに集った3人に飛翔魔法をかけ、理解の早い使用人が窓に駆け寄り勢いよく開け放つ。
窓は勢いのままに外壁に当たったのか、ガラスの割れる音が響く。
春の強い風が吹き込んで、カーテンをはためかせた。
まだ茫然自失としている参列者たちの頭を飛び越えて一陣の風を残し、俺たちは迎賓館から空へと飛び立った。
「まずはピサンリの状況から確認する。そこからアドニス、シクラメンだ」
状況が切迫しすぎていて敬語とか使ってられない。
「お任せします」
「殿下、いや、リディアーヌ、これから俺がやることをどう扱うかは任せる」
「アンリ!」
シルヴィが咎めるように俺の名を叫ぶが、俺は構わず転移魔法を発動する。
次の瞬間にはピサンリ上空に転移した俺たちは、眼下を確認する。
今のところ混乱などが起きている様子はない。
ただ城壁の外に人はおらず、城壁の上には兵士が詰めかけていた。
完全に籠城の構えだ。
ピサンリから早馬で王都までは馬を途中で乗り換えれば3日くらいだと思う。
伝令は間断なく走り続けなければならないだろうが、最短でそれくらいだ。
一方でピサンリからシクラメンはもっと近い。
早馬をアドニス村で乗り換えれば1日で到着できる。
つまりピサンリにシクラメンの状況はすでに伝わっているか、あるいは伝わっていないのであれば伝令は、ということになるだろう。
「ストラーニ伯が不在の今だとダヴィド殿が責任者か」
ダヴィドさんはストラーニ伯の長男で、アリスの父親だ。
あまり親しくはなれていないが、ストラーニ家の養子である俺からすれば義理の兄にあたる。
「これは、この景色には見覚えがあります。まさかピサンリですか? この一瞬で?」
分かっていたがリディアーヌは理解が早い。
おそらくはこの魔法の軍事的有用性にも気付いただろう。
というか、今まさに有効活用している。
「ダヴィド殿を探そう。ストラーニ閣下ならともかくダヴィド殿だと騎士団の詰め所か邸宅だな」
ストラーニ伯なら最前線に立つことを希望するだろうが、ダヴィドさんはどちらかというと安定志向だ。
最高指揮官である自分の安全を確保する。
正しい判断だ。
騎士団の詰め所なら情報も入っているだろうと、そちらに降下する。
俺が空から降りてくるのは誰もが慣れたもので、すぐに騎士たちが駆けつけてきた。
「アンリ様! それにリディアーヌ殿下も! 伝令は間に合いましたか! しかしよりにもよって今日とは……。申し訳ありません」
「いや、遅いよりはいい。ダヴィド殿はいらっしゃるか?」
「こちらです。向かいながら状況を説明させていただきます」
騎士が語ったところによると、亡者化した伝令に襲われた兵士もすぐに亡者と化したらしい。
接近するのは危険と判断して弓矢を射かけたが、中々倒せなかったそうだ。
「亡者に襲われると亡者になる? 聞いたことがないな」
まるで地球のホラー映画に出てくるゾンビみたいだ。
「はい。ダンジョンに出現する亡者にそのような特性はありません。前例の無いことなので、接近するだけで亡者になってしまうのか、傷を負うことなのか、あるいは殺されることなのか、判断ができません」
「それでシクラメンはどうなっている?」
「一昨日の段階でアドニス村までの無事は確認できています。シクラメンに向かった斥候がアドニス村に立ち寄った際に冒険者にピサンリへの伝令を依頼し、その冒険者が無事到着しています。しかしそこから先の足取りが分かりません。アドニス村へ避難を呼びかけるために人を送りましたが、まだ帰還していません」
「アドニス村は無事か」
一旦は。今のところは。
そんな注釈が付くが、故郷の無事に俺は胸を撫で下ろす。
あの村には親しい人がたくさんいる。
幼馴染みのリュシーも再建したアドニス村に戻っているはずだ。
そのすべてがかつて俺が大氾濫から救った人々だ。
お願いだから1人の犠牲者も出ていないでくれ。
そう願っているとピサンリ騎士団の司令部に到着した。
中ではダヴィドさんや、騎士団長が難しい顔で地図とにらめっこをしている。
「ダヴィド殿!」
「アンリくん、いや、アンリ閣下。よく来てくれた」
ダヴィドさんの顔に安堵が浮かぶ。
「状況はここまでに聞きました。アドニス村以北、シクラメンの偵察に行きたいと思っていますが、さしあたってここで私の力が必要なことはありますか?」
「いや、今は何より情報が欲しい。シクラメンが落ちたというのも信じがたいんだ。亡者の軍勢がいること自体は信じるとして、城塞都市であるシクラメンがそう簡単に落ちるとは思えない」
「しかしレオン王子の率いる遊撃部隊すら伝令を送ってこないんですよね」
「遊撃部隊とは言ってもまだ開戦前だ。まだシクラメンに詰めていたと見るべきだと思う」
そうか。ということはシクラメンが落ちているとすればレオン王子も……。
親しい人が、と思うと胸が痛むが、おそらく実の妹であるリディアーヌのほうがよっぽど辛い。
そのリディアーヌが唇を引き締めるに留めているのを考えると俺があまり悲しみを態度に出すことは躊躇われた。
「なるほど。外に出る前に囲まれたのであれば、遊撃部隊の価値は無くなりますね」
俺はテーブルに置かれた地図に目を向ける。
色んな色の紐がテーブルの上に置かれていて、それぞれの端部分がおかれた紙に数字が書かれている。
「これはそれぞれの地域で最後に連絡があってから何日経過しているかを示している」
「なるほど、それで街道沿いに並んでいるんですね」
「正直なところこうして可視化したが、どこまでが安全なのか皆目見当がつかない。とにかく情報を持ち帰って欲しい」
例えば3日前にとある場所が安全だというのはこの地図で分かる。
だが今まさにどうなっているのかは分からない。
「分かりました。すぐに出ます。リディアーヌ、君はどうする?」
「シクラメンに生存者がいれば助けになりたいと思います。ピサンリは今のところ大丈夫のようですし」
「分かった。じゃあダヴィド殿、アドニス村の人たちが避難してきたらお願いします」
「それも状況次第だ。ピサンリに亡者化する恐れのある者を招き入れるわけにはいかないからな。町の外に天幕を用意することくらいしかできない」
「っ! そう、ですね。分かりました。お願いします」
ピサンリを預かる者としてダヴィドさんの判断は正しい。
正しい判断だけど、だから人の心を思いやることをしない彼のことはどうしても苦手だ。




