黄泉返りの魔王 35
翌朝、俺たちは帝国領土を大きく西側に迂回しながらフリュイ共和国領土に到着した。
とは言っても、国境線が地面に書いてあるわけではないし、国境線に検問が張られていたり、入国管理の建物があるわけでもない。
この世界、この時代の国境線は曖昧なものだ。
山間部ともなればなおのこと。
共和国に入ったというのはアレクサンドラの頼りない知識に基づいて、帝国西側を抜けただろう、という推測によるものに過ぎない。
集落や町を見つけて下りて、直接話を聞けば確実なのだが、まだ帝国領内だった場合にややこしくなりそうだったので、俺たちは必要以上に西へと飛んだ。
この季節の北方は常に曇天で、見通しが良くない。
しかも山岳地帯ということもあり、高度を落としても視界が悪い。
速度を出すために雲の上に出ているが、こうなると地上の様子がまるで分からない。
雲から突き出る山々は白銀に覆われていて、足下のそれは雪雲なのだろう。
この状況では街道に沿って移動して次の町を見つける、というようなことはできない。
というか、ぶっちゃけ俺たちは居場所を見失っていた。
ぼんやりと見える太陽で方角が分かる程度だ。
俺たちは雲から突き出した山頂付近にあった雪に覆われた小さな足場が崩れないことを確かめてから、そこに下り立った。
「小休止にしよう」
迷っていることは隠して、火を熾し、竈を作って、飲み物とパンを温める。
「多分、フリュイ共和国には深くまで入っていると思う。だから次は町に向かう」
「場所は分かるのですか?」
不安を隠さずにアレクサンドラが聞いてくる。
あ、ネージュがむっとした顔をしてるな。
ネージュは俺にできないことはないと思っている節がある。
なんでもはできないよ。
「当たりはつけてあるから、多分大丈夫だ」
実際にはまだ見つけてないけど、探知魔法で人が十分に多く集まっている場所を目指せば問題ないはずだ。
ただどれだけの規模の探知魔法が必要かが分からない。
なのでいまできる最大に近い規模の探知魔法を使うつもりだ。
繊細な飛翔魔法を扱いながらでは、その規模の探知魔法を使うのは難しいため、こうして地上に下りたというのが本当のところである。
パンを食んで、お茶を飲みながら、魔力を魔法へと変換する。
以前から俺はこの行為を呼吸のように例えてきたが、実際の呼吸をそれに合わせる必要はない。
ある程度の集中は必要だが、それはもう必要十分に鍛えられたので、食事をしながら大魔法くらいは使える。
放たれた探知魔法が次々と生命の反応を返してくる。
かなり険しい山脈の中なのだが、それなりに生き物が生息していることが分かる。
集落もあるようだ。
だが町と呼べるほどの集まりは見つからない。
波紋が広がり、広がり、広がっていく。
10キロ、20キロ、まあ、俺の感覚なので適当だけども。
20キロちょっと先で多くの反応を返してくる場所がある。
人間ほどの反応とそれよりも大きい反応が同居している。
合わせて1万人を超えるくらいの規模だ。
何かしらの町があるに違いない。
「フラウ国王陛下からいただいた情報は頼りにならないのですか?」
「西から共和国に入って首都まで行って戻ってきた報告書だからな。もっと速度を上げて西から回り込めば情報通りに進めるかも知れないが」
「……遠慮させてください」
食事を終えた俺たちはその反応に向かって真っ直ぐに飛ぶ。
10分もかからずに目的地付近に到着したので、2人にハンドサインを出して下降に転じる。
地表に激突しないよう気を遣いながらゆっくりと分厚い雲を抜けると、白銀に染まった地上から、いくつも煙が上がって、風に吹き飛ばされている。
まず間違いなく暖炉の煙だろう。
それは人々の生活の煙だ。
大きい方の反応はこの暖炉だろう。
一定以上の熱量が含まれた二酸化酸素を検出するように改良した探知魔法だが、火が発生させる二酸化酸素も対象だ。
上の範囲を下げれば除外できるだろうが、巨大な、それこそ例えばドラゴンのような生き物を見逃す可能性がある。
このままでいいだろう。
地上とは言ってもかなりの高地で山間に出来たわずかな平地という趣だ。
雪に覆われてはいるが、段々畑のようなものも見て取れる。
俺たちは町の外縁部に下り立つ。
まだ朝と呼べる時間帯だが、出歩いている人がおらず、特に目立つこともなかった。
町の中に人が歩いた跡として雪の轍が至るところに残っているので、町の中に限れば人は動いているようだが、この時間はそうでもないらしい。
今もしんしんと降り注ぐ雪で、この轍もすぐに消えてしまうだろう。
町の建物の建築様式は帝国式とは違うが、玄関に高さがあり、階段を上がらなければならないのは帝国と同じだ。
いま、その工夫は存分に活用されていて、階段の半分以上が雪に埋もれている。
手近にあった家に歩み寄ってドアを叩く。
「ごめんください。ちょっとお伺いしたいのですけれど!」
共和国で使われる言語は王国と大差ない。
言い回しや、使われる単語に違いがあるが、話がまったく通じないほどでもない。
「どちらさん?」
扉が開いて猫系の獣人らしき男性が姿を見せる。
マルーより体毛が濃いな。
寒い地域だから体毛が発達しているのかもしれない。
いてっ!
ネージュさん、なんで小突いた。
「ハレニカを目指しているのですが、迷い込んでしまいまして。どっちに行けばいいかだけでも教えていただけないでしょうか?」
防寒着を着込んで、フードを深く被っているから、人種的な違いは分かりにくいはずだ。
それでも訝しげな目を向けられる。
「こんな季節に旅? 正気か?」
「ちょっと事情がありまして。方角だけでも教えていただければすぐに出立しますので」
「ふぅん。まあ、あんたらが野垂れ死のうがどうでもいいが。寒いからちょっと入れ」
不用心だと思ったが、俺たちはまだ子どもと言って差し支えのない年齢だ。
危険視されなかったのかもしれない。
武器も持ってないしね。
「そこに座れ」
顎で示された先にはテーブルと椅子。
俺たちは素直に席に着く。
小休止したばかりだが、ちゃんとした椅子で休んだわけではない。
腰を落ち着けられるのは正直嬉しい。
室内は暖かいというほどでもないが、外と比べると雲泥の差だった。
部屋の奥で暖炉がパチパチと火の粉を上げている。
まあ、この辺りは木々も多いようだし、手間を考えなければ薪に苦労はしないのだろう。
フードを取るかどうか迷って、結局取った。
十分に暖かい部屋の中でフードを取らないほうが不自然だと思ったからだ。
男性は家の奥に引っ込んだかと思うと、木の深皿にスープをたっぷりと入れて持って来て俺たちの前に置く。
俺たちの人種について特にコメントはなかった。
「えっと、これは?」
「ここじゃ旅人を持て成さないと後ろ指を指されんだよ。めんどくせえ」
木彫りのスプーンを持ってきながら男性は言う。
「で、どこから来たんだ?」
「フラウ王国です」
「山脈の向こう側じゃねーか。よくここまで来れたもんだぜ」
あ、帝国ってことにしといたほうが良かったかな。
でももう手遅れだ。
「そっちで何か変わったこととかは?」
「あー、王国じゃないですが、帝国のお姫様が共和国に亡命したらしいですよ」
一応、ここでも仕込んでおくか。
ここにも帝国域からの難民がいるかもしれないしな。
「ほう?」
「詳しいことまでは知りませんけどね。なんでも帝国から出て行った難民たちの祖国を回復したいらしくて、ハレニカで難民を集めてるらしいです」
まだ始まっていないことだが、近いうちに始まる。
細かい日付など分かるわけがないし、ここからハレニカに行くとしても普通の人間なら相当な時間がかかるだろう。
よってこの情報を伝えることに不都合はない。
「興味深い話だ」
男性は話を聞きながら、せっせと家の奥で何かをしている。
「帝国は相変わらずか?」
「王国方面は大森林手前で止めてますよ。前に攻められましたが、大森林北側の都市を逆侵攻で奪いました。10年以上前の話ですが」
「それは知らなかったな。ここじゃフラウ王国の話はあんまり入ってこないんだ」
「ご存じなだけで驚きですよ。共和国から王国へは帝国内と大森林を抜けるか、この山脈に挑戦するか、あるいは西側から大回りですから」
「まあ、俺にだって事情はあらーな」
男性は話したく無さそうだったのでこちらからも聞かない。
「ハレニカは方角だけならここから北西だが、街道は西に向かっている。だが雪に埋まっていてとても歩けたものじゃない」
「なんとかします」
「まあ、好きにしたらいいさ」
男性は家の奥から戻ってきて、テーブルの上にどんと袋を置いた。
なんというか野性味溢れる匂いがしている。
「これは?」
「保存食だ。干し肉がほとんどだが、持って行け」
「これは貴方の冬の食料では?」
「独り身で食料には困っていない」
その割に大きな家だし、テーブルに椅子が4つある。
内装に目を走らせてみるが、女性が用意したような雰囲気を感じる。
いや、これこそ話したくないことか。
「ありがとうございます。お代と言ってはなんですが、これを」
俺は荷物袋から出したと思わせるようにしながら、収納魔法から封を切っていない火酒の瓶を取り出した。
貴族への贈答用に突っ込んであるやつだ。
値段で言えば、男性から受け取った保存食とは比べものにならないくらいにお高いが、恐らくこの雪中では保存食のほうが価値が高い。
俺には必要ないが、その気持ちに応えられるものがこれくらいしかなかったのだ。
「これは、酒か?」
「ええ、もしご不安でしたら一口毒味しますが?」
男性は俺の言葉には答えずに、封を切ると匂いを嗅いで、そのまま瓶に直接口を付けて酒を呷った。
「ぷはっ、こりゃいいものだ。俺の方が礼を言わなくちゃな。近くまでなら送っていくが?」
「大丈夫です。スープ美味しかったです。ご馳走さまでした」
ネージュとアレクサンドラも男性に礼を言って俺たちはその町を後にした。




