第9話 ふみだすゆうきをきみに(前編)(2018.6.30加筆修正済み)
第9話 ふみだすゆうきをきみに(前編)
夏休みとは嘘つきだ。全てが休みかと思えばそうじゃない。そりゃまあ、部活動や同好会に勤しんでいる生徒だっているだろうが、帰宅部にとってはせっかくの休みの中、学校に行くのというのはかなり億劫な事だ。
なぜ登校日というものを作ったのか俺は不思議でたまらない。登校日なんて、独り身でいる人間にとっては苦痛で仕方がない。
夏休み中に起こったことや、これからの計画を友達と話し合う明るい声が嫌でも耳に届く。夏休みの宿題は終わってないやら、だったらうちに泊まりに来てやろうやら、夏の蝉以上に暑苦しくてうるさい。
室内はエアコン完備と言いながら、遮光カーテンは全く機能していない。窓際にいる俺としては、天国のような涼しさを半分ほど感じる一方、地獄のような暑さも半分ほど味わっている。
おまけに今は自習だ。夏休み中の自習とか、もはや帰った方がいいんじゃないのかと文句を零してしまう。
今日の俺はいつも以上に機嫌が悪い。なぜなら、貴重な夏休み、作品の展覧会に向けて寝る間も惜しんでアイデアを出しているのだ。
が、運が悪いのか、それを具現する前にスランプに陥ってしまっているのだ。
タイトルは【うさぎさんとすずめさん】で決まっている……だが、どうしても話の流れや組み立てが全然決まらない。
設定としては、友達がいなかったすずめという名前の青年が、ある日突然喋るようになったうさぎのマスコットと出会い、成長していく……といったもの。大まかなテーマや流れはあるのだが、なんとも上手くいかないのだ。
描いても書いてもイラストも文もしっくりこない。自分自身、友達がいないし、そもそもクラスメイトと喋るということをしたことがないのだから当たり前なのだ……。
今更「やあ!突然だけど、俺と友達になってくれない!?」って言う歳でもないし、そもそも友達ってそんな風にして作るもんじゃない。そうじゃないと分かっているのだが……と、机に伏せながらそっとスマホを見る。昨日の着信履歴には一件、表示された相手は仁都如月と書かれていた。
先日の喫茶店の件で連絡先を交換することになり、時たま連絡を取り合うようになっていた。ほぼ、向こうから連絡が来ることが多いが。
だからと言って、こんな友達の出会い方なんて……。
「書けるわけねえだろ……」とボソッと呟き机に俯せたところで、授業の終わりを告げるチャイムが鳴った。
どこかで「よっしゃあ!」と言う男子生徒の声が聞こえ、それに続くようにクラスメイトの声が大きくなった。昼休みだ。
昼飯を買いに購買へ行く者や、持参した弁当を机をくっつけて食べる者や、はたまた他のクラスや中庭に行く者でごった返していた。
しかし、独り身の俺としては全く関係の無いことで、いつものように自作した弁当を机の上で開いて食べよう、と鞄に手をかけた時だった。
「すみませーん、雀宮泪くんいますか?」
と、ほんの一瞬だけ教室が静かになった。和尚に一喝されたが如く静まり返ったのだ。生徒の目線を追いかけるように振り返ると、俺は閉じていた口を大きく開けてしまった。
なぜなら、教室の入口付近に奴――仁都如月がいたのだ。一部の女子はそいつを見て小さく、黄色い悲鳴をあげていた。俺はどちらかと言うと悲痛の叫びが出そうになった。
男子の方も「お、おお」と反応できないようで仰け反っていた。そりゃそうだ、こんなに高身長でイケメンなメガネ男子が現れたら誰だってそんな反応になるわ。慣れてくると逆に惨めになってくるけどな……。
「……すーちゃんいないのー?」
俺が返事しないからか、それとも仁都が俺を見つけられないからか、しびれを切らした仁都は遠慮なしに教室に入ってきた。誰もがその姿仕草に、様々な意味で見とれてしまっているようだ。無理もない。そもそも、他の学科の人間が普通科に来ること自体が珍しいのだから。それくらいうちの学校は特殊である。
仁都の乱入を見兼ねてか、ハッと我に返ったうちのクラスの委員長の瀧本が仁都に尋ねた。俺が唯一話したことのあるクラスメイトである。
瀧本はクラスメイトの反応とは逆に、落ち着いた様子で微笑み「えっと、雀宮だったらほら、あそこ。窓際の方の席にいるよ」と俺のいる方を指した。
さすが委員長だ。俺のような独り身の生徒でも、名前を覚えてくれるなんてありがたい事だ……。と、感心していると、その指先を見て「あ、見っけ見っけ~!小さかったから見つからなかったよ~」と仁都が声をかけると同時に、無数の視線という視線が槍のように突き刺さってきた。まるで実験動物にでもなった気持ちだ。
今にもその無数の視線だけで、俺のメンタルは破壊されそうだ。
……決断するまで、そんなに時間はかからなかった。視線に耐えかね、俺は鞄を抱えて仁都の元へ向かい、「ごめんなー待たせたよなー!悪かったなー、迎えに来て貰っちゃって~!!えー?カレーが食べたい?!しょうがないな~!!さー、行こうか!」と早口で言い、仁都の体を回れ右させて、その背中を力一杯押した。
「えっ、ちょ、すーちゃんどうしたの急に……って、痛い痛いめっちゃ痛いんだけど!?どうしちゃったの?!」
「うっさい!いいから黙ってこっち行け!!」
喚く仁都を押しながら、俺はそのまま走るように教室を去った。廊下にいた何人かの生徒や先生に二度見されたが、それすらも全て視界に入らないように無視した。
きっと教室に帰った頃には何か噂されている。下手したら先生とかにも何か訊かれてしまうかもしれない。
俺の平和な学校生活が違った意味で終わる……グッバイ俺の静かな学校生活……!と、目から一滴の涙を零して別れを告げたのだった……。
「…あれまあ、つまりすーちゃんはクラスでボッチというわけなんですなぁ」
「そういうわけじゃねぇし……。別に、俺は一人がいいから一人でいるだけだし……」
「すーちゃん?それを世間ではボッチって言うんだよ」
「だ、だから、俺の場合はニュアンスが違うんだよ、ニュアンスが!」
「はいはい、そういうことにしときまーすよー」
「……ったく、何だよもう」
そう言い、弁当のおかずであるひじきの煮豆をつまむ。自分で作ったから美味しいも何も無いけど、甘めに味付けしてあるから、疲れた脳にはとても助かる。豆の食感は柔らか過ぎず硬過ぎず、昨晩作った残りなので多少は柔らかくなっていたが、お弁当のおかずにしては上々と言えるだろう。そう思いながら、かぼちゃのサラダにも箸を進める。
ごろごろとしたかぼちゃの食感に、ピリッとした黒胡椒とマヨネーズが効いててなかなか……。即席にしては上手く作った方である。
アスファルトの地面から熱気がゆらゆらと揺らめいているのが目に見え、汗がじっとりと制服に張りつく。隣では、仁都が涼しい顔をしてチョココロネにかぶりついていた。
……あれから走るだけ走り、気づけば屋上に辿り着いていた。屋上は基本的に立ち入り禁止なのだが、鍵が壊れているため入れることは出来る。
しかし、その存在を知る者は今のところ俺しかいない。春先に適当に構内を散策していたら見つけたので、春の終わりまでにはよくお世話になっていた。その癖なのか足が覚えていたらしい。
屋上にそのまま出たら丸焼けになってしまうので、唯一出来ている影の中に仁都と二人でいるのだが、もうそろそろその影すらも太陽に侵食されそうである。
夏はエアコンの効いた教室で、音楽でもラジオでも聞きながら食べていたのに……。人生とは上手くいかないものだなあ。ほぼコイツのせいなのが多いけど。
横目で仁都を見ると、仁都はもう既に何個目か分からないチョココロネを食べていた。飲み合わせは紙パックのオレンジジュースである。
授業を受けていたら頭を使うのだから、糖分が必要なのも分からないわけでもないけど……それは食いすぎじゃね?糖尿病になるんじゃないのか?
「仁都、お前食べすぎじゃね?満島さんに弁当とか作って貰えないのか?」
「あー……それなんだけど、今日登校日ってことすっかり忘れてて、由佳さんに怒られちゃって……」
とチョココロネを咥えながら目線を逸らす。都合の悪いことを叱られた子犬のような顔をしている。なるほど、家政婦さんとは言え、何でもして貰えるわけじゃないんだな。
満島さんにだって時間かあるわけだし、そもそも弁当がいるのなら事前に食材とか買わないといけないから大変だろうなぁ……。
分かる分かる、最近ほぼ食事の準備をするようになって、世の主婦の皆さんは毎日苦労している事が身に沁みて分かった。
俺が弁当いらない日に限って、朝になって弁当がいるなんて姉貴が言い出してきた日にはどれだけの文句を言ったことか……。俺は満島さんの味方をするぞ、仁都。
「……にしても、それだけじゃ栄養偏るだろ。焼きそばパンとか、惣菜系もしっかりとらないと午後からもたないだろ」
「なんかすーちゃん、由佳さんみたいなこと言うね。お母さんみたいー」
「誰がお母さんだ。ってか、別に、俺の姉貴も目を離すとお前みたいに偏った食生活をするから、そう思っただけだ」
不意に姉貴と仁都を重ねると、思わずゾッとした。こんなのが二人もいたら胃に穴が開きまくりだ。真夏であるはずなのに、背筋に嫌な冷たい風が通った。
「へ~……すーちゃん面倒見良いんだね」
「いやいや、どちらかと言うと面倒見が良いのはお前だろ」
「え?俺?なんで?」
「なんでってそりゃ…」
と、そこまで言って口を閉じた。言えば自分が惨めになると思った。仁都がこんな地味で暗くて嫌味ばかり言う自分に付き合ってくれることを。
仁都はどちらかと言うと、いい奴だ。それは前から思ってる。でもそのいい奴というのが俺みたいなやつと一緒にいていいものなのかと考えてしまう。
仁都はあちら側、光がある方の世界の人間だ。俺はどちらかと言うと……。
そう考えたところで、不意に昔のことがフラッシュバックしたので、それを消すように頭を振った。考えてはいけない。これはもう過去のことなのだからと。
「……すーちゃん?」
俺の次の言葉を待っているのか、仁都は食べる手を止めていた。手からは溶けだしたチョコがついていた。ついてるぞ、とポケットティッシュを手渡した。
やっぱりすーちゃんは面倒見が良いね、なんて言われたが、俺は適当にスルーして黙々と弁当に手をつけた。すると、ひょいと仁都が俺の弁当の中を覗き込んできた。
「……すごい美味しそう。これ、すーちゃんのお母さんが作ったやつ?」
「いや、俺が作ったやつ。基本的に、朝は姉貴が作ってくれるんだけど、うちは一応当番制だから……今日はたまたま俺だっただけ」
「へー、すご。じゃあこの卵焼きもすーちゃん手作り?」
「まぁ、卵焼きとか昔から作ってるし……」
「おいしそー!一個ちょうだい!」
「え、ちょ、おい!」
仁都は俺の弁当から卵焼き一つをつまみ、俺が止める間もなく口の中へと放り込まれてしまった。
まあ、朝ごはん兼用に作ってたから別にいいんだが…何と言うか、他人に食べられてしまうと少し悔しい気持ちになる。
「んまー!え、この味加減結構好き!甘じょっぱい方が好みなんだよねー、ホントに美味しい」
「……舌に合って良かったな」
昼飯を済ませ、仁都の学科であった話をBGMに一息ついてから鞄からスケッチブックと鉛筆を取り出した。
思ったよりも時間が無いのだ、早くこの世界を作り上げないと展覧会に間に合わない。焦りすぎているのか、描いては何度も黒く塗り潰してしまっている。
鉛筆で汚れた紙には手で擦った跡がたくさんあった。それは薄汚れていて、とても綺麗なものとは言えなかった。
描こうとすれば、手が動かない。鉛筆は持っているはずなのにその先に進めない、描けない恐怖というのに直面していた。
暑さのせいか、少し頭がくらくらする。汗がじわりじわりと肌を侵食していく。
「……それ、この前のやつ?」
そんな俺の真横から、仁都はオレンジジュースをストローで飲みながら聞いてきた。
「まぁ、そうだな。でも、うまくいかないからちょっと詰まってる……」
「ふーん、なんか大変そうだね」
「大変、まあ、そうだな……」
って、なに仁都に話してるんだ。こいつに話したってしょうがないのに……。
焦るあまりか少しイライラし始め、筆があまり進まなくなってしまった。そしてその事にもイライラし始める……という負の連鎖にかかっている事に俺は気づかなかった。
いや、頭では分かっているつもりでも、口から出てくる言葉はあまりにも冷静ではなかった。
大変そうだなとか、他人事見たいに言うよな……いや、他人事なんだけど。でも、なんでだろう、無性に腹が立った。
俺の中で湧き上がる何かを抑える俺を横目に、仁都は笑いながら鼻をふんっと鳴らした。
「悩んでるんだったら、俺も手伝うよー!一人よりも二人の方が何かいいアイデア出るかもしれないし」
「別に……いらねえし。これは俺の問題だから、気にしなくていい……」
「本当?すーちゃん、目の下のクマ凄いよ寝不足?悩みすぎて疲れてない?大丈夫?」
「……大丈夫、ちゃんと寝てるし、休んでる」
「でも、今日のすーちゃんなんか変だよ。さっきからイライラしてるみたいだし、少し休んだ方が…」
「いや……だから……大丈夫って言ってんだろ!それに、これはお前にしたって分かんない話なんだからさ!」
そこまで言ってハッとした。ふと、生ぬるい風が自分の頬を掠めては制服の中を通り過ぎていく。
仁都を見れば、驚いたというより少し悲しそうな顔をしていた。しまった。やってしまった。
焦りとイライラからつい、強いというよりもキツイ言い方をしてしまった。仁都の言葉を聞かず、自分の都合だけを相手に押し付けてしまった……。
これじゃ、昔と何ら変わらないじゃないか。初めて、俺の絵を凄いなって褒めてくれた人なのに……これじゃ、母さんと同じじゃないか……。
今目の前にいる仁都の姿と昔の自分が重なってしまった。ゾクリと背筋が凍った。昔の俺の周りにはゆらゆらと揺らめく無数の影が、口々に俺の悪口を言っている。
幻覚だとわかっているはずのその光景に少し気持ちが悪くなった。やがて視界がねじ曲がるようにぐにゃりと反転し、俺は意識を空へと手放してしまった。
「すーちゃん!?」
どくどくと脈打つ視界の中、瞼を閉じる前に見た風景は、何も聞こえない中、仁都が血相を変えて俺を何度も呼びかける姿と、うざいくらい澄み切った青い空だった……。
なんだ、お前、そんな顔もするんだな……。
やがて、揺りかごに揺られるような振動に駆られた俺はそのまま眠ることにした。少しだけ……眠るように……。