第7話 あいすこーひーとあいすてぃー(2018.6.30加筆修正済み)
第7話 あいすこーひーとあいすてぃー
「ってか、久しぶりだねすーちゃん!あれからどれくらいだっけ?一ヶ月くらい?」
「……んなわけあるか、二週間くらいだ。一ヶ月なんて経ってたら、夏休みの課題なんてとっくに終わってるだろ」
「あー……そうか。うん、そうだよね。な、夏休みの……課題……?」
「ないわけないだろ?工業科にも」
「う、うん、別に忘れてないよ、忘れてない」
そう言うと、仁都は目を逸らしてアイスティーのストローに口をつけ、ズーッと一気に飲み干した。
おっ、これはあれだな、夏休みの課題?なにそれ美味しいの?ってタイプの奴だ。簡単に言えば、夏休みの課題恐怖症。友達や親、同級生に言われてその存在を思い出し、提出期限までの残り日数に恐怖するというものだ。学生なら誰もがこの病気にかかることは間違いない。俺自身は、提出期限に遅れたことはないが、どんな形であれ、課題は嫌なものである。
カランッと、大粒の氷がコーヒーの海に落ちる音が心地よく耳に届いた。ストローで掻き回せば、その深淵を埋めようと、冷たい宝石がひしめき合って輝きを保とうとしていた。
先ほどの不良軍団を相手にした後、外にいるのは暑いから嫌だという仁都のリクエストにお応えしてこの喫茶店に入った。ここは俺の行きつけである。昔ながらの落ち着いた雰囲気のある喫茶店だ。
店内の装飾品の何から何までアンティークで揃えた店主こだわりの内装だ。フランスやイギリスなどから仕入れたカップやグラスも様々な形のものがあり、魅せるように食器棚に仕舞われている。ちゃんと手入れされているからか、宝箱の中を見ているようだった。これを目当てに、ここへ足を運ぶ人も一部ではいるのだとか。
店内を流れる穏やかなジャズミュージックを背景に、俺と仁都はカウンター席に座っていた。俺たちが座っている席は、ちょうどその食器棚の正面になる。曇り気のないガラスに俺達の姿が映る。
マスターはキッチンカウンターで、静かにコーヒーカップを磨いている。長年通っているから分かるのだが、あれはもはやマスターの日課なのだ。
あの作業をし始めたマスターには、注文等最低限のこと以外で話しかけてはいけない。それは常連さん同士の暗黙のマナーである。
なぜそうなのかという理由は特に無いのだが、話しかけてはならない唯ならぬ空気がそこにはあったのだ。
現在時刻は十四時半。ますます太陽の熱が都会の地面を焦がしていることだろう。しばらくはここで厄介になることにしよう。
幸い、ピークを過ぎたからか、お客さんがいない。ボックス席もあるのだが、窓もあり外目についてしまうので敢えてそこは避けた。
仁都が隣にいるのだ。ただでさえ、この喫茶店に来るまで何人かの女性がこちらを振り返るような状態だったのだ。
そんな奴とボックス席につけば、嫌でも自分が惨めになるのが分かる。初めて来たと言うので、カウンター席を勧めるとあっさり座ってくれた。ちょろい。
そして、仁都はストレートのアイスティーにモンブラン。俺はアイスコーヒーにショートケーキという組み合わせだ。
何故か俺のこの組み合わせを、仁都に「子供っぽくて可愛いね、すーちゃん」と言われてしまった。本当にこいつの可愛いの標準は何なのか分からない。
そんなこいつは、モンブランを食べるなり「美味しい!幸せ!ほっぺ落ちそう!」とかはしゃいでいる。
お前は女子大生か。いや、どちらかと言うと、今流行りのスイーツ男子?ってやつか……?
まあともかく、今はそんなことなんてどうでもよかった。俺が気になっていたのは、あの不良軍団と対峙した時の話だった。
「……なぁ、仁都」
「なに?すーちゃん。あ、栗はあげないからね!」
「なっ、そう言うなら俺だって苺は……じゃねえ!そうじゃねえよ!!」
危ない、またこいつのペースに乗せられるところだった。自分の性格が憎い。真面目に答えようとしてしまうあたりが本当に短所だと思う。
「……お前、平塚中出身って言われてたけど……それって何だ?」
「あー、それ?俺の出身中学のこと。平塚市立中学校、略して平中。隣町の中学のうちの一つで、通称ヤンキー校。凄い怖いヤンキーがいるって噂されてたんだよねー。今でもその名残が残ってるみたい」
「へ~……それでか」
「あ、ちなみに、その怖いヤンキーの張本人は俺!」
「は~なるほ……え?はあっ?!」
「俺、一時だけやらかしてたんだよ~。でも、流石に受験の時期になったら大人しくしようって引退したから、その名前無くなったと思ってたのにな~!!いやあ懐かしい懐かしい」
と不貞腐れながら、仁都は頬杖をついて溜息を吐いた。……ってか、いやいやいやいや?!なんなのその爆弾発言?!爆弾はこの前のお前ん家だけで十分なんですけど?!
確かに、不良達が確認するようなことだから何かあるとは思ってたけどさ……まさかのヤンキー?!まさかの?え?お前が?!嘘だろ?!
お前ただのチャラ男じゃなかったのかよ!?普段の様子から想像出来ないんだけど?!
「じゃ、じゃあ……お前、その性格で不良だったのかよ…?!」
「いやいや、それはない!この性格になったの高校入ってからだし?それに、あの頃と今じゃ全く真反対の性格だからね、納得してもらえないのは当たり前なんだよね」
そう言うと、またモンブランを一口食べてアイスティーに口を運ぶ。カランッと氷が沈む音だけが店内に響く。
俺は一旦落ち着くためにアイスコーヒーを一気に飲んだ。ふわりと広がる苦味の後にほのかな酸味と甘味が広がる、マスター逸品のブレンドものだ。だが、その風味すらも今の俺にはとんちんかんになってしまっていた。暫くのあと、俺はショートした回路の中で一つの結論を導き出した。
「……お前ってさ、もしかして色々と秘密持ちなわけ?」
「さあ~、どうだろうね。俺は二週間前にすーちゃんと友達になったからね。もしかしたらまだ秘密があるかもしれないよ?」
「だから、いつお前と……」
と、言いかけた所で口をグッと噤んだ。無理だ。もはや、友達の過程すっ飛ばして一晩お世話になった身なんだ。
友達じゃないとは簡単には言えなくなった。流石にそこまで俺も鬼じゃない。向こうが諦めるまでは友達ということにしとこう。うん、そうしよう。
「ってか意外だなぁ」
「は?何が?」
「普通、元ヤンキーって聞いたら大抵の人は嫌がるか引いたりするじゃん?もしくは気を遣ったりするじゃん?すーちゃんはそういう風にしてないからさ」
そう言うと、仁都はストローをくるくると掻き回し、琥珀と結晶の世界を混濁させる。
「…だから、意外だなあって」
……なぜかその言葉がとても店内に響いた気がした。それが照れ隠しなのか、言いたくなかったことを言わせてしまったのか、分からない。
なぜかその瞬間だけは、仁都は目を合わせないように視線をアイスティーの中に溶け込ませていた。
確かに、過去に何かしらやらかしていたら後ろめたさを感じるかもしれない。中学なんてわりと最近の話だ。だからこそ負い目を感じているのかもしれない。
しかし、だから何だというのか……。俺は仁都に問いかけた。
「なんでって言われても……それはお前がさっき答えを出したろ?」
そう言うと、仁都は少し驚いたように顔をこちらに向けた。カランッと氷たちが互いに揺れ合った。
「俺達はまだ知り合って二週間くらいだって言っただろ?それだよ。俺は昔の仁都如月のことも知らないが、今の仁都如月も知らない。それで、昔、何かやらかしてましたなんて言われても、特に何も思わない。それが昔であっただけで、今ここにいるお前の事じゃないんだろ?だったら別に、それで俺が驚いたり嫌がったりする必要はないんじゃないか?」
これは俺への言葉でもあった。【昔そうであっただけで、今はそうじゃない】この言葉を噛み締めていた。
俺のこの言葉に仁都は表情を変えず、むしろ真剣に耳を傾けていたように見えた。その表情に俺はふっと少し笑いを漏らした。
「……良かったな、仁都。お前と俺が友達になって、まだ二週間くらいしか経ってなくて、な」
そう言って皮肉混じりに言ってやると、一瞬、驚いた顔してからぶはっ!と吐き出すように笑った。
「あはは!そうだよね!そうだ!そっか!あはは!やっぱりすーちゃんは面白いなあ!」
と、これ以上ないと言うくらい笑いが止まらないようで、腹を抱えながら目にはうっすら涙を浮かべていた。
おいおい待て待て?!そんな泣くような面白い要素がどこにあった?!つーか、笑われすぎて腹が立つんですけど。確かに少しは格好つけましたけど……。
「……なぁ、仁都。俺はどちらかと言うと、かなりいい事言った気がするんだけど?」
「それ自分で言っちゃダメなやつ~!あはは面白い!すーちゃん最高!」
「うわっ!おい、何だよ!抱きつくなよ!」
大きな影が覆い被さる。立派な体格をした仁都に俺は抵抗する余地も逃げる余地もなく、そのまま包まれてしまった。いいから離せ!と押し返すと、今度は両手で頭をくしゃくしゃにした。まるで飼い主に弄ばれている犬じゃないか!
これじゃ焼け石に水だ、助けを求めようとマスターに目線を送ったが、マスターはニコニコとしているだけで全く意思疎通ができなかった。俺、ここにかなり通ってるつもりだったんだけどな……ってか、
「暑苦しいんだからいい加減離れろーーーーー!!!!!」
と言う、俺の悲痛な叫びだけが店内に響き渡ったが、レスキューしてくれる者など誰もいなかったのである……。