第63話 おしによわい
第63話 おしによわい
俺はどうも最近、自分の環境変化に脳が追いついていないという、なんとも支離滅裂な状況に置かれている。
以前の自分なら、朝学校に着き、適当に授業を受け、適当に昼を済ませ、また授業を受け、真っ直ぐ家に帰って作品に没頭していた。
クラスメイトとの会話はおろか、姉貴との会話すらない日もある。姉貴は社会人なのでそこは仕方ないとして、それが俺にとっては当たり前だった。
それに、自分の性格が他人から見てあまり良くないことも知っていた。そういうことで俺は、人と極力関わらず、接点を持たず、漫画や映画などのいわゆるモブみたいなものであろうとした。
……だからこそ、こんなにも自分が、姉貴以外の他人の頼み事に甘いなんて、思いもよらなかったのだ。
やはり、人と関わると性格が変わるものだろうか、などと思いながら、真っ白な数学のノートに数式を埋める作業を続けていると、「んー……」と何かを考えるような声を発した後、田本は「それは、」と続けた。
「……やっぱり、雀宮くんが良い人だからじゃないかな」
そう言って、俺が書き写しているノートの上部を人差し指でトントンと叩くとニコリと笑った。
「良い人、ねぇ……?随分と都合の良い言い方にしか聞こえないけどな〜」
と、俺の横で坂田は口を尖らせ、不服そうに零した。すっごい、不細工な表情である。
「えー、雀宮くんは良い人だと思うけどなー?俺的には〜」
「なんか、お前の裏の顔を知ってると、お前のその言い方、含みありすぎて嫌いなんだけど」
「待ってよ坂田!それ辛辣すぎない?」
「……言えてるかも」
「待って?!雀宮くんまでそういう事言うの?!嘘でしょ?!」
田本がそうやってあたふたしているのを横目に、坂田と顔を合わせた俺はそのまま吹き出してしまった。坂田もお腹を抱えて笑うと、今度は少し顔を赤くした田本が、不服そうに眉をひそめて口を尖らせた。
「良いこと言ったつもりなのにー……」と、本人的には優等生を演じたつもりでいたらしい。怪我をしていない腕で頬杖をついてそっぽを向いてしまった。
なんだか、いつも見かける田本から想像出来ない拗ねっぷりでそれすらも可愛らしく思えた。
窓の外からは、コンクールが近い吹奏楽部の演奏と、体育祭に向けて練習中の応援団の声が夏の夕空に響いていた。
* * *
……数時間前、帰り支度をしていると、田本がうちのクラスを尋ねてきた。その時教室に残ってた人は少なかったものの、学年の人気者の来訪に、教室が若干ざわついた。
その光景に慣れているのか、満更でもないのか、田本は迷いもなく俺を見つけてはスタスタと歩いてきた。俺が田本から目線を避けるのよりも早く、彼の顔が頭上にあった。
不幸なことに、俺は机の中の片付けに追われていたので、目の前の巨人を欺けるほどの余裕はなかったのだ。
そして、目の前の彼は、謝る手を見せながら俺に向かってこう言ったのだ。
「……ごめん、雀宮くん。もし宜しければ、数学のノートを写させて貰えないかな?」
キラキラとしたオーラが、彼のフィルターを通して教室中に伝わった。何人かの女子が「もし宜しければ……」と言いたげに、じりじりとこちらに迫っていた。田本を狙っている女子が、ポイント稼ぎに来ているのだろう。姉貴の持っていた少女漫画で似たような状況を目にした覚えがある。
その際彼女が「そんな小細工をした所で、その男の本命には勝てないのよ」などと意地の悪いことを言っていたのを記憶している。何故そう思うのか、それを訊いた時は、
「好きな人以外はみんな、ただのクラスメイトか友達か、あるいは後輩か先輩にしかならないの。結局、決めてるのはそいつなんだから」
などと、姉貴にしては珍しいほどの正論を言っていた気がする。「それって、藤見さんのこと?」と訊くと、姉貴にビールの空き缶を投げられたのは言うまでもなかった。
まあ、それはいいと……いや、良くない。これは良くない。彼女達は本気なのかもしれないが、巻き込まれる自分にとっては、それは物凄く嫌なものでしかない。人の視線が集まるのは嫌だ、出来ることなら少女漫画展開は俺のいない所でして頂きたい……!!
「……あの、田本。別に良いんだけどさ……周りが……」
「周り?」
そう言って、田本はチラリと横で周りを見ると納得してくれたようで、「分かった」と言うと、俺の肩を優しく叩いた。
「……あー、ごめん。俺、先生に呼び出されてるの忘れてた。ごめん、雀宮くん、ノートを写させて貰うのはまた今度でいいかな?」
そう言うと、残念そうに笑った。先ほどと反転した発言に「お、おう?」と答えると、小さくぼそりと呟いた。
「……人がいるみたいから、また後で来るね」
と、人差し指をあて、周りに見えないように目で合図を送った。流石、田本。周囲の状況を素早く理解できる、優等生である。
これがもし、仁都なら、
『えー!すーちゃんそんな事言わないで貸してよー!お願ーい!一生のお願ーい!』
……なんて、泣きつかれるかもしれない。つくづく、あいつとは良い意味で同じ学科じゃなくて良かったと思っている。
そう考えていると、いつの間にか田本は教室から出て行った。戦闘態勢に入っていた女子達の武装が解け、何事も無かったかのように過ごしていた。残念がる声も聞こえたが、俺としては内心ホッとした思いでいっぱいだった。
……それからしばらくして、誰も居なくなった頃に、田本が坂田と共にひょっこりとうちのクラスに現れたのであった。
そして、俺の周囲の机を合わせて、「田本のノート写し会」が始まったのである。
なぜこの会が始まったのかと言うと、田本の腕の怪我である。
先日のエトを庇った件で利き腕を怪我した彼は、ノートを書くどころか、物を持つことも出来なくなってしまった。
これを見た坂田は「本当にただのイケメンだな」などと皮肉っていた。まさにその通りであると、自分も頷きそうになったのは秘密である。
田本本人はノートを見せてもらうだけでいいと言っていたのだが、俺としてはノートを写すことが復習になって家で勉強する手間を省けることから、俺はこの「ノート写し会」を提案し、現在その作業に取り組んでいた。
坂田はやる気が無さそうに見えたが、仁都待ちの時間潰しにはなるだろうとの事で、現国のノートを写すことになった。
奇跡的というか、担当教科の先生がいいからか、授業の進み具合は田本のクラスと同じくらいで、言ってみれば少しだけうちのクラスが進んでいる程度だった。
田本曰く、数学担当の望月先生に他に受け持っているクラスはあるのか訊いたところ、うちのクラスが該当したようだった。
現国に関しても同じ理由で、これまた偶然にも工業科の方と同じ進行具合だったと言う。
それ以外は大丈夫なのかと訊くと、それ以外は自分でノートをまとめてあるからいいのだと言う。
たわいも無い雑談を挟みつつ、手を進めていく。そして体育祭の話になった時、ついリレーの話のことを零してしまったのだった。その話の返しが、田本のあの発言である。
* * *
「……良い人っつーか、すずめくんは断り方を知らないだけだと思うんだよな〜」
「……じゃあ、坂田だったらどうしてるわけ?」
「俺なら色んな理由と持前の演技力で逃げ切るね、天才的」
「本当にしてそうだから怖いんだよね、この子……」
「そう言ったら、田本の偽善者っぷりもなかなかのモンだと思うけど?」
「あはは~、きっと誰かさんに似ちゃったんでしょうね~?」
そう言うと、田本は、ハハッと笑って坂田を見ていたが、その笑みがどこか黒く見えたのは言わないでおいておこう。
「まあ、すずめくんが良い人なのは友達として認めるけど、あんまり何でも押し切られたらダメだかんね?」
「え?」
「良い人、なんて言い訳つけて、勝手に持ち上げて勝手に押し付ける奴なんてそこらじゅうにいるから気をつけなよ」
そう言う坂田の目線は、俺ではなく田本に向けられていた。「そうじゃないと、こいつみたいになるからね」と言い、そう言い切る前に田本の頬を思いっきりつねっていた。突然の事で痛みに抗いながら悶える田本だったが、思い当たる節があるのだろう、「気をつけます……」と頬を抑えながら頭を下げていた。
……先日の1件から、この2人の関係性がなんとなくわかってきた気がする。お互いのことを大切に思いやってる気持ちが、良く見えるようになった。かなり物理的なことが多い気がするけど……。
「でもあれでしょ?雀宮くんがリレーに出るってことは、仁都と勝負するってことだよね?」
「なんか面白そう」と、田本は頬を擦りながら楽しそうに笑っていたが、実際問題そんな楽しいものではない。
田端から昨年の仁都の体育祭の様子を聞いた限り、俺はとんでもない奴と対決することを改めて知ることになったのだ……。




