第57話 ばーか
第57話 ばーか
「……っ!!ソウゴ、はしって!」
エトちゃんはそう言って俺の腕を強く引っ張った。どうしたのか、そう俺が問うよりも早く、彼女は口を開いた。
「あしおとっ、こっちにちかづいてきてるっ……!!」
彼女がそう言った瞬間、枝がパキパキと折れる音と、草の根を掻き分ける音が聞こえた。音は徐々に近くなっていく。動物か、何かだろうか?そう警戒しながら様子を伺っていると、予想に反した声が俺達の耳もとに届いた。
「お嬢様ぁ〜?どこ行ったんですか〜?」
それは低くしゃがれた、気味の悪い男性の声だった。お嬢様と言うあたり、彼女のことを指しているのだろう。しかし、小屋にいた時の男の声とはまた別の声だった。
誘拐犯は複数人で動いている。下手したら、この二人以外にも後ろにいるのかもしれない。そう考えていると、男の声が続いた。
「檻の中から出て行っちゃうような悪い子には……お仕置きしましょうね〜?」
声に似つかわしくない、甘ったるい喋り方に悪寒が走る。わざとなのか、それとも素なのか……。
道標でもあるのだろうか、足音は的確にこちらを向いている。身の危険を感じた。
彼女に引っ張られるように重い腰を上げた。僅かにある足の筋肉が膨れ上がって硬直していた。疲労が蓄積した体に鞭を打ち、相手に気づかれないように彼女とともに走り出した。
しかし、足元をよく見ていなかったからか、小さな小枝が散乱しているのにも関わらず思いきり踏みつけてしまった。相手がそれを聞き逃すはずなく、そこかぁ!!と声を荒らげて俺達のあとを追いかけてきた。
枝や葉っぱが視界を遮り、素肌を傷つける。切り傷やかすり傷が増え、焼けたような痛みが広がった。彼女が傷つかないように手で枝を避けたり、庇ったりするのが精一杯だった。自然の力によってどれだけ傷つけられたか、そんなことすら数えるのも忘れてしまっていた。
……気がつけば、目の前に大きな光の塊が見えていた。人がいるかもしれない、一か八かで飛び出すと、そこは公園の入り口の地図で見た散歩コースの道だった。この道は人の手が加えられ、コンクリートで舗装されていた。公園内を一周できるように平らでなだらかな道になっていると書かれていた。
等間隔にベンチが置かれ、それを照らすように街灯がぼんやりと揺らめいていた。だが、人は誰一人としておらず、助けを求めるにはもう少し下る必要があった。しかし、大通りに出られただけでも大きな前進だ。
「エトちゃん、やったね。もう少しでお家に帰れ……」
そう安心できたのも束の間の出来事だった。いつの間にか、彼女と距離が空いていたらしく、遅れて来た彼女が少し離れた所で「きゃっ!」とつまずいていた。
しまった……!何故彼女を先に行かせなかったのか。どうして彼女を待たなかったのか。しかし、そう後悔するには少し遅すぎた。
「……みーつけた」
あの気持ちの悪い声が茂みの中から聞こえ、その姿を現した。腕にタトゥーをたくさん付けた、ギャングのような男だった。手には鉄パイプを持ち、軽々とそれを振り回していた。
「あーあ、手間取らせやがって……」と舌打ちをし、唾を吐いた。そして、怯えて動けなくなった小さな彼女を見るなり、ニタリとした。
「さ〜、お仕置きしましょうね〜?」
男は彼女の目の前で鉄パイプを振り上げ、小さな体を砕こうとしたその瞬間、不思議と、俺の体は自然と動いていた。彼女を目の前に、壁になって庇うように彼女を抱きしめた。
……硬いものを打ち付けられたような鈍い音と、それに反動するように口の中からガハッと唾が勢いよく飛び出た。左の肩が意思に反してだらりと垂れる。その衝撃に思わず悲鳴を上げそうになった。途端に熱を持ち、痙攣のように脈打つが如く上半身が痛みだした。
今すぐにでも倒れてしまいそうだったが、ほぼ気力だけで痛みを押さえつけ、残った右手で彼女をしっかりと抱きしめていた。
「なんだぁ?正義の味方にでもなったつもりかよ、ダッセーな!」
ケタケタと、壊れた猿の玩具のような耳障りな声が俺の頭上から降り注いだ。だか、それに対して俺の反抗の意思はない。痛みのせいでほとんどの力が残っていなかった。
「ハッ、一発殴られたくらいで立てないとか正義の味方失格じゃねえーの?」
ゲラゲラと人を見下すような声に段々と苛立ちを覚えた。気持ち悪すぎて反吐が出る。よくもまあ、そんな喋り方で表を出歩けるものだ。そんなことを相手に言える状況ではないのに、何に動かされてか口を開いてしまった。
「……せぇ」
「あ?」
「……うるせぇ」
「あぁ?」
「その汚い喋り方が、ガキみたいでダセェなって思いまして」
俺はそう言って嘲笑うようにちらりと後ろを見た。すると、案の定乗っかった。沸点が低いのか、青筋を浮き出たせ、鉄パイプを強く握りしめている。かかった。
俺は正義の味方失格かもしれない。だけど、エトちゃんを助けるために俺の唯一の得意分野を使えば、こちらがある程度優位になる。それは、相手をイラつかせ、標的を自分に移すこと、すなわち「煽り」だ。
今は煽りを使わないよう意識し、優等生を演じている。が、昔は坂田に怒られるほど、俺の煽りは酷かった。未だに使えるなんて、俺もまだまだ捨てたもんじゃないんだな。
そう皮肉に笑うと、男はさらに機嫌を悪くしたのか、「お前のその口、ぶっ壊してやるよ!」と言い、先程よりも大きく鉄パイプを振り下ろした。
二度目の攻撃は、一回目の比べ物にならなかった。肩が外れているからか、筋肉と神経に直接衝撃が走った。そして、間髪入れずに三度目は俺の頭を殴った。響き渡る痛みともに、ぐるりと視界が反転した。
その反動があまりにも大きすぎたからか、もう片方の手が緩み、ドサッとそのまま地面に倒れてしまった。
「ソウゴッ……!!」
泣きながら彼女は俺の体を揺らした。俺の頬に彼女の温かい涙が伝い、地面を濡らした。エトちゃん、逃げて。そう小声で言うも、エトちゃんは首を振って言うことを聞かなかった。分かっていたことだけに、この子は素直じゃないと笑ってしまった。
男は俺が倒れたのを気絶したと勘違いしたらしく、疲れたとでも言うように肩を鳴らした。
「さーてと、このガキも寝たことだし、お嬢様を持ってくとすっか」
そう言うと、男は彼女の髪の毛を乱暴に引っ張った。絡まりのない白銀の糸が無造作に引っ張られ、彼女はやめて!と泣いていた。だが、大人の力に子供は勝てない。男が彼女を連れて行こうとしたその時、俺は歪む視界の中で相手の足をしっかりと掴んだ。
「あ?」
男は振り返り、俺を見ると軽蔑の眼差しでそれを振り払おうとした。だが、俺は磁石のように男の足にしがみつき、離れなかった。むしろ、一番強く力を込めていたと思う。
「……笑えるなあ。それで倒したと思ってんだ。喋り方もガキなら、頭もガキだな」
そう言って俺は全身全霊の嫌味な笑顔を作って言った。
「……その筋肉はお飾りか何か?ばーか」
そう言うと、男の何かが切れたのか、雄叫びを上げながら鉄パイプを力任せに振り上げた。
そう、これでいい。俺に目を向けさせておけばいつか隙が出来る。時間も経てば人もやって来る。時間稼ぎしかできないが、
これが俺なりのやり方だ。
……そう覚悟を決めた瞬間だった。
「……おにーさん。俺とキャッチボールしーましょ!」
「いでっ!」と男が呻き声をあげ、その数秒後にカランカランッと、鉄パイプが落ちる音が聞こえた。何があったのか、後ろにチラリと目をやると、俺は思わず安堵のため息を吐いた。
「……遅いよ、ばーか」
その視線の先には、彼、仁都がいた。
「あれれー?ダメだよお兄さん。ボールをキャッチしてくれなきゃ話になんないよー」
ぼんやりとした意識の中、彼はもう一度小石を拾って、それを手のひらで転がしていた。
「……今度はちゃんとキャッチしてよね?お兄ーさん」
そう言う彼の声とは裏腹に表情は怒りに満ちていた。その表情は俺でも数える程しか見たことない。それは、鬼をも泣かせるような雰囲気で相手を睨みつけるものだった……。
そして、彼は相手の言葉も聞かず的確に二発目を食らわせたのだった。
鬼灯祭編もあとすこし!




