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番外編④ おやすみ、私の大切な人

 番外編④ おやすみ、私の大切な人


 ゴロゴロ……ドカーンッ!!


「ひぃっ……!!」

「はいはい、大丈夫だからねー大丈夫よー」

「こ、怖がってなんかいませんからねっ?!」

「はいはい、痩せ我慢しなくていいから。大人しく目をつむりなさい。アンタが寝るまでそばにいてあげるから」

「べ、別にそこまでしなくて……ひ、ひいぃぃ!!!」


 情けない藤見くんの声とほぼ同時に、また、雷光が藍に染まる暗い天をを真っ二つに裂いた。窓ガラスが細かく震えたことからそう遠くないところに落ちたのだろう。まるで、神様が怒っているようだ。相手が見えないだけに、この怒号とも言える雷鳴に思わず身震いしてしまう。


 ……私ではなく、藤見くんが。


 まるで大きな子供の面倒を見ているようだ。私はその大きな体に包まれてしまっていた。藤見くんの体温が服を通して直に伝わる。

 心臓のバクバク音が耳に届き、つられる様に私の胸の鼓動も少し騒がしかった。藤見くんからは私のシャンプーと同じ匂いがする。甘くて爽やかな果物の香りだ。

 そりゃ、うちの風呂に入ったんだから同じ匂いがするのは当たり前だが、こうも密着されていると落ち着かなくて仕方ない……。


「ああ、朝までこれなんですかね……?!」

「大丈夫よ。天気予報だと、朝には晴れるって言ってたわよ?」

「そそ、そうですか……なら、安心ですね……」

「というか、あまりきつく抱きしめないでくれる?苦しいんだけど」

「う、うわあ、ごめんなさ……?!ひ、うわぁぁ!!」


 またどこかで稲妻が落ちたようだ。落ちる度に抱きしめられてちゃ、言っても無駄かもしれない。

 藤見くんに大人しく抱かれながら、私は呆れたようにため息をついた。


 ……私は今、藤見くんと一緒のベッドで寝ている。私の部屋のベッドだ。それなりに大きいサイズのベッドだが、藤見くんが大きいので少しだけ窮屈に感じる。でも、だからと言って密着しなければいけないこともない。

 そもそも、ベッドの横に布団一式用意してあるのだからそこで寝てくれればとても有難いのだが、そうもいかないのだった。


 藤見くんは雷が大の苦手なのだ。藤見くんの唯一無二の弱点と言っても過言ではない。それは、大人になった今でも直っていないようで、部屋の電気を消した瞬間、お母さんに甘える子供のように抱きついて離れないのだ。

 最初はごめんなさい!と謝って離れたのだが、雷が落ちる度に抱きついてくるので、仕方なく一緒に寝ることにした。


 藤見くんとは言え、相手は男だ。いざとなれば女の私では太刀打ち出来ない。『絶対に変なことはしない』ことを条件に、顔を合わせない形で現在に至るわけだが……。


 こんなの色んな意味で心臓が持たない!学生時代、うちに泊まりに来た時に、こんな日が何回かあったし、お互いにまだ子供だったからあまり思わなかったけど、変に意識してしまう!

 一緒に寝る、なんて自分から啖呵をきった癖にその自分がドギマギしまくりだった。


 それに、こんなことが会社の人に知られたらと思うと……なんて、そんな恐ろしいこと、想像しただけで怖くてたまらない。絶対にまともに出勤できるわけがない!


 真っ暗な部屋の中、私は藤見くんの抱き枕になりながら、自分はさっさと寝てしまおうとギュッと目を瞑ったところ、後ろから嗚咽の漏れる声が聞こえた。

 え?なに?と後ろを振り向くと、そこには涙を流している藤見くんがいた。透明な二粒の涙が、彼の頬を伝って弾き出された。子供のように歪ませて静かに泣くその姿はあまりにも綺麗に見えた……。


 じゃなくて!なんで?!そんなに怖いの?!


「藤見くんどうしたの?!大丈夫?!」


 私は思わず、藤見くんの顔を両手でしっかりと持った。指で涙を拭ってやると、その手を藤見くんが止めた。


「……ごめんなさい。何故だか、涙が止まらないんです。もしかしたら、昔のこと、思い出したからかもしれません……」

「昔って……?」

「……高校時代に先輩に話した、俺の両親のこと、です……」


 そう言うと、私の手を握ったまま顔を俯かせた。握る手は震えながらも強く、けどどこか弱々しくて今にも壊れてしまいそうだった。

 私の手の甲に、彼から零れる水晶の粒が注がれる。とめどなく、温かいその液体は、今まさに、彼の心情のようだった。


「……ごめんね。気づいてあげられなくて」


 そう言って、私は両手を彼の後頭部に持っていき、そのまま自分の胸元に引き寄せた。彼は驚いたように身を硬直させたが、やがて、緊張の糸が解けたようにそのまま身を委ねた。

 私の胸元ですすり泣くような声が聞こえる。何も言わず、ただ静かに頭を撫でる。励ます言葉、慰める言葉、飾る言葉なんて要らない。今の藤見くんには、これをしてあげるのが一番なのかもしれない。


「すい…ません……こんな、こと……」

「いいの。私も……」


 忘れていたから。との言葉を押し込んだ。


「……私も、雷が怖いから」


 そう言うと、あはは、先輩もですか、と鼻声混じりに弱々しく笑った。


「だから、私に勝手に抱きしめられてなさい」

「あはは……先輩、わがままだなあ……」

「わがままなのはどっちなのよ」

「それは……お互い様、ってことっで……」

「はいはい、そういうことにしておいてあげる」


 そう言って頭をポンポンと叩いた。子供扱いしないでくださいよーと嗚咽混じりに聞こえた。だけど、私を抱きしめる力は反するように強くなった。もはや体が固定されてしまって寝返りも何も出来ない。

 私は、アンタの母親か。なんて、冗談でも今は言えなかった。


 ……なぜなら、彼が泣いている理由を、私は忘れてしまっていたからだ。


 藤見くんが初めて家に泊まりに来た時、雷が怖いと打ち明けてくれた。そして、どうしてかその理由も教えてくれた。

 当時、私が藤見くんの家に行きたいと言うと、何かしら理由をつけて断られていた。私が突然に、行きたいだなんて言う日もあったから、都合が良くないのだろうとその時は思っていた。

 そんな風にぼんやりと考えていたその日、藤見くんは私の手を握りながらポツリポツリと話してくれたのだ。


『俺の両親は、俺が小さい頃に亡くなったんです……』


 今でもハッキリ覚えてる。子供のように泣きながら、話してくれたことを。

 藤見くんが小さい頃、両親と喧嘩して家を飛び出したのだという。その時は雨が降っていなかったが、雷がよく鳴っていた。公園の隅で泣いていると、両親が迎えに来たのだ。こっぴどく叱られ、家に帰ろうとした時、雷が落ちてきた。

 雷が落ちるなんて有り得ないと、思っていたからこそ油断していた。両親はちょうど木の下辺りに差し掛かったとき、藤見くんはそこから離れていた。つまり、目の前で両親が雷に撃たれる姿を間近に見てしまったのだ。

 雷が落ちるとその周囲にも被害が及ぶ、藤見くん自身も雷から流れた電流を受けてしまい倒れてしまったのだ。

 そして、気がついたら病院のベッドにいて叔父さんと叔母さんに両親が死んだことを告げられたのだ。


 それ以来、雷の音を聞くだけでトラウマが蘇ってくるのだ。雷の音が聞こえると、それは大切な人がいなくなってしまうんじゃないかと思ってしまうのか、雷の日に私と一緒だと、藤見くんは私に抱きつくようになった。

 私がいなくならないように、雷に連れてかれないようにと。


 ……分かっていたはずなのに、私はそれを忘れてしまっていた。


「……私、情けないなぁ」


 思わずに口に出してしまった。気づいた時には、既に遅くて、藤見くんが困ったように眉を八の字にしていた。私の胸の中にいるのだから、上目遣いする体制になっている。

 泣き疲れたのか、泣き止んだのか、その目にはもう涙は零れていなかった。


「何が、情けないんですか?」

「あ、いや……。えっと……先輩として藤見くんのことちゃんと見てやれてないなーって」

「……見てるじゃないですか、充分。情けないのは、俺の方ですよ」


 そう言うと、私の胸から離れて今度は藤見くんが私の顔を両手で持った。触れた指先が少しひんやりとした。指の腹で頬を撫でられて少しくすぐったかった。


「今日だって、雷が鳴ってどうしようもなくて、真っ先に浮かんだのは先輩で……。その辺のホテルにでも入ればいいのに、先輩の家なんかに来て……」


 そう言うと、手を離して今度は私の存在を確かめるように後頭部を持って自分の胸へと引き寄せた。


「馬鹿みたいですよね、ダメなのに。また、昔みたいに甘えたいな、なんてわがままな事思って……」

「藤見く……」

「お願いします。これは、俺の独り言だと思って聞いてください」


 私の言葉を遮るようにそう言って続けた。


「先輩に再会してから、昔みたいに戻れるんじゃないかってずっと思ってます。俺にとっての大切な人は先輩だけです。それは今も昔も変わりません」


 私はただ、黙って聞くことしか出来なかった。胸になにかこみ上げる熱いものが出てきたが、無理やり重石を乗せて蓋を閉めた。

 そうでもしないと、私が泣きそうになったからだ。


「だから、お願いです。もう一度だけ、俺に時間をください。今度は離れなくてもいいように、誰も悲しまなくていいように。先輩のそばに、いさせて下さい」


 ……藤見くんの言葉に、気がついたら涙をこぼしてしまっていた。

 声を漏らしたら気付かれてしまう。私は両手で口元をしっかりと抑えた。

 重石を乗せたところで、蓋なんて閉まらなかったのだ。藤見くんの言葉だけで簡単に開いてしまったのだ。


 私が何も言えないでいると、寝たのかと思ったのか「それだけです、おやすみなさい」と言ってそのまま眠りについたようだ。頭の上から、藤見くんの息遣いが聞こえる。あれだけ泣いていれば疲れて寝てしまうのも無理はない。

 だけど、藤見くんが私の後頭部を抑える手は離れていなかった。まるで、逃がさないとでも言うように抱きとめられていた。


 声を出しちゃいけない、絶対に気づかれてはいけない。


 必死に抑えれば抑えるほど、それに反抗するかのように涙が零れて止まらなかった。何の涙なのだろう。嬉しいのか切ないのか悲しいのか。全ての感情がぐちゃぐちゃに混ざりあって決壊してしまった。


 だけど、言えることは一つだけあった。


 私はまだ、藤見くんのことが……。



 自分の気持ちに気づいた時、私は泣き疲れたのか、そのまま、藤見くんの胸の中で眠りについた。

 同じ温もりと匂いに包まれて、私は安心するように夢の世界へと入った。


 藤見くんの服の裾を掴みながら……。



 この二人が、あの頃を取り戻すまでのは、まだ少し先の話である……。





番外編はここで終了となります。

後味の悪い終わりとなってしまいましたが

後にこの2人は幸せになります。


どうか、行く末を見守っていただけると嬉しいです。

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