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番外編③ 懐かしい、温もり。

 番外編③ 懐かしい、温もり。


 いっぱい食べる、君が好き。

 ……なーんて、昔はよく流行ったものだと思うけど、まさか、またそのキャッチフレーズに合う場面に自分がいるとはね……。


「……美味しい?」


 頬杖をつきながらさり気なく聞いてみると、頬いっぱいに詰め込みながら「美味しい、です」と嬉しそうだった。

 会社では普段見せない、ふにゃけた笑顔をしながら食べるものだから、私の中で眠っていたはずの母性本能が擽られてしまう。


 ……流石に、髪の毛が乾くまで料理を完成させる、なんてことは出来なかった。適当に座ってもらって、泪が作り置きしてくれた煮物やら炒め物やらを先に出した。

 泪の料理をベタ褒めしながら、美味しそうに食べるその姿に、なぜか姉として私は嬉しいような恥ずかしいような気持ちになった。


 そして、コーンたっぷりのオムライスが完成した途端、クリスマスプレゼントを待ちきれない子供のような感じでそわそわとしていた。

 オムライスは逃げないんだから落ち着きなさいよ、なんて笑いながら目の前に出し、今に至るわけだ。


 藤見くんは昔から食べることは何よりの幸せだ、なんて言ってた気がする。美味しいものならなんでも好きです、なんて。女子高生か!なんてツッコミを入れたこともあるが、それがまた憎めないのだからずるい。


「……ってか、意外。未だにこのオムライス好きだったんだね」

「そりゃあ、今でも好きですよ」

「へぇ、それはまたなんで?」

「だって……先輩がよく俺に作ってくれてたじゃないですか。

  好きも何も、俺の青春はこれで育ったようなものですから」

「なにそれー、私はアンタのお母さんか!」

「ふふっ、よくご飯を作ってくださいましたからね。あながち間違いじゃないかもしれません」


 そう言って穏やかそうに微笑むと、また一口、大きな口を開けてオムライスを運んだ。

 とろっと半熟に零れた玉子に絡みながら、コーンの入ったチキンライスが曲線を描きながらお皿の上に静かに舞い落ちる。我ながら上手く作れたものだと感心した。


 《先輩がよく俺に作ってくれてた》

 

 藤見くんのその言葉と表情を見た時、胸がチクリと傷んだ。これがもし、少女漫画や恋愛ドラマならときめくシチュエーションなり、もう一度やり直せるシチュエーションなりになるのだろうが……私にとってはそんな生ぬるくて優しいものじゃない。


 藤見くんの一つ一つの発言が、私の心が可笑しくなりそうなくらいに揺さぶられてしまう。嬉しいとか、楽しいとかそういう気持ちも少なからずはあるのだ。

 だけど、それ以上に《苦しい》という思いが反比例するように大きくなった。


 ……もう一度、あの頃のように戻れる気がして。


 こうやって藤見くんと一緒にいるだけで、昔のことを淡々と思い出してしまう。楽しかったことも辛かったことも、なにもかも……。

 それが全部、今の私を作っていた。藤見くんがいなければ私はいない。それだけ大切なものなのに……だからこそ私はその時間を止めたままにしないといけなかった。


 もし、もう一度、この時計の針が壊れてしまえば、なんて願ってしまったら……。それを考えるだけで私は私じゃなくなってしまうのは分かりきっていた。そんなことは絶対に許されない、許してはならない。


 ……あの頃、藤見くんと離れることを決意したのは私なのだ。彼に非があったとか、私に非があったとかそういう話じゃない。

 彼に出会ってからの私はむしろ、幸せ者だった。主観的に見ても客観的に見ても、溢れんばかりのキラキラとしたものに包まれていた。彼からはたくさんの事を教えて貰った。彼の声に温もりに優しさに……言葉にならないほどの嬉しいことだっていっぱい、いっぱい経験した。


 ……だけど、私はそれを、全て過去に置いてきたのだ。


 それが、《雀宮紫》として戻る為に必要なことだったのだから……。



「……先輩、どうしたんですか?」


 気づけば、藤見くんはもう食べ終わっていたらしく、皿を見れば綺麗に完食されている事が見えた。


「え、ああ、ごめんね。ボーッとしてた?」

「大丈夫ですか?先輩、お酒飲んでたみたいですけど……もしかして酔い回ってました?」

「うわっ、ごめん!そんなにお酒臭かった?!」

「そんなことは気にしませんよ。突然訪ねてきたのは、こっちなんですから」

「あはは、藤見くんは本当に優しいね……」

「独身女性の夜の生態を探るほど、俺はそんなに趣味は悪くないので」

「一言余計なんだけど。独身女性で悪かったわね!」

「あはは、冗談ですよ。先輩みたいな綺麗な女性だと男が放っておかないんじゃないですか?」

「あははー、藤見くん面白いこと言うねー。私に男がいると思う~?後にも先にも、放っておかなかった男は一人しかいないわよーアッハッハッ」

「……えっ?」

「あっ……」


 私はそこまで言って、体が固まった。やばい、酔っ払ったおばさんのノリで言うところまで言ってしまった……!!私のバカ!

 これじゃあ、藤見くん以外彼氏が出来てない悲しい女って確定してるじゃん!アホなの私?!というか、藤見くん黙ってるじゃん!何したのよ男子~!じゃない、そういうノリの問題じゃない!!


 と、ともかくここは話題を変えねば!!


「あの、それって……」

「あーね!ねぇ、そういう藤見くんこそどうなのよ?!社内でもかなり人気あるじゃない?!そ、それこそ可愛い子が放っておかないんじゃないの?んん?先輩に話してみなさいよ?!」


 藤見くんの言葉を遮るように、良き(?)会社の先輩を演じながら聞くと、藤見くんは、何をそんなに必死になってるんですか、と、ふふっと可笑しそうに笑った


「こ、こっちは真剣なんですけどー……」

「あはは、ごめんなさいごめんなさい。先輩がそこまで必死にならなくても大丈夫ですよ、俺もしばらくはいないので」

「お、おお?この発言は以前にいたみたいな感じかしら?」

「さぁ、どうでしょうか」

「私だけ話してそっちだけ話さないとか、ずる……」


 と言ったところで、私は思い出した。そうだ、さっきのテレビ!確かあそこで藤見くんは女の子と並んでいたはず……。もしかしたらあの子と今現在進行形で何かあるのでは……?!


 お酒のノリなのかその場のノリなのかもう分からないが、気分は完全に給湯室の女子会気分だった。聞けるところまで聞いてやろうと、私は先程見た番組の内容を話した。


「ああ!あれ、テレビに映ってたんですね。大学の時の同期と遊んでただけですよ」

「ふーん、でも~実際はどうなのよ?」

「どうって?」

「ほら、腕組んでたじゃない?だからどういう関係なのかなぁ、と」

「……よく見てましたね、先輩」

「ま、まぁね。視界にたまたま入っただけよ」

「へー……じゃあ、実際はどうだと思います?」

「どう……って」


 ニコニコと気味の悪いほど綺麗な笑みを見せてくる。ってか、どうもこうも別に関係なくない?!別に私が知ってあーだこーだ言える立場なんかじゃないですし~?


「……付き合ってる、とか」

「さぁ?それはどうでしょう、とでも言いたいとこですがハズレです」

「なーんだ」

「でも……告白はされましたけどね?」

「え?!」

「もちろん、断りましたよ。俺にはもう好きな人をつくるつもりは無いって」


 それって……ちゃんと断ったことになるの?私がその子だったらそんな事で諦めないと思うけどな~、藤見くんは相変わらず告白を断るのは下手くそなんだなぁ……。

 それで私がどれだけ苦労したのか、この男は未だに分かっていないようだ。


「そう言えば、聞きそびれてたけど……藤見くん、どうして私の家の場所が分かったの?」

「ああ、それなんですけど、今年の新卒の歓迎会の時、先輩飲みすぎてダウンしたじゃないですか。それで、総務部の来栖に住所を教えて貰って……それで覚えてたんです」

「あ、あははー、そんなこともあったっけ~?」

「あの時、久しぶりに泪くんにお会いしたんですけど、大きくなってて驚きましたよ」

「ま、まぁ、それなりに月日は経ってるからね~……」


 あんの来栖の野郎……!!完全に分かってての押し付けじゃない!!常に寝不足な顔してる癖に(?)こういう時だけ妙に気を遣いやがって……!


 来栖は藤見くんと高校時代の同級生。何かと眠そうで一年中寝不足気味なのが社内で噂になっている。原因はなにか分からないが、大学時代のレポートに追われてる癖が抜けないとか何とか……。


 来栖は藤見くんよりも二年早く、うちに入社している。少なからず、私と藤見くんの過去の関係を知る人物だ。だからと言って、これは個人情報保護法違反である。休みが開けたらキッチリクレームをつけてやる……!!


 と、思いながら、ホットミルクを飲んだところでふと時計を見ると、時刻は夜中の一時半。相当話し込んでいたらしい。まだ起きていたい気持ちはあるが、そろそろ寝ないとあとがキツイ。

 歳をとると分かるものだが、早く寝ることに越したことは無い。


「さーてと……食べ終わったみたいだし、そろそろ片付けようか」

「あ、いいですよ。俺が洗います」

「いいわよ、これくらい。布団の用意も済ませてくるから適当にソファに座ってて寛いでて」


 そう言って、食器を重ねていると藤見くんは驚いたような顔で私の方を見た。


「えっ、布団って……」

「もう終電もないし、タクシーで帰るにも遠いでしょ?だから泊まっていけば?」

「でも、泪くんやご両親に迷惑では……」

「大丈夫。私以外、この家にいないから。それに、安心してよ。藤見くんのこととって食ったりはしないから」


 そう言いながら、流し台に食器を置き、蛇口を開けて洗剤をスポンジにつけた。何回か揉んでやると、小さな泡が無数に出て何個か宙を舞っている。パチンっと弾けるとレモングラスの香りが漂う。

 柄にもなく鼻歌を歌いながら洗っていると、


「……それって、他の人にもしてるんですか?」


 と、藤見くんから尋ねられた。ん?と思い、水を止めて振り返ると何やら真剣そうな表情をしていた。


「他の人にも……って?」

「あっ、いえ、その……他の、男性の方にもそういうことしてるのかなって……」


 声が段々と小さくなって言った。いやいや、まてまて。なんで私が所かまわず不特定多数の男性にまで、こんな世話をしなきゃならないんだ。


「何言ってんの。藤見くんだけに決まってるでしょ?他も何も、私の家に泊まるのは藤見くんが初めてよ?」

「そう……なんですか?」

「そうよ。それに、藤見くんくらいしか、こういう私の姿を見せられないし」


 そう言いながら、洗剤のついた食器を水で流していると「ですよね」とか「良かった」なんて言う言葉が聞こえた。何が良かったのか、さっぱり分からなかったが、適当に食器を食器かごに置き、タオルで手を拭くが、氷のように冷たい指先にはいつも堪えてしまう。


「……さて、そろそろ寝ますか」


 そう言って、私はボーッとしている藤見くんの頬に自分の両手をあてた。ヒヤッとした感触がに驚いたのか声にならない悲鳴を上げたのが面白かった。もー、と怒るのがまた面白くて首にあててやると、今度は女の子みたいな悲鳴をあげた。


 窓の外はまだ、雨風が強く降り続いていた………。

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