番外編② 懐かしい、君と。
番外編② 懐かしい、君と。
「……藤見くん、お湯加減はどう?」
『あっ、丁度いいです。ありがとうございます』
「……着替え、お父さんので良かったら置いておくから。濡れた服は今洗濯してるし、ゆっくりしてて」
『すみません、何から何まで……』
「別に……人助けは普通の事じゃない」
『……そうですね、先輩はやさしいですもんね、昔から……』
「……一言余計だっての」
『あはは、もしかして、照れてます?』
「ん、んな事言ってないでゆっくり体を休めなさい!あ、シャンプーとかその辺の勝手に使っていいから」
『はい、ありがとうございます。お言葉に甘えて、使わせていただきます』
「じゃ、私、リビングにいるから何かあったら呼んで」
そう言って、私は脱衣場の扉を閉めた。扉にもたれ掛かり、力が抜けたようにしゃがみ込んだ。
「……なんなのよ、もう」
思わず顔を手で覆ってしまう。じんわりと熱くなるのを感じる。この感覚、久しぶりだ。思わず昔のことを思い出してドキドキしてしまう。どくどくと跳ねる心臓がうるさくて堪らない。
こうやって普通に話すのは何年ぶりだろうか……。
そう、ぼーっと考えていたのだが、ハッと我に返り、こんなところにいたら変態同然ではないか!さっさとリビングに戻ろう!
と、自分の頬を叩いて喝を入れた……。
時刻は、夜中の十一時半。どうにかして、藤見くんを家の中に入れ、乾いたバスタオルである程度体を拭いてあげると、体温が戻ってきたのか、意識がハッキリとしてきていた。
「あったかい……」なんて言われて、抱きついてきた時はどうしようかと思ったが、とにかく自分で服を脱ぐよう言ってお風呂に入ってもらい、現在に至る。
どこか少し疲れを感じながらリビングに戻ると、ニュース番組が終わり、深夜のバラエティ番組が始まった。芸人さんと男性アイドルのトークが、お茶の間の笑いを誘っていた。
いつの間にこんな時間になっていたのだろう。私はビールを飲み干してゴミ箱に放り込み、さきいかの袋をしめ、食品棚にしまった。
藤見くんとは言え、客人なのだから先ほどの格好ではいられない。慌てて、適当な服を見繕い、ヘアバンドを外して髪型を整えた。眼鏡は……流石にどうにもならないのでこのままにした。
幸い、あの時は私のことをまともに見てなかったらしいので干物女バージョンは見られていない………と祈っておこう。
しっかしまあ、この雨の中、よくウチが分かったなあ……。
と、素直に感心した。普通に考えればこんな時間に出歩かないとは思うけど……雨宿りさせてほしい、なんて言ってたのだから、どこかに寄ってて、それからここに来たのかしら……。
そう考えていると、ふと、先ほどのテレビの映像を思い出してしまった。
「……まさか、さっきの女の人と一緒だったんじゃ……?!」
それで、その人に愛想つかされて追い出されてきたとか……?!と、考えたのだが、いかんいかん。乙女ゲームのやりすぎかもしれない。
藤見くんに泣かされる女の子はいても、藤見くんを泣かす女の子はいないでしょ。バカか、私は。
それにしても……なんでこんなときに限って。
私は思わず、お風呂場の方へと目をやる。すぐに出てくるとは思わないが、いつ来るかと思うと気が気でならないのだ……。
今、お風呂に入れてる彼は藤見悠太と言って、私の勤務している会社の後輩として入ってきた。年齢は23歳。わたしの一つ下である。
顔立ちが良く、高身長でなんでも卒なくこなす。物腰が柔らかで穏やかな性格のため、女性社員からそれなりに人気を得ているようだ。
人付き合いも良く、男性社員からも好かれているまさにうちの部署のアイドル的存在になっている。
藤見くんとは、高校の時に一度知り合っているのだが………まぁ、それなりに色々あった仲なのだ。
まさか、今年の新入社員として入ってくるなんて夢にも思わなかったんだけどね……。
ま、会社では【先輩】【藤見くん】というやり取りをしているのだから、過去に何があったのかとか、誰も私たちの関係に疑う者はいなかった。
それは、それで平和的にお互いビジネスパートナーとしてやっていけていたのだが、この前の夏祭りでまさか遭遇するとは思っていなかった。
プライベートは約束しない限り会社の人に会いたくなかった。もちろん藤見くんにもだ。あの時の藤見くんは、大学時代のサークル仲間と来てたとかで大人数でいた。
それもあり、私は思わず逃げるようにその場から離れたのだった。だから、あの夏祭りは別に泪がなにかしたとかでは無かったのだが、愚痴を聞いてもらいたかったのでパンケーキを奢ってもらったのだ。
その時に泪に相談したら「姉貴。まだ藤見さんのこと好きなんじゃないの?」なんて言ってくるものだから、折角のパンケーキの味が台無しになった。
私が藤見くんを?
いやいや、そんな訳ないから。
藤見くんは可愛い後輩。それ以上だとビジネスパートナー。
それ以外の感情なんていらないのよ。
そう思いながら、こてんっとソファに寝転がった。すると、一連の疲れからか段々と瞼が重くなってきていた。アルコールも入っていたから、酔いが回ってきていたのだろう。
藤見くんが上がってくるまでには起きてなきゃ……と思っていたのだが、いつの間にかふわふわとした夢の世界に入り込んでしまっていたのだった……。
……ここは、どこだろう。
冷たい。頬が凍るように冷え、かじかむ指先がとても冷たい。周りからは、いろんな人たちの喋り声が聞こえてくる……。
目を開ければ、そこは夜の公園にいた。海辺と繋がっており、向こう岸には遊園地の観覧車が静かに円を描いて動いていた。
オフィス街なのだろうか、遊園地のイルミネーションと光の融合をして水面に綺麗な光のアートを生み出していた。
「綺麗だなあ……」
そう呟いて、マフラーに顔を埋める。鼻が冷たくてくすぐったい。寒いのは昔から苦手だった。だから、出来ることならこんな真冬に外を出歩くことなんてないのに……。
なんで、私、こんな日に外に出てるんだろう……。
そう思っていたら、私の手に僅かな温もりを感じた。誰かが私の手を握っていたのだ。人肌よりも少し温かいそれを、私は知っていた。
見れば隣には……藤見くんがいた。
私と同じように鼻を真っ赤にして、白い息を吐きながら、やんわりと笑った。それは、どの男性よりも素敵な笑顔で、こう言ったのだ……。
『……来年も、ずっと好きでいさせてください』
その告白に私が返事しようとした瞬間、幸か不幸か、真っ白な光に包まれ、また深い眠りについてしまったのだった……。
「……ぱい。先輩」
「んん……」
「雀宮先輩、起きてくださいよ」
「んむ……んにゃ、もう、しゅこし……」
「……」
「まだぁ……あと五分だからぁ~……」
「はぁ……。ねぇ、起きてよ『紫』」
……耳元でそう囁かれ、私はパチリと目を覚ました。我ながら驚く程に目がバッチリと冴えた。
見上げれば、そこにはお風呂上がりらしき藤見くんが立っていた。
毛先が僅かに濡れているようで、髪型は乱雑にくしゃくしゃになっていた。男というのは髪型を気にしない生き物なのだろうか、なんてボーッと考えていると、「……目が覚めました?」と覗き込むように私を見てきた。
「……え、ああ、私、寝てた?ごめんね」
「あ、いえ。こちらこそ気持ち良さそうに、寝ているところをすみません」
「ああ、ううん。起こしてくれて助かったよ、ありがとう」
「よっぽど、いい夢を見ていたんでしょうね。ここ、ヨダレの跡、ついてますよ?」
「うげっ!?」
藤見くんはそう言うと、プッと言って小さく笑い出した。我ながら、はしたない声が出てしまったなんてことはどうでもいいのだ。え、どこ、どこなの?!と自分で口元を触ってみようとするが、それを遮られてしまった。
「……ここですよ、先輩」
そう言って、藤見くんがタオルで私の口元を、優しく拭ってくれたのだ。大きな手が私の口元を頬を包み込んだ。タオル越しから伝わるのは、やっぱり、人肌よりも少し温かい温もり。
微笑むように私を見つめる彼の姿に、何故か何も言えなくなってしまっていた。
彼の顔が近くにある。ただそれだけなのに、とくんとくんと、胸が苦しくなる。頬がじんわり熱くなり、彼の体温なのか私の体温なのか分からなくなるくらい体に熱を帯びていた。
……段々と彼の顔が近づいてくるように感じ、思わず目をつぶって何かしらの覚悟を決めた、その時だった。
ぐきゅるるるるる~~~………。
と、お腹の虫が鳴る音が聞こえたのだった。それは、私の虫ではない、藤見くんのお腹の虫の鳴き声だった。
藤見くんは、残念そうに俯いてから、私から手を離して照れくさそうに頬をかいた。
「……あはは、全速力で来たから、お腹がすいちゃったみたいですね、すみません」
そう言う彼の頬は少し赤く染まっていて、プッと笑ってしまうくらい可愛く見えた。
「全くもう……あんたは小学生かってーの!」
そう言って仕返しをするようにタオルでくしゃくしゃに髪の毛を拭いてやった。わ、やめてください!と擽ったそうにする姿を見て、こうしてたら普通に可愛い後輩なんだけどなあ……。
と、思いながら手を離してやり、私はキッチンへと向かった。
「藤見くん、先に髪の毛乾かしてきて」
「え?」
「なんか適当に作ってあげるから。何か食べたいのある?」
これでも、それなりに料理はできるんだからね?と言い、冷蔵庫を開けて食材を吟味していると、
「……オムライスがいいです。コーン多めの、オムライスが」
そう言われ、一瞬私はドキッとして手を止めてしまったが、サイドポケットにあったコーンの缶詰を手に取って「……いいわよ」と返事した。自分でも気持ちが悪いくらい、口元がにやけていたのが分かった。
「じゃあ……ドライヤーお借りしますね」
「使い方は分かる?」
「はい、多分大丈夫です。それじゃあ、オムライス、お願いします」
そう言って、藤見くんはリビングを出て行った。ガラガラと引き戸が締まり、私は冷蔵庫のマグネットにかけられていたエプロンをつけ、ボウルに卵を割り出した。
「……ちゃっかり、覚えてるんじゃん」
そうボヤくように言うと、私はフライパンを出して換気扇を回し始めた。換気扇から通る雨風の音が、何かの知らせを告げるようにガタガタとうるさく鳴り響いていた……。
名前を呼ぶシーンが個人的に好きです(自画自賛)




