第4話 つまらないせかいにさようなら(後編)(2018.4.1加筆修正済)
「まあまあすーちゃん、その辺で適当にくつろいでててよ」
「あ、お、おおう……」
適当にって……適当にって言われたって、こんな空間で落ち着けると思うか。
俺は夢でも見てるんじゃないだろうか。そう自問自答して頬をつねるが、傷みは本物だった。認めたくない現実だった。リビングらしきところに通され、俺は言葉を失った。
ネイビーと白で統一された高級そうな家具に、スクリーンかのような大きな薄型の壁掛けテレビが目に入った。テレビは見たところ、つい最近発売された最新モデルと思われる。そして、その両脇に棚があり、そこには色んなメーカーのゲーム機とゲームソフトが山ほど入っていた。
また、中央には弧を描いた白のカーペットと、その上には大きなガラステーブル、そして、五、六人は座れそうな大きな革のソファがあった。触ってみたところ、材質としては申し分ない高級感のあるものだった。それだけでも既にお腹いっぱいだったのに、マンションの最上階の特権というものが俺の視界に飛び込んできた。
それは、リビングの壁いっぱいに広がる、この大きな窓だった。この窓から街を一目で見渡すことができるのだ。ここから見える夜景は、オフィスビルや車のライトが絶えず、イルミネーションのようだった。まさに100万ドルの夜景と言うのはこのことだと思う。しかも、それを他の建造物に邪魔されることなく、独り占めできるのだ。プロポーズの場所にここを選べば、女性の誰もが結婚をOKしてしまうだろう。
現に、俺はこの素晴らしい景色を見ただけで、クラっと参ってしまいそうだった。
大きなキャンバスに宝石が散りばめられた煌びやかな世界に吸い込まれるように、窓に手をついて暫く眺めてしまった。
……つーか、ほんとにここ何LDKだよ!?考えたくもないけど、家政婦さんも住みこみだったら、二人で住むには充分過ぎるほど広くないか?!なんだあいつ、未成年にしてもう既に人生の勝者なのか?!
もしかして、とんでもないやつの家に来てしまったんじゃ……。
そう思うと、途端に華やかな世界がぐるりと反転してしまうぐらい不気味なものに思えてきた。
「すーちゃん、どしたのー、この景色、気に入ったの?」
「うへぇあ?!」
「ぶはっ! なんて声出してんのー!」
ビクッと肩を震わせ振り返れば、俺の出した奇声がそんなに面白かったのか大笑いしている仁都が隣にいた。いつの間に着替えたのか、先ほどのスーツ姿ではなく、グレーの半袖のVネックに青のジーパンというラフな格好で、スーツの時とは違う仁都の見た目の良さを引き出していた。
おお、おう、イケメンじゃないかお前さんよぉ…!女には困らなさそうだな、お前(絶賛混乱中)
というか、めちゃくちゃ変な声出してしまった……恥ずかしい。これじゃまるで俺がビビりじゃないか……!別に俺はビビりじゃないけど、けども?いやまぁビビりにもなりますよ!こんなところにいたら!
「…つーか、いつまで笑ってんだよ。そんなに面白いのかよ」
「あっはは! ははっ、うん、面白いよ!」
「いっみわかんねー……」
「あー、ほんと! すーちゃんは見てるだけでも面白いよ」
「その、すーちゃんって言い方はどうにかならないのか?」
「え? このあだ名嫌だった?」
「(あだ名……)いや、なんていうかその言い方だと俺が女っぽいし……」
「えー、見た目とかに合ってると思ったからすーちゃんにしたんだけど?」
「……仁都、お前、性格悪いとか言われたことないか?」
「あはは! 何それ?」とまた笑いながら今度は俺の肩を叩いてきた。手加減はしてあるんだろうけどもなかなか振動が体に響いたぞ。誘拐(?)と負傷案件でお前のこと訴訟してやるぞ訴訟。
そう密かに計画(?)していると、仁都に「すーちゃん、ご飯出来たから食べよう?」とダイニングへと促された。
木製で作られたテーブルには向かい合うように四つの席があった。
テーブルクロスがきちんと敷かれたその上には、飴色の野菜たっぷりのコンソメスープに、たくさんの野菜が入ったボウルサラダ、そして、各々の席の前にはふわふわのオムライスが置かれていた。巻くタイプの方ではなく、半熟でとろとろとしてるタイプだった。オムライスの上には腹の虫を誘う濃厚なデミグラスソースが黄色と白に染まった卵のドレスの上にかかっていた。
「……美味そう」
思わずそう呟くと、「うふふ、お口に合うといいけど」と、スープ皿を手に持った満島さんがニコッと笑っていた。
…確信した、もう食べなくても分かる。絶対にこれは美味しいと。
テーブルに全ての料理が並び、俺は仁都の隣に座った。向かいには、満島さんが座り、スープを取り分けてくれた。じんわりとスープの温もりが指先に伝わり、自然と心が落ち着いた。
「それでは! 今日はすーちゃんとの親睦会ということで」
「は?!おい待て聞いてな」
「今日も、全ての食材に感謝して、いただきます!」
手を合わせてそう言うと、満島さんも「はい、頂きます」と手を合わせて二人は食べ始めた。完全に言うタイミングを見失ってしまった。仕方なく、俺も手を合わせ「……頂きます」と食材に感謝してオムライスに手をつけた。俺って、こんなに流されやすいタイプだったっけ……?なんて思うのも忘れるくらい美味しかったのは言うまでもない……。
***
「ごめんなさいね、食器洗うの手伝って貰っちゃって……」
「いえいえ、ご馳走していただいたのでこれくらいは……。それに、いつも家でやっているので、むしろ得意なほうです」
「あらあら、お利口さんなのね、泪くんは。若い頃からとってもしっかりしてるのね」
「あ、いや、そんな……当たり前のことをやってるだけなので……」
「すごーい、すーちゃんは家庭的なんだね~。将来はいいお嫁さんになりそう!」
「……無駄口叩かず拭けっての」
「はーい」
食事が終わり、デザートのプリンも頂いたところで、満島さんが食器を片付けていたので洗い物をかって出た。すると、仁都もやると言い出したので、俺が食器を洗い、仁都が拭いて、満島さんが食器を棚に片付けるという流れで作業をすることになった。
そもそも、お嫁さんというよりも、主夫というのが現代では一般的なのでは?と思ったが、言ったところでまた変にからかわれるだけだ。グッと堪え洗い物に集中した。
ふわふわと包まれた白い繭からは、柑橘系の香りを乗せたシャボン玉を作っては弾けていた。
満島さんの作った料理はどれも美味しかった。流石は家政婦さんというか、全ての料理にはずれが無く、どこか温かく懐かしい家庭の味がした。
昼間に作っていたというデザートのかぼちゃプリンも、かぼちゃの柔らかい甘みに、濃厚でほろ苦いキャラメルがいいアクセントになっていて本当に美味しかった。ぜひ、レシピを教えていただきたいと思った。
驚いたのは仁都の食べる量だった。体格がいいのでそれなりに食べるのだろうと思っていたが、その量が尋常じゃなかった。オムライスを何杯もおかわりし、スープ鍋の大半は飲み干されてしまった。それでは飽き足らず、「デザートは別腹なんだよね~」とかぼちゃプリンを五個ほど完食していた。食べる量も食べる量だが、用意するほうもすごいと思う。
「やっぱり、食べ盛りの男の子には作りがいがあるわ~」と満島さんはとても嬉しそうだった。双方の利害が一致しているから出来ることなのだろう。
食器を全て洗い終わり、「あとのことは私がやるから大丈夫よ」と言われたので、キッチンの主導権を満島さんに返した。
「あ、そうだ。すーちゃん、お風呂に入ってきなよ。うちのお風呂は広くて気持ちいいんだよ?」
という、仁都の提案により風呂場を借りることになった。最初は遠慮しとく、と断っていたのだが、事実、この暑さのせいで汗により肌がベタ付いてしまっていたのだから、お言葉に甘えて借りることにした。
着替えこんなものしかなくてごめんね、と仁都は真っ白なTシャツを渡してきた。Tシャツというより、生地の素材や厚みは体操服に近かしいものだった。聞いてみると、それは中学時代の仁都の体操服だった。
「一番小さいサイズがそれしかなかったんだー」と言われ、全てを察した。広げてみると、これが中学生のサイズなのかと思うほど、その背中は広かった。改めて自分の体格の不甲斐なさに涙が出そうになった。
ワイシャツの洗濯やスーツの手入れの方は満島さんがしてくれるようで、もうその時点でこの家に泊まることが自然と決まってしまった。ここまでしてもらって逆に申し訳なく、なんともいえない気持ちになったが、仁都に押されるがまま脱衣場へと向かったのだった。