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第43話 あせってる?

 第43話 あせってる?


「……俺って、焦ってるのかな?」

「どうして?」

「分かんないけど、心がもやもやする」

「……じゃあ、焦ってると思う」


 俺がそう答えると、「だよな……」と呟くと、より一層俺のお腹を抱きしめ、服のシワに顔をうずめる。坂田の吐息が服の中を通お腹に伝わった。少し、嗚咽が混じって聞こえるような気がした。


 本来ならば問い詰めるところなんだろうが、俺はあえて何も言わずただ撫でた。徹夜からの肉体労働に、心身ともに疲れてしまっていたのだろう。

 心の器というのは大きくても、壊れる時は一瞬だ。

 坂田が落ち着くまで、そのままにしておくことにした……。


 坂田は、こうやって弱くなると、いうも同情を求めてくる。いや、同情と言うよりも確認だと思う。自分で分かっていることを他人に尋ねて、確認をとってから安心する。

 それがいい事であれ、悪い事であれ……必ずその選択権を他人に委ねるのだ。

 だからといって、それに全て肯定するのも否定をするのも坂田は求めていない。どちらの結果にしろ、坂田は分かっているのだ。自分がどう見られているのかも、それを誤魔化すために演技ができてないことも……。


 坂田空琉という人間は、それだけ孤独な演者なのだ……。


 ……暫くすると、坂田は顔をこちらに向けた。

 仰向けの状態で俺の顔をのぞき込み、にへらと笑った。

 鼻の先は赤くなっており、ずびっと鼻を鳴らしていた。目は赤くなってないが、涙の跡がそれを物語っていた。


「……落ち着いた?」

「うん、田本せんせーのスペシャルな治療のおかげさまでー」

「人を医者みたいに言うなよー」

「だって、そうじゃん〜。田本は俺の心のお医者さんだもん」

「全く……。このTシャツの染みはなんて誤魔化したらいいんだよ」


 困ったようにもう、と笑うと、坂田も鼻を鳴らし、えへへー、お顔をくしゃくしゃにして笑った。えへへー、じゃないってのに……仕方ないなあ……。


 ベッド横のサイドテーブルにあったティッシュの箱を取り、坂田に渡した。坂田は起きる気配がないらしく、寝ながら鼻をかんでごみ箱に投げた。

 ナイスシュート、なんて自画自賛しながら。全く調子のいいものである。


「……坂田」

「なーに?」

「……今回の旅行って気分転換の為?」

「あれ、分かっちゃった?」

「分かるよ。だっていつもなら、向こうに頼まれてギリギリまで断りつつ俺に頼むでしょ?

  それなのに今年は自分から誘ってくるなんて意外だなって思ってたし」

「あはは……お見通しか……」


 そう言うと、バツが悪そうに目を逸らし、頭をかきながらあははと乾いた笑いを見せた。


「自分で焦ってるって分かってるから、気分転換したかったんでしょ?」

「当たり。全部一回、全ての作業を投げ出して、頭の中整理しようかなってさ」

「まぁ、そんなことだろうと思ってた」

  「でさ、考えたんだ。曲作り始めて四年経ったけど、未だに趣味以上プロ未満。

 依頼されて曲を作ることは多くなったけど、それがプロとしてって言えるわけでも無くて……」


 そこまで言うと、息を大きくて吐いて、だからこそなんだけど、と言った。


「俺は、俺がいなくなる前に自分が作ったって言える作品を残したい。

 俺が頑張ってきた、やってきたと言う証を早めに残しておきたいんだ。

 ……残った人間が、後悔しないように」


 そう言う坂田の目線は何処か遠く、景色を眺めるのではなく、思い出に浸るように遠くを見つめていた。

 しかし、それが坂田の焦っている直接的な原因ではないことは、俺には分かっていた。


「…でも坂田は、今それに焦ってるわけじゃないんだよね?」

「すごいな、なんでも分かるんだ〜」

「俺を誰だと思ってるの?」

「そうだった、田本だった」

「でしょ?」

「それじゃあ、聞きたい?」

「心の先生だし、聞いときたい」

「……ん、分かった」


 坂田は自分から話そうとしない。話を聞いてもらいたいのに、聞いてもらえない環境で育ってきたからか、どんなに辛いことがあっても喋ろうとしない。

 だから、坂田の心の救難信号を汲み取るには自分から聞くのが最も適していた。

 傷口を抉るような行為だとは思っていたが、その痛みは最初だけ。もうそれが開いてしまえば痛みなんて何処かに言ってしまう。


 人間は傷ついて強くなる。いつまでも内側に篭ってたら、傷口の痛みの後にある癒しに、誰も気づけなくなる。溜まるだけ溜めて、爆発するのは自分だ。

 爆発してしまえば、他人を傷つけてしまう。それならば、自ら傷口を破って、そこから治療をした方が俺にとっては他人を守れる一番の療法だ、と。


 だから坂田は、自分から話さなくなったら必ず聞いてほしいと俺に言っていた。今が、その時である。


「……あのさ、全然曲が書けなくなっちゃった」

 

 振り絞ったような声が耳元に届いた。表情は変わらず、ただひたすらに俺を見ていた。


「書けないわけじゃないんだ。書けてる曲は書けてる。だけど、【あの人】と約束した曲がいつまで経っても完成しないんだ」

「あの人って……【絢先】さん?」

「そ、俺のピアノの先生……だった人」


 そう言うと、体を横に動かし蹲るように体を丸めた。


「……あの人のピアノの音源はある。あとはそれに歌詞をつけて俺のギターを入れるだけなのに……書けないんだ。

  あの人のこと、全部わかっているつもりだったのに……全然分かっていなかったんだ」


 坂田は、一息ついてこう続けた。


 ありふれた歌詞に、ありふれたメロディーを付けたところでそれは坂田の中で不協和音でしかなかったという。

 例え、他人から見て完璧なものでも、彼にとってはあまりにも愚色で偽りのものにしか聞こえなかった。

 どれだけ、あの人を想ってもあの人はこの世にいない。俺の中のあの時間はいつまでも止まった時のまま、動かないのだという。


「……私がいなくなったら、他の人と作り上げて欲しい、なんて酷い注文だよな」


 俺はお前としか作りたくなかったのに、と坂田は唇を噛み締めながら、眉を潜めた。シーツを掴む手に異様に力が入っていた。俺はそんな坂田を落ち着かせるためにそっと撫でて語りかけた。


「……でも、坂田はそれを引き受けたんでしょ?」


 そう言うと、坂田は子供のように「……うん」と言った。


「じゃあ、坂田なら出来るよ」

「……なんでそう言えるの」

「だって、俺は先生だから」

「雑すぎー」


 そう言って笑うと、坂田は消え入りそうな声で呟いた。あと一年、か……と、遠くを見つめるように目を細めた。


「……あと一年したら、俺はあの曲を完成させられると思う?」


 そう言って、坂田は起き上がり、真っ直ぐに俺のことを見てきた。そこには覚悟と決意というものが見て取れた。

 坂田はいつでも本気だった。普段は、気だるそうにしているが、俺の知ってる坂田はどの世界においても必ず手を抜くことは知らない熱い人間だった。

 そんな坂田が、俺のことをまっすぐ見つめている。


 ……そんな姿を見せられたら、先生はこう言うしかないじゃないか。


「完成させられるよ。君は、坂田空琉なんだから」


 俺は、しっかりと目の前の人物を指すように言った。すると、坂田は、ははっと笑って、手のひらをあげた。


 ……それでこそ俺の友達だ。


 そう言ってパチンっと、互いの手のひらの良い音が鳴った。締め切った、虚無の空間に、その音はファンファーレのように大きく鳴り響いたのだった……。



















坂田は、よりリアルな高校生だと思います。

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