第39話 かまないよー
第39話 かまないよー
………それは、ほんの少し前に遡ることになる。
お客さんを中へと迎え入れ、雀宮くんが美由さんのの手伝いをしに中へ入ったあと、俺と大豆はまだ一緒にいた。大豆が中々離れないのだ。「去年よりももっとカッコよくなったわね!」とでも言うように、大豆は膝に脚を乗せてくる。肉球が気持ちいいとはいえ、少し伸びた爪の先が食い込む。
さっき「好かれるに越した事は無いですから」と、言ったもののこうも離してくれないと少々厄介である。
「……大豆は犬だからまだ許せるんだよなぁ……」
ぼそっとそう呟き、ふと、今まで出会った女の子たちを思い出した。
ありとあらゆるタイプの女の子を出会った。大人しそうな子や、優しくて大人っぽい子……。
しかし、その中でも、グイグイ攻めてくる女子との付き合いが半数を占めていた。
聞けば皆、「優しくて、頼りがいがあって、紳士的だから甘えやすい」などと言っていた。自分の理想の男性だ、と。これほどまでに完璧な優良物件は見たことないと、口々にそう俺を褒めたのだ。
それが全て、偽りだったとしてもだ。
ある時から、反吐が出るほど気持ち悪くなった。俺といることが、彼女達にとって高級なブランド品の装飾品を身につけていることと同じだったからだ。
彼女達は『自分を愛してくれてる人』と思っていたようだが、俺からすれば全て、彼女達の思い込みだ。自分のことしか考えていない。
かっこいいから、イケメンだから、と言葉を並べては他人に自慢をし、それによって自分のステータスを上げていたのだ。
所詮、遊びは遊び。しかし、遊びでは収まらなくなった彼女達は俺に対し付き合うように迫ってきた。
……遊びを現実にする為に。
薄汚い欲望の裏側だ。昔はそれさえも面白くて遊んでいたのに、いつからかそれすらも嫌になった。きっかけはなんだったか覚えていない。が、多分、坂田の影響だ。坂田にあんな風に言われなかったら、今、こうしてはいないだろう……。
そう思いながら目線を落として、そっと大豆の頭を撫でる。その毛並みが柔らかく、絹のように触り心地が良い。そして、大豆も何かを悟ったのか、クーンと鳴きながら覗き込むように首を傾げていた。
……いつからだろう、女の子から目を背けるようになったのは。
俺が知っている【女の子】ってのは、こんなに黒く汚れていなかった。憎悪に駆られ、ドロドロと溶けていなくて、粘っていなくて……えーっと……。
悶々と頭の中に思い浮かべながらそう考えていると、なにかに気づいたのか、大豆は「わんっ」と元気そうに鳴き、その方向へと向いた。それは威嚇ではない。むしら、迎え入れているような歓迎の声だった。
「……どうしたの大豆」
そう言って、大豆が向けた顔の先に目線をやると、俺はその光景に目を大きく見開き、息を呑むような錯覚に陥った。
……それは一瞬、夢じゃないかと目を疑った。
長く美しい銀髪が夏風に揺れていた。大きなつばのついた白い帽子を被っているため、全体が影に覆われている。
見たところ、小学校低学年位だろう。
人形のように小さな顔をしており、目は透き通るような水晶の輝きを放っていた。白い肌に、赤い唇。まるで、童話に出てくるお姫様だった。日本人では無さそうだ。どこかのお金持ちのご令嬢だろうか、どことなく気品に満ちていた。人形だと言われても納得してしまうほど綺麗だった。
白いワンピースを纏いながら、そわそわとこちらにゆっくりと近づいてきた。
「……わんちゃん、かまない……?」
その小さな口から零れたのは凛とした鈴のような声だった。聞いていて雑味のない純粋な音だ。
「……か、かまないよ。この子は女の子だからね」
少し言葉に詰まりながらも、必死で笑顔を作った。あまりの美しさに胸がどぎまぎしてしまったのだ。笑顔を作るのは得意だが、それもいつまで続くか分からない。それほどまでにこの子に見惚れてしまったのだ。
「……さわっても、いいの?」
「いいよ〜。むしろ、大豆は触ってもらうのが好きなんだよ」
「……だい、ず……?」
途切れ途切れに言葉を並べ、大豆を見ながら、泣きそうな顔でそっと手を伸ばした。指先は少し震えている。あと少しというところで、怖いのかそれ以上手を伸ばすことは出来なかった。
俺はそれを見て、大豆、と一言言うと、大豆はわんっと一声鳴き、自分から彼女の手に頭をすり寄せた。
「うっ……!」と最初は泣きそうな程驚いていたが、すりすりと大豆が身を寄せてくるとその顔も段々と笑顔になってきた。ふふっ、と笑いながらゆっくりと撫でていた
「やわらかくて、あったかい……」
「ふふっ、大豆はね、撫でられるのが大好きなんだよ」
「そうなんだ……。ねぇ、もっと、なでなでしてもいい?」
「うん、いいよ。いくらでもどうぞ」
俺がそう言うと、大豆は彼女から頭を離し「わんわんっ!」と元気よく挨拶すると、少女は顔をぱあっと明るくさせた。すると、大豆は尻尾を大きく左右に振って彼女の顔にダイブすると、うわあっと驚きながらしっかりと抱きとめて撫でていた。舌で頬を舐められると「くすぐったいよ〜」と笑っていた。
……見ていてなんとも微笑ましい。
そう思いながら眺めていると、この子がどことなく小さい頃の妹に似ていた。お互いに小さい頃はこうやって笑ってた気がする。
今は母さんの意向で小中高一貫の女子校に通い、寮での生活を送っているため月に何回かしか会えない。
……俺が一人で勉強できるようにと、妹と離してしまったが、余計にそれが孤独になったことに親は気づかなかった。
その寂しさを埋めるために、女の子に手を出していた。だけど、段々とそれが嫌悪感を抱くものへと変わっていったのだ。
ただ、女の子は好きだ。好きなことには変わりないし、人並みにそれだけの好意を抱くことはある。
でも、最終的には何かが違うから距離を置いてしまったのだ……。
「……おにいさん?だいじょうぶ?」
凛とした透き通る声が耳元を通る。ハッとして、顔を上げれば彼女が不思議そうにこちらを眺めている。大豆もキョトンとしながら舌を出していた。
「あ、ああ、ごめんね。おにいさん、考えことしてたんだ。ほんとうにごめんね」
「かんがえごと……?」
「うん、でも、本当に何でもないんだ。大丈夫だよ」
「……」
そう言って、笑顔を見せると彼女は黙ったまま、大豆から手を離して、俺の両頬を撫でるように掴むと、そのまま、頬にそっと口付けを落とした。
柔らかな唇の感触が肌を伝った……。
「えっ……えっ?!」
「ママが、かなしんでるひとがいたらこうするのよって言ってたから……」
「えっと、あの……どうして……」
「……おにいさん、むりにわらってたから」
一瞬、何が起こったか分からなかったが、彼女のその言葉に、事の重大さに気づき、顔がじんわりと熱くなっていくのを感じた。
(頬に)今、キスされたって事だよな……?!
事実を噛み締めるようにそう繰り返すと、心臓がバクバクと鳴り、耳元に響くまで五月蝿い。
相手は子供だと言うのに、何を意識してるのか。向こうにとっては挨拶とかそう言うものなのに、どうしてこうも……。
「……げんきでた?」
彼女は不安そうにそう尋ねてきた。大豆をぬいぐるみのように抱きしめ、上目遣いだった。自分にとって当たり前のことが、相手には違うものだと感じ取ったらしい。
「うん、君のおかげで、おにいさん、元気が出たよ。ありがとう」
顔が赤くなるのを抑えながらそう言うと、彼女はまたぱあっと顔を輝かせて、大豆を抱きながらニコッと笑った。
「……よかったっ、おにいさん、やっとわらってくれた」
それはそれは、太陽ように眩しくて優しい笑顔だった。誰かに向けるには勿体無いほどに美しいものだった。
……その瞬間、俺は糸を手繰るように思い出した。
さっきまで考えていた、自分の知っている【女の子】というものがどんなものか。
人によってその定義は違う。
じゃあ自分にとっては何なのか。
いつの間にか、こんな簡単なことも分からなくなっていたのだ。
自分にとって女の子とは、こんな風に、誰かのことを思って笑ってくれる子の事を指すのだと。
……昔、愛したあの子も、こんな風に笑ってくれたのだと。
「……ありがとう。おにいさんね、君のおかげで大切なことを思い出したよ」
ほんとうにありがとう。と、少女の手を握ると、彼女はどういたしましてっ、と首を横に傾げた。
あははと二人で笑っていると、丁度、ひと仕事を終えた雀宮が降りてきたところだった。




