第27話 ゆうとうせいであること
第27話 ゆうとうせいであること
田本宗吾は、優等生であること。
それが家族と親戚に定められた使命だったという。
しかし、実際の彼にとっては、それはレッテルになり、ただの足枷にしかならなかった。
「俺も最初は、褒められることが嬉しくてやってたんだけどさ……。なんだろうね、いつの間にか疲れちゃったんだよね」
成績優秀で品行方正。優美な四字熟語に相応しい教育を受けてきたからか、余計に心が追い詰められてしまったようで、ある日一つの過ちを犯したのだという。
「……過ち?」
「過ちと言っても、やましい事じゃないよ。誰にでもあることをしたんだ」
中学二年生の時、初めて全ての習い事をサボったんだと笑った。書道に華道に茶道、それに塾。そして、夜の街へと繰り出した彼はその光景に衝撃を受けたのだという。
全てがキラキラと煌めいていて、まるで自分は夢の国に来たような、そんな気持ちになったと言う。
「それからは、三日に一回の割合でサボるようになったかな。色々といけない遊びは覚えちゃったけど」
所謂聞かれたくない、黒歴史なのだろうか。乾いた笑いが抜けないようだった。
元々、自分の容姿の良さは嫌と言うほど聞かされていたから、ゲーム感覚で女性に声をかけると見事に全員引っかかったのだという。
対象は年上から年下まで。時にはご飯を奢ってもらったり、はたまた遊園地に行ったりして色々と楽しんでいたようだ。
この話をしている時の田本は天然ゲスと言うか、自分の良さを分かってる小賢しい感じがヒシヒシと伝わった。
「……まあ、妹も小中高一貫の寮生活になっちゃったし、家の中で一人ぼっちってのが辛かったんだ」
心の拠り所である妹がいなくなったせいで、女の人を求めるようになってしまった。しかし、一線を越えることはなかった、出来なかったのだという。
自分の脳内のどこかに、「田本宗吾は優等生であるべき」という文字が貼り付いてしまっていた。
それが良かったのか悪かったのか、結果は今の自分だと言う。
「……故意的ってさっき言ったでしょ?それが、これ」
そう言うと、人差し指で俺が手当した口元を指さす。
「いろんな女の人に手を出したから、そのツケが今回ってきてるんだ」
自分でも自覚しているようで、当時は見境なしにいろんな人との付き合いをしていたようだ。時々、こうやって殴られているという。
「お前、それ言っちゃ悪いが自業自得だろ……」
「あはは……分かってはいるんだけど、放ってはおけなかったんだよ」
「なんでだよ?」
「だって、助けて欲しいって言ってる子を見捨てられはできないでしょ?」
聞けば、田本は相談役として付き合っていたのだという。学校や友達関係、進路や夢、もちろん恋愛関係でも……。悲しいことに医者の息子だからか放ってはおけなかったという。
「だったら、尚更殴られ損じゃ……」
「そうなんだけど……でも殴られても仕方ないかなって」
そう言うとバツが悪そうに笑う。痛いとこをつかれたようで、頬をかいた。ちなみに、今は女遊びという遊びはしてないらしい。
今はとにかく大学を出るまでは大人しくすることにしたという。
こんなことが続くのであれば大人しくしている方が賢い選択だと。
「あとは、坂田のおかげかなあ」
「坂田?」
思いがけない人物に俺は思わず聞き返す。仁都かと思いきや、まさかの坂田。確かに二人はかなり仲が良さそうに見えたけど……。
「……なんか意外だな」
「でしょ〜?仁都にも言われた」
そう、ふふっと笑うと、人差し指を口元に当ててしーっとポーズをとった。
「だからね、あの二人、特に坂田には今日のことは内緒にしてて欲しいんだ、お願い」
その姿は愛らしくもあったが、どこか申し訳無さそうに眉を下げて笑っていた。おう、と返事をするとありがとうと、ホッと胸を下ろしたのか安堵のため息をついていた。その姿を見て、俺は知らないうちに口を開けていた。
「……田本も人間だったんだ」
いつの間にか、昔の姉貴と田本が重なって見えていた。昔、俺を守るために全てを犠牲にした姉貴の姿を……。
気づけば田本が困惑したようにこちらを見ていた。具体的に言えば困惑ではなく、そう言われて悲しいと言いたそうな顔をしていた。
「え……雀宮くん、俺をなんだと思ってたの……?」
「あっ!いや、ちが、違くて!違うんだよ田本!そんな引くなって!」
ドン引きしている田本を宥めるように俺はあーだこーだとジェスチャーをつけて説明した。
「ほら、田本って自他ともに認める優等生じゃん。だから、困ったことも、不自由なこともなくて笑顔をずっと見せてるのかと思ってたからさ……なんて言うか、弱い部分もあるんだなあって……」
「雀宮くん……」
「あ、いや、なんて言うかうまく言えないんだけど……。もう少し楽に生きてもいいんじゃないかって」
ふと、見上げるとそこには不思議そうな顔をした田本が。そこに昔の姉貴の泣き顔が重なる。
やっと気づいた。どうして初めて見た時に、田本と姉貴が重なって見えたのか。
「……そんなに抱え込まなくていいと、俺は思う」
姉貴もいろんな笑顔の裏では、田本と一緒で、全てを抱え込むことが正解だと思っていた。
でもそれは違う。そこまでの責任は彼らが負うものじゃない。
でも、むしろそれが人間らしく見えて俺は羨ましかったんだと思う。
「……雀宮くん、ありがとう」
俺の言いたいことが伝わっているか否かは分からないが、田本はこれまでに無いほど穏やかに笑った。
そして、長い間話に付き合わせてごめん、と言うと田本は制服のボタンをとめ直し、髪もある程度整えて立ち上がった。
「……さ、夜ももう遅いし、駅まで送るよ」
「送るって……お腹の方は大丈夫なのか?」
「ん、大丈夫大丈夫。ある意味頑丈だから」
「まあそれならいいけど……無理はするなよ」
「うん、心配してくれてありがとう」
田本は嬉しそうにそう答えた。
ふと、時計を確認すれば、既に夜の八時半。今から帰れば確実に課題は徹夜コースだ。悲しい。今日はいい事があったと言うのに、まさかこんなどんでん返しがあるとは……。
「あ〜……かなり遅くなってたんだな」
「ごめん、ほんと長引かせて……」
「まぁ、大丈夫大丈夫。荻センの課題だから最悪適当でも……」
「あ〜、荻窪先生なら大丈夫だね。忘れてることもあるから安心できるね」
「教師として安心できないけどな」
「ぶふっ、確かに」と、田本は吹き出して笑った。それに俺もつられて笑い、お互いに笑い合った。
なんだか田本のことを知れた、いい時間だったのかもしれない。
夏休みはもうすぐ終わる。
その終わりを告げるかのように、夜の風は何処か、心地の良い冷たさを帯びていたのであった……。




