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第10話 ふみだすゆうきをきみに(後編)(2018.6.30加筆修正済み)

 第10話 ふみだすゆうきをきみに(後編)


『俺、知ってるぜ?こいつの髪の色、生まれつきらしいよ!』

『えー、まじかよ?赤色とか気持ち悪くな~い?』

『それ、うちのママも言ってた~。すずめのみやくんって、お母さんともお父さんとも似てないんだって~』

『おいみんなー!!こいつに触れたらやべえぞ!髪が血になるぞー!ぎゃははー!」

『俺たちに近づくんじゃねぞ?疫病神く~ん?』

『やーい!泣き虫すずめ~!悔しかったら呪ってみろよ、バケモノめ~!!』


 四方八方から歪んだ声が聞こえてくる。この声は、嫌なほど今でも鮮明に覚えている。やめてくれ、そう叫んでもこの声は止まらなかった。

 どれだけ自分の無実を訴えた所で、【審判者】である彼らは信じてくれなかった。大人だって、【審判者】の味方をした。みんな俺を【異端者】とみなした。

 これは、そんな俺の小学生の時の記憶だった。


 ……そう、そうだ。思い出した。俺がこの絵本を描けない理由を。そして、今もそれに俺が縛られていることも。

 気がつけば、俺は真っ暗闇な空間にいた。真っ暗といっても、本当の漆黒に包まれたものではない。自分の足元、手のひら等は視認できる。

 周りを見渡しても、先が見えない真っ暗闇。右も左も。上も下も、自分がどこにいるのかも分からない。

 確か、あの時…俺は昼飯を食って、展覧会に向けて絵を描いてて……それで……。


 そこまで思い出したところで、鈍い痛みが頭に走る。ずきずきと響くような痛みが体を蝕む。

 あっ、そうか、俺、屋上で倒れてたんだっけ…?倒れてて…それで…それで?誰かが、俺の名前を呼んでいた…?

 そもそも、俺は一人で屋上にいたのか?……いや、違う。あの時は、あいつが俺のクラスを訪ねてきたから。

 だから、目立ちたくなかったから屋上に行って、一緒に昼飯を食って、それから……俺はあいつに酷いこと言ってしまった。


 あれは本心ではなかったし、悪気があったわけではなかった。ただ、俺が勝手にイライラしていた。それだけだったのに……。


 途端に頭の痛みが悪化した。割れるような痛みが全身を襲い、じわりと汗が頬を伝った。立つことすらもままならなくなり、膝から崩れるように座り込んだ。

 なんでだ……!なんでこんなに痛むんだ……!!と、両手で頭を抱えていると、「ひっく……ひっく……っ!!」とすすり泣くような幼い声が耳元に届いた。

 それは、自分が一番よく知っている声だった。顔を上げれば、両手で目をこすりながら泣きじゃくっている小さい子供がいた。

 ふわふわと毛先がうねった赤い髪。その姿は自分が一番よく知っている、幼い頃の自分だった。


「お……れ……?」


 痛みが目元を侵食し、視神経までがその主導権を奪おうとしている。

 その小さな体からはどう出ているのか、瞼では抑えきれなかった大粒の涙が自らの顔をぐしゃぐしゃにしていた。

 すすり泣くその声からは時々嗚咽さえも零れていた。震えながら何度も何度も手の甲で涙を拭っていた。だけど、決壊したダムのようにそれは止まる事を知らなかった。


 ……覚えている。この頃の俺は、この時。


 と、脳裏に何かがよぎったとき、目の前の幼き自分は口を開いた。



「……おかしくない……!僕、おかしくない、もんっ!みんな、どうして僕のことがおかしいって言うの?」


 そういう幼き自分の顔を見た瞬間、フラッシュバックされたのは【審判者】たちからによる数々の仕打ちだった。

 思い出すだけで、息が苦しくなる。今まで忘れようとしていた、忘れようとしていたのに、どうして……。


「僕のこと、みんなおかしいって、言うなら……」


 ダメだ…!!お願いだ…!!それ以上は、言ったらダメだ……!!

 痛みに支配された体を突き動かし、精一杯、幼き自分に触れようとする……だが。


「それなら、僕は……僕はぁっ!!友達なんて、いらないよぉっ!!」


 そう叫んだ時、パリンッとガラスか何かが割れる音がした。自分の足元がふわりと何かに浮き、風が全身を包む。

 次の瞬間、突き落とされたように周りの空気が奪われた。水の中に落ちたのか、自分の体は重力を失った。

 幼き自分を掴もうとした手は虚しく空を切り、俺は深淵への底へと身を委ねたのだった……。


 ……目を覚ました時には、白い天井が視界に入った。ここは、現実なのかと確認するように、右腕をおでこにあてた。

 しっかりと温もりが腕に伝う。段々と意識がはっきりしてくると、アルコールとフッ素の独特の匂いが鼻についた。

 ふかふかとした白いシーツに包まれ、空調設備の効いた快適な空間を察するに、どうやら自分はベッドに寝かされていたようだ。

 ああ、そっか、あの時に倒れたんだっけな……と、先程の夢の痛みの後遺症か右手を頭で抑えていると、不思議と、左手に違和感があることに気づいた。

 違和感と呼ぶには、言葉としては間違っていたかもしれない。言い換えるならそれは、静かな重みと僅かな温もりだった。不覚にも、それに安心してしまった自分がいた。

 

 仁都如月が、俺の左手を握りながら眠っていたのだ。疲れていたのか、腕を組むようにうつ伏せになって小さな寝息をたてていた。

 その綺麗な寝顔はこちらを向いていて、ドラマのワンシーンかよ、と笑いながら皮肉にも呟いてしまった。黙ってりゃ、ほんと、勿体ないくらいいい男なのにな……。

 なんて、呑気なことを考えたところで仕切られていたカーテンらしきものが勢いよく開かれた。


「あら、起きてたの?随分と居心地が良かったみたいね、いい夢は見れたかしら?」


 と、黒髪でショートヘアの女性は悪戯っぽく笑った。その笑顔が若々しくてなかなかの美人だということがわかる。

 白衣を着用し、名札をつけているところから察するに、保健医のようだ。しかし、俺が知ってる保健医とは少し年齢も雰囲気も違うように思えた。

 さすがの俺も何回かは保健室に来たことがある。最近ではお世話になることはなかったが……その間にでも変わったのだろうか?

 以前はおばさんだったのだが、この人はどちらかと言うと若い。姉貴と同じ、もしくはそれよりもいくつか年上に見えた。


「えっと……ここって保健室、ですよね?」


 狼狽えるように尋ねると、首を横に傾げ「そうよ?でもここは工業科の方の保健室。そこで寝てるアホが駆け込んで来たんだからびっくりしたわよ」と言うとため息をついた。

 そうか、確か学科が棟ごとに分かれてるから、保健室も普通科と工業科それぞれにあるんだったけ……。どうりでこの人とは会った事が無いわけだ。


「またサボりに来たのかと思ったらほんとに、ほんとに病人連れて来たんだもの、びっくりしたわ」呆れるというよりも、少し驚いたように先生は言った。

「あはは……すみません。ご迷惑おかけしました……」と謝りながら、サボり魔かよ、散々な言われようだなおい。と目線で仁都にツッコミを入れた。


 しかし、当の本人は今もぐっすり夢の中のようだ。そして、力も篭っているのか手も離してくれない。おい、いい加減離さないと暑いぞ。


「まーともかく、目を覚ましたのならいいわ。病状としては疲れからの熱中症ね。寝不足からか知らないけど目の下のクマ、酷いことになってるわよ?若いからって無理してると大人になった時早死するんだから、今度から気をつけなさい」


 そう言うと、先生は俺の両方の頬を、細く綺麗な指で少し引っ張った。痛くはなかったが「しゅ、しゅみましぇん。いひょきをひゅけましゅ」と、誓約を交わすと離してくれた。

 案外、男勝りで意地悪な先生のようだ、食えない性格をしているらしい。これなら、男子が多い工業科でも保健医としてやっていけるわけだ。


「分かったのならいいわ。どうせあと十五分でチャイム鳴るんだから、もう少し休んでなさい。普通科の先生には私から伝えておくから」

「あ、はい……ありがとうございます」

「こんなアホだけど感謝しなさいよ~。珍しく血相変えて来たんだから。すーちゃんが、死ぬ死なないとか、かなりギャーギャーうるさかったし……」


 そう言うとやれやれと呆れるように肩を下ろす。ああ、先生、なんかもうすみません。その様子が容易に想像できました。俺の責任です、はい。

 その光景に罪悪感を覚えながら、ほんとにすみませんと謝ると意外な言葉を返してきた。


「……でもまあ、あなた、いい友達を持ったんじゃないの?」


「え……」


「ここまで心配してくれる人、友達だったとしても、そうそういないからね。自分のことのように心配してくれる人なんて今時珍しいもの」


 あまりにも意味深な発言だった。先生としては、軽く言ったつもりだったとしても、俺にはその言葉がとても重く感じた。

『いい友達を持った』この言葉がどこか深く、俺の柔らかい何かに突き刺さった。しかしそれは、氷から水のように溶け、温かい何かになって、俺の胸に染み込んだ。

 温かすぎて俺には堪えきれない、そんな、大きな何かが。


「大切にしなさいよ、友達なんだから」

「あ、はい……」

「ん、いい返事ね」


「……それじゃあ、私は職員室に用があるから、チャイムが鳴って体が動くようなら帰りなさいよ」と、先生はファイルを持って保健室から出て行った。

 ピシャリとドアが閉まり、室内には空調機器から流れ出るファンの音だけが響く。俺と仁都以外はこの部屋にいないようだ。

 窓の外を眺めると、夏の日差しを浴びたアスファルトが何食わぬ顔で熱気を帯びて揺らめいていた。窓が閉められているとは言え、蝉の鳴き声がかすかに聞こえる。


「友達、かあ……」


 俺は未だに俺の左手の権限を持っている仁都を見た。いい加減に起こしてやりたいが、今はそっとしておこう。どうせ起こしたところでどうにかなる問題じゃないし……。それに、


「……俺に、ずっと付き添ってくれたんだな」


 授業を真面目に受けるタイプという訳では無いと思うが、だからと言って俺みたいな奴に付き合うほど暇じゃないだろう。

 出席単位だってあるわけなんだし……あ、でもさっきの言われようからして、あんまり気にしていないような感じだけど……。


「ほんと、わけわかんない奴だな、お前」


 善意なのか善意を利用した偽善なのか。それすらも分からない。けれども、俺は今この瞬間がとてつもなく心地よくて幸せだと思った。

 それと同時に、あの時屋上で言ってしまった自分の言葉に罪悪感を持った。自分のことを気遣ってくれたのに、俺自身は締め切りのことで頭がいっぱいだった。

 自分の才能の無さと苛立ちで仁都にあたってしまった。


「……仁都、ごめんな」


 俺が心の底から出た精一杯の謝罪だった。誰かに謝るなんて家族以外にしたことは無い。だからどうやって謝っていいのか分からない。声色や言い方はこれでいいのだろうか。

 もしかしたら、仁都は許してくれないかもしれない。もう二度と俺と喋ってはくれないかもしれない。そう思うと、胸のどこかが痛くなった。こんな気持ちは初めてだ。毎回そうだ。仁都は俺に友達としての初めてを必ずくれる。でも、これはかなり辛く精神的には苦痛なものであった。


「……お前はほんとにいい奴だよ」


 そう言って、右手で仁都の頭を撫でると「…んんっ」と、声を零し、目を数回パチパチさせながら起き上がった。ふわふわと揺れるくせっ毛が柔らかそうにうねっていた。

 あぁ~あ、と大きな欠伸をして伸びをすると俺を見て「ああ、すーちゃんおはよう…」と言ってまた小さく欠伸をすると、覚醒したかのように驚いた表情で俺を見た。


「すーちゃん!?起きてたの?!あー良かった!!このまま目を覚まさないかと思って心配したんだからね~!!」


 そう言うと、俺の両手を握ってはブンブンと上下に揺らした。その表情はどこか泣きそうな顔をしていて、大の男がなんて顔してんだよ、と笑ってしまった。

 すると、「もー心配してたんだからね!先生には結構怒られたけどほんとに心配したんだよ!」と頬を膨らませては口を尖らせていた。


「悪かった。俺の体調管理がなってなかった。気遣ってくれたのに、それを蹴るようにしてさ……さっきはあんな酷いこと言ってほんと、ごめ……」

「ごめんね!!すーちゃん!」

「……え?」

「俺も色々とお節介しすぎた。冷静になってみれば、しつこかったよね。すーちゃんの為になればって一人勝手に動いててさ……ほんと、ごめんね。すーちゃんが起きたら一番最初に謝ろうと思ってたんだけど、いつの間にか寝ちゃってて……」


 仁都はそう言うと眉を八の字に下げ、言いにくそうに頬を人差し指でかく。


「……だから、許してくれるとは思ってないけど、これだけは言わせて欲しいんだ。すーちゃん、ごめんね」


 情けないな。と心の底で自分の愚かさを呪った。自分のことを心配してくれた人にこんな顔をさせるなんて、と。


「ああ!でもほんと!これで嫌になったら友達やめちゃってもいいからね!俺はすーちゃんがそうしたいんならそうするし……!」


 と言いながらも、答えを聞きたくないように目線をあちこちに泳がせていた。友達やめたくないなら言わなきゃいいのに、変なところで気を遣うよなぁ。

 俺は思わず吹き出してしまった。仁都は、えー何その笑い?!どういう意味?!と疑問でいっぱいの顔をしている。ああ、仁都に笑わされたのは何回目だろう。

 これが心地よくて堪らない。結局、思ってることはお互い一緒で、口に出さなきゃわからないんだなってことを知った。

 だから、仁都が俺に対する質問の答えは自然と決まっていた。


「……お前と友達、やめるわけないだろ」


 俺の心は雨上がりの空のように晴れ晴れとした、清々しい気持ちに包まれていた。


「……さっきは、酷いこと言ってごめんな。こんな俺でも、お前の友達でいてくれるか?」


 そう問うと、仁都は返事をする代わりに泣きつくように俺に抱きついてきた。相変わらず体格には勝てなかったが、その温もりは何年も味わってない嬉々としたものだった。

 と、同時に授業の終わりを告げるチャイムが鳴り、俺が一歩踏み出したことを送りだす鐘の音のようにも聞こえた……。

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