(3)
(はてさて、明日は修了試験かな…)
幼いシオンにおやすみの声をかけて帰宅するトーマの姿を見ながら、ケイズは考えていた。
異世界から【落ちて】きたトーマは、身体機能からしてやや脆弱で、決して優れた存在ではなかった。ただ、落ちて早いうちに、ケイズと出会い、その妻であるユーナに出会えたのは、殊の外、幸運であったであろう。
トーマが、この世界のこと、【落人】のこと、【探索者】を支援できる自分の加護のこと、この3つのことを漠然ながら理解し、受け入れたことで、トーマ自身が、この世界で自分のできることを見出すことができていた。
そのことが、トーマは非常に嬉しかったらしく、同じ【落人】でも、中々、この世界を受け止められなかったユーナ-ただし、馴染んではいた-は、トーマの前向きな反応を意外に感じたらしい。
トーマと出会った頃は、ケイズは【探索者】を引退して、【猟兵】となっていた。
【迷宮】に出入りするのは【探索者】であり、その出入りを管理するのは国である。
国は【迷宮】に兵を常駐させ、その管理の役割は主に【衛兵】が担う。
一方、ある程度、【探索者】の活動を促さないと、【迷宮】から得られる魔石の量が期待出来ないし、その活動があまりに乏しいと、【迷宮】の魔獣が地上に溢れ出し、集団暴走してしまうリスクも高い。
そのため、【探索者】の支援を行い、魔獣を間引くのも、管理活動の一つである。これを主に担当するのが【猟兵】であった。
トーマの持つ【支援の加護】は、【猟兵】の役割にうまくかみ合っていた。
【探索者】の危機を察知すること、【探索者】の身体・精神機能を強化すること、【探索者】の怪我を多少ながら回復すること、【支援の加護】により、これらを「広く浅く」行使することができたためである。
事実、ケイズの従弟と称して、義勇兵-アルバイト-の位置づけで、ケイズ達とともに【迷宮】に入ったが、2日目には、トーマは、すでに【探索者】の支援を行うことができた。
ほんの少しの身体機能強化支援であっても、【探索者】にとっては益でしかなく、トーマ自身がその加護の一つによる魔力回復により、【迷宮】内において、長時間、支援が続けることができた。
「自分のできることを見出すこと」
トーマは、猟兵隊の中でもっとも長い時間【迷宮】で過ごすことになり、わずか3年で中級レベルであるレベル40に到達してしまった。
もともと【猟兵】は支援職としての立場であり、【探索者】として低レベルであっても、【探索者】を支援できる技能が行使できれば問題はない。
そこに、【探索者】として一人前ともいえる中級レベルに、トーマは到達してしまった。…いわば、トーマは、この世界において「手に職を持つことができた」ともいえる。
「すごいよね、トーマ君は。前はあんなにヒョロヒョロだったのにね。」
夫婦の時間。
ユーナは本当に嬉しそうに微笑んでいた。
それはそうだろう。ユーナにとっても、トーマは、数少ない同郷の者で、それこそ自分の弟のようなものとトーマを認識している。
当然ながら、【落人】であっても、それがどのような人間なのかは、付き合ってみないと分かったものではないが、実際のところ、トーマはケイズ夫妻にとって良き弟であり、夫妻の娘のシオンにとって良き兄であった。
「【支援の加護】はどこでも役立つし、剣も弩も一端の腕になったからなあ。」
「あなたの心遣いのおかげだよ。ごめんね、ありがとうね。」
「まあ、トーマは結構冷めた性格だし、最初は少し戸惑ったけどな。」
ケイズは、コップに残ったエール酒を呷った。
「来年は、王都の【大浄化の祝祭】があるそうだ。それにトーマを参加させてやろうと思っている。」
「来年?」
「どうにも、【東の国】に負荷がかかっているらしい。【イゼルの大迷宮】の活性度合が異状なんだそうだ。」
「文献の中のお話だけじゃなくて、そういうことも、実際、あるんだね…」
思い返すように、ユーナは呟いた。
「でも、そうね、中級者としての参加で、【大浄化の祝祭】なら、命の危険はないよね。【イゼルの大迷宮】の中を見聞きして、覚えることもできるし。」
「段取りは、エイベルにでもお願いしておくかな。」
かつて世話になった神官の名を聞いて、ユーナは満足げな表情を浮かべた。
「エイベルさんが、あなたに振り回されるのは、傍から見てて可哀そうだったけど、トーマの事ならしょうがないよね。」
「そりゃ、一体、どういう意味だよ…」
ケイズはため息をついた。
【ファルベーレルの小迷宮】の地下3階。
上階よりさらに湿度は高く、やはり壁面には、多量の緑苔と少量に光苔に覆われている。
トーマとケイズの2人パーティで行動しており、前衛はトーマ、後衛はケイズ。
単独での探索を想定し、実際には、ケイズは後方支援を行わない。
とはいえ、万一のリスクに備え、上位者が後方支援を行っている時点で、実際の単独探索と比較すると相当に有利な条件ではあるけれども、たとえ、(試験的な)想定の活動とはいえ、自分達の命を最優先するのは、至極、当たり前の話であろう。
トーマの装備は、皮鎧に、片刃剣と弩である。
前方に生物の気配を感じ、物音を立てずに慎重に進んでいく。弩は、片足を掛けて、音をたてぬよう慎重に弦を引き、矢を番えた。
二匹の大蜥蜴。
この階層に出没する大蜥蜴は、二足歩行で、噛み付きだけではなく、上肢の爪による攻撃も行ってくる。身長は約1.4m。背側の皮膚は固く、本来なら腹部を攻撃するのがセオリーだろう。
まずは呪文を唱え、身体強化の術式、弓支援の術式を起動する。
大蜥蜴の固い皮膚であっても、弩による矢が垂直に当たれば、十二分に鏃と大蜥蜴に食い込ませることが可能だ。
トーマは息を止め、集中する。
弩を発射。矢が一匹の大蜥蜴に命中すると同時に、弩を地面に置き、身を低くして、剣を抜き、駆ける。
二匹が気づく。叫ぶのか、人間に襲い掛かるのか、大蜥蜴はやや判断に迷う。
一瞬の間。矢を受けていない大蜥蜴の喉を切りつける。
そして、矢を打ち込んだ大蜥蜴の腹部に剣を突き刺し、抜き、もう一匹の大蜥蜴を突き刺す。
それを、もう一度繰り返す。
大蜥蜴の反撃はあるか否か。それが確認できるまでは、息がつけない。
確認、そして、トーマはやっと息を吐いた。
単独探索の場合、相手の不意を突き、強襲するのがセオリーである。
相手に出来る限り気付かれないよう、革製の鎧を【猟兵】達は用いている。そして、弓を一射し、魔獣がたじろいでいる間に、近接戦により、相手の戦闘力を奪う。
弓は、弩を用いている。連射の必要性はなく、初撃の命中率と威力を優先するためである。
そして、最後まで油断しない。油断して痛手を負った【探索者】を数えきれない程、知っているからだ。
慎重に進み、最低限の戦闘を繰り返す。
ミスはしない。ミスをしたら、速やかに撤退する。速やかに撤退できない状況と判断したなら、それ以上は進まず、その時点で引き返す。兎に角、慎重に判断しながら、進んでいく。
【ファルベーレルの小迷宮】の地下3階の最終区画。
他の区画と同様、80m×80mの区画の中は、苔の生した壁で区切られ簡易な迷路と化しているが、その奥には、まるで体育館のような空間が存在する。
そこに【階層主】の大蜥蜴が蹲っていた。
他の大蜥蜴より2周りは大きい。膂力も桁違いで、麻痺毒を持つ息を吐く。
まず、トーマは後方-逃走経路に魔獣がいないこと-を確認する。
身体強化の術式、弓支援の術式を起動。
矢2本と、投擲の探検1本を手元に置く。
片膝立ちで弩を構える。
そして初撃…階層主の肩に鏃が食い込んだ。
『ギュオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ』
【階層主】が叫び、起き上がり、見回し、トーマに気づき、突進してくる。
トーマといえば、二撃目のため、弩の弦に足を掛け、弓を引いていた。
この段で、さすがに逃走経路の安全確認はケイズに委ねる。この迷宮では、【階層主】の叫びで魔獣が集まってくることはないし、【階層主】も、この部屋から出てくることはないが、それは決して保証されたことではないからだ。
もし、その兆候が少しでもあれば、ケイズが撤退のための行動を起こしてくれるだろう。
突進してくる【階層主】。
恐ろしい、でも、恐怖に呑まれてはいない。
弩の準備ができた。矢を番え、弩を放つ。矢は【階層主】の腹部に命中し、ほんの一瞬、【階層主】の動きが鈍った。
短剣の柄を掴み、トーマは、身を横に躱す。
【階層主】が振り向く。目が合った時には、トーマは短剣を投げつけていた。
浅く、刺さっただけ。
しかし、その間に、トーマは剣を抜き、切る。
【階層主】が喰い付き、爪を振るうのを、下がって躱す。
【階層主】の左肩に矢は刺さったまま。トーマはその方向に身を移し、剣で切り付ける。
必要以上に踏み込まない。必要以上に下がらない。
それを繰り返す。息を吐くのを我慢する。
【階層主】と目が合う。
ほんの少し、ほんの少し息を吐く。
途端、【階層主】が食らい付いてくる。読めていた。何とか、躱す。躱した。
身を低くする。踏み込み、【階層主】の大腿部辺りを切る。切れた。
でも、油断はしない。必要以上に踏み込まない。必要以上に下がらない。
慌てて踏み込んだりはしない。繰り返す、そして相手の力を削ぐ。
何十回も繰り返し…、【階層主】の動きは徐々に鈍くなり…、
そして、トーマは【階層主】を倒した。
【階層主】の体が迷宮に取り込まれている。
「トーマ、単独でよく【階層主】を倒したな、よくやった。どんな気分だ?」
にこやかにケイズが語り掛けてきた。
「ありがとう、隊長にはすごく感謝してる。でも、少なくても2階にあがるまでは待ってもらえる?」
「怖いか?」
「うん、正直、怖い。本当に単独だったら、ここまで来れないや。」
いつしか【階層主】の体は迷宮に取り込まれ、魔石だけが残っていた。移動の準備をし終えていたトーマは魔石を回収し、帰路につく。
帰路もやはり同じである。
慎重に進み、最低限の戦闘を繰り返す。
ミスはしない。ミスをしたら、速やかに撤退しなければならない。一旦、退避できる場所を確認しつつ慎重に進む。
如何に万一の場合ケイズの支援があるとはいえ、探索には自分の生命が懸かっている。生命を賭けることは楽しいことではない。ただ、地味にコツコツと作業をこなしていくことについて…
トーマは苦痛より、充実感を得ることができた。
(修了試験は合格だな…)
道すがら、ケイズはそう思った。
トーマの判断は、やや慎重すぎる感じもあるが、それは決して悪いことではない。
【階層主】を倒した後に「浮かれるかどうか」が一番のポイントであったが、全く油断せず次の行動に移ったところは老獪染みていて、むしろ心配に感じたぐらいである。
これなら【東の国】の【イゼルの大迷宮】でも、仕事ができるだろう…
それは、この世界において、3年前はひ弱な少年だったトーマが、【猟兵】としても、【探索者】としても、職業-プロ-として活躍できることを意味していた。