(8)
【教会】の司教執務室。
「この前は済まなかったね、全く時間が取れなくて。あと、君が【落人】であることをティルに伝えたことを詫びよう。」
エイベル司教が、トーマに向かって軽く頭を下げた。事の前後から、その程度の詫びで済むことであろうということだろうか。トーマには、その辺りの個人情報の取り扱いの感覚が良く分からない。
エイベルとトーマが話す機会は今回で4回目となる。ただ、前回は【大浄化の祝祭】後で、ほとんど時間は取ることが出来なかった。【聖女】襲撃事件の後、はじめての機会でもある。当然ながら、その事にも関係あるのだろう。
「さて、実はティルを【北の国】に派遣させることにした。」
「ここは…安全ではないのですか。」
「うむ…。」
エイベルの表情はそう暗くない。別に何かを隠している風でもない。
そうしたことが、何となくトーマには分かった。
「【教会】内部でも確かにいろいろあるさ。ただ、今回の問題は、私と対立する立場の者達もうまく制御できていないところにある。」
「誰が、ティルを狙っているのか分からないと…?」
「有体にいえばそういう事。確かに組織のなかでも様々な立場があって、その影響は大きい。貴族とかが関与するとなおさらだ。ただ、それに個人的な感情とかが含まれてくると、正直、誰も手に負えなくなる。」
「そんな、無責任な。」
「我々には責任はあるさ。ただ、これといって対処法がないのが、実情でね。」
エイベルは肥えた腹の上に置いていた手を組み直す。
「なので、以前から実施している若手【神職】の派遣団に、ティルを加えようと思っているわけだ。」
「以前から実施しているのですか。」
「うん、【活動派】のスタンスは、客観的な知識の確保だからね。だから、【北の国】の【ドルクスの学舎】で、若者達が学ぶ機会を設けているのさ。」
「え、行くのは、【北の国】の【教会】ではないのですか。」
「【北の国】の【教会】は、うちよりも権威主義だからね。【教義派】の考えでないと受け入れないよ。しかも、うちと【北】の【教義派】は、それこそ仲が悪くてね。」
教義や活動の方向性が同じだからといって、組織として親しいわけではないらしい。
「だから、派遣団のメンバーは、形式的には、一時的に【教会】から離籍して、【国】間の留学生として扱われることになる。【学舎】で取り扱うテーマにもよるけれど、大抵、2~3年間は、【北の国】に居ることになるだろう。」
「ティルは、もともと派遣を希望していたのですか。」
「うん、彼女は、基本的に知識欲は旺盛だから、本心としては、【ドルクスの学舎】で学んでみたいとは思っていただろう。ただ、一方で【神職】としての役割を持つからこと自分の存在が許されると思っているらしいから、一時的とはいえ、【教会】から離籍することになる【ドルクスの学舎】への派遣を希望することはなかった。」
「つまり、こういう機会だからこそ、【北の国】へ派遣すると…。」
「そういうこと。私としても、【聖女】と噂されるまで頑張ってきたティルを労いたいし、むしろ、良い機会だとも思ってね。」
その後、日程的なことを教えてもらう。
派遣団は、近日中に【北の国】へ向かうとのこと。【清き大河】に沿う公路を利用して、【教会】の【護衛士】や、教会推薦の【探索者】で往来するので、旅に危険性はないらしい。ただ、道すがら、国境にある【教会】の支援を行いながら-厳密には、その過程で旅費を確保したことになる-【北の国】に向かうため、約半年の旅の期間を経て、【ドルクスの学舎】に入るらしい。
「あまり厳密なものではないけれど、【ドルクスの学舎】は、十ノ月から始業するので、派遣団は、これから出発になるってわけだ。そこで、トーマ君。」
「はい?」
「以前、約束したとおり、【ドルクスの学舎】への紹介状はいるかい? さすがに、ティルとは【北の国】で合流することになるけどね。」
そういって、司教エイベルは、聖職者にそぐわないニヤニヤした笑みを浮かべた。
トーマとしては、もともとこの世界について知りたいという興味があったものの、これまでの活動とは全く異なるもののため、若干の躊躇があった。しかし、襲撃事件の対応のため、ティルが【北の国】の【ドルクスの学舎】に行き、その時に、一緒に学ぶことができるというのであれば、心強いのも確かだ。
学費について、手続きについて、煩雑なことも多々調整が必要であるものの、基本的に【教会】側で対応してもらえるとのこと。交換条件としては、これまでのトーマの活動の報酬ということになる。
【北の国】においても万一に備え、ティルの支援が必要だが、そもそも【落人】であるトーマの生活の支援も必要であろう。そこは、お互いが協力するということになった。
「では、トーマ君は、一旦【ファルベーレル】に戻るのかい?」
「いえ、3か月前に出てきたばかりですし、事件の方も終わってみれば、特に変わったこともなく、もともと予定していた【北の国】への訪問ですから、【北の国】で一通り学びたいことを学んでから、ケイズさんとこに顔を出したいなあと。」
「うんうん、その方がいいね。ケイズには、私からも手紙で近況を報告しておくよ。」
ほんの僅かだけ、「特に変わったことはなく」の件でエイベルの表情がやや固くなったようにみえた。しかし、お互い、そのことに言及はしなかった。
「じゃあ、トーマ君は、早々に【北の国】に入るのかい?」
「いえ、私は【猟兵】ですが、何しろ【迷宮】に特化しているんで、まずは一通り、猟兵としての流儀を学ぼうかなあと思っています。」
「成程、【大樹海】かあ。でも、トーマ君、こちらに【落ちて】きてから、ずっと働きづめなんだろう?ちょっとは彼方此方見て回ればいいのに… ああ、見て回る中の一つか…」
エイベルの自問自答に、トーマは頷いた。
トーマは【迷宮】特化の【猟兵】である。この世界の色んな地域を旅歩こうとすれば、行程を踏破するための様々な技術や知識を身に付けていかなければならない。
そのため、もともと【大浄化の祝祭】の後、【大樹海】の北にある【ナリスの街】にいるケイズの友人に教えを乞う予定であった。
その後、話を続けようとするエイベルであったが、司教執務室のドアからノックの音が響いてきた。エイベルの表情も露骨に引きつっていたのが、トーマにとっては印象的であった。




