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南歴302年 十一ノ月 【東の国】【ファルベーレルの小迷宮】(1)

 トーマは【落人】である。

 市内の私立高校への通学途中に、交通事故に巻き込まれたところまでしか日本にいる記憶はない。正直、共働きの父母、出来の良い弟に囲まれ、中学・高校とも気の合う友達がいなかった生活には、あまり未練を感じていなかった。


(むしろ、逃げ出したかったかなあ…)


 一言では言い表せない、苦い思い出の数々が脳裏に過る。

 とはいえ、剣と魔法はあっても、ネットもゲームも水洗トイレもない、この世界が快適とは言い難かった。ただ、人間というのは、結構、置かれた環境に順応するものだとも何とはなしに実感できるようにはなってきた。


(この適応性が、日本にいたときに反映できていればなあ…)


「おい、トーマ。ぼーとしてるとケガするぜ」


 軽く叱責された。

 トーマは、今、【ファルベーレルの小迷宮】の地下2階に、隊長のケイズとともに潜んでいた。

 チチチチと大灰鼠の甲高い鳴き声が聞こえてくる。

 湿度は高い。壁面には多量の緑苔と少量に光苔に覆われ、薄明るい空間となっている。

 床は石畳で敷き詰められており、多くの魔獣と【探索者】が日頃から行き交っているため、苔は剝がれている。

 階層の高さは約8m。いわゆる【大迷宮】の高さと同じである。


 暫くして、ケイズが「行くか」と囁いた。

 トーマは小さく呪文を呟く。ケイズとトーマへの身体強化の術式が起動した。

 腰の片刃剣を抜き、ケイズが駆け出す。トーマも後に続く。

 5匹の大灰鼠をケイズがほぼ瞬殺し、かろうじて息のあるものもトーマが止めをさした。鼠といっても、鋭利な歯牙を持つ体長80cm程度の魔獣である。腕や足の筋を食い千切られれば、その時点で、人間は戦う術を失ってしまうだろう。また、麻痺性の毒を有する個体もあり、かすり傷であっても注意しなければならない、そのような魔獣を一瞬で無力化してしまうケイズの力は尋常ではないものであった。


 二人は、周囲に魔獣がいないかを確認し、支援を求めていた3人パーティのもとまでいった。

 どうにも、一人が鼠に噛まれ、意識が朦朧となっている。

 トーマは、その怪我をしている者に薬草を含ませ、呪文を唱える。

 そして、首筋に指をあて、体温と脈を確認した。


「す、すまねえ…」

「大丈夫ですよ、今、どこにいるかわかりますか?」

「地下2階だ、鼠に噛まれちまった、油断したぜ…」


 トーマと怪我人との受け答えがはっきりしたものであったため、パーティの残りの2人もほっとした表情だ。


「今なら、周囲に敵さんもいない様子だ。支援するから、迷宮の外にでよう。」


 怪我人1人を抱えながらでも、無事戻れるとケイズは判断したらしい。

 魔石もケイズが確保したようだ。大灰鼠の体はすでに【迷宮】に取り込まれていた。

 ひと固まりとなった3人パーティにケイズ、トーマが寄り添う形で、5人は帰路についた。




【ファルベーレルの小迷宮】は、【大樹海】の東端に位置する迷宮である。

 小迷宮と称しているものの、近年、活性化が著しい【迷宮】の一つであり、階層は3階層で、区画は【大迷宮】と同じく1階層あたり8×8の64区画で構成されており、かなりの規模の【迷宮】となっている。

 そのため、初級者から中級者にかけ、【探索者】が潜る【迷宮】として、多くの人々が集まっており、その【門前街】もかなりの人口規模となっており、経済的にも繁栄している地域である。

【迷宮】の出入り口は二重の石門となっており、門の付近に兵の詰め所があった。

 一般的には、この規模の迷宮の場合、魔獣が地上へ這い出る可能性を考慮し、手厚く兵が配置されるところだが、ここ数年の【探索者】の数を鑑みると、魔獣が這い出てくる可能性はほぼ皆無のため、詰め所には【衛兵】と、【探索者】から支援要請があった場合に対応する【猟兵】の、7~8人しか常駐していない。


「それじゃ、引き続き巡回にいってきます。」

「単独巡回なら、2階層までだぞ、わかってるな。」

「了解です、隊長。それじゃ行ってきます。」


 3人パーティを連れ戻った後、トーマは再び小迷宮へ向かう。

 詰め所にいた同僚たちも、やや呆れ顔でトーマを見送る。

 支援した3人から「礼金」を受理する手続きをした後、ケイズはソファに腰かけ、けだるそうに数回肩を回していた。


「隊長、肩コリが厳しいんですか、もしかして四十肩ってやつです?」

「しょうがねえだろう、もうそんな歳なんだから」

「それにしても、トーマは元気ですね。しかも成長も早い。この3年、あいつはずっと地下に潜っている感じですね。さすがは隊長の従弟って感じで。」

「【猟兵】に血筋っていうのは関係ないと思うけど。まあ、【支援の加護】持ちだからこそ、いきなり【猟兵】なんかやらせてるんだけどね。」


 そう言って、ケイズは部下が運んできた紅茶を口につけた。




(本当は、女神様から「あなたを転生させるに当たって、特別な加護を授けますわ」なんてイベントがあれば良かったのに)


 どうでもいいことを考えながら、トーマは迷宮を進んでいた。

 トーマは中肉中背の体躯で、決して運動神経も良いとは言えない類の人間であった。しかし、この世界に落ちてきた折に【支援の加護】を受けている。

 この世界には様々な加護があり、複数の加護を持つ人間もそう少なくない。トーマの持つ【支援の加護】は、付近にいる仲間達の能力をやや向上させるという能力だ。また、明らかな敵意や救助を求める声や感情を把握する力も付随する。そのため、この【迷宮】内の多くの区域を、具体的に視覚的にイメージできることにより、支援を求める感覚を把握することができる。


【迷宮】とは魔石を生み出すところだ。

 それ故、魔石を回収する【探索者】と、それを支援する人々-【猟兵】もそれに含まれる-は、この世界にとって重要な役割を持っている。

 トーマは、この世界に落ち、右往左往しているところをケイズ達に拾われた。それはまるで、これまでの不運の全てを取り返す程の幸運だったに違いない。その意味で、トーマは神を信じている。


(まあ、信じているのは八百万の神様方なのかも知れないけどね。)


 獲物を求めて這い出てきた青蚯蚓を先んじて剣で突き刺しつつ、トーマは巡回を続けていた。

 先方で争いの気配がした。

 十数匹の大灰鼠と、4人パーティだ。

 雰囲気を探る。ややパーティが押されている。

【猟兵】として、トーマは、対魔獣支援の体制に入る。どこまで支援するかの判断は、原則、【猟兵】に委ねられているが、実際には、戦闘の後、得られた魔石の取り分で揉める事も多い。

 当然ながら、【猟兵】は、国の兵士としての位置づけにあるため、支援を受けた【探索者】側から見れば、公の支援は当然であるという認識も多少ある。その上、質の悪い【猟兵】の中には、明らかに優勢である【探索者】側に加勢し、戦闘が終結した後、「礼金」を求めるという輩もいる。


「猟兵だ、魔石はいいので、支援しよう。」

「助かる。少しはお分けするので、手伝ってほしい。」


 トーマは、無償でも構わないので支援を行う類の【猟兵】だ。それは、一定の報酬よりも、戦闘や戦闘支援の経験を欲しているためである。トーマは、この3年間、誰よりもこの【迷宮】に潜り、自身のレベル向上に努めていた。

【ファルベーレルの小迷宮】の【探索者】達は、そういうトーマの姿勢を知っており、好ましく感じていたため、無報酬で支援を受けるという者はほとんどいなかった。

【探索者】達の回答を聞き、少し微笑んで、トーマは身体強化の術式を起動させた。


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