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【王都】は、【大迷宮】と共にある。
【大迷宮】を管理してこその王であり、実務上の責を負うものが、【貴族】と【教会】であろう。
遥か昔、【王城】と【大迷宮】を結ぶ区域が街の中心を形成し、周辺地域からの攻撃を防ぐために、堀や壁を築いて市域を確定した。
【大迷宮】からの魔石を資源として活用できる-文明や文化が発展する-ようになると、市域と周辺区域との争いが散発的になり、市域を中心として、アメーバ状に市域が拡大化していった…
それが、【北の国】と【東の国】の在り様であった。
【東の国】の場合、運河として仕切られた区域が、およそ6km四方の範囲となっており、その運河は【清き大河】に流れ出ている。
その区域の中で、特に【大迷宮】の周辺は、様々な人々が暮らしを重ね、建物も増築と解体を繰り返し、その路地も迷路のようなものになっていった。そのため、これを【旧市街地】という。
南北で約2km、幅は約1kmの規模である。
そこに、何者かに襲われたトーマとティルは逃げ込んでいた。
はじめに絡んできたのは7人。しかし、【旧市街地】に紛れ込んでも、要所に敵の気配が立ち込めており、トーマは、外が暗くなるまで待つこととした。
逃げ出したときに、背後から切り付けられ、右肩から背に向けて軽い切り傷をトーマは負ってしまった。ティルは、足は決して遅くはなく…そして、早くもない。
【身体の加護】をずっとトーマ自身とティルに講じていたからこそ、先んじて逃げ出すことができたのだろう。
「でも、【大聖堂】に向けて、逃げた方が良かったんじゃないの?」
「そうすると、周りの人が巻き込まれてしまう。住民の皆さんに怪我を負わしたのでは、何のための【神職】の【治癒士】なのか…」
そういって、【神官】ティルは目を伏せた。
【旧市街地】への逃走を企図したのはティルである。それは、トーマに怪我を負わし、さらにトーマを未だ何らかの危険に晒している。はじめに、人混みの中…【大聖堂】の方面に向けて逃げていれば、道を行き交う人々の誰かが巻き込まれ怪我を負ったにせよ、その傷はおそらく軽く、そして、そこから敵は襲ってくることはできないため、トーマもティルも安全に【大聖堂】まで戻れていたであろう。
トーマは、軽く右肩を回し、違和感がないか確認していた。
トーマ自身の治癒術より、ティルの治癒術の方がはるかに高度である。人体構造を意識しながら治癒の術式を講じる【治癒士】の治療は、やはり、【猟兵】のものとは比べものにならないくらい、緻密なものであった。
傷自体も比較的、軽いものであったのだろう。トーマにとって、今後、戦闘になっても差し支えはなかった。
ところで、トーマは人に対して刀を向けたことはあまりない。
【迷宮】で猟兵をしている以上、基本的に相手は魔獣である。ただ、【迷宮】に挑む【探索者】同士の揉め事に巻き込まれることもあったり、切り付けられたり、その相手を封じたりということは、多少ながら、経験せざるを得なかった。
露店で買った肉を、トーマは頬張っている。ティルは少しパンを齧っただけだ。
ティルの白地の外套はさすがに目立つので、トーマは自分の外套をティルに被せ、商店で安物の外套を2つ買い、自分とティルで羽織った。
何等の攻撃を受けた外套と【教会】の外套のかわりに新たな外套を買い求める客。当然ながら商人は怪訝そうな顔をしていたが、ティルが少し青い顔色ながら微笑むと、事情を聴くことなく外套を売ってくれた。
本当は、どこか店の中で日が暮れるまで、時間を稼ごうと思ったが、万一、その店に追いつめられたとき逃げ場がなくなるため、路地に紛れておくことにした。
トーマは、敵意を感じることができる。
ただ、ここは【迷宮】と違い、人々が行き交う【旧市街地】。その敵意が自分達に向けられているものかは、単に【支援の加護】だけでは判断がつかない。なので、少しずつ移動しながら、いかなる敵意に対しても気を配っていた。
「ティル、とりあえず俺のことは気にしないでいいから。」
「でも…」
「念のため、暗くなるまで待ったし。これだけ暗いと、多少、相手の数が多いとしても、もう夜陰に紛れてすり抜けられる。」
「そう…かしら。」
「うん、捕まえる側の身になってみて。何百人も追っ手がいるわけじゃない。【旧市街地】には人の往来も多いし、閉鎖もできない。暗いし、往来する人を見分けるには、相当の労力がいる。」
「確かに。捕まえようと思っても、かなり、難しい…。で、でも、私、トーマに怪我させてしまった…。」
「ちゃんと治してくれたから、貸し一つでいいよ。」
ティルはかなり落ち込んでいた。
実際のところ、最初に絡まれた際、その逃げ場所を人混みか【旧市街地】かという場面において、【旧市街地】を選んでいた。それは、周囲の人々や【教会】の役割を、自分はともかく、トーマの命よりも重きを置いた行為である。そして、現に、ティルを庇ってトーマは剣で切り付けられた。
「一応、日々の講習の報酬として、ティルの護衛役を務めているので、本当は、貸し借りはないんだけどね。最近の【北の国】や【森の人】のお話も面白かったよ。」
「私、トーマがきちんと聞いてくれてるから、ある意味、手が抜けないというか…」
「それって、もしかして、ちょっと迷惑っていう意味?」
「そうじゃないの。でも、真剣に聞かれていると、ミスしてはいけない…とか思ってしまうし。で、でも、話甲斐もあるんだよ。」
彼是、1か月近く、孤児院での啓蒙活動に同行していたし、その行き来でティルに様々な事を尋ねることができた。-それはティルが、トーマの事を【落人】であることを知っているからであるが-
トーマもまた、ティルの求めに応じ、少しではあるが元の世界の話をした。そんな話はユーナとしか、したことがなかったため、トーマ自身、心理的にティルを身内にように感じてしまっているのだろう。




