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プリンセスコード  作者: 烏屋マイニ
魔王の復活
9/46

9.シャルル

「彼なの?」ジャンはカトリーヌに小声でたずねた。

「ええ、そうよ。びっくりした?」

「何をこそこそ言っている。二人ともさっさと座れ」王が命じた。

 侍従は王のすぐ脇の椅子を引き、ジャンに目を向けた。ジャンはマントを侍従に預けて椅子に座り、カトリーヌは彼の隣りに腰を降ろした。異国の少女がジャンの正面にいた。頬を染め、微笑みをくれる彼女を見てジャンは驚いた。年の頃は彼と同じくらいだが、蜂蜜色に近い金髪や愛らしい顔立ちが、アランによく似ていたからだ。

「殿下」と、シャルルは異国の少女に目を向けた。「こちらの少年は吾輩の甥っ子のジャンだ。いささか事情があって長らく国を離れていたが、嬉しいことに今夜こうして帰ってきてくれた」

 甥っ子? ジャンは思わず聞き返そうとするが、カトリーヌに脇腹を突かれ開きかけた口をつぐんだ。どうやら、まだ質問は許されないらしい。いずれにせよシャルルは王である上に、カッセン大佐のような伯父の友人ではない。邪魔をして機嫌を損ねないよう、注意を払った方が良いだろう。

 王の紹介は続いた。「彼の隣のご婦人は、カトリーヌ・カステラ嬢。使いっ走りから護衛までこなす、吾輩の有能な雑用係だ」

「ちょっと、陛下」カトリーヌは眉を吊り上げた。「もうちょっとましな紹介はできないの?」

 敬称を使ってはいても無礼千万なカトリーヌの物言いに、ジャンは王を怒らせるのではないかとはらはらした。しかし、彼の心配をよそに、王は眉をひそめた以外、腹を立てる様子もなかった。

「だから、有能なと付けてやっただろう。いちいち文句を言うな」シャルルは言って、ジャンに目を向けた。「君の目の前におられる姫君は、我がアルシヨンの最も新しい隣国、イゼル王国が王女、スイ殿下だ。そして隣のご婦人は殿下の侍女で、クセ嬢」

 二人の異邦人はお辞儀をし、ジャンとカトリーヌも同じように頭を下げた。

「あの、陛下」子猫のような愛らしい声で、スイが言った。「ひょっとして、この方が?」

「うむ」シャルルは頷いた。「今はまだ、ただの少年に過ぎないが、近々吾輩は彼を皇太子として宣命するつもりだ」

「まあ」スイは顔を真っ赤にして頬に両手を当てた。彼女は侍女に目を向け言った。「どうしよう。こんなに素敵な殿方が私の旦那様だなんて」

「殿下、声に出ていますよ」クセ嬢は微笑みを浮かべて言った。しかし、目は笑っていなかった。

 スイは慌てた様子で口を塞いだ。

 ポーレットの蔵書に出てくるお姫様とは、まるで印象が違う彼女を、ジャンは驚きを持って見つめた。彼が知っているお姫様は、大抵があり得ないほど美しい反面、お高くとまっているか、残虐か、永遠の悲しみにうちひしがれているかのいずれかなのだ。可愛らしい姫君を、しばらく好ましく思って眺めていたジャンだが、そのうち彼女の言葉に無視しがたい単語が含まれていることに気が付いた。旦那様ってなんだ?

 スイがジャンの視線に気付き、アーモンド型の青い目を見開いて彼を見つめてくる。ジャンは何か言うべきか迷い、結局、高貴な女性に掛ける言葉を何も思い付かなかったので、ただ笑顔を返した。姫はますます目を大きく見開き、顔を真っ赤にしてうつむいてしまった。

「君は何も事情を知らないのだろう?」シャルルはジャンに、こっそりと耳打ちした。「後で出来る限りの説明をするから、この場は吾輩に話を合わせてくれ」

 ジャンが頷くと、王は彼の背中を軽く叩き、唇の端をちょっとだけ曲げて笑みを浮かべた。どうやら、この王様も本に登場する王様とは少し違っているようだ。

 それから彼らは、談笑を交えながら豪勢な夕食を堪能した。王や王女と言った高貴な人たちが、意外に気の置けない人柄だと知ってジャンは少し安心したが、それでも王に頼まれた手前、彼の血縁らしく振舞おうと気を張り続けた。幸いなことに、侍女は王女がへまをしでかそうとする度に小声で彼女をたしなめる以外、ほとんど口をきかなかったし、スイにあれこれ聞かれた時はジャンが返答に困る前に、シャルルとカトリーヌが援護に回ってくれた。ジャンはただ、自分からは話し掛けようとせず、話題を向けられたら注意深く話を聞いて、相槌を打つだけでよかった。そうして食事が終わると王女は侍女を伴い、上機嫌で食堂を去った。

「やれやれ」客人が去るとシャルルは、だらしなく椅子に背をもたれた。「高貴な方々を相手にすると疲れるな」

「あのねえ、シャルル。この食堂の中では、あなたが一番偉いのよ?」カトリーヌが指摘した。

「だが、世界で一番偉いわけではない」シャルルはむっつりと言った。彼はジャンに目を向けた。「いきなり、こんな所へ連れてきて悪かったな。色々と戸惑うこともあっただろう。何か聞きたいことがあれば、何でも聞いてくれ。答えられることには、全て答えよう」

 ジャンは考え、真面目な顔で言った。「どんな質問が答えられないのか、教えてください」

 シャルルは鳩が豆鉄砲を食らったような顔をした。「君は母親そっくりな口をきくな」彼は笑い出し、細めた目でジャンを見つめた。「マリーはどうしている。長らく音沙汰が無くてずっと心配していたんだ」

 それが自分の母親の名前だと気付くのに、ジャンには数拍の間が必要だった。「母さん……えーと、母は十年前に亡くなりました。それ以来、僕は伯父のヴェルネサン伯爵に育てられたんです」

「なんと」シャルルはショックを受けた様子で瞑目した。彼はしばらくそうしてから、ふと目を開け小さくため息をついた。彼は同情に満ちたまなざしをジャンに向けた。「彼女は吾輩と君の父上の、共通の友人だったのだ。本当に残念だよ。しかし、どんな経緯いきさつでマルコが君を育てることになったんだ?」

「よくわかりません」

「まあ、彼は君の親戚なのだから、そうする義務があるのはわかる」シャルルはしばらく考え込んでから、何かを思い付いたように顔を上げた。「マルコと君の母上の関係は知っているかね?」

「はい。伯父は、母の従兄だと言ってました」

「なるほど、そう言う事か」シャルルはぶつぶつ言って頷いた。「実を言えば、吾輩は君の父上の弟なのだ」

「陛下が?」ジャンは目を丸くした。

「まあ、母親は違うがね。それでも、君の叔父には変わりない」

 マルコの家族以外にも親戚がいると言う事実にジャンは驚き、それを嬉しく思った。しかもシャルルは名前さえ知らない父の弟で、母の親友なのだ。きっと彼はジャンの知らない二人の事を、たくさん知っているに違いない。

「ちょっと待て」シャルルはすがめた目をカトリーヌに向けた。「どうやって、マルコのもとからジャンを連れ出したんだ。どう説得したところで、彼がそんなことを許すはずがないだろう?」

「そうね」カトリーヌは肩をすくめた。「だから誘拐したの。きっと彼、今頃はかんかんに怒ってるに違いないわ」

「なんてことだ」シャルルは頭を抱えた。しばらく経って、彼は気を取り直したように顔を上げた。「すまなかった、ジャン。吾輩はてっきり、君がマリーと暮らしていると思っていたのだ。彼女なら事情を話せば、喜んでとまではいかないだろうが、きっと君を王都へ連れて行くことに反対はしなかったはずだからな。しかし、相手がマルコとなれば話は別だ」彼はうんざりした様子でため息をついた。「カトリーヌ。ジャンは剣王について、どれくらい知っている?」

「先王陛下と同一人物だと言う事までかしら」カトリーヌは答えた。「それ以外のことについて、私から説明したことは何もないわ」

 シャルルは頷き、再びジャンに向き直った。「他には?」

「剣王アランは魔王討伐へ出かける前、彼の手柄を口実にして馬鹿な事を考える連中が出て来ないように、この国にいた痕跡を消そうとしました。それから、自分の代わりに王様になることを渋った陛下を説得しようとして、玉座を剣で真っ二つにしたと聞いてます」

「それは、マルコに聞いたのか?」

「はい。それと、カッセン大佐です」

「すると吾輩が、驚いて広間にひっくり返った話も聞いたのだな?」シャルルは情けない顔をした。

「それは知りませんでした」

 カトリーヌがくすくす笑い出し、シャルルは彼女をじろりと睨んで、それを止めさせた。彼はジャンに向き直った。「それはともかく、我々は未だに剣王との約束を守ろうと努力をしている。そして君の父上は、誰よりも剣王に近しい人物だったから、君の出生に関わる多くの事実についても、吾輩の口から語ることはできない。まずは、そのことを承知してくれ」

「はい、陛下」ジャンは頷いた。「でも、その約束は、メーン公爵がめちゃくちゃにしてしまったと聞いています」

「そうでもないさ」シャルルは肩をすくめた。「彼が議会でしゃべったことは上っ面だけで、しかも半分くらいは間違っているのだ。剣王と先王が同一人物だとみなに知られたのは痛いが、肝心な秘密はまだ守られている。つまり、約束もまだ有効と言うわけだ」彼はぎゅっと顔をしかめて続けた。「剣王との約束には、身を隠した彼の親戚や友人や支持者たちと、王室の接触を禁じると言うものもある。これは吾輩が玉座をなげうって、彼らのうちの誰かにそれを譲ろうなどと考えないようにするために、半ば無理やり押し付けられたものだ。それでも約束は約束だから、マルコは何としてもそれを守らせようと考えるだろう。吾輩と君が会ったことを知れば、きっと彼は鞭を持ってきて吾輩の尻を引っ叩くに違いない」

 カトリーヌは言っていた。これから、あたしたちがしようとしていることに、あなたの伯父さんはきっと反対する――と。それはつまり、シャルルが剣王と交わした約束のためなのだ。

「それに君のおじさんは、吾輩を嫌っているのだ」シャルルは苦笑いを浮かべた。「そして彼はマリーを娘のように大事にしていたから、彼女の息子である君を吾輩に会わせたくなかったのだろう」

「でも、陛下は母と手紙のやりとりをしていたんですよね?」ジャンは指摘した。

「うむ」シャルルは頷いた。「それについては、吾輩が剣王に泣きついたのだ」

「泣きついた?」

「そうだ」王は重々しく頷いた。「吾輩の数少ない友だちを奪わないでくれと、文字通り涙を流しながら彼がうんざりするまで頼み込んでやった。マリーの口添えもあって、剣王はしぶしぶそれを認めた。ただし、マリーと君の居場所を互いに聞いたり教えたりしないと約束させられたがね」

「よっぽど母さんが好きだったんですね」ジャンは思わず口元をほころばせた。

「彼女を嫌いでいられる人間など、この世にはおらんよ」シャルルは片目を閉じて見せた。

 ジャンは、カトリーヌがほのめかしたことを思い出した。「陛下。カトリーヌから聞いたんですが、陛下は何か預かりものをしていて、それを僕に渡そうとしているそうですね?」

「その通りだ」シャルルは認めた。「その前に、君と私が親戚同士だと言う事はわかってくれたな?」

「はい」

「そして吾輩には子がいない。つまり、この国には皇太子が不在なのだ。世継ぎがいないと言うのは、政治的にも外交的に非常にまずい状況でな。そこで吾輩は、甥っ子である君を養子に迎え、皇太子に叙任するため、カトリーヌたちに君を捜索させた」

 ジャンはぎょっとした。皇太子と言えば、つまり王子だ。最近になって彼は、自分がヴェルネサンの伯爵の甥っ子であることを知り、そしてつい今しがた王の甥っ子でもあると言うことを知った。確かに血筋だけみれば立派だが、ほんの数日前まで彼はただの農家の子供だったのだ。王子などできるはずがない。「あの、それが預かりものですか? だとすれば、僕は受け取れません」

「まあ、話は最後まで聞け」シャルルは眉間にしわを寄せて言った。「実を言えば吾輩はまさに今、外交上の問題を抱えているのだ。先ほど君も会った、スイ殿がそうだ」

「彼女が?」

 シャルルは頷いた。「君は、魔界について何か知っているか?」

「はい」ジャンは頷き、カッセン大佐の執務室で伯父が話した内容をそっくりそのまま話した。魔界とは、蛮族が棲む王国の北に広がる荒野で、剣王の仲間を除けば足を踏み入れて戻って来られた者はいないと言われる物騒な地域だ。それが、彼女とどんな関係があるのだろう。

「彼女は、その魔界に新しく建った王国の姫なのだ」

「はあ」

 甥っ子の気の無い返事に、シャルルは片方の眉をぴくりと動かした。「驚かないのか?」

「驚くことばかりで、もう何に驚けばいいのかわからなくなりました。たぶん、彼女が本当は魔物だって言われても、そんなにびっくりしないと思います」

「さすがに、それはないな」シャルルは苦笑した。「ともかく、イゼル王国は新しい国で、国情は非常に不安定なのだ。王の治世にいちいち異を唱えるものや、王を殺して自分が玉座に着こうと考えるもの、そして魔王の復活を願う狂信者が跋扈している有様だ。イゼルの国王ゼエル殿は、隣国であるアルシヨンを後ろ盾に国内を平定しようと考え、一年ほど前に密使を寄越してきた。なんと言ってもかの国の人たちは、魔王を打ち滅ぼして自分たちをその支配から解放した剣王を、まるで神のように崇敬しているからな。彼の祖国であるアルシヨンの名は、大きな影響力を持っているのだ」

「それじゃあ剣王が先王陛下だって、彼女たちは知ってるんですね」

「うむ。いくつか誤解もあったが、彼について吾輩が知っていることと、ほとんど違いはなかった。ことによると、魔界で姿を消したと言われている剣王その人から、それらの知識を得たのではないかと吾輩は考えている」

 ジャンはなんとなく、剣王が魔王との戦いの果てに死んだのではないかと考えていた。物語は、そんな悲しい結末を受け入れたくなかった作者が、英雄は美しい姫と言う報奨を得て末永く幸せにくらしました、めでたしめでたし――に作り変えてしまったのだ、と。しかし、シャルルの考えが正しければ、今も魔界のどこかで剣王が生きている可能性すらある。

「ともかく、吾輩とゼエル殿は密かに使者を交換しあい、互いの損得と友情を確認して、双方の王室が親戚同士になることこそ、互いの利益になると考えるようになった」

「それって、みんなに内緒でこそこそやらなきゃいけないことなんですか?」

「無論だ」シャルルはきっぱりと言った。「この国の人たちのほとんどは、魔界を君が先ほど説明した通りの姿だと考えている。おかしな偏見で使者たちに危害が及んだり、交渉そのものに横槍を入れられたりしてはかなわんからな。後戻りができないぎりぎりのところまで、事は秘密にしなければならないのだ。まあ、君の立太子礼と同時に、スイ殿との婚約を発表するのが、一番都合がいいだろう」

「婚約?」王女が口走った「旦那様」と言う言葉は、そう言う意味だったのだ。「僕が?」

「びっくりしないんじゃなかったか?」シャルルが意地悪く言った。

「魔物よりひどい」ジャンはげんなりした。王子になれと言われたばかりか、外国のお姫様との結婚まで強要されるとは思いもよらなかった。

「しかし、彼女はとても可愛らしいお嬢さんだ。君だって悪くは思わないだろう?」

「それは、そうですけど」ジャンは言ってしまってから顔を真っ赤にした。「それじゃあ、預かり物って言うのは?」

「彼女のことだ」シャルルは頷いた。「いや、まったく、ゼエル殿の皇太子の嫁にしてくれと言う手紙と一緒に彼女が来た時は、本当にどうしたものかと悩んだものだが、どうやら向こうも君を気に入ったようだし、これで吾輩も一安心だ」

「僕はまだ、王子になるなんて言ってません」ジャンは慌てて言った。

「君も往生際が悪いな」シャルルは眉をひそめた。「もれなく美しい姫が付いて来ると言うのに、何が不満なんだ」

「僕はずっと農家の子供として育ってきたんです。僕なんかより、もっと王子様に相応しい人が他にいるんじゃないですか?」

「生憎と王位を継げるような親戚は、君の他にいないのだ。しかし、農家の子供だと? 君はヴェルネサン伯爵に育てられたのではないのか」

「僕はつい最近まで、おじさんをこの国で一番腕のいい農家だと思ってました」

「すると君は」シャルルはあ然とした。「貴族の子弟が受けるべき教育を、何一つ受けていないと言うのか」

「貴族の教育がなんなのかは知りませんが、読み書きと礼儀作法と、野良仕事は教わりました」ジャンは少し考えて付け加えた。「でも、剣の使い方は知りません。貴族はみんな習うことなんですよね?」

「そうだな」シャルルは考えた。「まあ、その辺は追々でどうにかなるだろう。スイ殿の相手を見事にやってのけたのだから、礼儀作法も問題無さそうだ。後は、ダンスだな」王はいくばくかの期待を込めてジャンを見た。

 ジャンは首を振った。

「わかった。教師を用意せねばならんな」

 ジャンは考えた。どうやらシャルルは、なにがなんでもジャンを王子にしたいらしい。とにかく、今は時間が欲しかった。この縁談を取り消すのは難しいかも知れないが、引き延ばしにする口実なら作れるだろう。「でも陛下には、そんなことをしている暇はないと思います」

「ほう?」シャルルは首を傾げた。

「差し迫った問題があるんです。それも、二つも」

「もったいぶらずに、早く話せ」

 ジャンは頷いた。「メーン公爵が謀叛を企てています」

「無論、証拠はあるんだろうな?」

「いいえ」首を振った。シャルルが口を開き掛けたので、彼は素早く続けた。「僕たちが聞いたのは、公爵が王都に傭兵を集めているという情報だけです。でも伯父は、それを公爵がやぶれかぶれの行動に出たものだと考えました」

 シャルルは難しい顔で考え込んだ。しばらく経って、彼は口を開いた。「議会の勢力は拮抗している。正直、結果がどう転ぶかわからない状況だ。彼が思い切った行動に出る可能性も、あり得ない話ではない」王は素早くカトリーヌを見た。「どう思う?」

「そうね」カトリーヌは考え考え言った。「公爵にあきらめた様子はないわ。いまだに賄賂をばら撒き続けているし、それだけを見れば彼が一か八かの行動に出るなんてちょっと考えにくいわね。でも、ジャンの話が聞き捨てならないのも事実よ」彼女はジャンに目を向けた。「マルコが王都へ行こうなんて考えた本当の理由は、そのせいね?」

 ジャンは頷いた。「おじさんは、最初にカッセン大佐と会った時は、村へ帰るつもりでいたんだ。でも、クーデターの噂を聞いて、カラスにそれが間違った話じゃないことを調べさせた後は、すっかり王都へ行く気になってた」

「それは立派な証拠よ」カトリーヌは言った。「さっき、シャルルが言ったことを思い出して。マルコが王都へ来てシャルルと会ったりしたら、彼は自分から剣王との約束を破ることになるの。嘘か本当かわからない話を聞いただけで、剣王の忠臣の彼がそんなことをしようなんて考えるとは思えないわ」

「吾輩も同じ意見だ」と、シャルル。「カトリーヌ。どうにかして、公爵が集めていると言う傭兵たちを押さえられないか? 彼が右手をさっと振り上げた時、鳩の一羽も飛びださなかったらどんな顔をするか、我が輩はちょっと見てみたいのだ」

「あら、それは面白そうね」カトリーヌはにやりと笑った。彼女はジャンを見た。「でも、傭兵の情報なんてどこから手に入れたの?」

 ジャンはトレボーで起きた誘拐事件について話し始めた。カトリーヌには、すでに馬車の中で話した事だが、いくつか端折った部分もあったし、何よりこの件についてシャルルは何も知らないから、彼はユーゴのことも含めて、できるだけ詳しく語った。

「出所はギャングだったのね。それなら納得だわ」カトリーヌは頷いた。

「どうして?」ジャンはたずねた。

「傭兵も含めて、仕事を欲しがってる食い詰め者には犯罪者くずれが多いのよ。ギャングたちは、そう言った連中から手数料を取って仕事をあっせんしてるの。だから、雇い口の情報には敏感になるってわけ」

「お前もトレボーにいながら、なぜその情報をつかめなかったのだ?」シャルルが言った。

「裏社会とのパイプが無いからよ」カトリーヌは肩をすくめた。「努力はしてるけど、こう言う事には時間が必要なの。なんと言っても、あなたのスパイ組織は作られて間もないんだから」

「しかし、ユーゴとか言う密偵も、吾輩を支持する貴族の密偵なのだろう。吾輩の甥っ子をさらったギャングの一味に紛れ込んでいたのなら、その辺りのコネはすでにあるのではないか?」

「ユーゴは、あなたの密偵じゃないわ。彼の雇い主はブルネ公爵よ」

 途端に、シャルルは渋い顔をして言った。「なるほど」

「誰なの?」ジャンはカトリーヌにたずねた。

「アルマン・ロスタン、国務卿よ。彼は、お役人を取り仕切って国を動かしてるの。国を馬車に例えるなら、シャルルと議会は御者で、国務卿とお役人たちは馬にあたるわね。馬車は御者がいなくても勝手に動くけど、馬がいなかったら石ころと変わらないでしょ。つまり、それくらい偉い人ってことよ」

「王様よりも?」

「そうね」カトリーヌは認めた。「でも、彼が威張っていられるのは、シャルルが彼を今の役職に任命したからなの。だからこそ、彼はシャルルを支持する国王派についてるってわけ。別に、シャルルのことが大好きでそうしているわけじゃないわ」そう言ってから彼女は口をつぐみ、何やら考え込んでしまった。

「それなら、いっそ自分が王様になればいいのに」ジャンは言った。

「吾輩もそう思う」シャルルが熱心に同意した。「しかし、残念ながらそれは無理なのだ。王になれるのは、王の血筋にある者だけだからな。吾輩としては、さっさと玉座を降りて隠居生活を楽しみたいのだが」

「だからって、それを僕に押し付けるのはやめてください」ジャンはむっつりと言った。

「頼むよ、ジャン」王は懇願した。「吾輩はもう、王冠にもローブにもうんざんなんだ」

「今はどっちも着けてないじゃないですか」

「当たり前だ」シャルルは鼻を鳴らした。「あんな重い物を普段から着けていられるわけがなかろう」

「ちょっと、二人とも。考えてるんだから静かにして」カトリーヌはぴしゃりと言った。

「何をだ?」シャルルが訊いた。

「ブルネ公爵の狙いが、さっぱりわからないのよ」カトリーヌは首を振った。「ジャンは二度も誘拐されかけて、そのどっちにもユーゴが絡んでるわ。つまり、誘拐は公爵の差し金ってことよね。でも、なんのために?」

「陛下が僕を捜してると知って、気を利かせたとか?」ジャンは何とはなしに言った。

「いや、あれはそんなたま・・ではない」シャルルは首を振った。「そもそも吾輩は、君の捜索をカトリーヌたちにしか命じていないのだ」彼はカトリーヌに目を向けた。「アルマンを問い詰めてみようか?」

「それこそ、正直に答えるようなたま・・じゃないでしょ」カトリーヌはため息をついた。「ひとまず彼が、尻尾を出すまで放っておくしかないわね」

 シャルルは熊のようにうなって考え込んだ。しばらく経って、彼はふとジャンに目を向けた。「もう一つの問題とはなんだ?」

 ジャンは頷き、いくぶん抑えた声で言った。「ディボーに魔物の大群が現れました」

「馬鹿な!」シャルルは勢いよく立ち上がった。彼の後ろで椅子が大きな音を立てて転げ、モランが歩み寄り、流れるような仕草でそれを起こした。「剣王が魔王を倒して、魔物たちも姿を消したはずだ。事実、十年前から王都の周辺では魔物など一匹も見かけておらん」

「あたしも聞いたときは信じられなかったんだけど、たぶん本当よ」と、カトリーヌ。「少なくともカッセン大佐はそれを信じているし、ディボーにいた密偵との連絡がすっかり途絶えてることも、それで説明がつくもの」

 シャルルはどすんと椅子に腰を降ろした。「それでは、なぜ大佐からなんの報告も無いのだ?」

「ジャンの見立てだと、メーン公爵がこの情報を握りつぶせないように、公表するタイミングを見計らってるってことになるわね。あたしも同じ意見よ」

「吾輩とて、こんなショッキングなニュースは握りつぶしたい」シャルルはむっつりと言った。

「あらまあ」カトリーヌは目を丸くした。「なんだって、そんな馬鹿げたことを考えるの?」

「馬鹿げてなどおらん。吾輩らは目下、魔界の王国と姻戚関係を結ぼうと企んでいるのだぞ。今までそれを支持してきた連中も、魔物が現れたと知ればゼエル殿の陰謀を疑って手の平を返すに決まっている」王はいらいらと指先でテーブルを叩いた。

 シャルルの様子を見て、ジャンは安堵した。彼としてはいくつかの心配事を持ち上げて、魔界の王女との縁談などと言う馬鹿げた話から、王の注意をそらしたかっただけなのだ。ところが、この話は思っていた以上の効果を及ぼしたようだ。しめしめと思っていると、カトリーヌが余計な事を言い出した。

「だったら、スイ殿下には被害者になってもらえばいいのよ。イゼルには魔王復活を目論む連中だっているんでしょ? そいつらが魔物を使って、交渉の邪魔をしているように思わせるの」

「できるのか?」シャルルは疑わしげだった。

「有能な雑用係を信じてちょうだい」カトリーヌは片目を閉じて見せた。彼女はジャンに向かってにやりと笑った。「悪いわね。そう言うことなの」

 ジャンは肩をすくめるしかなかった。

「ゼエル殿にも、この件を知らせた方がよさそうだな」シャルルはぐっと唇をかんだ。「口裏を合わせるためもあるが、今さら魔物が現れた本当の原因を探らねばならん」

「マルコは魔王の復活を疑ってるみたいだけど、それが本当なら大変だわ。もう、あたしたちに剣王はいないんだから」

「うむ」シャルルは頷いた。「もう一度、魔王を倒すとなれば、我々は軍を動かすしかない。その場合、イゼルとの同盟には大きな意味が出てくる。魔界を安全に行軍させるとなれば、ゼエル殿の協力は不可欠だからな」彼はジャンに目を向けた。「ことによると君とスイ殿の結婚は、国のみならず世界を救うことになるかも知れんぞ?」

 ジャンは魔王の復活と言う恐ろしい可能性が、彼らの思い違いあることを心底願った。

「そろそろ、ジャンを寝室へ連れて行くけど、構わない?」カトリーヌは言った。

「ああ、もちろんだ」シャルルは頷いた。「吾輩は、もう少し飲んでからベッドへ向かうとしよう。気持ちを落ち着けてからでないと、とても寝付けそうにない」

「ほどほどにしてよね」カトリーヌは眉を吊り上げた。「明日はきっと、マルコがジャンを返せって乗り込んで来るわよ」

「それを思えばこそ、ワインの力が必要なのだ」シャルルはむっつりと言って、ワインの入った杯を手を伸ばした。彼は、ふと笑みをジャンに向けた。「君にはひどい一日だったろうが、吾輩はなかなか楽しかったぞ」

「そうでもありません」ジャンは席を立った。「もう一人のおじさんに会えて、嬉しかったです」彼は侍従が渡してきたマントを受け取りながら言った。

「そう言ってくれると、吾輩も嬉しいよ」シャルルは杯を掲げ、片目を閉じて見せた。「おやすみ、ジャン」

「はい。おやすみなさい、陛下」

 食堂を後にした二人は、カトリーヌの案内で王宮の三階へとやって来た。長い廊下にずらりと並ぶ扉は、おそらく全て客間なのだろう。その中で、一つだけ鎧を着た衛士が立っている。彼はジャンたちが前に立つと脇によけ、扉を開けた。カトリーヌが廊下の壁から拝借した蝋燭で中を照らすと、そこは玄関ホールに負けず劣らず豪華な装飾が施されていた。彼女が数か所に置かれた蝋燭に火をつけて回ると、室内は驚くほど明るくなった。それでジャンは、金箔や水晶をふんだんに用いた室内装飾が、国家の権勢を誇るためと言うよりも、蝋燭の乏しい灯りを反射して室内を効率よく照らすための、実用的なものであることに気付いた。

「くれぐれも逃げ出そうなんて考えないでね」カトリーヌは釘を刺した。

「わかってるよ」ジャンはむっつりと言った。

「むくれないで」カトリーヌは笑って、ジャンの頬を軽く叩いた。「何か用がある時は、外の衛士に声を掛けてちょうだい。明日は王宮を案内してあげるわ」

「王様に色々約束してたみたいだけど、そんな暇あるの?」

「どうにかして作るわよ」カトリーヌは約束した。「それじゃあ、おやすみ」

 カトリーヌは出口の前で一度振り返り、手を振ってから部屋を出ていった。

 衛士が静かに扉を閉じたのを見て、ジャンは急いで窓に駆け寄り、鎧戸を大きく開け放った。星の位置から、ジャンたちが入ってきた王宮の入口と反対側に面していることがわかった。下を覗き込むと真っ暗で、ほとんど何も見えなかった。微かに水音が聞こえ、彼はおそらく噴水だろうとあたりを付けた。ジャンは窓を離れ、足音を忍ばせて出口へ向かった。そっと扉に耳を付け外の様子をうかがうと、ときどき衛士が身に着けた鎧の音が聞こえるだけで、足音や話し声は聞こえなかった。ジャンは扉を離れ、途中で燭台を手に取り窓辺に戻った。窓の前で燭台を何度か振ってから、耳を澄ませた。噴水の水音の中、不意に短く口笛が響いた。心臓がどきどき鳴った。彼は、もう一度燭台を振った。再び口笛が響いた。ジャンは燭台を元の場所に戻し、部屋の中を見回した。ちょうどいい具合の椅子を見つけ、それを出口まで運び、背もたれをドアノブの下に突っ込んだ。これで、簡単に開けられることもないだろう。

 ジャンはベッドに座り、じっと待った。しばらくすると、窓の外から石と金属のこすれる音が聞こえてきて、目つきの悪い黒髪の男がひょっこり顔を覗かせた。カラスだった。

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