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プリンセスコード  作者: 烏屋マイニ
魔王の復活
8/46

8.王都

「勝った?」いきなりキスをされたジャンは、どぎまぎしながらたずねた。

「そうよ。将軍派の密偵も、ユーゴも、ヴェルネサン伯爵も、みんな出し抜いてやったわ!」カトリーヌは言って、今度は反対側の頬に音を立ててキスした。

「それは止めてくれるかな?」ジャンは顔を真っ赤にして抗議した。

「あら、ごめんなさい」カトリーヌはくすくす笑った。「でも、本当に嬉しいんだもの。ちょっとくらいの悪戯いたずらは大目に見てちょうだい」彼女は笑顔を引っ込めた。「と言っても王都まで、まだ二〇マイルはあるから、もうひと頑張りしなきゃ。途中で暴れたりして、あたしを困らせないでくれると助かるんだけど?」

「約束はできないよ」ジャンはむっつりと言った。

「あらまあ」カトリーヌは考えた。「じゃあ、ユーゴがやったみたいに縛り上げるしかないかしら?」

「僕にひどいことをするってわけじゃないなら、静かにするよ」ジャンは慌てて言った。

「あたしが、そんなことするわけないじゃない」

 二人は王都へ続く道を走り続けた。もっとも、険路を無理やり走らされた馬はすぐにくたびれて足を止めてしまい、ジャンはこの隙に追い剥ぎを始末した伯父たちが追い付いてくることを期待した。しかし、どう言うわけか道の端には元気いっぱいの馬が繋がれていて、カトリーヌはさも当然のように、それに乗り換えた。そうして、駆け足で進んでは疲れた馬を捨て、新しい馬に乗り換えると言ったことを繰り返し、彼らは歩けば一日の距離を、わずか一時間ほどで走り抜けた。

 カトリーヌは馬を下ると王都の門前に立つ兵士に話し掛け、門を開けさせた。二人が都市に足を踏み入れると門は彼らの背後で閉ざされ、カトリーヌは満足げにそれを見て言った。「この門は、明日の日の出まで絶対に開けてはいけない決まりなの。つまり、マルコたちがどんなに急いでも、彼らはそれまで王都に入ることは出来ないってことよ」

「日の出より後なら、またみんなに会える?」

「ええ、もちろん」カトリーヌは請け合った。

「よくわからないや」ジャンは首を振った。「それじゃあ、どうして僕をさらったりしたの。どうせ、おじさんたちも王都へ来るつもりだったんだから、ちゃんと事情を話せばよかったんじゃないかな?」

 カトリーヌは少し考え、結局首を振った。「これから、あたしたちがしようとしていることに、あなたの伯父さんはきっと反対すると思うの」

「何をするつもりなの?」ジャンは少し怖気づいた。

「もうすぐ馬車が来るから、その中で話すわ」

 カトリーヌの予告通り、二輪の箱馬車がやって来て二人の前で停まった。彼らはベンチのような椅子に並んで座り、馬車はごとごと石畳を踏みながら薄暮の町を進んだ。

「先に一つ、聞いてもいいかな?」ジャンは言った。

 カトリーヌは首を傾げた。

「タイミングよく追い剥ぎが現れたり、道沿いに換えの馬が用意してあったり、この馬車が迎えに来たり、何もかも君の都合に合わせて動いてるみたいなんだけど、これって偶然じゃないよね?」

「そうよ」カトリーヌはあっさり認めた。「あたしが部下に指示をして準備させたの」

 ぱっと思い返してみても、彼女がそんな素振りを見せた覚えはなかった。「いつ?」

「教えてあげてもいいけど」カトリーヌは面白がるような笑みを浮かべた。「その前に謎解きに挑戦するつもりはない?」

「わかった。やってみるよ」ジャンは受けて立った。

 とは言え、カトリーヌの行動だけを思い返しても、答えは見付けられないだろう。なんと言っても彼女はプロの密偵なのだから、簡単に尻尾を掴まれるようなへまはしていないはずだ。

 ただし、糸口がないでもなかった。馬車はともかく、襲撃や馬の手配をするには、一行の道筋をあらかじめ把握しておく必要がある。彼女がそれを知った時期は、はっきりしていた。街道を外れてから二日目の朝、カトリーヌは丘の稜線たどる道を行くと主張し、ジローはそうすることの問題点を指摘した。そして彼は、森の中の廃道を通ると告げたのだ。彼女が部下と連絡を取ったのは、その直後から、最初の襲撃が行われた翌日の早朝までの間と言うことになる。もちろん、それは仲間たちの目を盗んで、こっそり行われたに違いない。つまり、彼女が一人になったときだ。そんな機会は、数えるほどしかない。野営地を偵察したときと、彼女が見張りに立った時だ。

 いや、待てよ――と、ジャンは考え直した。生き物であれば当然、プライベートな欲求を満たす必要があるし、彼女もそのために何度か一人になることがあった。そして彼は、アランの言葉を思い出した。彼女は言ったではないか。用足しの時が一番狙われやすい、と。あからさまに一人でいるときこそ、カトリーヌは慎重に行動したに違いないのだ。それでジャンは、ようやく答えが見えた。

「ハンカチを落とした時だ」

お見事(ブラボー)」カトリーヌは拍手した。「一応、どうしてそう思ったのか、教えてくれる?」

 ジャンは考えたことを一通り説明し、最後に付け加えた。「あの時、君は指を怪我していたよね。あれは、きっと自分で指を切って、血で手紙を書いたからじゃないかな。そして、君の部下たちは僕たちから気付かれないように、ちょっと離れて後を付いて来ていたんだ。彼らは道の上で君の手紙を見付けて、なにもかも準備を整えた」

「その通りよ」カトリーヌは頷いた。「でも、そんな風に何もかも見抜かれると、ちょっとプライドが傷付くわね」

「僕は、起こった事を辻褄が合うように並べ立てただけだよ。でも、一日やそこらの短い時間で、どうやってこれだけの事をお膳立て出来たのか、さっぱりわからないんだ」

 カトリーヌはふと考えてから言った。「人間と馬、走ったらどっちが早いと思う?」

「馬だよ」ジャンは即答した。

「それじゃあ、三〇マイルの道を競争したら、どっちが勝つかしら?」

「馬じゃないの?」

 きょとんとして訊くジャンに、カトリーヌは首を振って見せた。「馬は確かに早いけど、そんなに長くは走っていられないの。でも、人間は彼らの十倍の距離を走り続けることができるわ。訓練された密偵なら、あたしが手紙を置いた場所から走ったとして、日が沈む前には王都へたどり着いていたはずよ。あたしたちを先回りして、森の追い剥ぎのねぐらに潜り込むだけなら、太陽が手の平二つ分を動くほども掛からないわ」

「ひょっとして、君も?」

「必要なら走るけど」カトリーヌは渋い顔をした。「スカートは走るのに不便だし、汗だくになるのは嫌いなの」

 ジャンは、はたと気付いた。「あの時、汗だくだったのもわざと?」

「あら。どうしてそう思ったの?」

「ハンカチで汗を拭くところを見せておけば、後でそれを落としたって騒いでも変に思われにくいから?」

「面白い考えだけど、さすがに汗を自在に流すなんて無理よ」カトリーヌは苦笑した。「あの時は、本当に暑かったの。でも、ハンカチの件は正解よ。ジローに汗のことを言われて、部下に行き先を伝える方法を突差に思い付いたってわけ」

ジャンは、ただただ驚くばかりだった。わずかなきっかけから、あれだけの作戦を一瞬で思い付くとは、とんでもない機知の持ち主である。それとも、これは彼女に限らず、密偵と言う職業に就く人たち共通の技量なのだろうか。

 しばらく呆気にとられていたジャンは、そのうち本来聞きたかったことを思い出した。「これから、君がやろうとしている事ってなんなの?」

「ある人に会ってもらうわ」

「誰?」

「それは、本人に会って直接確かめて。とにかく、彼はあるものを預かっていて、あなたにそれを受け取って欲しいと考えているの」

「さっぱりわからないや」ジャンは両手を挙げた。「どうして、そんな単純なことに、おじさんが反対するわけ?」

「それには、ちょっと答えられないわ。あなたが預かり物を受け取るのか突っ返すのか、自分の考えで決めてからじゃないと」カトリーヌはそう言って、少し申し訳なさそうな顔をした。「こんな風に、何もかもぼかして言うのはそのためよ。今は、あなたに余計な先入観を持って欲しくないの」彼女は、ふと思い出した様子で言った。「ねえ、どうしてマルコと一緒にいたの。あたしたちの情報だと、あなたは国外にいることになってたのよ?」

「僕が外国に?」

「そうよ」カトリーヌは頷いた。「実を言うと、もう一ヶ月もあなたを探してたの。でも、いくら探しても見つからなくて、それがひょっこりトレボーに現れたものだから、あたしたちは慌てふためいたわ。一体、いつからマルコと一緒だったの?」

「十年前かな?」ジャンは首を傾げた。「その頃、僕は母さんを亡くして、おじさんに引き取られたんだ。でも、外国にいたかどうかは覚えてないや」彼はふと気付いた。「探してたって言ったけど、どうやって。僕がおじさんと暮らしてたことも知らないなら、顔だってわからなかったはずだよね?」

「そうね」カトリーヌは認めた。「でも、ぜんぜん知らないわけでもなかったわ。少なくとも三歳の頃のあなたを描いた肖像画があったし、あたしたちは変装した相手を追い掛けることもしょっちゅうだから、眉や耳の形から人物を特定する訓練も受けているの。何より、あなたは若い頃のお母さんにそっくりだから、間違えようがなかったわ」

「母さんに会ったことがあるの?」

「ええ」カトリーヌは頷いた。「あなたが生まれる何年か前にね。でも、会ったと言うよりも、見張ってたんだけど」

 ジャンは首を傾げた。

「あたしは六歳の頃から密偵の修行を始めたの。誰かを気付かれないように見張るのは、その訓練の一つよ」

 ジャンが六歳の頃は、ポーレットと一緒に野山を駆け回り、泥だらけになって遊んでいたものだ。その時の自分に何かの修行をさせようとしても、おそらく三〇分ももたないだろう。アランもそうだが、どうにも彼の回りには自立した子供が目立ち、自分がひどく甘やかされているのではないかと思えてならなかった。

「トレボーへ来たのは、どうして?」カトリーヌが訊いた。

「魔物のせいだよ。僕たちはディボーでキャベツを売った後、カラスに会って、それから村へ帰るつもりだったんだ。でも魔物が現れて、おじさんと友だちのジェルベさんはトレボーへ逃げようと考えた。その時はよく分からなかったんだけど、トレボーは立派な防壁があるから、避難場所にはもってこいだと考えたんだろうね」

 ジャンが答えると、カトリーヌはそれを吟味するように考え込んだ。ジャンはそれが、やるべきことをやる機会だと思った。おあつらえ向きに、馬車より少し先を二人連れで歩く男たちの姿があった。さらにその先には四つ辻があって、辻の角には杖を突く旅人の姿を図案化した鉄細工の看板が掲げられている。ジャンはそれを、おそらく宿屋だろうとあたりを付けた。もしこの宿屋が、コマドリ亭や牡鹿亭と同じく居酒屋を兼ねているのなら、この男たちはそこで一杯引っ掛けようと考えているに違いない。

 ジャンはタイミングを見計らい、素早く馬車の窓から上半身を乗りだし、男たちの背中に向かって叫んだ。「助けて!」

 男たちがぎょっとして振り返り、ジャンを見た。

「助けて!」ジャンはもう一度叫んだ。

 カトリーヌの手が素早く伸びて、ジャンを馬車の中に引っ張り込んだ。彼女は険しい表情でジャンを睨み付けた。「そんなことして、本気で逃げられると思ったの?」

 男たちは足を止め、ぽかんとこちらを見るばかりだった。彼らの前を馬車は何事もなく通り過ぎ、カトリーヌは大きなため息をついた。「あなたは、もうちょっと賢い子だと思ってたんだけど?」

「買いかぶりだよ」

「どうかしら?」カトリーヌは疑わしげだった。彼女はジャンの手を取り、自分の膝に置いてそれを両手で包み込んだ。

「あの」ジャンはとぎまぎして言った。「放してくれる?」

「だめよ」カトリーヌはにっこり微笑んだ。「どうもあなたは油断ならないわ。それとも、縛られる方が好き?」

 ジャンは何度も首を振った。

「だったら、辛抱しなさい」

 ジャンは頷いた。

「それにしても」カトリーヌは言った。「魔物だなんて、ちょっと信じられない話ね」

「疑うの?」

「なんでも疑うのは密偵の性分なの」カトリーヌは肩をすくめた。「でもカッセン大佐は、どうして魔物の事を隠そうとしてるのかしら。ディボーからトレボーまで、休みなしで走れば一日も掛からないのよ。魔物の話が本当なら、みんなに警告するべきじゃない?」

「魔物が現れたのを見て、僕やおじさんは魔王が復活したんじゃないかって考えたんだ。トレボーの人たちも同じように考えたとしたら、闇雲に逃げ出そうとする人たちが出て、きっと街は大混乱になるよ。それに、たくさんの騎士や兵隊をディボーに向かわせてるんだから、魔物がトレボーへやってくるのは、もう少し先になるんじゃないかな?」ジャンは少し考えてから付け加えた。「それと大佐は、メーン公爵ならこのニュースを握りつぶすはずだって言ってたから、公爵がそんなことをできないように発表するタイミングを見計らってるのかもしれない」

「確かに公爵ならやりかねないわね」カトリーヌは頷いた。「剣王が魔王を仕留め損なってたなんて話になったら、皇帝になる口実がなくなっちゃうもの。他に、大佐は何か言ってなかった?」

「えーと」ジャンは急いで考えた。何をどこまで話すべきだろうか。今のところカトリーヌは、ジャンに乱暴を働くような真似をしていないが、謎めいた理由で彼を誘拐したことに変わりない。迂闊なことを言って、伯父たちの不利益になることは避けたかった。もちろん、カラスが牡鹿亭で発した警告が正しければ、密偵の彼女はあっさりと嘘を見ぬくだろうし、沈黙もどこまで役に立つか分からない。そもそも大佐と会話したことを知られた時点で、彼はしくじったのだ。となれば、話す内容を慎重に選ぶ必要がある。彼女の注意をそらしつつ、気を引く話題がいいだろう。「公爵よりも、おじさんが皇帝になった方がいいって言ってたよ。おじさんはワインを百樽積まれてもお断りだって答えてたけど」

 するとカトリーヌは、くすくす笑い出した。「ねえ、知ってる?」

「何が?」ジャンは怪訝そうに訊き返した。

「剣王アランの正体について」

「前の王様が、実は剣王アランだったって話?」

「ええ」カトリーヌは頷いた。「これまでずっと秘密にされてきたんだけど、ちょっと前の議会でメーン公爵がそれをみんなにぶちまけてしまったの。彼は今の王さまのシャルルを、剣王が魔王討伐に出かけた隙に玉座をかすめ取った卑怯者だと非難したわ」

 カッセン大佐が話したことと、そっくり同じ内容だった。しかし、カトリーヌの話には続きがあった。

「そして公爵は、剣王と親しかった有力な貴族たちが、次々と姿を消した原因もシャルルにあるとほのめかしたの」

 ジャンは首を傾げた。彼らは剣王に命じられて、ジャンの伯父のように自ら地位を捨てたのではないのか。

「公爵の主張を聞いて、みんなはこう考えたわ。剣王に忠誠を誓う彼らが、玉座を奪い返すために謀叛を起こさないよう、シャルルが先手を打って殺すか追放するかしたに違いないってね」

「でも、おじさんは魔物と戦えるくらいぴんぴんしてるし、今でもヴェルネサン伯爵のままだよ」ジャンは反論した。

「そうね」カトリーヌは認めた。「でも、それを知っているのは一部の人だけよ。ほとんどの貴族は、彼がシャルルに領地を没収されて、貴族じゃなくなったと考えているわ。それでも、みんながマルコをヴェルネサン伯爵と呼ぶのは、王よりも彼のことを尊敬しているからよ。そんな彼が王都に現れて皇帝に立候補したら、きっと議会は満場一致で彼を皇帝に推挙するでしょうね」

「満場一致はないよ。だって、少なくともメーン公爵は反対するはずだから」ジャンは指摘した。

「それが、この話の面白いところよ」カトリーヌはにやにや笑った。「公爵はシャルルを貶めるために、彼の悪口を言っているわけじゃないわ。彼は、現王と先王が対立しているように見せかけて、自分が先王の権利を擁護するために行動しているって、みんなに印象づけたいの。でも、そこに剣王の一番の忠臣であるヴェルネサン伯爵が現れて、自分こそ皇帝に相応しいと言いだしたら、彼は賛成するしかないでしょ?」

 つまり、メーン公爵は自分を正当化する言い分けのために、喉から手が出るほど欲しい皇帝の座を、マルコに譲らなければならないのだ。その皮肉に気付いたジャンは、思わずくすりと笑った。

「ね、おかしいでしょう?」カトリーヌもくすくす笑って言った。

「カッセン大佐も意地悪な事を考えるね」

「でも、この乱痴気騒ぎを収めるには、一番の手だわ」

「おじさんが、うんと言わなきゃどうしようもないよ」

「問題はそこね」カトリーヌは頷いた。「彼を説得するにはどうすればいいと思う?」

 ジャンは考えた。「もし王さまが、ワインの名産地を領地に持ってるなら、それをおじさんにプレゼントするといいよ」

「あらまあ」カトリーヌは真剣な表情で呟いた。「素敵なアイディアね。シャルルに相談してみようかしら」

 もっとも、問題は他にもあった。ジャンは、この情報をカトリーヌに話すべきか迷っていた。彼女は自分を国王直属の密偵だと言ったが、それを鵜呑みにしてよいものだろうか。この女密偵を信用するなら、むしろ隠すべきではない。しかし、もし彼女が嘘を吐いていて本当は将軍派の密偵だとしたら、彼女は秘密を守るためにジャンを殺すだろう。もちろん、仲間のみんなも命を狙われることになる。

「でも、皇帝になるつもりがないなら、どうしてマルコは王都へ行こうなんて考えたのかしら?」カトリーヌは首を傾げた。

 そら来たぞ――と、ジャンは気を引き締めた。「僕がギャングにさらわれたことは知ってる?」

「ええ、もちろん」カトリーヌは笑顔で言った。「あなたたちがトレボーに着いてから、ずっと監視してたんだもの」

 だったら助けてくれてもよかったのに、と言う恨み言をジャンは飲み込んだ。「僕をさらったのはダミアンって言うギャングで、彼は顔を隠した貴族から僕を誘拐するように依頼を受けたと言ったんだ。僕たちは、それを将軍派の密偵だと考えて、おじさんは王都のごたごたを片付けるために王都へ行こうと決心した」彼はちょっと考えてから付け加えた。「確か、シャルルとメーン公爵の尻を引っ叩いてやるって言ってたかな?」

「その時は絶対に立ち会わなきゃ」カトリーヌは熱心に言った。「でも、ちょっとおかしな話ね。将軍派の仕業だなんて決めつけた根拠はなんなの。そのギャングの中にユーゴがいたんでしょ?」

 ジャンはぎょっとした。「なんで知ってるの?」

「あなたが二度目にさらわれそうになった時、あたしは藪に隠れて一部始終を見ていたの。ジローが言ったでしょ。あんた、あの臭い倉庫にいたゴロツキじゃないか――って」カトリーヌは探るような目つきでジャンを見た。「何か隠してるわね?」

 ジャンは心臓がどきどき鳴るのを感じた。「それは、お互い様だよね?」

「でも、あたしは隠し事をしゃべらせる方法なら、色々と知っているわ」

「ひどいことはしないって約束じゃなかった?」

 カトリーヌは口をへの字に曲げた。それから、不意に申し訳なさそうな顔をして言った。「脅したりして悪かったわ。ごめんなさい」

 あっさり引き下がられて、ジャンは肩透かしを食らった気分だった。「とにかく、僕たちはユーゴが国王派の密偵だなんて、君に聞くまで知らなかったんだ。それに、彼の目的がなんであれ、ここで王様と公爵がいがみあってるのは間違いないよね。魔王が復活したかもしれない今は、そんなことをしている暇なんてないし、おじさんはどうにかしてそれを止めようと思ってるんだ」

「大体、辻褄はあってるわね」

「隠し事はしてるけど、嘘は言ってないよ」

「後で、ちゃんと聞かせてくれる?」カトリーヌは不満げだった。

「うん」ジャンは頷いた。「でも、いつ話すかは、僕が決めてもいいよね?」

「ええ、任せるわ」

 馬車がスピードを緩め、停まった。ジャンがふと前を見ると、人の背丈の倍以上もある格子状の鉄門があった。空はすっかり暗くなり星も出ているが、門の前とその向こうでは、いくつものかがり火が燃えていて、辺りをこうこうと照らしていた。門番の兵士が門を開けると馬車は再び動き出し、しばらく進んだところでジャンは不意に、翼棟を備えた立派な建物が正面にあることに気付いた。本当は、もっと前から視界に入っていたのだが、あまりにも巨大で、彼はそれを夜空の一部だと思い込んでいたのだ。ぽつぽつと点るオレンジ色の光は、星ではなく窓だった。

「あれは何なの?」ジャンは建物の威容に驚きながらたずねた。

「王宮よ」カトリーヌは短く答えた。

 馬車は建物の正面で停まった。カトリーヌに促されて馬車を降りると、近くに控えていた二人の兵士が、動きを揃えて両開きの大きな扉を開き、ジャンとカトリーヌは王宮の玄関ホールに足を踏み入れた。ふんだんに金箔を貼り付けた壁や天井が、水晶で飾られた巨大なシャンデリアの光を反射して、そこは昼間のように明るかった。床はぴかぴかに磨き上げられた大理石で、凹凸のないその感触はジャンをひどく戸惑わせた。

「お嬢さま」侍従と思しき初老の男が、二人の側に歩み寄って来た。

「こんばんは、モラン」カトリーヌは笑みを向けた。「彼はどこ?」

「食堂でございます」

「案内して」

「かしこまりました」侍従は完璧なお辞儀を見せたあと、二人の前に立って歩き出した。

 玄関ホールを抜け、長い廊下をしばらく進むと、彼らはたくさんの肖像画が掛けられたホールに出た。ジャンは一枚の絵の前で思わず足を止めた。それは若い母親と子供の絵だった。二人の顔はよく似ていて、どちらも淡い金髪に青い瞳をしていた。

「馬車の中で話したでしょ」カトリーヌがジャンの横に立って言った。「あなたが三歳の誕生日を迎えた記念に、あなたのお母さんが描かせた絵よ」

 ジャンは頷いた。「どうして、こんなところに?」

「その頃、あなたと彼女は外国に暮らしていたんだけど、シャルルとは親友同士だったから、彼に近況を伝えるために、この絵を贈ったんですって。ここは、本当は歴代国王の肖像を飾る場所なんだけど、シャルルにとって彼女はそれと同じくらい大切な人みたいね」

 母親の顔を覚えていないジャンは、不思議な感慨を持ってその肖像画を見つめた。青い服を着た彼女はそれとわからないほど微かな笑みを浮かべながら、わずかにうつむいて膝の上の息子に優しい視線を注いでいる。同じく青い服を着た絵の中の幼いジャンは、生真面目な表情でじっとこちらを見つめていた。

 母子像の右隣には、面長の若い男の小さな絵が掛けられていた。モールだらけの青い服を着て、その表情はどこか憂うつそうに見えた。歴代国王の肖像を飾っているのなら、彼もその一人なのだろうが、他の王たちのほとんどが黒髪か栗毛の黒い瞳なのに、彼はくすんだ赤毛で瞳は緑がかった灰色だった。

「この人は?」ジャンは絵を指さした。

「シャルルよ」カトリーヌは言った。

「今の王様?」

「そうよ」カトリーヌは頷いた。

 シャルルの右隣には不自然な空隙があった。ジャンはそこを指さして、カトリーヌを見た。

「先王陛下の肖像があった場所よ。さあ、行きましょう。あまり彼を待たせないで」

 それから、いくつかの廊下とホールを抜けて、モランは一つの扉の前で足を止めた。侍従が扉を開けるとカトリーヌが先に立って部屋に入り、ジャンは彼女の後ろに隠れるようにして続いた。カトリーヌはジャンの肩を掴んで前に押し出した。ジャンの目の前には豪華な食事が並ぶ長いテーブルがあった。テーブルの一番奥には金色のモールに飾られた青い服の男が座り、他の席には異国風の衣裳を身に着けた少女と、彼女の隣には同じような服装の若い女性が一人着いていた。

「陛下」と、カトリーヌが青い服の男にお辞儀をした。「ジャンをお連れしました」

「でかしたぞ、カトリーヌ」青い服の男がカトリーヌを労った。その顔は、ホールで見た肖像画とそっくりで、憂うつそうな表情もまったく同じだった。彼はジャンに目を向けた。「よく来たな、ジャン。吾輩はシャルル、不本意ながらこの国の王を務めている」

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