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プリンセスコード  作者: 烏屋マイニ
魔王の復活
7/46

7.森の廃道

「自分を密偵だと言う密偵に会うのは初めてだな」マルコは苦笑して言った。

「刺激的でしょう?」カトリーヌはにっこり笑った。

「こいつら何者なんだ?」カラスは死体を指し、探るような目つきでカトリーヌを見た。「あのユーゴとか言うゴロツキは、あんたのことを知っていたな」

「本当は、もう見当がついてるんじゃないの?」

「まあな」カラスは肩をすくめた。「さしづめ、あんたと同じ国王派の密偵と言ったところか」

「ご名答。でも、あたしに彼らの目的を聞いても無駄よ。あたしは陛下の直属だし、彼らは他の貴族に仕えてるから、お互いに相手が、どんな命令で動いてるかは知らないの」

 カラスは片方の眉を吊り上げた。

「本当よ。信じてちょうだい」カトリーヌは芝居がかった仕草で両手を広げて言った。

「信用ならないやつほど、そのセリフを口にするんだ」カラスはちらりとジローを見て言った。

「ひどい言いぐさだね、カラスの旦那」ジローはわざとらしく傷付いた様子で言った。「まあ私が怪しげなのは認めるけど、みなさんよりずっと常識人だってことはわかって欲しいな。だって、天下の往来で死体を前に立ち話をしている今の状況に、びくびくしてるのは私だけなんだよ?」

「それもそうだな」マルコは同意した。「ひとまずそこらの藪に隠しておこう。アンジェ、手伝ってくれ。ジロー、お前もだ」

 マルコはアンジェやジローと協力して死体を近くの藪まで引っ張って行った。

「なあ、旦那」カラスはマルコにたずねた。「将軍派がジャンを誘拐してあんたを脅迫し、大佐に干渉するって筋書ならわかるが、国王派がジャンを狙うのはどう言うわけだ?」

「見当もつかんよ」マルコは死体を足で藪の中へぐいぐい押し込みながら言った。「王都へ着いたらシャルルに聞いてみよう」彼は証拠隠滅の具合をためつすがめつ見てから、カラスに顔を向けた。「しかし、こいつらは我々の計画をどこまで知ってたんだ?」

「俺たちが馬を交換する手筈まで知っていたのは確かだ」カラスは言ってカトリーヌを見た。「あんたは?」

「あなたたちと大佐の用意した騎手が接触することまでは掴んでたわ。馬の交換については知らなかったし、それは多分、ユーゴも同じだったはずよ。ただ、彼らは本物の騎手たちから、計画について詳しく聞き出すことが出来たと思うの。死体が他に三つほど、どこかの藪に隠されてたとしたらだけど」

「なぜ三つとわかるんだい?」ジローがたずねた。

「荷を積んだ馬が三頭しかいないからよ」カトリーヌは肩をすくめた。

「すると、ジャンは最初っから彼らが偽物だと見抜いていたようですね」アンジェが言った。「彼は、身代わりの人数が三人でないことを私に指摘したんです」

「どう言うこと?」カトリーヌは素早くジャンに目を向けた。

「えーと」彼女のように若い女性と話をするのは初めてなので、ジャンは少しばかり気後れしながら口を開いた。「最初からって言うのはちょっと違うんだ。僕がおかしいと思ったのは、丘の下にいた人たちが四人だったのを見てからだし、アンジェさんから大佐の計画を聞いたとき、それに問題があるって気付いていれば、もうちょっと違う結果になってたんじゃないかな」

「ジャン」カトリーヌは凄みのある笑顔で言った。「どうしておかしいと思ったのか、そのことだけ教えて」

「はい、お嬢様」ジャンは神妙に頷いた。「ジローが仲間になったのはつい今朝で、それは大佐の知らないことだし、僕が馬に乗れないことをおじさんが彼に話していたとしたら、身代わりの数は三人のはずなんだ。でも、彼らは四人だった」

「あらまあ」カトリーヌは目を丸くした。彼女は笑顔をカラスに向けた。「ねえ、彼って優秀だと思わない?」

「それには俺も気付いていた」カラスは頷いて言うと、ジャンに目を向けた。「お前さんの言うとおり、馬を用意すると言った大佐におじさんはこう言ったんだ。ジャンは馬に乗れないから彼の分は用意しなくても結構だ、と。つまり、俺とマルコおじさんは、大佐が用意した身代わりの騎手の数が足りないことを、もっと早くアンジェに指摘するべきだったんだ。そうすれば、確かに違う結果になっていたかも知れない」彼はにやりと笑った。「これからは、もうちょっとお前さんの嗅覚を頼りにしてみよう。もし、何かおかしいと思ったら、俺かおじさんに言うようにしてくれ。どんなつまらないことでも構わん」

「わかった」ジャンは頷いた。

「問題が二つある」マルコが言った。「一つは我々が王都へ向かうことを、ユーゴに知られた可能性があるということだ。彼が先回りをして、またジャンを狙ってこないとも限らない」彼はアンジェに目を向けた。「もう一つは、将軍派の密偵を謀るための身代わりがいなくなってしまったことだ」

「それについては偵察の騎士たちが戻ってきたら、相談して適当な言い訳を考えてみます」アンジェは言った。「たとえば魔物に襲われてみんな死んでしまったとか」

「それで行こう。ゴーン少尉には私の命令だと言ってくれ。そうすれば、あいつも作戦の良し悪しに頭を悩ませなくてすむからな」

「わかりました」アンジェは頷いた。

「あのゴロツキを出し抜きたいのなら、私に任せておくれ」ジローが胸を叩いて言った。「要するに、彼が考えもしない道を通って王都へ向かえばいいんだろ。私はこの国を何年もあちこち歩き回ってるから、街道を通らなくっても行きたいところへ好きに行ける方法を知ってるんだ」

 マルコはしばらく考えてから頷き、一同を見渡した。「よし、それならさっさと出発しよう」

 カトリーヌが真っ先に一頭の馬へ歩み寄ってその手綱を取ると、マルコに向かってきっぱりと言った。「あたしも一緒に行くわ」

 マルコは眉を吊り上げてカトリーヌを睨んだ。

「それとも、遠くからこっそりついてこられる方がよかった?」カトリーヌにっこり微笑んで言った。

 マルコは天を仰いだ。「勝手にしてくれ」

 間もなく全員が騎乗し、一行はアンジェに別れを告げて街道の東に広がる丘陵地帯へ馬を進めた。先頭を行くのはマルコとジローで、最後尾はカラスとカトリーヌだ。ジャンとアランの馬が真ん中にいるのは、おそらく二度もさらわれそうになった少年を守るためだろう。たとえジローがユーゴの目を欺く道を知っていたとしても、さらにその裏をかかれないとも限らないのだ。そうして、道なき道を進んでしばらく経った頃だった。

「すまなかった」不意にアランが口を開いた。

「何が?」ジャンは聞き返した。

「私はお前の護衛なのに、守ることが出来なかった」

 アランは口調は淡々としていて、申し訳なく思っているようには聞こえなかったが、ジャンも彼女を責めるつもりはなく、ただ驚いて言った。「君でもへまはするんだね」

「そうだな。気を付けてはいるが、時々しくじることもある」アランは素直に認め、しばらく考えた。彼女は首をひねってジャンを見上げ、きっぱりと宣言した。「これからは、お前から三フィート以上離れないようにしよう」

「ちょっとやり過ぎじゃない?」

「そうか?」

「そうだよ。だって」ジャンは一瞬、言いよどんだ。「僕たちはどうしても、一人にならなきゃいけないことだってあるよね。ほら、時々起る自然の出来事とか?」彼はほのめかした。

「ああ」アランは頷いた。「用足しの時が一番狙われやすいんだぞ。知らないのか?」

「そんなの知らないよ」生まれてからつい一昨日まで、誰かに狙われたことなど一度も無いのだから当然だった。「大体、そんなにくっつかれたら出るものも出ないじゃないか。それに、君も同じことだってわからないの?」

「私は気にしない」

「気にしてよ」

「一緒に素っ裸で水浴びをしたんだから、今さら恥ずかしがることもないだろう」

「それとこれとは話は別だよ」

 アランはしばらく考え込み、それからため息をもらした。「仕方ない。用足しの時は六フィートだ」

「一〇フィートじゃだめ?」

「七フィートだ」

「わかった。それでいいよ」ジャンは渋々承諾した。

 それから一行は日暮れまで歩き、その晩は野営することになった。追っ手を警戒し、たき火をすることは避けたので、夕食は堅パンと干し肉だけだった。食事が終わると彼らは見張りの順番を決め、最初は旅慣れていないジャンと、彼の護衛のアランが二人組で担うことになった。

 大人たちが寝息を立てる中、二人は並んで地面に座り込み、月明かりの下で周囲を警戒した。初めのうちは物音一つも逃すまいと気を張っていたジャンだが、その内に辺りが意外に騒がしいことに気付いた。カヤネズミがかさこそと草を揺らしたり、それを狙う小型の山猫がちらりと顔を覗かせることもあった。何よりも虫の声がやかましい。おそらく彼が警戒すべきは異常な音ではなく、この小さな生き物たちの沈黙なのだろう。その事に気付いたジャンは、幾分気が楽になった。

「ねえ、ちょっと教えて欲しいんだけど」ジャンは大人たちを起こさないように、声をひそめて言った。

 アランはジャンを見て、軽く首を傾げた。

「どうして旅慣れていないと、見張りが最初になるの?」

「寝ている途中で起きて、また寝直すのは大変なんだ。だから、慣れないうちの見張りは最初か最後と言うことに決まっている」

「そう言えば、トレボーまで夜通し馬車で走った時は、僕が最後の御者だったね。あれも同じことだったんだ」

「そうだな」

「カラスと二人で旅してた時も、見張りは交代でしてたの?」

「いや」アランは首を振った。「二人で野営するときは木の上や岩の隙間なんかに隠れて体を休めるだけで、すっかり寝るようなことはしない。さすがに何日もは無理だから、なるべく信用のおける宿へ泊まることにしている。それか、大きな隊商に金を払って同行させてもらうこともある。そう言った隊商では、護衛の半分を昼に荷馬車で寝かせ、夜になったら見張りに立たせると言うことをやっている」

「旅にも色んな方法があるんだね」ジャンは感心して言った。

「命がかかっていれば、みんな工夫もする」

「僕は、あまり命がけって気がしないんだ」ジャンは白状した。「ディボーを出た頃は、あんなに怖かったのに」

「そのうち慣れると言っただろう?」

「うん、そうだったね」ジャンは頷いた。

「しかし、二度もさらわれかけたのだから、少しばかり危機感を持つのは悪い事ではない」

「危機感が無いのは僕のせいじゃないよ。たぶん、みんなが頼もし過ぎるのがいけないんだ」

「確かにそうだな」アランは苦笑した。

「おじさんが、あんなに強いなんて思わなかった」

「貴族なら幼い頃から武術を仕込まれるから、大抵は剣に心得があるものなんだ。大して巧くはなかったが、あのダミアンとか言うゴロツキでさえそうだった」アランはふと考えてから続けた。「しかし、マルコは隠遁生活を十年以上続けていたのだから、多少は腕が鈍っていてもおかしくないはずなのに、全くそうは見えないな。きっと今まで修練を怠らなかったのだろう」

「でも、おじさんが剣を振ってるところなんて、見たことないよ?」

「だとすれば誰にも気付かれないように、こっそり練習していたのさ」

「何のために?」

「さあな。国のためか、主君のためか、あるいは家族のためか。君の伯父さんなら、その全部かも知れない」

 家族のためと言われて、ジャンは思わずつぶやいた。「僕も剣を覚えようかな」

「馬も忘れるな」アランは指摘した。

「勉強することがたくさんあるね」ジャンはしかめっ面をした。

「私は馬車の扱いを覚えなければ」

「それなら、お互いに教えあったらいいんじゃないかな?」ジャンは提案した。

「そうだな」アランは嬉しそうに微笑んだ。「それは、いい考えだ」

 割り当ての時間を終えた二人はマルコと交替し、地面にマントを敷いて眠りについた。朝はあっと言う間にやって来て、ジャンはアランに揺り起こされた。一行は馬上で朝食を摂りながら進み続け、間もなく丘の稜線をたどる道に行きあたった。しかしジローは馬の向きを変えず、そのまま道を突っ切ろうとする。

「ちょっと待って」カトリーヌが後ろから呼びかけた。マルコとジローは手綱を引いて馬を止め、カトリーヌはジャンたちを追い抜き先頭の二人に並んだ。

 少し遅れてカラスがやって来ると、彼はジャンたちの隣りに並んだ。

「どうしたの?」ジャンは訝しげにたずねた。

「どうやら彼女は、あの道を通りたかったようだ。理由はわからないがね」

「それなら聞いてみよう」アランも馬を駆けさせ、寄り集まる大人たちの側へ向かった。

「ねえ、どうして道を行かないの?」カトリーヌはたずねた。「こんなに何もないところをずっと進んでたら、そのうち迷子になるわ」

「そりゃあ、これは誰もが知ってる道だからね」ジローは肩をすくめた。「誰もが知ってるってことは、待ち伏せされてるかも知れないだろう?」

「誰もがってほどでもないと思うけど」カトリーヌは考えた。彼女はふと顔を上げて続けた。「そうね、あたしが知ってるならユーゴが知っていてもおかしくないわ」

「そう言う事だね」ジローは頷いた。「それに、迷子の心配なら要らないよ。ほら、あっちの丘をごらん」彼はやや南寄りの東を指さした。「あそこのてっぺんに面白い形の樹が見えるだろう。私は、ああ言った目印を頼りに進んでるんだ。けど、ハイキングを楽しめるのは今日までだよ。あと半日も進めばあの丘を越えたところで森に突き当り、我々はそれを南に迂回する道を歩くことになるんだ。その道はトレボー街道が造られる前に使われていた道で、今じゃ王様の森からこっそり獲物をくすねる密猟者しか通らない」彼はふと首を傾げた。「ずいぶん汗だくだね、お嬢さん。調子でも悪いのかい?」

「暑いのよ」カトリーヌは顔をしかめ、腰に巻いたエプロンのポケットから手巾を取り出し、それで顔を拭った。そして彼女は、羨ましそうにアランを見た。「あなたみたいに脚を出せたいいんだけど」

「遠慮することはない」アランは真顔で言った。

「あら、そう?」カトリーヌは自分のスカートの裾を摘まんで少しだけ持ち上げた。

 ジャンはどぎまぎしながら目を逸らした。

「人前では慎み深くあるようにと、我が家では教えているんだ。都会の流儀で甥っ子を困らせないでくれるかね?」

「もちろんですわ、伯爵」カトリーヌは馬上ながら優雅にお辞儀した。

「ただのマルコで結構だよ。あんただって、お嬢さん(マドモアゼル)だなんて呼ばれたら尻がむずむずするだろう?」

「そうね」カトリーヌは肩をすくめた。彼女はジャンに目を向けた。「でも、可愛らしい男の子にそう呼ばれるのは、そんなに悪い事じゃないと思うの」

 ジャンは聞こえなかった振りをした。

「よし、さっさと先へ進もう」マルコは言って、ジローに目を向けた。

 ジローは頷き、道を外れて東の斜面を下り始め、仲間たちは彼の後を追った。しかし、間もなくジャンの背後でカトリーヌが「あらまあ」と声を上げた。ジャンが振り向くと馬を下りて道路へ向かう彼女の姿があった。アランは馬を止め、馬首を戻した。

「どうした?」カラスも手綱を引いて馬を止め、カトリーヌに呼びかけた。

「ハンカチを落としたの」カトリーヌは両手の平を口の横に当てて叫んだ。「拾ったら、すぐに追いかけるから先に行ってちょうだい」彼女は道路の端にたどり着くと、その場にしゃがみこんだ。

 カラスとアランは互いに目を合わせてから、馬を並べて先へ進んだ。しばらく経ってカトリーヌが人差し指をしゃぶりながら戻ってきた。彼女はしかめっ面で引き裂けた手巾をジャンたちに見せた。「あんまりだと思わない?」

「それ、どうしたの?」ジャンはたずねた。

「何か、とげのある草に引っかけたの。外そうとしたら破けるし、とげは指に刺さるしで踏んだり蹴ったりだわ」

「大変だったね」ジャンは同情して言った。「大丈夫?」

「あらまあ」カトリーヌは目を丸くした。「あなた、賢いだけじゃなくて思いやりもあるのね」

 思いがけない称賛を受けて、ジャンは顔を赤くした。

「カラス、あなたは彼を見習うべきよ」カトリーヌは言った。「まずは、そんな風に人を疑わしい目でじろじろ見るのをやめてちょうだい」

「この目は生まれつきなんだ」カラスは肩をすくめた。「それに俺は、ジャンと違って優しく扱わなきゃいけない女の種類を知ってるんでな」

 カトリーヌは目を三角にして何か言おうと口を開いた。しかし、マルコが早く来いと呼ばわるので、彼女は鼻を鳴らして馬を進めた。カラスは目をすがめて彼女の背中を見つめ、それから後を追った。

 ジローが言ったとおり、一行は日暮れ近くになって丘を下りきり、森へ突き当たった。丘の裾と森の間には、手入れのされていない道が南北に伸びている。カラスとカトリーヌは周囲の偵察に出かけ、残った仲間たちは野営の準備を始めた。ジャンはアランに言われ、彼女と一緒に枯れたシダを集めて回り、丘のふもとにある平らな地面へそれを敷き詰めた。少女が言うには、寝床に敷くとこれが具合の良いクッションになるらしい。ためしにその上へマントを広げて横になってみると、藁のベッドと遜色のない寝心地だった。ほどなくして、カラスとカトリーヌが戻ってくると、彼らは馬を下りて報告を始めた。

「丘の方に異常はないが、ここから道を半マイルほど南へ行ったところに、森へ入る新しい足跡があった」カラスが言った。

 マルコは片方の眉を吊り上げた。「何人だ?」

「見た限りじゃ五、六人だな」

「密猟者かな?」ジローはたずねた。

「そんな風に見えたが、足跡の主が密偵だとすると、あまりあてにならないだろう。やつらは足跡を誤魔化す方法ならごまんと知っているからな」

「あたしが見てきた北の方は古い足跡がいくつかと、狼の糞があったわ」

「なるほど」マルコは渋い顔をした。「今夜はたき火をした方がよさそうだな。密偵も心配だが狼と喧嘩はしたくない」

「薪が必要だね」ジャンはアランを見た。「行こうか?」

 アランは頷いた。

「森には入るなよ」マルコが言った。

「わかった」

 二人が薪を集めて戻ると、マルコとジローは石を集めてかまどを作っていた。少し遅れて、カラスとカトリーヌも薪を抱えて戻ってきた。太陽は野営地の背後にある丘の向こうに沈み、辺りはあっと言う間に暗くなった。ジローは出来上がったかまどに小枝と火口ほくちを並べ、火打石を擦ってその上に火花を落とした。ぱっとオレンジ色の炎が上がり、ジローは仮面の顔を火元に近付けて息を吹きかけながら慎重に炎を育てた。太い薪に火が移る頃になると、辺りは完全に暗くなり、炎の光が届かない場所は炭のように真っ黒な闇に覆われた。

 夕食を終えると、見張りのジャンとアランを残して大人たちは寝床に就いた。二人は時々、薪をくべながら周囲を警戒し続け、何事もなく割り当ての時間を過ごした。それから最初の晩と同じようにマルコを起こし、寝床へ就いた。

「みんな起きて!」

 ジャンはカトリーヌの叫び声で飛び起きた。どれほどの時間を眠っていたのかはわからないが、空はまだ暗かった。寝ぼけ眼で辺りを見回すとアランは抜刀し、同じく剣を構えたマルコやカラスと並んで、たき火を背に辺りを見回している。

「何事だい?」と、ジローがのんびり起きてたずねる。

「森の方から矢が飛んで来たの」カトリーヌはたき火の横を指さした。そこには、地面へ斜めに突き刺さる矢があった。

 矢音が聞こえ、アランが剣を振った。折れた矢が地面に転がった。

「火を消せ、的になるぞ!」カラスが叫んだ。

 ジローが弾かれたように動いてたき火に土をかぶせたので、辺りはたちまち真っ暗になった。

「ジャン」カトリーヌが耳元で囁いた。「身を低くして、マントを森に向けて掲げなさい。それで、ある程度なら矢を防げるわ」

「わかった」ジャンは言われた通りにした。

「アランと旦那はジャンを守ってくれ」カラスの声が聞こえた。「カトリーヌ、俺たちは森だ」

 ジャンの横からカトリーヌの気配が消えた。入れ替わりに、土を踏む微かな音がして覚えのある匂いが鼻をくすぐった。「アラン?」

「そうだ」アランの声が聞こえた。

 ジャンはほっと息を吐いた。彼女が近くにいれば、また誰かにさらわれるようなことはないだろう。

 ようやく暗闇に目が慣れた頃、森の奥から微かにうめき声が聞こえた。ジャンはアランを見上げるが、彼女は森に剣先を据えたまま微動だにしなかった。しばらく経って、森の中からカラスとカトリーヌが姿を現した。

「もう火を起こしても大丈夫だ」カラスが言った。

 ジローがたき火の土を除け、残っていたおきに息を吹きかけて炎を熾した。辺りが再び明るくなると、ジャンはカラスの手に細長い菱形をした黒い短剣が握られていることに気付いた。彼は短剣を地面に何度か突き刺してから手の平で半回転させ、それを魔法のように消した。カトリーヌが持っていたのは、何の特徴もない両刃のナイフで、その刃はべったりと血で汚れていた。彼女はエプロンのポケットから破れた手巾を引っ張り出し、短剣を丹念に拭った。そうして、刃に一滴も血糊がないことを確認してから汚れた手巾をたき火の中に放り込んだ。短剣はいつの間にか消えていた。ジャンは彼女が武器をどこへしまったのか全くわからなかった。

 マルコは鞘に剣を収めて地面に腰を降ろし、「それで?」と報告を求めた。

「俺が殺したのは三人だ」カラスは言って、カトリーヌを見た。「そっちは?」

「二人よ」カトリーヌは人差し指と中指を立てた。「一人は、ちょっとおしゃべりをしてから逃がしてやったわ」

「慈悲深いんだね」ジローが炎に薪を放り込んで言った。

「そうじゃない」と、カラス。「彼女は俺たちを襲っても無駄だってことを、そいつに教えたんだ」

「だって、彼らは密偵じゃなくて森に隠れ住んでるただのならず者なんだもの。いちいち皆殺しにしてたんじゃ面倒でしょ?」

「ならず者って、ダミアンたちみたいな人たち?」ジャンはたずねた。

「まあ、そうだな」マルコが答えた。「悪さをして村を追いだされたり、領主から賞金をかけられたり、借金で首が回らなくなったりと理由は色々だが、人里で暮らせなくなった連中が森へ逃げ込んで、追剥なんかをしながら暮らしてるんだ。臆病でかたき討ちを思い付くほど仲間思いな連中でもないから、これだけ脅せばもう襲ってこないだろう」彼は空を見上げて渋い顔をした。「寝直すにはちょっと遅いな。そろそろ夜が明けそうだ」

「王都までは、あと一日かそこいらだ。今日くらいは、ゆっくりしてもいいんじゃないかね?」ジローは提案した。

 マルコは首を振った。「議会は四日後なんだ。なるべく早くたどり着きたい」

「そう言う事なら仕方ないね。でも、せっかく火もあるんだし、朝飯は温かいものを座って食べようじゃないか」ジローは馬の積み荷から大きなパンとベーコンの塊を取り出した。

「それについて異論はない」マルコは胃袋のあたりを撫でた。

 朝食を終えると一行は忘れ去られた道をたどり南へ向かった。彼らは所々に木の根が這う路面と、道の上に張り出した枝に難儀しながらのろのろ進み、昼ごろになってつづら折りの下り坂に行き当たった。

「ひどい道だな」マルコは坂の入口で馬を止め、ぶつぶつ文句を言った。

「でも、ここを下りきれば王都までは一日も掛からないよ」ジローは言った。

「馬が根っこに足を取られて転ばなければな」

「不吉なことを口にすると、本当になるんだよ。知らないのかい?」

「知らんな。目に見える危険を無視して、ひどい目に遭う連中なら何度か見たことはあるがね」

 カラスが隊列の後ろから声を上げた。「旦那」

 ジャンが振り向くと、カラスとカトリーヌが後ろを警戒しながらやって来るのが見えた。

「どうした?」マルコがたずねた。

「どうやら、森の中に隠れてる連中がいるようだ」カラスは微かに緊張した様子で答えた。「ざっと数えたが、両手に余るくらいはいたぞ」

「密偵かな?」ジローが首を傾げた。

「たぶん、昨日殺したならず者の仲間たちよ」カトリーヌは言って鼻に皺を寄せた。「しばらく身体を洗ってない人間の匂いがしたの。密偵なわけないわ」

「くさいと密偵をやっちゃいけないのかい?」

「あたしたちは、こそこそするのが仕事なの。それなのにぷんぷん臭ってたら、ここにいますって叫ぶのと大して変らないでしょ?」

「なるほど」ジローは納得した。

 マルコはしばらく考えてから口を開いた。「みんな、馬を降りるんだ。この道じゃ走って逃げるのは難しいし、一戦交えるにも馬の上だと不利になる」

 全員が指示に従い、マルコはそれを見てから来た道に向かって呼ばわった。「こそこそしてないで出て来たらどうだ、兄弟?」

 マルコは剣の柄に手を置いて反応を待った。しばらく経って、木々の間からみすぼらしい恰好の男たちが、ぞろぞろと道の上に出てきた。先頭に立つのは緑色のフードを被った男で、彼は弓をつがえてそれをマルコに向けていた。二人の距離は一〇〇フィートも離れていなかった。

「馬と女と有り金ぜんぶだ。それで勘弁してやる」フードの男は言った。

「あれが親玉だ」マルコはならず者を見据えたまま小声で言った。「殺せ」

 カラスは頷き、追剥たちの目を盗んで森の中に消えた。

「戦いが始まったら、ジローとカトリーヌはジャンを連れて先へ行くんだ」マルコは剣を抜き放った。「アラン、お前は手を貸せ」

「あんたちがいくらライオンみたいに強くっても、あの人数を相手にするのはちょいと骨が折れるだろう。積み荷にあった斧を貸してくれたら、私も手伝うよ」ジローが言った。

 マルコは疑わしげにジローを見た。「足を引っ張るなよ?」

「誰に言ってるんだい。私だって、追剥を相手にするのはこれが初めてってわけじゃないんだよ」ジローは馬に歩み寄って、積み荷を固定するベルトに差してあった斧を引き抜いた。斧を持った彼の構えは、恐ろしく堂に入っていた。

 アランはちらりとジャンを見た。

「腕利きの密偵がついてるんだから、僕は大丈夫だよ。今は伯父さんを助けてあげて」ジャンは言った。

 アランは頷き、剣を抜き放った。

「よし、行くぞ!」

 マルコの合図で、三人は追剥の頭目に向かって突進した。フードの男は素早く矢を放つが、それはマルコの剣の一振りで叩き落された。頭目は後ろへさがり、手下たちが押し合いへし合いしながら武器を手に狭い道を進み襲い掛かってきた。

「あたしたちは逃げるわよ」カトリーヌは馬に飛び乗ると、手を伸ばしてジャンを鞍の前に引っ張り上げた。

「大丈夫なの?」ジャンは疑わしげにたずねた。「おじさんは、走って逃げるのは難しいって言ってたよね」

「難しいってだけで、できないわけじゃないわ。さあ、しっかり鞍に捕まって」

 ジャンが頷くや否や、カトリーヌは恐ろしい速さでつづら折りの坂を下り始めた。金属がぶつかり合う戦場の音はあっと言う間に小さくなり、聞こえなくなった。ところがカトリーヌは、それでも馬の足を緩めなかった。ジャンは訝しく思い、首を捻って彼女の顔を見た。「ねえ、そろそろゆっくり降りた方がよくない?」

「だめよ」カトリーヌは前を真っ直ぐ見たまま言った。「もっと距離を取らないと追いつかれるわ」

「おじさんたちが負けるって言うの?」ジャンはぎょっとして訊いた。

「ああ、そう言う意味じゃないの」カトリーヌは微笑んだ。「彼らは四人で、相手はその三倍以上もいたでしょ。手が回らなくて討ちもらした連中が追って来るかも知れないわ」

「そっか」ジャンは納得した。

 カトリーヌは馬を走らせ続けた。そうして音をあげた馬が並足になったころ、彼らはようやく坂を下りきり、森を抜けた。ジャンの目の前には青々とした麦畑が広がり、その中を一本の白い道が伸びていた。道のずっと向こうには、夕日を受けて輝く巨大な石の城塞があった。

「あれが王都よ」カトリーヌは言った。彼女は出し抜けにジャンを抱きしめ、音を立てて彼の頬にキスをした。「やったわ。あたしの勝ちよ!」

(6/10)誤字修正

(6/25)誤字、脱字……と言うか、脱行修正

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