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プリンセスコード  作者: 烏屋マイニ
魔界の王国
42/46

27.偽りの巫女

 不意に食堂の扉が開かれ、ユーゴがずかずかと入ってきた。その後を女中が慌てた様子で追いかけてきて、彼を脇から追い抜くと、ジャンヌに駆け寄り早口で言った。「ユーゴ様がお着きです」

「お着きですもなにも、見りゃあわかるじゃねえか」ユーゴは訝しげに女中を見て言った。

「でも、これが私の仕事なんです」女中はユーゴを睨んで言い返した。

 ユーゴは目をぱちくりさせた。「そりゃあ、邪魔して悪かったな。けど、俺もちょいと急いでたんだ」

 女中は、つんとそっぽを向いて食堂を立ち去った。

「ようこそ、クタンへ」ジャンヌは面白がるような目を密偵に向けて言った。

「邪魔するぜ、領主さん」ユーゴは言ってテーブルに歩み寄り、自分のナイフを取り出して、山鳥の腿を手早く一本切り取った。

「ちょっと、それ私の」ウメコが抗議した。

「一人で一羽を食っちまうつもりか?」ユーゴは言って、腿肉にかじりついた。

「カトリーヌはどうした?」マルコがたずねた。

 ユーゴは口の中のものを飲み下してから答えた。「礼拝堂だ」

「あいつは、そんなに信心深かったか?」と、カラス。

「別に、お祈りに行ったわけじゃねえよ。このお屋敷から、馬を飛ばして出ていくやつがいたから、ちょいと気になって後をつけたんだ。その行き先が礼拝堂だったってわけさ。カトリーヌは教会と魔族が手を組んでると考えていたから、お屋敷で何かまずいことが起きているかも知れないと言って、俺を一足先にここへ行かせたってわけさ」

「マルコおじさんからベルンの事件は聞いているが、人心の安寧を願う教会が魔族と関わり合っているなど、正直なところ未だに信じられずにいるのだ」ジャンヌは眉間に皺を寄せてつぶやいた。

 ユーゴは腕組みをして頷いた。「マリユスの親父は、教会にちょいちょい寄付をしていたから、彼が魔族のために、あれこれ働きかけてたってだけじゃねえのか?」

「そうだとしても、信徒ですらない魔族を司祭に据えるのはやりすぎです。ザナの件は、教会そのものの意向と考えるべきでしょう」アベルが言った。

「屋敷から飛び出した者の様子を聞かせてくれないか?」と、ジャンヌ。

「年寄りだったぜ。立派な服を着ているのに、供の一人もつけていないから、妙に思ったんだ。あんたのところの家令か執事じゃねえのか?」

「セルジュだ」ジャンヌは眉間に皺を寄せて言った。「姿を見かけないと思ったら、そんなところにいたのか」

「ちょっと思ったんだけど」ジローがテーブルの上の料理を指さした。「使用人たちのボスが魔族と何か関係があるんなら、料理人に変わった味付けを命令してるなんてことは、考えられないかい?」

「もしそうなら、俺が料理に手を付けるはずがねえだろう。なあ?」ユーゴはクシャロに同意を求めた。

「そもそも、私たちはジャンを生け捕りにしたいんです」クシャロが思い出させた。「みんなで食べる食事に混ぜ物なんてしたら、彼を巻き添えにするじゃないですか」そう言って、彼女はボウルに入った生野菜をむしゃむしゃほおばった。「生の野菜が、こんなに美味しいとは思いませんでした」

「私も初めて食べた時は、そう思ったよ。なんでも、油が野菜の苦みを和らげてくれるらしい」ジャンヌは言って、マルコに目を向けた。「礼拝堂へ行って、セルジュに話を聞いてみないか。教会なり魔族なりが企んでいることの一端を掴めるかも知れない」

「ゆっくり食事もさせてもらえないようだな」マルコはため息をついて席を立った。彼は食堂の壁際に立って控える給仕たちを、ちらりと見て続けた。「せっかくだから、全員で行くとしよう。他の使用人たちの信心深さを、疑うわけにはいかんだろうからな」

 つまりマルコは、魔族の意向を受けた人間が、まだ屋敷の中にいる可能性を疑っているのだ。しかし、そうであれば、ジャンヌはどうなのだろう。彼女もまた、信仰に厚い北部の人間なのだ。教会と無関係であるはずもない。とは言え、この新しい友人に、面と向かって疑念を伝えるのは、いささか心苦しい。

「なあ、辺境伯さん。あんたの信仰心はどうなんだ?」ジャンの躊躇をよそに、ユーゴがずけずけとたずねた。

「もちろん、モンルーズも教会には少なからず世話になっているから、私も折に触れて礼拝には顔を出すようにしている。しかし、誓って魔族との関わりなど無いぞ」ジャンヌは気を悪くした様子もなく、あっさり答えた。

 アベルが咳払いをした。「七柱神教では、女神の神性を否定すると言って、女性が男性の格好をすることを、あまり好ましく思っていないんです。彼女を疑うなら、むしろ領地に礼拝堂を建てるような私こそ、怪しむべきではありませんか?」

「仲間同士で、あれこれ勘ぐり合っていても始まらん」マルコはユーゴをじろりとにらんだ。「それに、あんたもいっぱしの密偵なら、我々の身持ちについては、とっくに調べを付けているんだろう?」

「まあな」ユーゴは肩をすくめた。

「だったら本人に尋問するなんて、素人臭い真似はよせ」

 ユーゴは口をへの字に曲げ、マルコを睨みつけた。

「まあ、クシャロなんかと付き合ってる自分を棚に上げて、何を言ってるんだって感じですよね」と、魔族が口を挟む。

 ユーゴは小さく首を振り、ジャンヌに目を向けた。「悪かったな」

「構わないとも」ジャンヌは寛大にも言った。「君が仕事熱心だと言うだけのことだ」

 一行はジャンヌの屋敷を出て、それぞれの馬に乗り込んだ。食堂からの移動に、ジャンヌがマリユスを運ぶ役を買って出たが、当の本人から丁重に断られ、結局その役目はジャンが担うことになった。

「彼女に頼るのが、格好悪いと思ってるわけじゃないんだ。君には当たり前に手を借りてるわけだし?」夜道を進みながら、マリユスはジャンに馬を寄せ、こそこそと言った。彼は胸の前である仕草をした。「でも僕たちは、そう言うのに触れて平気でいられるほど、子供じゃない」

「うん、わかるよ」ジャンは頷き、理解を示した。

 礼拝堂の前に着くと、門前には赤々と松明が灯されていた。そのそばには馬を連れたカトリーヌがいて、彼女は一行を認めるなり言った。「あらまあ。ずいぶん、大勢ね?」

「お前が見た男は、ジャンヌの屋敷の家令だったんだ」カラスが説明した。

「なるほど」カトリーヌは頷き、ジャンヌに目を向けお辞儀をした。「カトリーヌと申します、閣下」

「よろしく、カトリーヌ」ジャンヌは笑顔で右手を差し出した。「アランの提案で、マルコおじさんの友達は、みんな友達同士と言うことになったのだ」

「そう言うことなら」カトリーヌも笑みを浮かべ、握手を返した。女密偵は笑みを消し、マルコに目を向けた。「ちょっと中を覗いてみたんだけど、あの礼拝堂に祀られてるのは七柱神なんかじゃないわ」

 マルコは訝しげに片方の眉を吊り上げた。

「ほとんど裸と変わらない格好の女の子を祭壇の前に座らせて、それをみんなで拝んでるの。司祭は彼女を女神の巫女と呼んでたけど、たぶん、あれは魔物よ。リュネ公爵の別邸にいた魔物の女の子たちと、雰囲気がよく似てたもの」

「みんな?」マルコは聞き返した。

 カトリーヌは頷く。「ジャンヌの家令が司祭に何かを言うと、すぐに使いが出て人が集められたの。あそこにいるのは司祭と巫女も含めて全部で十三人よ。彼らには後ろ暗いものがあるみたいで、最後の一人が入ったところで扉に閂を掛けてたわ」

「馬鹿な」ジャンヌが憤慨して言った。

 ジャンがその様子を見て首を傾げると、アベルが説明した。「教会は戸口に立つ者を、拒まないものなのです。以前、クァンタンが女神について言った言葉を覚えていますか?」

 ジャンは思い出した。「女神に賜った慈悲を、他者へ分け惜しむなかれ?」

 アベルは頷く。「扉に鍵を掛けていたのでは、その教えにかないません」

「つまり、礼拝堂にいる人たちは七柱神教徒じゃないってこと?」

「おそらく、女神崇拝だろう」アランが言った。

「七柱神教だって、女神様を拝むよね?」マリユスがたずねた。

「七柱神教は八柱の神を等しく崇めるが、女神崇拝は女神を唯一神として、他の七柱の神を否定するんだ」

「そんなの信じる人の自由だし、こそこそする理由にはならないと思うけど」マリユスは言い張った。

「まあ、そうだな」アランは認めた。「しかし、巫女と称する幼い少女を薬漬けにして、意思を奪った上で何人もの男と交わらせ、死ぬまで子を産ませる行為は、信仰以前に人道に外れる」

「そんな非道が、本当に行われているのですか?」アベルが気色ばんで言った。

「帝国時代の話だ。女神崇拝の信徒は女神の降臨を望んでいて、巫女が女神の魂を宿した子供を産むと考えていた。帝国はその蛮行を見咎め、女神崇拝を禁教としたが、反発した信徒が反乱を起こし、多くの死者を出した。それからしばらくは、女神を大っぴらに崇めることをはばかる風潮が高まり、本来は八柱の神を祀る教えが、七柱神教と呼び習わされるようになったと言うわけだ。もちろん、その出来事が人たちの記憶から薄れるにつれて、彼女への信仰に眉をひそめる者もいなくなったが、古式ゆかしい女神崇拝が復活するとは思っていなかった」

 アベルは礼拝堂の扉を睨みつけた。「女神の名の下に、そのような無慈悲を為すなど、私には理解できません」

「でも」と、クシャロ。「巫女とやらに魔物を選んだのは賢いですね。魂が空っぽだから、わざわざ薬漬けにする必要なんてないし、人間よりもずっと丈夫ですから。もっとも、魔物と人間の間に子供を作れるかは知りませんけど」

「あれだけの形態変化を起こすってことは、見た目は人間らしくても、中身はまったく別の生物と考えた方がいいわ」と、ウメコ。「たぶん、交配は不可能ね」

「もうちょっと、情緒のある言い方はできないんですか?」クシャロは苦言を呈した。

 ウメコは首をかしげる。「交接?」

「ウメコは生物学に寛容な殿方が現れない限り、お嫁さんにはなれないでしょう」クシャロは予言した。

「そもそも、こいつが嫁に行く姿を想像できないんだが」カラスが言った。

「それは思ってても、言うことじゃないですよ」

「二人とも」ウメコは剣呑な口調で言った。「頭に松ぼっくりを落とされたいのか?」

「いつまでくっちゃべってるつもりだ」ユーゴがいらいらした様子で口を挟んだ。「さっさと行こうぜ?」

 カトリーヌがくすりと笑う。「裏口があるの。ついてきて」

 一行は門をくぐり、礼拝堂の裏手に回る。カトリーヌの言う裏口は、おそらく司祭の住居である離れと礼拝堂を繋ぐ渡り廊下に面した通用口だった。全員が馬を降り、足が不自由なマリユスはジャンが背負った。カラスが通用口の扉に手を掛けると、それはあっさりと開いた。

 カトリーヌの案内で堂内に侵入し、こそこそと階段を上って出た場所は、側廊の上を通る通路だった。見下ろした先にある身廊には十一人の老若男女が跪いていて、その身なりは様々だった。ジャンから見て左手にある祭壇に近い最前列には、家令のセルジュの姿があった。

 祭壇の前には、つやのある布が掛けられたクッションが置かれ、その上には肌が透けて見える薄衣をまとった幼い少女が、埋まるように座っている。年の頃は十にも満たないように見え、金髪で、うつろな笑みを浮かべるその顔立ちは、アランやクシャロによく似ていた。

 少女の傍らには、白い祭服姿の男がいて、彼は手にした小さな本に目を落とし、なにやらぼそぼそとつぶやいている。すると、不意に少女の目に光がやどり、彼女は口を開いた。「私を呼ぶのは何者だ」

 ジャンは素早くクシャロを見た。魔族の少女は頷き、言った。「例の魔法ですね。きっと、あれを操っている魔族が、どこかにいるはずです」

「近い?」

「地球の裏側よりは近いでしょうね」クシャロは肩をすくめた。「でも、この魔法の限界については、よくわかってないんです」

 司祭は少女の前にひざまずいた。「原初の母よ。クタンのマヌエルにございます」

 わずかな間があり、巫女は再び口を開く。「何用だ、マヌエル」

「剣王の御子が、辺境伯の屋敷を訪れました」

 少女はおもむろに、ソファから身を起こした。「彼は、まだそこにいるのか?」

「詳しくはセルジュがお伝えします」司祭は身を引き、セルジュに目配せした。

 家令は少女ににじり寄り、口を開いた。「殿下のご一行は、明日の昼頃まで屋敷に逗留なさいます。その後は、ベアへ向けて旅立つと申しておりました。さらにベアで同行者の一人と別れた後は、イゼルへ向かうとのことです。イゼルの王女が殺され、殿下はそれを告げる使節として遣わされたとか」

 沈黙があった。ずいぶん経って、巫女は言った。「我が愛し子たちよ。お前たちは、疾く御子を救わねばならぬ。なぜなら今、御子とともにあるのは、汚らわしき魔王の分け身なのだから」

 司祭とセルジュは息を飲み、信徒たちは隣り合う者と目を見合わせ、ざわざわと言葉を交わす。

「セルジュよ。お前は御子の一行に、大剣を負い異国の服をまとった幼い娘を見たはずだ」

「はい、聖母様。確かに、そのような娘の姿がございました」

「あつかましくも、彼女は剣王の魂の器などと称しているが、騙されてはならぬ。あの娘こそが、魔王の分け身なのだ」

「あんなこと言わせといていいのかい?」ジローがこそこそとアランに話しかけた。

 アランは肩をすくめた。「前にも言ったが、この身体は魔王の腹から出て来たものだからな」

「しかし、なぜ魔王が御子の(そば)にいるのでしょう。剣王に討たれた恨みを、彼の息子の身で晴らそうと目論んでいるのでしょうか」司祭がたずねた。

「そうではない、マヌエル。剣王の御子が、英雄王アルシヨンの生まれ変わりであり、私が肉の身体を持ってこの世に帰った後には、その夫となるように定められていることは、以前に語るとおりだ。そうして私と御子の間に生まれた子は世界の王となり、平和のうちに地上を治めることとなるだろう」

 信徒たちがアーメンと唱和する中、ジャンはぎょっとして父に目を向けた。「僕が?」

「神話ではアルシヨンが女神と結ばれ、彼女が産んだ双子の息子が、それぞれベザンとフランドルの二王国を興したとされている。そして、後に三つの王国は帝国となり、大陸を支配した。お前がアルシヨンの生まれ変わりかどうかは別として、彼女はその逸話をなぞらえているのだろう」

 巫女の話は続いていた。「しかし、魔王は真なる世界の王の到来を望んでおらぬ。あれは自らがアルシヨンの妻となり、邪悪な王を産まんと企んでいるのだ。それは、阻止せねばならぬ」

「父さんが僕と結婚するなんてありえないんだけど?」ジャンはあきれて呟いた。

「そろそろ、たわ言にも飽きて来たな」アランは頷いて言った。

「だからって、信者たちの前で彼女を真っ二つなんかにしたら、ひどい騒ぎになるわよ」カトリーヌは警告した。「あそこにいる人たちを皆殺しにするつもり?」

「それについては、考えがあるんだけど」ジャンは言った。

 怪訝に見つめてくる仲間たちに、ジャンは思い付いた作戦を手早く説明する。アランとマルコは声をそろえて「また、お前は」と苦言を吐きかけるが、互いに顔を見合わせてため息を落とし、結局は反対を引っ込めた。

 ジャンはマリユスをジャンヌに預けて立ち上がり、二階の通路から祭壇の脇へ続く階段の上に立った。そのすぐ後にはクシャロが控え、魔物の少女を拝む信者たちを眺め、小さく鼻を鳴らす。

「本当にできる?」ジャンは魔族の少女にたずねた。

「自分で思い付いておいて、今さらそれを聞くんですか?」クシャロはあきれた様子で言った。

 ほどなく信者の一人が二人に気付き、声を上げて彼らを指さした。「司祭様!」

 女神を崇める人たちの目が、一斉にジャンへ向いた。

 クシャロを従え、ジャンはシャルルに仕込まれた王室の笑顔を浮かべながら、悠然と階段を降りた。当然、彼の顔を知っているセルジュは目を丸くし、巫女は束の間呆気にとられた様子でいたが、事態が飲み込めると邪悪な笑みを浮かべた。「これはこれは、殿下」

 歩み寄るジャンが足を止めると、巫女はクッションから立ち上がった。近くで見る彼女の衣は本当に薄く、ふんだんに灯された蝋燭のおかげで、何もかもが透けて見えた。

「わざわざ出向いていただかなくとも、こちらからお迎えに上がりましたものを」

「ちょっと通りかかったんだ」ジャンは肩をすくめた。「そうしたら、面白そうなお芝居をやってると聞いて覗いてみたってわけさ。でも、君が女神役ならアルシヨン役は誰だろう。もし、まだ決まっていないなら立候補してもいいかな。一度、冬のお祭でやってみたいと思ってたんだ」

「いかな皇太子殿下とて、神を前に不敬であろう!」司祭が憤慨して言った。

「控えよ、マヌエル」巫女は冷たく言ってたしなめた。彼女は司祭が恐縮して、首を垂れるのを見てから続けた。「だが、貴様が言うように、未来の夫殿はいささか礼儀に欠けるようだ」巫女はジャンを指さした。「我が愛し子たちよ。王子を捕らえ、彼に神の夫たる態度を教えるがよい」

 信者たちが一斉に立ち上がり、たちまちジャンとクシャロを取り囲んだ。

「あーあ」クシャロは言った。「どうしてこう、いつも私を暴力沙汰に巻き込むんですか」

「僕はそうしてるつもりなんて、ちっともないんだけど」ジャンは小さく首を振ってから、二階へ向かって大声で叫んだ「ウメコ!」

 わずかに間をおいて、ぐるりと囲む信者たちの頭上に、大量の松ぼっくりが降り注いだ。彼らが悲鳴を上げて混乱する中、クシャロは松ぼっくりから自分の頭をかばいながら包囲を破り、巫女に突進した。魔物の少女はぎょっとして目を見開くが、その時にはもうクシャロは少女の頭に手を掛け、呪文を唱え始めていた。崇める神の危機に、司祭は素早く動いてクシャロに掴みかかろうとした。しかし、彼は「ぎゃっ!」叫び、鉄の棒が突き出した肩を押さえて尻もちをつく。二階通路を見れば、手裏剣を構えるカラスの姿があった。さらに、抜刀したアランとマルコとアベルが階段を駆け下りてきて、信者たちを蹴散らしジャンを囲んで背にかばった。

「うまく行きました」クシャロが駆け戻り、アランたちが作る守りの輪に飛び込む。

 ジャンは巫女に目を向けた。彼女はぽかんと宙を見つめ、魂のない魔物特有のうつろな笑みを浮かべている。ジャンは松ぼっくりの雨が降り止み、信者たちが落ち着くのを待ってから、クシャロに目を向け頷いた。

 途端、巫女の目に光が戻り、少女はぎょっとするような悪態を何度も吐いてから叫んだ。「この役立たずどもが!」

 信者たちはぎょっとして、態度を豹変させた巫女に目を向ける。

「母よ、一体どうしたと……」カラスの手裏剣を右肩に生やしたまま、司祭はよろよろと立ち上がり、戸惑った様子で問おうとした。

「だまれ、この――め」巫女は卑猥な言葉を投げ付け、それを遮った。「もう、お前たちにも、女神のふりにもうんざりだ。さあ、お前たちが巫女と呼んで崇めていたものの正体を拝むがいい」

 束の間を置いて、巫女の身体から、例の小枝を踏み折るような音が響いてきた。もちろん、それはジャンの作戦に従ったクシャロの仕業だった。魔物の制御を横取りし、信者たちに巫女が美しい少女などではなく、恐ろしい魔物であることを見せつけ、彼らの目を覚まさせようと言う算段だ。

「おっと」クシャロが呟いた。

「どうしたの?」ジャンはたずねた。

 クシャロは渋い顔をした。「あの魔物は、正体を明かしたら目に付くものを皆殺しにするよう、あらかじめ命令されてたみたいです。もう、クシャロの言うことを聞いてはくれません」

「大した問題ではない」アランが言って、剣を構えた。「叩き斬れば同じことだ」

「だが、今はだめだ」マルコが釘を刺した。「すっかり正体を明かすまでは、手を出すなよ。さもなければ、ジャンの作戦が台無しになる」

「わかっている」アランは頷く。

 巫女の全身は、笑みを浮かべる口元を残し、みるみる緑色の甲殻に覆われて行く。両目は巨大な複眼に変わり、その顔は畑で見かけるバッタにそっくりになった。さらに、右の前腕にはサソリの尾端にある毒針にそっくりな器官が付き、ついに彼女は人とも虫ともつかぬ怪物へと変容した。

「魔物だ」信者の一人がぽつりと言った。たちまち悲鳴が上がり、信者たちは礼拝堂の出口へ殺到する。しかし、そこにはすでにカトリーヌとユーゴの姿があり、二人は押し寄せる信者たちを片っ端から昏倒させた。もちろん、その中には家令のセルジュも含まれていた。

「父さん!」ジャンは言った。

 アランは頷くなり、正体を現した魔物に襲いかかった。しかし魔物は、アランの剣を右腕の湾曲した毒針であっさりと受け止め、さらには素早く蹴りを繰り出し、少女の小さな身体を吹き飛ばした。アランは見守るジャンたちの横を一〇フィートほど転がってから、すぐさま飛び起き剣を構えるが、ぎゅっと顔をしかめ、右手で蹴られた腹を押さえる。

 魔物の攻勢は続いた。バッタの怪物は低く跳躍し、アランとの間合いを一気に詰めて畳み掛けるように攻撃を繰り出す。右手の毒針、左手の拳、そして強靭な脚による蹴り――それは、今までジャンが目にしてきた力任せの魔物の攻撃とは、まったく様相の異なるもので、アランもそれを持て余し防戦一方となった。

「何かしらの体術を心得ているようですね」アベルが呟き、マルコに目配せした。でぶの伯爵は頷き、「ここを頼む」と短く言い残し、アランの加勢に向かう。彼はアランを攻め立てる魔物を背後から斬り伏せようとするが、魔物は振り向くこともなく後方へ蹴りを放った。マルコもまた、腹にそれをまともに受けるが、アランの何倍も体重のある彼は吹き飛ばされることもなく、その場に踏みとどまった。

「軽いな」マルコは白い歯を見せ、お返しとばかりに鋭い突きを放つ。剣は魔物の胴を貫き、バッタ人間は耳障りな叫び声をあげた。さらに態勢を立て直したアランが右腕の毒針を切り落とし、たまらず魔物は高く跳躍して身廊の真ん中に飛び降る。ところが不運にも、そこにはウメコの魔法で呼び出された松ぼっくりがいくつか転がっていた。魔物はその一つを踏み、バランスを崩して仰向けに床へ倒れこんだ。

 余りにも間の抜けた展開に、誰もが唖然とする中、二階の通路から跳躍したカラスが、マントを翻しながら魔物の上に飛び降り、胸と腹にある甲殻の境目に片刃の短剣を押し込んだ。魔物は短く悲鳴を上げ、ごぼごぼと黒い血を吐きながら、たちまち事切れて動かなくなった。

「今回は、妹殿の魔法が大活躍だったな」カラスは鼻を鳴らして言った。

「みんな、もっと感謝してもいいわよ」ウメコが階段を降りながら、恩着せがましく言った。彼女の後からは、マリユスを横抱きにしたジャンヌも降りてくる。もちろんマリユスは頬を染め、ひどくきまりの悪い顔をしていた。

 辺境伯は少年を礼拝用のベンチに座らせると、祭壇の横に立ち尽くす司祭に歩み寄り、言った。「宗旨替えの理由を聞こうか?」

 マヌエルは釣り上げられた魚のように、しばらく口をぱくぱくさせてから、ようやく声を発した。「し、知らなかったのだ。巫女が、まさか、あんな化け物だったなど」

 ジャンヌは小さく首を振る。「そもそも、なぜ貴様は彼女を巫女だと考えたのだ。いや、どこからあれを連れてきた?」

 司祭は我に返った様子で目を見開き、唇を引き結んだ。

「よお。尋問なら、手伝おうか?」意識のない信者をまたいで、ユーゴが歩み寄ってくる。彼は祭壇から少し離れた場所で足を止めると、鋭いナイフを取り出し、これ見よがしに片目を閉じて刃の様子を調べ始めた。

「ニコラ司教だ」マヌエルは急いで言った。「彼が私に女神の教えを説き、それこそが真の信仰であると私に気付かせたのだ。巫女を私に託したのも司教だ」

 ジャンヌはマルコに目を向けた。「彼の教区はリュネとロゼだ」

「ザナをロゼの司祭に据えたのも、彼のようだな」マルコは言って頷いた。

「でも」カトリーヌがやって来て口を挟んだ。「あたしが知る限りだと、彼の教会内での地位は、そんなに高くなかったはずよ?」

「俺も教会の権力構造には明るくねえが、司教ともなると自分の教区内に限れば、多少は勝手が利くようだぜ。司祭の人事をいじるくらい、わけはねえだろう。空席があるならなおさらだ」と、ユーゴ。

「二コラ司教が、他人の教区にいる司祭にちょっかいを出している理由はなんだ?」マルコは顎をしゃくってマヌエルを示した。

「ちょっかいを出された本人に聞けよ」ユーゴは肩をすくめて言った。

 マルコはぶつぶつ悪態をつき、マヌエルに目を向けた。聖職者はユーゴのナイフをちらりと見てから口を開いた。「司教が管轄する教区は、われわれ司祭が受け持つ小教区の集まりなのだ。教会における司教の発言権は、それを支持する司祭の数と言っても構わない」

「そうなると、司祭になれば司教からの賄賂で大儲けできそうだな」カラスが言って鼻を鳴らす。

「二コラ司教が接触してきた時は、私もまさにそれが目的だと考えたのだ。しかし彼は金子の一つすら寄越さず、ただ教会のありようを憂い、共に正しい教えをなそうと切々に訴えるばかりだった。興味を無くした私は、早々に帰ってもらいたい一心で適当に相槌を打っていたのだが、一通り話し終えた司教は客間の外から少女を呼ばわり、この娘こそが女神の巫女であると告げた。彼は、私に巫女を預けるから、身を持って女神の慈愛を知れと言い残して立ち去った。そして巫女は衣服を脱ぎ捨てると無垢な笑みを浮かべ、訳が分からず立ち尽す私のローブをまくり上げ、その小さな口に私の――」

「その辺りは端折ってくれて構わんよ」マルコはマヌエルの言葉を遮り、ちらりとジャンヌを見て、咳払いをしてから続けた。「それで、あんたは二コラ司教を支持し、女神崇拝を始めたわけだな?」

 マヌエルは頷いた。「私は巫女を通して語られる女神の指示に従い、信徒を集めた。彼らは信仰にしがみつきながらも、なかなかよくならない暮らしぶりに不安や不満を抱える者ばかりだったから、真に崇めるは女神だけであり、彼女の慈愛を地上へ現出させることこそが正しい救いの道であると、気付きを与えるだけで熱心な信者となってくれた。しかし、彼らは信仰の喜びをさらに広げるべきだと主張しはじめ、私は彼らをなだめるのに四苦八苦する羽目になった。なぜなら教会には、かつて女神崇拝者が受けた迫害の記録があり、民の忠誠を神に奪われることこそ、時の為政者が恐れるものだと、よく知っていたからだ。そこで私は大っぴらな信仰の活動を抑え、体制の目が届きにくい貧民たちに、その教えを広げることにした。女神の名のもとで彼らに施しを与えることは、まさに女神の教えを実践することであり、しかも彼らは我々がいずれ女神を産むべき巫女を、一人でも多く欲していると知って、わずかな金銭と引き換えに自分らの幼い娘や孤児たちを捧げるようになった。我々は彼らの献身に感謝し、新たな巫女たちに女神への思いを注ぐと言う仕事に喜んで勤しんだが、彼女たちに女神が宿ることはなく――」

 アベルは大股で司祭に歩み寄り、彼を拳で殴りつけた。司祭は白目をむいて昏倒し、ベア男爵はしかめっ面で呟いた。「胸くそが悪い」

「私も同じ気分だ」ジャンヌは鼻筋に皺を刻んで言った。「私の治政の不行き届きが、それを許したとなれば、なおさらだ」

「だが、やつの犯罪に関する自供を聞きそびれたぜ」と、ユーゴ。「腹が立つからと言って、調子よくしゃべっているやつの邪魔はするもんじゃねえや」

「申し訳ありません」アベルは素直に謝った。「しかし、こう言う話は我慢がならないんです」

「それで、こいつらはどうするんだい?」ジローがたずねた。

「ひとまず縛り上げて、あとは街道警備隊に任せたらいいわ」カトリーヌが言った。「いずれにしても、ここから先の旅は、彼らの助けが必要になると思うの」

 ジャンは、カトリーヌが言わんとすることに思い当たった。セルジュが、マルコに根掘り葉掘りと予定をたずねたのは、そのためだったのだ。「僕たちは、街道警備隊の部隊と一緒に行くんだね?」

 カトリーヌは頷いた。

「どう言うこと?」マリユスがたずねた。

「あの巫女を操っていた魔族は、ここで僕を本当に捕らえられるとは考えてなかったんだ。だから、セルジュに僕たちが向かおうとしている場所を調べさせた。たぶん、これでメーン軍は行き先を変えるはずだよ」

 マリユスは目をぱちくりさせた。「ひょっとして、彼らが軍を動かしたのは王都を襲うことなんかじゃなくて、ただ君を捕まえるため?」

「レオンが同じことをやって成功したからこそ、僕と君が一緒にいるんだよ」

「あ、そっか」マリユスは頷いた。「偽物が同じことを考えないわけがないよね」

「しかもセルジュは、僕たちがイゼルへ向かう理由までしゃべってしまったんだ。メーン軍に魔界の入口を塞がれたら、僕たちはにっちもさっちも行かなくなる」

「おそらく」と、アベル。「行軍の速度を考えれば、その心配はないでしょう。戦場は、別の場所になるはずです」

「それは、どこ?」

 ジャンがたずねると、アベルは大きく息を吸い込み、眉間に深い皺を刻んで言った。

「ベアです」

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