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プリンセスコード  作者: 烏屋マイニ
魔界の王国
41/46

26.ジャンヌ

「おいおい、ジャンヌ」マルコは目を白黒させた。「お前さんはもう、九歳の女の子じゃないんだぞ?」

「だが、私にとっては十年前と同じマルコおじさんだ」

 誰もがその様子をぽかんと見つめる中、ジローが口を開いた。「こんな美しいご婦人と親しげな関係にあるなんて、旦那もすみにおけないね?」

 マルコはモンルーズ辺境伯の身体を押しやり、一つ咳ばらいをした。「この派手なのはジローだ。吟遊詩人で、新しい物語の取材のために、我々に同行している」

「ジャンヌだ。吟遊詩人殿」ジャンヌは笑顔で右手を差し出した。ジローがその手を握り返すと、彼女は続けた。「以前、父に連れられて王宮を訪ねたとき、マルコおじさんによくしてもらってな」

「さっきの二人の会話だと、会うのは十年ぶりに聞こえるんだけど?」

「あー、いや」ジャンヌはいたずらを見つかった子供のような顔になり、人差し指と親指で隙間を作って見せた。「実際は、もう少し長い」

 ジローは小さく首を振って、仮面の顔をマルコに向けた。「十年以上も放ったらかしにされて、それでも思われ続けるなんて、あんた彼女に何をしたんだい?」

「何もしとらん」マルコは慌てた様子で弁解した。「せいぜい勉強を見たり、剣のてほどきをした程度だ」

「だが、あの頃の王宮には(とし)が近い子供もおらず、父上も仕事で忙しくしていたから、私はずいぶん寂しい思いをしていたのだ。そんな時、なにくれとなく構ってくれたマルコおじさんを、私はすっかり好きになってしまったと言うわけだ」そう言ってジャンヌは、何やら憧憬にも似たまなざしをマルコに注いだ。

 マルコはきまりの悪い様子で、再び咳払いをしてから言った。「ちなみに剣の腕は九歳にして私が舌を巻くほどだったが、勉強はいまいちだった」

「仕方あるまい」ジャンヌは口をへの字に曲げて言う。「本を読んでいると、どうしても眠くなるのだ」

「言ってくれれば、私も稽古をつけてやったものを」アランが口を挟んだ。

「あの時、あんたは魔王退治の準備で忙しくしていただろう。そもそも、辺境伯を王宮へ呼び付けたのもそのためだ」

 アランは束の間考え、こくりと頷いた。「そうだった」

 ジャンヌは訝る様子で、アランとマルコを交互に見つめた。

「ただの小さな女の子にしか見えないだろうが、彼女はジャン=アラン先王陛下だ」マルコが紹介した。「いまわの際の魔王に呪いを掛けられて、こんな姿になってしまったと言うことになっている」

 ジャンヌは目をぱちくりさせた。「王都からのニュースは耳にしている。しかし、まさか――」

「信じられないだろう?」アランは肩をすくめた。「私もなんだ」

「手強い相手であることは、すぐにわかりました」ジャンヌは言って、腰に下げた剣の柄を拳で叩いて見せてから、深々と頭を下げた。「先王陛下」

「アランで構わん」アランは手を振ってお辞儀を止めさせた。「この格好の利点は、挨拶がシンプルになると言うことなんだ。お前がマルコの友人だと言うなら、ここにいる全員とも友人で構わないだろう。私も含めて、彼らもみんなマルコの友だちだからな。友だちは、閣下だの殿下だのと言ってぺこぺこ頭を下げたりしないものだ」

 ジャンヌはいたずらっぽく微笑み、頷いた。「御意のままに、陛下」

「やめるんだ」アランはしかめっ面をして見せた。

 ジャンヌは楽しそうに笑ってから、アベルに目を向けた。「久しぶりだな、アベル。里帰りか?」

「はい、ジャンヌ。それと、大佐から手紙を預かっています」

 ジャンヌは露骨に嫌な顔をした。「また恋文ではないだろうな?」

「本人は違うと言っていましたが、どうでしょう?」アベルは微笑んだ。

「それは、後で(あらた)めるとしよう」ジャンヌは言って、きょろきょろと一同を見回した。「家令からは、皇太子殿下もお見えだと聞いているが?」

「ああ、それなら」アランはジャンを顎で指し示した。「彼が私の息子のジャンだ」

 ジャンヌは、ともすれば不躾と言えるほどジャンを眺め回してから、満面の笑みを浮かべて右手を差し出した。「本物の王子様に会うのは初めてだ」

「がっかりしてませんか? そうは見えないって、時々言われるんです」ジャンは握手を返した。

「確かに今の格好では、よくあるお話に出てくるような王子様には見えないな」

「王宮でするような格好は、野宿にふさわしいと思えなかったんで」

「なるほど。賢明な判断だ」

 そう言って頷くジャンヌを見て、ジャンは訝しく思った。マリユスは、辺境伯を気難しい人物だと評していたが、目の前にいる彼女からはまったく逆の印象を受ける。

 次いで、ジャンヌはマリユスに顔を向けた。「それで、あなたはどちらの姫君かな?」

 マリユスは真剣な顔をジャンに向けた。「君が選んでくれた服を着ててもこれなら、やっぱり僕は裸でいるべきだと思うんだ」

「風邪をひくよ?」

「その時は、君に看病を頼むよ」

「お粥を匙ですくって、あーんしろってこと?」

「うん」

「勘弁して」

 マルコが吹き出し、ジャンヌは訝しげに彼を見つめた。

「彼は男なんだ」マルコはくすくす笑いながら説明した。

「それは失礼をした」ジャンヌはマリユスに向き直り、申し訳なさそうに謝った。

「マリユスです」マリユスは苦笑を浮かべながら、右手を差し出した。「一応、メーン公爵と言うことになっています」

 ジャンヌは握手を返してから、一呼吸遅れてぎょっと目を見開いた。「メーン軍が動いたと聞いているぞ。だとすれば、君はなぜここにいる。それに、父親はどうした?」

「殺された」マルコが短く答えた。

 ジャンヌは傷ましげにマリユスを見つめた。「それは、気の毒に」

 マリユスは肩をすくめた。「こう言うと親不孝に聞こえるかも知れませんが、正直、父上にはうんざりしていたんです。自分の命を狙う男を尊敬できるほど、僕はお人好しじゃありませんからね」

「どんな理由があって、親が子の命を奪おうとするのだ」ジャンヌは眉をひそめてたずねた。

「ご覧のように僕は足が不自由で、父上はそれが気に入らなかったんです。だから僕にそっくりで、身体に何の不自由も無い替え玉に跡目を譲ろうと考えました。そのためには、本物の僕が邪魔だったと言うわけです。もちろん、今行軍している部隊を率いているのは、替え玉の方です」

 ジャンヌは考え込み、しばらく経って口を開いた。「つまり私は、その偽物に対抗するための兵を出せばよいのだな?」

「話が早くて助かる」マルコは頷いた。

「承知した。では、モンルーズの全軍を殿下に預けよう」

「僕?」ジャンはぎょっとして聞き返した。

「君は皇太子だからな」ジャンヌは当然だと言わんばかりだ。

 もちろん、モンルーズの全軍ともなれば、一都市の駐屯地におさまる街道警備隊などよりも、兵の数ははるかに多いだろう。しかし、将軍でもない自分が、そんなことをして法に触れたりしないのだろうか。そもそも、それができるのであれば、戦力不足に頭を悩ませる必要もなかったはずだ。伯父に目を向けると、彼は苦笑いを浮かべてジャンヌに言った。「すまんが我々には他の用事があって、戦争にかまけてる暇は無いんだ」

「他の用事?」

 ジャンヌが訝しげにたずねると、扉が遠慮がちにノックされた。「何だ?」彼女が応じると、扉が開かれ家令が顔を覗かせた。

「お邪魔をして申し訳ございません」家令はぺこりと頭を下げた。「皆様のご予定をうかがいたいのですが、今、よろしゅうございますか?」

「ちょうど良かった」マルコは言って、ジャンヌに目を向けた。「実は、このあと仲間が二人、遅れて到着することになっている。カトリーヌとユーゴだ」

 ジャンヌは頷き、家令に目を向けた。「聞いた通りだ、セルジュ」

「ただちに客室の手配を致します」家令はマルコに目を向けた。「カトリーヌ様とユーゴ様のお食事は、みなさんとご一緒でよろしゅうございますか?」

「いや、いつ到着するかもわからんからな。手間でなければ、あとで簡単なものを用意してやってくれ」

「畏まりました」家令はお辞儀し、さらに続けた。「ご出立はいつごろでしょうか。入り用のものがございましたら、用意致しますが?」

「遅くとも、明日の昼頃までにはベアへ向けて発つつもりだ。しかし、支度はロズヴィルで済ませてあるから、世話には及ばんよ」

「ベア、ですか?」家令は少し驚いた様子で聞き返した。「てっきり、王都へお戻りになられるのかと」

「ここへは、ちょっと立ち寄っただけで、まだ先のある旅なんだ」マルコは言って、ジャンヌに目を向けた。「ベアにアベルを送り届けたら、我々はイゼルの王都へ向かう。実は、用事と言うのはそのことなんだ」

 ジャンヌはちらりとジャンを見た。「皇太子殿下を使節にあてるなど、一体何があった?」

「イゼルの王女が殺された」

 ジャンヌは息を飲んだ。「スイが?」

「知り合いだったのか?」マルコは訝しげにたずねた。

「イゼルの使節は、みなクタンへ立ち寄ることになっているのだ。しかし、そんな……」

 マルコは、絶句し青ざめるジャンヌをじっと見つめてから、彼女の手を取った。「ひとまず座ろう」

 ジャンヌは頷き、マルコに手を引かれるまま椅子に腰を降ろした。マルコは彼女の肩を優しく叩いてから、立ち尽くす家令に目を向けた。「何か、気を落ち着ける飲み物を頼む」

「すぐにお持ちします」家令は言い置いて、一つお辞儀をくれてから応接間をあとにした。みなも各々の席に着いて、ほどなく若い女中が三人、デカンタとお盆に乗せたゴブレットを持って現れる。マルコは、あとは自分たちでやると言って女中たちをさがらせ、錫のゴブレットにワインを注いでジャンヌに渡した。ジャンヌはそれを一気に飲み干すと、小さくため息を落としてから口を開いた。「スイがクタンに滞在したのは一週間たらずだったが、その間に私たちは良い友だちになったのだ」

 ジャンは頷いた。「彼女を嫌いになれる人は、滅多にいないと思います」

「そうだな」ジャンヌは苦笑いを浮かべた。「しかし白状すると、それまで私はイゼルの人たちを、文明人だとは考えていなかったのだ」

 アランは、モンルーズが北からの蛮族の侵入に、長らく悩まされて来たのだと言っていた。そうであれば、ジャンヌがスイたちに偏見を持つのも、仕方の無いことかも知れない。

「そして、自慢ではないが」ジャンヌは言って、一つ咳払いをした。「私は嫌いな人間を前にすると、どう繕っても、それが顔に出てしまうようでな」

 どうやら、それが気難しいと評される所以のようだ。

「だから、最低限の礼儀を損なわない程度に、使節の人たちとはなるべく関わらないようにしていたのだ。なんと言っても彼らは王の客人で、陛下の手前を考えれば、それを不愉快にさせるわけには行かないからな。ところがスイは、そんなことなどお構いなしに私に懐いて来た。なんでも、アルシヨンの女はみなドレスを着た淑女だと思い込んでいたから、私の格好がひどく不思議に思えたらしい」

「そう言えば、どうしてジャンヌさんは男装なんですか?」今さらのようにジャンはたずねた。

「剣が好きだからだ」ジャンヌは即答した。「もちろんドレスも嫌いではないが、稽古の度に着替えていたのでは時間の無駄だからな。とにかく、あれは脱ぎ着が面倒なのだ」

「そうですね」ジャンはジュスティーヌだった時を思い出し、ついつい同意していた。ジャンヌが怪訝な目を向けてくるが、理由を説明するのは少々面倒なので、あいまいに微笑んで誤魔化した。

「アランみたいな服なら、スカートでも邪魔になりませんよ」と、マリユス。

 メーン公爵の提案に、ジャンヌは苦笑を返した。「さすがに、この齢で素足をさらすのは恥ずかしい」

「似合うと思うんだけどなあ」マリユスは腕を組んでつぶやいた。

「一度くらい試してみたらどうだ?」と、アラン。

「絶対に着ないからな」ジャンヌは眉間に皺を寄せて宣言した。「ともかく、理由を説明すると、スイは私の考えがとても合理的だと感心し、淑女らしい格好が羊を追う上で、どれほど非効率的であるかをとうとうと語って聞かせてくれたのだ。それから私たちはすっかり意気投合して、友だちになった」

 確かスイは、ジャンが王になったら牧草地を作ってくれと言っていた。ひょっとして、王妃になっても牧羊を営むつもりでいたのだろうか。男装の王妃が羊を追う様子を人たちが見たら、きっと驚くに違いない。丈の短いスカートを穿いて、脚をさらされるよりはましかも知れないが。

「なんだか、変わったお姫様だったんだな」マリユスがぽつりとつぶやく。「お姫様って、もっとこう気位が高くて取っ付きにくそうに思ってた」

「スイはまったく気の置けない娘で、私とも友だちだったのだ。そしてジャンは、そんな彼女にめろめろだった」アランが余計なことをばらした。

「父さん!」ジャンは抗議するが、アランは聞こえないふりをしてそっぽを向いた。マリユスは面白がるような笑みを浮かべながら、首を傾げて無言で何かをたずねてくる。

「スイは、僕の婚約者だったんだ」ジャンは肩をすくめて白状した。

 ジャンヌは、ふと笑みを浮かべた。「彼女は、本物の王子様に会えるのを、とても心待ちにしていたのだ。私たちのおしゃべりの半分は、その話題で占められていた」

「残りの半分は?」興味を引かれてジャンはたずねた。

「もちろん、羊だ」

 聞くまでも無い事だった。

「それにしても」ジャンヌは笑みを消し、怒りに顔を歪めてから拳でテーブルを叩いた。その拍子に空っぽのゴブレットがひっくり返り、乾いた音を立てた。「一体、どこの馬鹿者が彼女を殺したんだ?」

「スイの侍女を覚えてますか?」

 ジャンヌは束の間宙を見つめ、ふと目を見開いた。「クセか?」

 ジャンは頷いた。「彼女はイゼルの使節なんかじゃなく、実は魔族だったんです」

「魔族?」

「魔王を信奉し、彼女を殺した剣王を恨む不穏分子だ」マルコが説明した。「アランの故国であるアルシヨンを滅ぼすために陰から権力者を操り、あれこれと陰謀を巡らせている。先代のメーン公爵が皇帝になろうと思い付いたのは、おそらく連中の入れ知恵だし、目下進撃中のメーン軍を率いる偽マリユスは、その傀儡だ。本物のマリユスを殺そうとしているのも、親父の意思と言うより、偽マリユスの背後にいる魔族の考えだろう」

「ずいぶんと物騒な連中のようだな」

 マルコは頷いた。「しかし、何より恐ろしいのは、魔族の一人一人が魔王と同じ力を持っていると言うことなんだ。彼女たちはアランが殺した魔王の肉片を体内に取り入れ、その力で魔物を産み、操ることができる」

 ジャンヌは眉をひそめた。「にわかには信じがたい話だ」

「ずいぶん疑り深い人ですね。クシャロが目の前にいるって言うのに」当の魔族が、肩をすくめて言った。

「きっと、魔物を連れていないからわからないんだよ」ジャンは指摘した。「ねえ、君は口を閉じてるんじゃなかった?」

「だから、辺境伯さんには直接話し掛けてないじゃないですか」

「一体、何を言っているんだ?」ジャンヌは訝しげにたずねた。

「クシャロが、その魔族なんです」マリユスが説明した。「もちろん、僕を殺そうと考えてる連中とは、別のグループに属してるんですけどね」

 ジャンヌはまじまじとクシャロを見つめた。

「クシャロは魔族の中でも、ちょいと変わり種みたいだから、参考にしない方がいいよ」ジローが助言した。

 ジャンヌは戸惑った様子でマルコに目を向けた。

「最初から話した方がよさそうだな」マルコは苦笑を浮かべ、これまでの経緯を、かいつまんでジャンヌに話して聞かせた。それが終わると彼女は腕を組み、眉間に皺を寄せてつぶやいた。「するとクセは、私たちのスイを二度も殺したのだな。彼女には必ず、この(あがな)いをしてもらうぞ」

「もちろんです」ジャンは熱心に同意しながらも、別なことを考えていた。スイの話題が出たことは、好機だった。王女をよみがえらせるには、どうしても遺体を見つけ出す必要があるのだ。そのためには、彼女が殺され場所を特定しなければならない。

「確かに、クセは許せません。でも僕は、どこかに打ち捨てられたままになっている人間のスイを見つけて、まずはちゃんと弔ってあげたいんです。もし彼女たちの足取りがわかれば、それが果たせるかもしれません」

 本来の目的を偽ったのには、もちろん理由がある。なんと言っても、これは不老不死につながる話だし、ジャンの書棚にある本には、それを題材にした物語がいくつもあって、大抵はろくでもない結末に至っているからだ。そんなことに、ジャンヌを巻き込むわけにはいかなかった。

「確かに、彼女を野辺に放っておくのはしのびない」ジャンヌは眉間にしわを寄せ、何やら考え込んだ。束の間を置いて、彼女は口を開いた。「クセは、山越えの途中で賊に襲われたと言っていた。しかし、私が知る限り、イゼルへの道行きは渓谷を通っているし、その先は丘陵地帯と平原しかない。越えるべき山などどこにもないのだ」

 ジャンは束の間考えてから口を開いた。「ひょっとすると、イゼルの人たちだけが知っている、もう一つの道があって、スイたちはそれを通ったのかも知れない」

「クセが嘘をついてなきゃだけどね」マリユスは鼻を鳴らしていった。「ユーゴをまんまと騙したやつなんだから、言ってることは全部疑って掛かった方がいいよ」

 ジャンは首を振った。「イゼルにはカトリーヌの部下たちがいるから、ジャンヌさんが言った道は、王都と連絡を取るために、彼らが頻繁に行き来しているはずなんだ。魔物のスイを操って、僕を殺そうと企んでたクセが、そんなところで王子の婚約者を殺したりするとは思えないよ」

「そっか」マリユスは得心した様子で頷いた。「うっかり彼らが通りかかって犯罪行為を目撃したら、本来の悪だくみもうまく行かないだろうからね」

「魔族は、君を生きたまま捕らえたいんじゃなかったのか?」ジャンヌが首を傾げてたずねた。

「その時のクセは、まだ僕が剣王の息子だってことを知らなかったんです。そして、彼女の狙いはアルシヨンを混乱させることでした。魔界の王女が魔物に姿を変えて、皇太子の頭を食いちぎったりしたら、アルシヨンの人たちは間違いなくゼエル陛下を、魔王の手下か何かだと考えてイゼルと戦争を始めるでしょう。イゼル人に対する偏見は、モンルーズの専売と言うわけじゃないんです」ジャンは、ふと思いついた。「ひょっとすると、アルシヨンにやって来たイゼルの使節を、最初にクタンで迎えるようにしたのは、シャルルおじさんの作戦だったのかも知れませんね。たぶん、彼らに対する印象を、ジャンヌさんに改めてほしいと考えたんです」

「スイのおかげで、私はその策略にまんまとはまったわけか」ジャンヌは苦笑を浮かべてつぶやいた。

「やはり、あいつに王冠を押し付けて正解だった」アランは満足そうに頷いた。

「他人の手柄で自分の背中を叩くのは滑稽だぞ」マルコは主君をたしなめた。

 ジャンヌは、カラスとウメコの兄妹に目を向けた。「まだ、彼らについて紹介してもらってなかったな」

 するとジローが、すかさずリュートをかき鳴らした。「彼らこそは、剣王アランとともに魔王を討ち果たした、その仲間にございます」

 ジャンヌは兄妹をまじまじと見つめてから、はっと息を飲んだ。「音なき暗殺者の少年と、符術師の美少女か」

「そうそう」ジローは頷く。「ウメコは美人でじゅうぶん当時の面影があるけど、兄貴の方は今や目付きの悪いヤクザにしか見えない」

「ほっとけ」カラスは鼻を鳴らした。

「あの物語は、私が読んでも眠くならない本の一つなのだ」と、ジャンヌ。「小さな子供が大人顔負けの活躍をするなど、読んでいてわくわくするではないか」

「まあ、実際は師匠に助けられっぱなしだったけどね」ウメコは肩をすくめた。

「賢者ザヒか」ジャンヌは目を輝かせて言った。「彼にも会ってみたかったな」

「きっと、がっかりするわよ」ウメコは口をへの字に曲げた。「賢者なんて言われてるけど、実際は魔法がちょっと巧いだけの、ただのすけべじじいなんだから」

「あの老師がかい?」ジローは驚いた様子でたずねた。

 ウメコは頷いた。「あの手この手で、お風呂や水浴びしているところを覗いてくるの。私は、それを阻むために、色んな魔法で対抗するしかなかったわ。まあ、おかげでいい修行にはなったんだけど」

 ジローがため息を落とし、リュートをつま弾いて、切なげな音を一つ奏でた。「聞かなきゃよかった」

「おじさん」と、ジャン。「もう一人、紹介を忘れてるよ」

「そうだったな」マルコは甥っ子に頷いて見せた。

 ジャンは襟を引っ張って、その中に呼び掛けた。「シェリ」

 半透明の小さな少女が、ひょっこりと顔を覗かせた。途端にジャンヌは険しい顔になり、椅子を倒して立ち上がると、素早く剣の柄に手を置いた。

「何も危険は無い」と、マルコ。「彼女はシェリだ。ザヒ老師が魔法で作った生き物で、今はジャンに懐いている」

「ついでに言うと、彼女に剣は通用しません」ジャンは言った。「真っ二つにされても、元通りになるんです」

「魔物ではないのか?」ジャンヌは用心深くたずねた。

「魔物、違います」シェリは言った。ミニチュアの少女が口きいたことに驚いたのか、ジャンヌは目をぱちくりさせた。

「こんなに可愛いのに、魔物のわけがないよね」マリユスは言って、シェリに笑いかけた。シェリはマリユスを束の間見つめてから、ジャンの襟の中に引っ込んだ。

「やっぱり、嫌われてる気がする」マリユスは口をへの字に曲げてジャンに言った。

「照れてるだけだよ」ジャンは笑って言った。すると、胸にちくりと痛みがあって、彼は思わず声を上げた。「(いて)っ」

「どうしたの?」

「シェリに噛まれた」

「いささか、繊細さに欠ける言いようだったからな」ジャンヌは悪戯っぽく笑ってジャンに言った。

「どう言うことですか?」

「どんなに小さくても、女の子を子供扱いすべきではないと言うことだ。その点、マルコおじさんは、それをよく心得ていた」ジャンヌは片目を閉じてみせてから、椅子を起こして座りなおした。

 ジャンは、ふと気付いた。レオンはシェリを見ても、奇妙な生き物と言う程度にしか見ていなかったが、ジャンヌは彼女を魔物と思い込んだ。この違いが意味するところを、彼は一つしか思い付かなかった。「ひょっとして、最近になって魔物を見掛けたことがあるんですか?」

「つい一月(ひとつき)ほど前に、何匹か退治したばかりだ」ジャンヌは言って、首を傾げた。「それが、どうかしたのか?」

「大抵の人は、魔王が死んでから魔物もすっかり姿を消したと思い込んでるのに、ジャンヌさんは違ったので不思議に思ったんです」

「ああ」ジャンヌは頷いた。「もちろん、魔王が倒されてからめっきり数は減ったが、今でも魔物はモンルーズと魔界を隔てる北の山脈から降りてきて、麓の村の畑を荒らしたり、家畜を襲うことがあるのだ。大きな被害はめったに出ないが、村人たちだけで手に負える相手でもないから、要請があれば退治に出向いている」

 するとモンルーズでは、魔物の存在はそれほど珍しいものではないと言うことか。しかし――

「ディボーに出た魔物とは、様子が違うみたいですね?」

「そうだな」ジャンヌは頷いた。「厄介な連中ではあるが、街一つを壊滅させるほど物騒ではない。ベルンからその報せを受けたとき、私は違う意味で耳を疑ったものだ」

「実は、ディボーの様子を見て、私たちは真っ先に魔王の復活を疑ったんだ」と、マルコ。

 ジャンヌは腕を組み、眉間に皺を寄せて考え込んだ。しばらく経って、彼女は口を開いた。「その可能性は考えなかった」

「カルヴィンが手紙をアベルに持たせたのは、魔界に近い場所に住んでいるお前さんが、何か兆候のようなものを見ていないかを、たずねるためだったんだ。しかし、その様子では思い当たる節は無さそうだな」

「ともかく、まずは手紙とやらを読んでみよう」ジャンヌは言って、アベルに目を向けた。アベルは席を立ち、ジャンヌに歩み寄って手紙を差し出す。手紙を受け取ったジャンヌは、腰に付けた鞘からナイフを引き抜いて封を切ると、その中身に目を通した。しばらく経って、彼女は口を開いた。「あの禿げ親父も、真面目な手紙が書けるのだな。少々、見直したよ」

 アベルはにっこりと微笑んだ。「大佐が聞いたら喜びます」

「伝えるには及ばないぞ。味をしめて、四角四面の恋文など送り付けられては、たまったものではないからな」ジャンヌはにやりと笑って言った。「彼の手紙には襲撃後のディボーの様子と、まさに今、マルコおじさんがたずねたようなことが書いてあった。しかし、ここ最近になって、モンルーズの魔物の様子が変わったようなことはない」

 マルコは腕を組んで頷いた。「これまでに、あれこれあって魔王の線は薄いように思えてたんだ。やはりディボーの一件も、魔族の仕業と考えてもよさそうだな」

「はっきり魔王じゃないとわかって、ほっとしたよ」と、ジロー。「またぞろ世界中に魔物があふれたりしたら、のんびり旅なんてしていられないからね」

 二人の会話を聞いていたジャンヌが、ふと首を傾げた。ジャンはそれを訝しく思い、わけをたずねようと口を開きかけるが、それよりも先にジャンヌは扉の方を見てつぶやいた。「いい加減、食事の用意ができてもよさそうなものだが、誰も呼びに来ないな」

「だったら、自分たちの目で確かめに行こうじゃないか」マルコは言って立ち上がり、ジャンヌに手を差し出した。辺境伯は頷き、その手を取って席を立った。「急だったから、あまり大したものは出せないが?」

「私が献立をえり好みするように見えるかね?」マルコは丸いおなかをぽんと叩いて言った。

 一同はジャンヌの案内で食堂へ移動する。テーブルの上にはすでにたくさんの料理が並んでおり、給仕たちも準備万端整えて主人とその客を待ちわびていた。

 みなはさっそく席に着き、食事に取り掛かった。ジャンはすぐに、大したものは出せないと言ったジャンヌの言葉が、謙遜だったことに気付いた。それと言うのも、テーブルにはローストされた山鳥が三つもあったし、おそらく鹿肉と思しい塊が乗った皿も並んでいたからだ。他にも塩と油で味付けされた生野菜や、酸味のあるキャベツの漬物など馴染みのない料理もあって、それらはジャンの目と舌をじゅうぶん楽しませた。

 食事の最中も、マルコとジャンヌは酒器を片手に熱心に話し込んでいた。それは二人の間に空いた十年の隙間を埋めるためのものではなく、これからの事態に備える事務的な会話だった。

「しかし、マルコおじさん」ジャンヌは眉をひそめて言った。「私が受けた報告では、メーン軍は五千の大部隊だ。それを二千にも足りないクタンの街道警備隊で、どう迎え撃つ?」

「ベルンの街道警備隊と、ロゼの軍勢が合流すれば、数の上での不利は小さくなる。目下、レオンがパトリックを説得しに、ベルンへ向かっているところだ」

「そうだとしても、私は自分の手でマルコおじさんの手助けがしたいのだ。しかし、私は街道警備隊に命令できる立場にはない」

「お前は連隊長の地位を、受け継がなかったのか?」

 ジャンヌは頷いた。「私は街道警備隊には入隊していなかったからな。そっちを継いだのは、従妹のアンヌだ」

 マルコはアベルに目を向けた。「教えてくれてもよかっただろうに」

「てっきり、ご存知かと思っていました」アベルは肩をすくめて言った。

 マルコはぶつぶつ言ってジャンヌに目を戻した。「ともかく、我々は単純な戦力ではなく、街道警備隊がメーン軍を違法だとみなした事実が欲しいんだ。そうすれば、あっちのマリユスが偽物だと世間に印象付けることができる」

「大軍でもって捻りつぶすのではだめなのか。マリユスが一人になれば、偽物も本物も関係あるまい?」

「私は、ジャンヌのアイディアの方が好みだ」アランが言った。

「父さんなら、そうだろうね」ジャンはくすりと笑った。「迷路は突っ切る方が早いって主義だし?」

 マルコはじろりとアランを睨んだ。「我々は、メーン公爵をあるべき場所に収めようとしているんだぞ。こっちのマリユスにちょっとでも偽物の疑惑を残せば、後々難癖をつけてくる連中が現れないとも限らない。ましてや、あんたとジャンは王家の一員だし、それが敵対派閥のボスであるマリユスを支持しているとなれば、余計な勘繰りを呼ぶことになる。こればっかりは、あんたが剣を振り回して命令しても、どうにかなるもんじゃないんだ」

 議会でのアランを思い出し、案外どうにかなりそうに思えたが、ジャンはあえて口を挟まなかった。

「ちょっと感想を言ってみただけだ」アランは肩をすくめて言った。「もちろん、お前の流儀には従うとも」

「そうあって欲しいもんだな」マルコは鼻を鳴らして言ってから、ジャンヌに目を向けた。

「私も、マルコおじさんの言うとおりにしよう」ジャンヌは神妙に頷いた。「アンヌには、明日の朝にでも私から事情を伝えておく。だが、それとは別に、私もこの戦いに加わるつもりだ。幸い、モンルーズは国王派でも将軍派でもないから、あくまでもマリユスへの個人的な友情として兵を出せば、誰かにとがめられることもあるまい」

「全軍はだめだぞ」マルコは苦笑を浮かべて言った。「それは友情の範疇を超えている。お前さんがマリユスを夫にして、辺境伯位を譲るつもりでいるなら話は別だが?」

「いや、それは、もちろん、マリユスは立派な家柄の子息だし、私としてはこの齢でいまだに婚約者すら決まっていないのだから、まったく悪くない話ではあるが、その……」ジャンヌは頬を染め、しどろもどろに言った。

「たとえばの話ですよ、ジャンヌさん」マリユスがにこりと微笑んでいった。

「そうなのか?」ジャンヌは言って、咳払いを一つ挟んでから再び口を開いた。「ともかく現実問題として、兵が足りないのは間違いないのだ。おそらくメーン軍はあと十日ほどでポルドリー付近までやって来るだろうから――」

「それって、どこ?」地理に疎いジャンは急いでたずねた。

「ベア湖の東岸にある、ペイル領の港町だ」アランが説明した。

 ジャンヌは続けた。「ベルンとロゼの連合軍の到着が一日でも遅れれば、クタンの街道警備隊は単独でメーン軍に対峙することになってしまう。しかし、モンルーズの兵と合わせて三千ほどがポルドリーにこもれば、メーン軍も足を止めざるを得ないから、我々は援軍の到着をゆっくり待つことができる」

「悪くない」アランがほめた。

「千とちょっとなら、けち臭くもなく気前が良すぎるでもない数字だな」マルコも納得した様子で頷いてから、酒器を掲げた。「方針も決まったことだし、ここから先は酒と料理に集中するとしよう」

「急がないと手遅れになるぞ」カラスが苦笑いを浮かべて警告した。ふと見れば、彼の隣に座るウメコが、何かをもぐもぐと咀嚼しながら、山鳥の胸肉をナイフでごっそりと切り取っているところだった。慌ただしい宴が、ようやく始まった。

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