4.吟遊詩人
カッセン大佐の屋敷を出て帰りの道をしばらく行くと、マルコは辺りをきょろきょろ見回し始めた。
「はて、中尉はどうしたんだろう。ここまですれ違わなかったよな?」
ジャンは頷いた。「何か用事があったの?」
「そうじゃないが、キャベツに値段を付けるだけで、こんなに時間が掛かるのも妙だと思ってな」
駐屯地の門を出たところで、その理由が分かった。カラスと中尉は荷馬車の前で、互いの胸元に指を突きつけ合って激しく口論していたのだ。しかし、ジャンとマルコに気付いたアランが、荷台からのんびり手を振る様子を見る限り、あまり深刻な状況ではなさそうだった。
「何をやってる?」荷馬車に歩み寄って、マルコは少しいらいらした調子で訊いた
「中尉がなかなか折れてくれないんだ」カラスは言い訳した。
「これが、すばらしいキャベツなのは分かります。しかし、銀貨一〇〇枚なんて値段に、ほいほい頷くわけにはいきません」中尉はむっつりと言った。
マルコがカラスをじろりと睨んだ。
カラスは肩をすくめた。
「ざっくばらんにいこう、アベル」マルコは中尉をファーストネームで呼んだ。「ディボーが魔物の群れに襲撃され、カルヴィンは一個中隊を派遣しようと考えている。今は一スー刻みで交渉を楽しむ余裕はない」
中尉の頬がひきつった。「ディボーは?」
「ひとまずクレマンの部下が守っている。お互い時間の節約のために、ここは七〇で手を打たないか?」マルコは右手を差し出した。
中尉は少し考え、その手を握り返した。「代金を用意しておきますので、また夕方にでもお越しください」
「わかった」マルコは頷いた。「倉庫までは我々が運んでおくから、君はカルヴィンの所へ戻って彼を助けてやってくれ」
「ありがとう、マルコ。では、お願いします」中尉は一礼し、そそくさと立ち去った。
中尉の背中を見送ってから、マルコは片方の眉をつり上げ、カラスを見た。「一〇〇だって?」
「取っ掛かりだよ」カラスは肩をすくめた。「そこから、お互いの落としどころを探る段取りだったんだ。この後、どうする。キャベツを片付けた後って意味だが?」
「さすがに馬も私もくたびれた。今日は宿を取ってゆっくり休むとしよう。明日は朝からディボーへ向かう」
「一泊は賛成だが、ディボーへ戻るのは名案とは言えないぜ?」カラスは眉をひそめた。
「魔物のことなら心配要らん。カルヴィンの部隊に紛れて行けば、危険はないだろう」
「俺たちが明日の朝食を食べ終わるまで待っててくれるなんて、ずいぶんのん気な援軍じゃないか?」
「カルヴィンも、中隊をいっぺんに送ったりはしないさ。まず、足の速い数個小隊を先発させ、それから支援物資と一緒に、残りの兵隊を順次送り出すんだ。我々は、我々が出発したい時間に出る部隊に守ってもらえばいい」
「なるほど」カラスは納得した。「キャベツの代金を受け取りに行ったときにでも、最終便がいつになるか、中尉から聞き出しておくか」
「ああ、頼む」マルコは頷いた。「どこか、いい宿を知らないか?」
カラスは少し考えてから答えた。「牡鹿亭がいいだろう。ディボーへ向かう前に泊まったが、ベッドは清潔だったし、手癖の悪い従業員もいなかった。何より、ここからそんなに遠くない。この通りを東へ真っ直ぐ行けば、すぐに看板が見つかるはずだ」
マルコは頷いた。「よし、ジャン。ちょっと行って、部屋を二つ押さえてきてくれ」
「わかった」ジャンは頷いた。「その後で、ポーレットのお土産を探しに行ってもいいかな。ディボーで魔物に襲われた時、失くしちゃったんだ」
「構わんが、裏通りには入るなよ。ここには荒っぽい連中が多いんだ」
「気を付けるよ」ジャンは神妙に頷いた。
「私も一緒に行こう。近くに用事があるんだ」アランが言った。
「カラスさんの護衛は?」ジャンは気になってたずねた。
アランは雇い主に目を向けた。「必要か?」
「いや」カラスは首を振った。「こんな日中から強盗に遭うこともないだろう。ただし、あまり遅くなるなよ」
「夕方までには戻る」アランは約束した。彼女はジャンに向かって言った。「行こうか?」
駐屯地を後にしたジャンとアランは、街道の交差点にあたる噴水広場を抜け、通りを東へ向けて歩き続けた。
歩きながら、ジャンはきょろきょろと辺り見回していた。馬車を操っていた時と違い、徒歩で行くトレボーは、本当に巨大だった。建物は全て二階建て以上だし、しかも石造りだ。気になって、彼は疑問を口にしていた。「どうしてここは、なんでもかんでも石で出来てるんだろう」
「どの建物の屋上にも胸壁があるのがわかるか?」アランが言った。
「なんだか、お城みたいだね」ジャンは建物を見上げて言った。もっとも、彼の城に関する知識は、ポーレットの蔵書にあった挿絵から得たもので、本物の城は見たことも無かった。
「トレボーは単なる都市ではなく、城塞でもあるんだ。屋上には胸壁だけでなく、他の建物に繋がるアーチ橋があって、街へ侵入してきた敵から気取られないように追跡したり、矢を射かけたりすることもできるようになっている」
「けっこう人が歩いてるよ?」ジャンは、胸壁の狭間から覗く人影を指さした。
「大きな通りは別だが、下の道は侵入者を惑わす仕掛けがたくさんあって、迷子になりやすいんだ。ああやって屋上を歩く方が、早く目的地にたどり着ける場合もある」
ジャンは思い出した。「迷路は真っ直ぐ突っ切った方が早いってことだね」
「その通り」アランはにやりと笑った。彼女は通りの行く先を指さした。「見えたぞ。牡鹿亭の看板だ」
牡鹿亭で首尾よく予約を終えた二人は、ついでにそこで遅い朝食をとった。店主がアランの顔を覚えていたので、代金は宿代に含めカラスへ請求するとのことだった。他人の財布をあてにして、ジャンは少しばかり罪悪感を覚えたが、アランは遠慮するなと言って自身ももりもり食べた。食事を終えた二人は、そこからさらに東へ歩き、南北を走る小さな通りに入った。そこは金属を叩く音や、鋸を引く音などが響く、職人街だった。
「君の用事って、ここにあるの?」ジャンはたずねた。
アランは頷いた。「ディボーで魔物を何匹も真っ二つにしたからな。剣の手入れをしておきたかったんだ。ほら、その店だ」そう言って、彼女は一軒の鍛冶屋を指さした。
「時間が掛かりそうなら、その間に他の店を見てきても構わないかな?」
「一人で大丈夫か?」
「たぶんね。二回以上、角を曲がらなければ迷子になったりはしないと思う」
「なるほど」アランは頷いた。「では、用事が済んだら宿で落ち合おう。裏通りには近寄るなよ」
「わかった。それじゃあ、また後でね」
アランは鍛冶屋へ入り、ジャンは通りをぶらぶら歩きながら、本を扱っていそうな店を探して回った。しばらく歩いて、彼は行く手の店先から、手押し車を押して出てくる仮面の男の姿を認めた。
「こんにちは」ジャンは、リュートを背負う男の背中に声を掛けた。
「おや、坊ちゃん」吟遊詩人は振り返り、ぎょっとした様子で言った。「すると、あんたも生き延びたんだね?」
「はい」
「ガールフレンドはどうしたんだい?」
「鍛冶屋です」ジャンは後ろを曖昧に指して言った。
「そうかい、そうかい。あの娘も無事だったか」
「どうしてトレボーに?」ジャンはたずねた。
「あの騒ぎから命からがら逃げだしたのは良かったんだけど、商売道具の手押し車を失くしちまってね。それで、ここの職人に、そっくり同じものを造ってもらいに来たのさ」吟遊詩人は手押し車を指さした。「次は飴を仕入れなきゃ。坊ちゃんは、お使いかね?」
「従妹のお土産を探しているんです。ディボーで彼女が喜びそうな本を見つけたんですが、やっぱり失くしちゃって」
「だったら、こんな鉄と油と木くずで汚れてる場所を探したって無駄だよ。ご婦人が喜びそうな本と言うのは、もっと小洒落た店に置いてあるもんだ」吟遊詩人は少し考えてから提案した。「ちょいと私が案内してあげようか。その店は、私が行こうとしている飴屋と同じ通りにあるんだ」
ジャンには願ってもないことだった。「ありがとう、おじさん」
「そりゃあ、嬉しくない呼び名だな」吟遊詩人は、大袈裟な仕草で傷ついたことをアピールした。「私のことはジローと呼んでくれるかい?」
ジャンは頷いた。「僕はジャンです」
「よろしく、ジャン」
しかし、ジローが向かったのは細い路地だった。裏通りには近寄るなと言い付けられていたジャンは少しためらって、結局ジローの後を追い掛けた。細い路地を何度も折れてたどり着いた先は、先ほどまでいた職人街とは、まるで雰囲気の違う通りだった。石造りなのは変わらないが、カラフルな布庇が差されていたり、鉢植えの花や白いテーブルセットなどが置かれていて、同じ街とは思えないほどだ。行き交う人々の服装も洗練されていて、ジャンは自分の格好が場違いに思え、少し恥ずかしくなった。
「君が探している物は、多分あの店にあるんじゃないかね」ジローは一軒の店を指さした。「こっちの用事が終わったら迎えに行くから、そのまま店で待っててもらえるかい?」
ジャンは頷き、示された店に入った。中はうんざりするほど可愛らしいものであふれ、もしポーレットがいれば、狂喜乱舞すること請け合いだった。人形やぬいぐるみや、おしゃれなカップがはびこる商品棚の間をすり抜け、彼はようやく目的の物を手に取った。内容の委細はディボーで買った本と異なっていたが、大筋は大して変わらなかった。店員の女性に値段を聞くと、目の玉が飛び出るような額を告げられた。カラスに貰った銀貨を渋々出して代金を支払い、ジャンは店内を見てまわりながら、吟遊詩人の迎えを待った。ほどなくして扉が開き、ジローが仮面の顔を覗かせた。
「待たせたかい?」ジローがたずねた。
「そうでもありません」
「よかった。それで、どこまで送ればいいのかな?」
「今日は牡鹿亭に泊まる予定なんです」
「ああ、そこなら知ってるよ」ジローは頷いた。「実を言えば、私も同じ宿に泊まってるんだ」
ジローは再び、細い路地へとジャンを案内した。何度も角や辻を曲がったせいでジャンはたちまち方向を見失ったが、ジローは自信たっぷりに進み続けた。しかし、しばらく経って、彼はふと足を止めた。どうしたのかとジャンが聞く前に、彼は声をひそめて言った。「こりゃあ、ちょいとまずいことになったな」
ジャンは首を傾げてジローを見た。
「後ろを見るんじゃないよ」ジローは念を押した。「どうやら、私らは追われてるようだ」
ジャンはぎょっとして、思わず振り返りそうになるのを、必死でこらえた。
「ほら、そこの角を曲がるときに見てごらん」ジローは顎をしゃくり、脇道の入口を示してから再び歩き出した。
ジャンは言われた通り、脇道へ入り込む寸前に横目で来た道を見た。がらの悪い男が二人、肩を並べて歩いていた。一人はそばかすのある赤毛で、もう一人は浅黒い肌の男だった。二人とも、これ見よがしに大きなナイフを腰紐に差している。
「このあたりを縄張りにしているゴロツキだよ。彼らが日中にうろうろするなんて滅多に無いんだが、はてさて」
「なんで僕らを追い掛けてくるんだろう?」
「あんまり楽しい理由じゃないのは間違いないね。次の角を曲がったら、ちょいと走ろうか。ふり切れるかどうか試してみよう」
十字路を折れ、追跡者の死角に入ったところで二人は全力疾走した。ジャンは真っ直ぐ走り続けるものだと思い込んでいたが、ジローはすぐに細い脇道へ入って足を止め、仮面の口元に人差し指を立てて見せた。二人が壁にぴたりと身を寄せ息をひそめていると、追跡者が大声で悪態をつきながら脇道の前を走り過ぎた。一呼吸を置いてジローは脇道から顔を覗かせ、素早く辺りを探ってからジャンに出てくるよう合図をしてから、元来た道を戻り始めた。
「なんとか大きい通りへ出てみよう。人の目があれば、彼らだって滅多なことはできやしないさ」ジローは肩越しに言った。
ジャンは頷いて、彼の背を追い続けた。しかし、しばらく走って角を折れ、脇道の無い路地の中ほどに来たところで、ジローが不意に足を止めた。ジャンは彼の背中にぶつかり、鼻をさすりながら前を覗いた。彼らを追っていた連中とは別のゴロツキが二人、道を塞ぐように立っていた。
「獲物が袋に飛び込んで来たぞ?」目の前に立ちふさがる男の一人が言った。ぎょろりと目玉の飛び出した小男で、その声は甲高く耳障りだった
「そうなるように努力したからな」もう一人の男が言った。リーダー格なのか、他の連中よりも派手な服装で、腰に帯びている武器はナイフではなく、剣だった。
少し遅れて背後から、ばたばたと足音が聞こえた。ジャンが振り返ると、彼らを追っていた二人組だった。
「遅いぞ」帯剣した男が責めるように言った。
「すまねえ、ダミアン」浅黒い肌の男が言った。「まったく、うまいことまかれちまったぜ」
「ユーゴが教えてくれなかったら、王都まで走ってたところだ」赤毛が上を見て親指を突き立てた。
つられて見上げたジャンは、建物の屋上からこちらを見下ろす人影に気付いた。
「おい、小僧」ダミアンは、にやにや笑いながら言った。「痛い目を見たくなけりゃ、おとなしく俺たちと来るんだ」
ジャンはジローに目を向けた。
「怪我をしても面白くない。言うとおりにしよう」ジローは、あきらめたように肩をすくめた。彼はダミアンを見て言った「それで私はどうすりゃ、あんたのお気に召すんだい?」
「さっさと消えろ。用があるのは、その小僧だけだ」
ジローはジャンに目を向けた。
ジャンは、すぐにどうすべきか理解した。「僕なら大丈夫」
「けどね、ジャン」
「大丈夫」ジャンはジローの言葉をさえぎり、繰り返した。彼が思いつく限り、それが最善手だった。ジャンとジローが大立ち回りを演じたところで、武装した男四人に太刀打ちできるとは思えない。そうであればジローには、一刻も早く牡鹿亭にいるマルコたちに、ジャンの危機を伝えてもらわなければならなかった。もちろんジャンは、ジローにそうする義理が無いことも承知している。しかし、彼が信用ならないからと言って何もしなかったり、やぶれかぶれの行動に出ても事態は悪くなるだけだ。
「悪いね。それじゃあ、私は自分の宿へ戻るとするよ。運があったら、また会おうじゃないか」ジローはそう言うと、ジャンの頭にぽんと手を置いた。
「うん、またね」ジャンは出来る限りの笑顔で手を振った。
ジローはダミアンに背を向けて歩き出した。赤毛と浅黒い肌の男が、すんなり道を開け、ジローは二人の間を会釈して通り過ぎた。しかしジャンは二人のゴロツキが、ジローの背中を見つめながらナイフの柄へ手を伸ばすのを見逃さなかった。
「ジローさん!」
ジャンが叫ぶとの同時に、ジローは手押し車を振り上げ浅黒い男の脳天に叩きつけた。手押し車はばらばらに壊れ、棒付き飴があたりに飛び散った。浅黒い顔のゴロツキは、白目を剥いて卒倒した。赤毛は倒れた仲間を見て、それからリュートを振りかぶるジローを見た。ジローは赤毛の側頭部を殴りつけ、リュートはけたたましい音を立ててへし折れた。殴られた赤毛は、ぎゃっと叫んで地面を転がった。
「走れ!」ジローはジャンに向かって叫び、自身も全力で走り出した。
ジャンは吟遊詩人の背中を追って駆け出した。思ってもみなかった展開だが、ジローが商売道具を犠牲にしてまで作ってくれた機会を、みすみす逃すわけにはいかなかった。しかし、地面を転がる赤毛の脇を抜けようとしたところで、彼はうつ伏せに倒れ込み石畳で顎を強かに打ち付けた。くらくらする頭を上げて後ろを見ると、赤毛が歯をむき出してジャンの足首を掴んでいた。ジャンは反射的に、赤毛の顔を自由な方の足で蹴り付けた。赤毛の手が離れ、ようやく立ち上がろうとしたとき、彼は背中を踏まれ、ひしゃげたカエルのように再び地面へ這いつくばった。
「小僧!」と、頭の上からダミアンの声が聞こえた。脇腹を蹴られ、ジャンはごろごろ転がって仰向けになった。痛みとショックで息が詰まった。しかし、呻く間もなくダミアンに襟首を掴まれ無理やり引き起こされた。ダミアンは凶悪な笑みを浮かべ、ジャンの横っ面を拳で殴った。ジャンの視界に一瞬だけ星が散り、そして真っ暗になった。
どしんと投げ落とされた衝撃で、ジャンは目を覚ました。しかし、すぐに目を開けるような真似はしなかった。すぐ近くで、「ちょいと強く殴り過ぎたんじゃねえか?」と耳障りなキンキン声が響いたからだ。
「いや、痣にならないように、かなり慎重に殴ったんだ」少し離れた場所から、ダミアンの声が聞こえた。「まあ、じきに起きるだろう」
足音が遠ざかるのを確かめてから、ジャンは自分の身体の状態を調べた。幸い、手足は縛られていなかったし、転んだときに打ち付けた顎と、殴られた頬を除けば痛むところはない。しかし、頭がぐるぐる回るような感覚と吐き気があったので、逃げ出そうにも真っ直ぐ走れるか心もとなかった。
「しかし、ちょろかったな」キンキン声が言った。「こんな仕事で銀貨三〇枚なんて、ちょいと罰当たりな気がしてくるぜ」
「そんなに楽をしたんなら、お前の分け前は少なくってもかまわねえよな、エディ?」むっつりと言う声は、ジャンとジローを追い回していた浅黒い肌の男のものだった。
「ギーはあの妙な手押し車で、俺はリュートで頭をぶん殴られたんだ。ついでに言えば、小僧に顔を蹴られた。お前と同じ額じゃ割に合わねえ」と、赤毛の声。
「そうだ、フランツ。エディの分け前は一スーにして、余った分は俺とお前で分けようぜ」
「悪くないアイディアだな」
「おい、勘弁してくれ」キンキン声の男が言った。
エディを除いて、ゴロツキたちはげらげら笑った。
ジャンは、そっと薄目を開けて周囲の様子をうかがった。壁が石造りである点を除けば、広さも構造も彼の家にある倉庫とよく似ていた。荷馬車を出し入れするアーチ形の大きな両開きの扉があるし、天井付近には換気や採光のための窓もある。窓は戸板を開け放っているので、室内は多少薄暗いが人の顔を見分けられる程度には明るかった。床には大きな木箱が雑然と積み置かれていて、ゴロツキたちは各々その上に座ったり、もたれかかったりしていた。今のところ、床で狸寝入りする少年に注意を向ける者は無い。
「まあ、分け前のことは、報酬を受け取ってから考えよう」ダミアンが言った。
「この後は、どうするんだ?」エディが訊く。
「夜まで待って、東門の外で依頼人に小僧を引き渡す手筈だ。門番は買収済みらしい」
目眩をこらえながら、ジャンは部屋の中を探り続けた。彼が探しているのは、出口だ。荷馬車用の扉は外から施錠されている場合が多いから、脱出口には使えない。おそらく、人間用の扉がどこかにあるはずだ。
「それにしても」知らない声が言った。「農民の子供なんかさらってどうするんだろうな?」
路地裏にいた四人のゴロツキの、誰の声でもなかった。ジャンは少し考え、屋上で手を振っていた、ユーゴとか言う彼らの仲間のことを思い出した。
「稚児にでもするんだろう」
ダミアンが目を向けてきたので、ジャンは急いで目を閉じた。
「こいつは、ちょいと飾れば、お人形みたいに可愛らしくなりそうだからな。金髪に青い眼って言うのも売りになる。こいつが街に立ってたら、俺は財布ごと渡してでも買うぜ」
「俺は一緒にいた女の子の方がいいな。犬っころみたいにベッドへ押さえ付けたら、きっといい声で泣くぞ」エディは下卑た笑い声をあげた。
「子供だぞ?」ユーゴは呆れた様子で言った。
「まあ、あのでっかい剣で、真っ二つにされるのがオチだろうな」
ジャンはダミアンの意見に賛成した。
「あんな、ちっちゃい娘っ子が、そんなに強いわけがないだろう?」エディは疑わしげだった。
「いいや。ちょいと剣を知っていれば、すぐに分るんだ。足運びとか、歩いているときの腕の位置とかでな。あの娘に剣を向けられたら、俺ならさっさと降参するね」
「おい、でぶのおっさんと目つきの悪いちびが売れ残ったぞ。誰か買わねえか?」ギーが言った。
「銀貨一〇〇枚貰ってもごめんだね」フランツが吐き捨てるように言った。
ゴロツキたちはげらげらと笑った。
「しかしよ、そうなると夜まで暇だな」と、エディ。
「飲みに行くか?」フランツが提案する。
「取り引きが終わるまでは、素面でいた方がいい」ユーゴが忠告した。
「お前は、時々つまんねえこと言うな?」フランツは不満そうに鼻を鳴らした。
「そりゃあ、ユーゴは俺たちの中で、一番まともなやつだからな」ダミアンは言った。「まともなやつは退屈な事ばかり言うし、それは大抵の場合、正しいんだ。しかし、エディの意見ももっともだ。俺たちはちょいと暇を持て余している」
「何か、アイディアでもあるのか?」ギーが訝しげにたずねる。
「ああ、あるとも。この小僧を味見するのさ」
味見?
「商品に手を付けるのか?」ユーゴは非難するように言った。
「つまみ食いを気にするなら、そもそも俺らみたいな連中に依頼なんてしないだろう」
少し考えて、ユーゴは言った。「それもそうだな」
「認めてくれてありがとうよ」ダミアンはくつくつと笑った。
「後がつかえてるんだから、さっさと始めてくれ」ギーが急かした。
「お前に、そんな高尚な趣味があったなんて知らなかったな」フランツは少し驚いた様子で言った。
「腹の下でひいひい喘ぐんなら、女でも坊やでも変わりゃしねえだろ」
「そう言うもんか?」
「試してみれば分かるさ」ダミアンは言った。
何かが床に落ちて、けたたましい音を立てた。ジャンが薄目を開けてみると、剣帯ごと床に落ちた剣が見えた。ゴロツキたちが何を言ってるのか理解できなかったが、彼にとって愉快な出来事が待っているとは思えない。ジャンは狸寝入りを止め、剣に飛び付いて床を転がった。起き上がると同時に剣を抜き放ち、ベルトの付いた鞘を投げ捨て両手で剣を構えた。目眩のせいでふらつき気味だったが、気にしていられなかった。
「今まで、ずっと寝たふりをしてたってわけか。可愛い顔をして、なかなか抜け目ねえ小僧だな」ダミアンは感心した様子で言った。
「縛っておくべきだったな」ユーゴがのんびりと言った。
「依頼人の注文なんだ。目立つ場所に痕を付けたくねえんだとよ」ダミアンは、ジャンから目を逸らさずに言った。「お前、剣を扱ったことが無いだろう。そんな構えじゃあ、相手じゃなく自分が怪我するぞ?」
ジャンは剣を構えたまま、じりじりと後退し距離を取った。ゴロツキたちの言うことに耳を貸すつもりはない。なんと言っても彼らには依頼人との約束があるから、ジャンに危害――少なくとも、痕が残るような――を加えることはできないのだ。
「そんなことをしたって、どうせ逃げられやしねえんだ。こっちへ来て俺たちと楽しめよ」ダミアンは、猫なで声で言った。
ジャンは、ダミアンや他のゴロツキが、おかしな動きをしないかと気を配りながら出口を探し続けた。もし見つからなければ、いちかばちか荷馬車用の大扉を試してみるほか無い。しかし、大扉に向かって何歩か後退ると、視界の端に小さな扉が見えた。そこかしこに積み上げられた木箱のせいで、今まで死角になっていたのだろう。ジャンはやにわに床を蹴り、扉へ向かって一気に駆け出した。ゴロツキたちがぴくりとも動かなかったので、彼はうまく出し抜いたのだと考えた。しかし、それは間違いだった。木箱の影からぎょろ目の小男が現れ、行く手に立ち塞がった。ぎょっとする間もなくジャンは右手を捻り上げられ、剣を落とした。エディは柄を蹴って剣を遠くへ滑らせると、ジャンの腕を後ろ手に回してがっちりと彼を捕らえた。
「ほらな」ダミアンが言った。彼は床の上の剣を拾い上げた。
エディに膝裏を蹴られ、ジャンは強引にその場へ跪かされた。後ろ手に回された手を肩の辺りにまで押し上げられ、彼は痛みに呻いた。
「どうせ逃げられねえって言ったろう?」ダミアンが、ジャンの顔を覗き込んで言った。
「依頼人の注文だとしても、自由にさせておくのはまずいな。こんなことを繰り返してたら、そのうち間違いをしでかすぞ」ユーゴが警告した。
「心配するな。すぐに足腰立たなくしてやるさ」ダミアンは請け合った。




