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プリンセスコード  作者: 烏屋マイニ
魔界の王国
38/46

23.ロズヴィル

「君に会いに来たんだよ、マリユス」ジャンは言って、顔をしかめて見せた。「とりあえず、どいてくれない?」

 マリユスは組み敷いていたジャンを解放し、ソファへ座り直すなり自分の格好を見てぎょっとした。「うわ、なんだこれ」

 彼は透けるような薄布の胸元を摘み、床に座り込むレオンをじろりと睨む。

「お気に召しませんか?」レオンは微笑んで言った。

「お気に召さないよ」マリユスはべっと舌を突き出して見せてから、ガラスの両脚に目を落とした。「でも、これは悪くない。すごくきれいだ」

「見た目だけではありません」と、レオン。「練習は必要になりますが、それがあれば杖を使って歩くこともできるようになりますよ」

「そんなことしたら、割れるんじゃない?」マリユスは眉をひそめた。

「ご心配なく。ガラスを割れにくくする方法を発明した職人がいたので、その者に作らせました」

 マリユスは束の間考え、にっと笑みを浮かべた。「ねえ、レオン。今度の件では君を殺すつもりでいたけど、これで帳消しにしてあげるよ」

 レオンは立ち上がり、マリユスに向かって深々とお辞儀をした。

「おい、そろそろ連中を入れてやってもいいんじゃないか?」ユーゴが言った。

「そうですね」クシャロがうなずいた。「しびれを切らして、扉を破られでもしたら困ります」

 連中? と、聞き返す前にユーゴが扉を開け、そこからアランが飛び込んできた。次いで、他の仲間たちもぞろぞろと続く。全員が武装しているところを見ると、彼らもジャンと同様、マリユスとクシャロに駆り出された口なのだろう。

「ご覧の通り全部片付いたから、お前たちは用済みだ。なんなら、もう帰ってくれてもいいぜ」と、ユーゴ。

「出演料も受け取らずに、帰る役者がいると思うか?」カラスは鼻を鳴らして言うと、片刃の短剣を腰の後ろの鞘に押し込んだ。

「もしいたら、専属契約を結びたいところだね」ジローが軽口で応じる。

 他の仲間たちも武器を収め、アランはジャンとマリユスが並んで座るソファの前に駆け寄った。

「怪我は無いか?」アランは開口一番そうたずねた。ジャンが頷くと彼女は微かに唇の端を持ち上げ、次いでマリユスに目を向けた。「お前も元気そうでよかった」

「まだ、友だち扱いしてくれるの?」マリユスは首を傾げた。

 アランは肩をすくめた。「そうしない理由は無い」

「さて」アベルとジローを引き連れ、部屋の真ん中に陣取ったマルコが腕組みして、マリユスをじろりとにらんだ。「もちろん、説明してくれるんだろうな?」

「そうだね」マリユスはうなずいた。「何から話す?」

「一番に聞きたいのは、あたしたちにレオンの暗殺なんて雑用を押し付けた理由よ」カトリーヌは腰に両手を当てて、しかめっ面を浮かべてみせた。彼女はカラスやウメコと三人で、扉の前に立つユーゴを囲むような位置を取っている。

「ベルンにあった僕の身体を、彼が盗んだからさ。レオンは、ザナから僕を守るためだって主張してたみたいだけど、僕の意思を無視してやることじゃないし、この格好を見れば別の目的があったことは明らかだからね」

「でも、どうしてあたしたちなの。ユーゴに命じれば、ずっと簡単に片付いてたはずなのに?」

 マリユスは小さく首を振った。「レオンとユーゴは、僕が生まれる前からの付き合いなんだ。だからレオンはユーゴの手口を知り尽くしているし、彼を殺すのは君が考えてるほど簡単じゃない」

「初めて会ったのは何歳でしたっけ?」レオンは、ふとユーゴにたずねた。

「確か、俺は八歳だったな。お前は翌年、メヌへ送られることになってたから、俺は訓練もかねて、お前の素行調査の任務を負ってたんだ」

「ああ、そうでしたね」レオンはにこりと笑みを浮かべた。「あの時は、気の置けない友だちが出来たと思って喜んでたんですが、後でそれを知ってがっかりしたものです」

「さらっと嘘こいてんじゃねえよ」ユーゴはしかめっ面を浮かべた。「ちょいちょい俺の前から姿をくらましやがって、ありゃあ俺の正体に最初っから気付いてたからだろうが?」

「さあて?」

 涼しい顔のレオンを見て、ジャンはカトリーヌも彼の様子を探るのに苦労していたことを思い出した。二人の密偵を手玉に取るのだから、この貴族の青年は相当なくせ者に違いない。

「しかし、今回は本当に騙されました」レオンはしかめっ面を作り、小さく首を振った。「ユーゴもクシャロも、てっきりマリユスのために協力してくれていると、すっかり思い込んでいたんです。しかも捕らえた殿下ご自身が、私への刺客だったとは」

 もっとも、ジャンをそう仕立てたのはクシャロだ。シェリを見付けても誰かに告げ口するわけでなく、そればかりかレオンの兵隊の目から隠そうとまでしたのは、戦う力の無いジャンにそれを与えるためだったのだろう。

「もちろん」と、マリユス。「この作戦は君たちの能力を買ってのこともあるけど、何より重要なのは、この件に僕たちが関わっていないと見せ掛ける必要があったからなんだ。もし僕がユーゴに命令して、レオンを殺したことがロゼ伯爵に知れると、彼の援助を期待できなくなるからね。それは、ちょっといただけない」

「そのためにあたしたちを手引きしたんなら、結局は同じことじゃない」カトリーヌは言って、ユーゴに目を向けた。「それに、彼なら死因を誤魔化すことくらいお手の物でしょ?」

「おいおい」ユーゴはにやりと笑った。「本気で言ってるのなら、ちょいとあんたの評価を変えることになるぜ?」

「あたしを低く見てくれるなら大歓迎よ。その方が、油断を誘えるもの」カトリーヌはじろりとユーゴを睨んだ。しかし、ユーゴも負けじと彼女を睨み返す。「天気が悪くなるたびに、あんたに刺された肩の傷が痛みやがるんだ。油断なんて誰がしてやるかよ」

「だったら、茶化すのはやめてちょうだい」カトリーヌは小さく鼻を鳴らした。「もちろん、マリユスの欲しいものがレオンの死体じゃないことくらいわかってるわ。彼は殺人の動機を持つ犯人が欲しかったの。陰謀を差し挟む余地のない、明白な?」

「正解」と、マリユス。「その点、君たちなら、誘拐されたジャンを救い出すって言う立派な動機があるからね。しかも、君たちをわざわざ屋敷に連れてきたのはレオン自身だから、疑いが僕に及ぶこともない」

「もっとも、ジャンとシェリが頑張ったせいで、思いも寄らない結末になってしまいましたけど」クシャロは言って、レオンに目をくれた。

「ある意味、彼らは私の命の恩人と言うわけですね」レオンは、ジャンをちらりと見て言った。

「ちゃんと感謝してくださいね」クシャロは恩着せがましく言った。

「シェリって?」マリユスが首を傾げた。

「ジャンのガールフレンドです」と、クシャロ。

 マリユスは、きょろきょろと辺りを見回した。

「ここだよ」

 ジャンが言うと、シェリが襟元から顔を覗かせた。マリユスは驚いた様子で目を見開くが、すぐに好奇心がまさった様子で興味深そうに彼女を眺め、にっと笑みを浮かべた。「へえ、可愛い子じゃないか」

 シェリは無言でジャンのチュニックの中に引っ込んだ。マリユスは眉をひそめてジャンに目を向けた。「嫌われたかな?」

「どうだろう」ジャンは首を傾げた。あるいは、可愛いと言われて照れただけなのかも知れない。

「なあ、マリユス」と、カラス。

「なに?」マリユスは首を傾げて言った。

「俺たちは、お前が人買いにさらわれたふりをした理由を、ザナがいるベルンから逃れるためだと考えたんだ。彼女はお前の偽物を立てて公爵家を乗っ取った魔族の一人で、本物の公爵であるお前を煙たく思っていた――と言うところまでは、ジャンも読んでいたからな」

 マリユスは眉間にしわを寄せて、ジャンを見つめた。「ねえ、そうやってなんでもかんでも見抜いてたら、世の中にわかんないことが一つも無くなって、きっとつまらない人生を送ることになるよ?」

「シャルルおじさんにも、同じことを言われたよ」ジャンは肩をすくめた。

「さすが王様。的を射た助言だね」マリユスはカラスに目を戻し、先を促した。「それで?」

 カラスは頷き、質問を続けた。「わからないのは、お前がわざわざベルンへ戻ろうとした理由だ。レオンに自分の身体を盗まれて、それを取り返そうと考えたんだとしても、お前はそれをどうやって知ることが出来た? 事件が起こったのはベルンで、俺たちが出会った場所はそこから十日ほど南だし、お前は人買いの馬車の中だった。どうあっても、誰かと連絡を取れるような状況じゃあない」

 マリユスは、疑いの目をジャンに向けた。「ねえ、まさかとは思うけど」

 ジャンは頷いた。「たぶん、わかると思うよ」

「やっぱり」マリユスはため息をついた。

 ジャンはカラスに目を向けた。「僕らがロゼの兵隊に捕まったその日に、クシャロはこう言ったんだ。『やっぱりジャンは、千里眼の魔法を使えるんじゃないんですか?』って。でも、千里眼云々なんて話を以前にしたのはマリユスで、彼女じゃない。しかも、その時の僕たちはコズヴィルにいたから、二人にはどんなに離れていても、連絡できる手段があるんじゃないかって考えた。たぶん、それは、魔物が見聞きしたものを自分のことのように感じ取れるって言う、ザナが使ってた魔法と同じか似たもので、その事を僕らに教えてくれたのはクシャロだし、彼女が同じ魔法を使えたとしても不思議じゃない」

「ほうらね?」クシャロがくすくす笑い出した。「やっぱり、クシャロと坊ちゃまがにらんだ通りです。ジャンは千里眼使いに違いありません」

「俺たちも、時々それを疑うことがある」カラスは、ふと笑って同意した。「レオンの暗殺は、その時に思い付いたのか?」

 マリユスは首を振った。「ジャンが言うように、魔物だった時の僕は、クシャロと感覚や思考を共有することが出来たんだ。ただ、それがクシャロのものか自分のものか、区別するのがすごく大変なんだけどね。とにかく僕は、レオンに人間の身体を盗まれたことを知って、どうにかしてそれを取り戻さなきゃいけなくなった。まずはクシャロと合流するつもりだったけど、何の策も無しにのこのこベルンへ戻ったりしたら、ザナに見つかるかも知れないから、ジャンたちの一行に紛れることを思い付いたってわけさ。魔族にとって、剣王の息子を捕まえることは何よりも重要らしいし、彼を見付けたザナは、きっと僕なんかに構っていられなくなるだろうからね」

 カラスは頷く。「実際、ザナは真っ先にマルコの旦那を捕まえに来たからな」

「あれは、ちょっと計算違いだったんだ」

 カラスはいぶかしげに眉を吊り上げた。

「後で説明するよ」マリユスは言って、話を続けた。「レオンの暗殺に君たちを利用しようって思い付いたのは、丘のてっぺんでロゼ軍を見付けた時なんだ。僕は、レオンの企みをクシャロ――と言うか、ユーゴから聞いていたから、あれがジャンの捜索隊だってことはすぐにわかった」

「だったら藪の中でこそこそしてないで、僕が近くにいるって、あの少佐に教えてやればよかったじゃないか」と、ジャン。「そうすれば、君はベルンに立ち寄らないで、真っ直ぐロズヴィルへ行くことが出来た。クシャロとはいつでも連絡できるんだから、どこででも落ち合えたはずだし?」

「もちろん、それも考えたけど、君たちを相手にするのに、あの兵隊の数じゃちょっと心許なくって」

「少々、過大評価じゃないか?」アランが言った。

「おや」と、クシャロ。「クシャロたちがみなさんを捕まえた時、三〇人の兵隊を前にして、自分とアベルなら彼らを全滅できるって言ったように思うんですが?」

「ちょっと大げさに言ってみただけだ」アランは肩をすくめた。

「俺は信じないぜ」ユーゴが口を挟んだ。「剣王アランと黒騎士アベルを相手に、百人足らずで挑戦するなんて無謀もいいところだ」

「剣王?」マリユスはきょとんとして聞き返した。

「そう言えば、坊ちゃまはまだ聞いてませんでしたね。アランはこんなに可愛らしい女の子ですが、実は剣王その人らしいです」クシャロが説明した。

「俺が聞いたところだと、魔王に捕まっていた姫君の身体に、剣王の魂が宿ってるって話だ。ちょっと前なら、そんな与太話を信用することなんて無かったが、クシャロが坊ちゃんの魂を魔物に取り憑かせたり、元の身体に戻したりするのを見たあとじゃ、案外珍しくねえ話なのかと思えて来る」ユーゴが苦笑まじりにつぶやいた。

 ジャンは首を傾げた。「前に、あなたはクセが魔物を操れるって言ったことを、疑ってたよね。最近になって魔族や魔物について勉強したってこと?」

「ユーゴは父上の密偵のふりをして、彼の動向をベルンの僕に伝えてくれてたんだ」マリユスが代わりに説明した。「父上は魔族や魔物のことを秘密にしていたし、ユーゴがそれを知っていると余計な警戒を買うことになるから、わざと詳しいことは教えないようにしてたってわけさ。もちろん、今は違うけどね」

「潜入任務の基本よ」カトリーヌが補足した。「知らないことは話ようが無いけど、知ってることはどんなに隠しても、言葉や態度に出てしまうものなの」

 ジャンはうなずいた。「僕がマリユスの正体を見抜いたのも、彼が自分をメーン公爵だと知っていたからだしね」

「また、それを掘り返すの?」マリユスは唇を尖らせて言ってから、アランに目を向けた。「こんなに可愛いのに、中身はジャンのお父さんなのかあ」

「信じられないのもわかる」アランはうなずいた。「私も未だに、何かの間違いじゃないかと思ってるんだ」

「信じられないんじゃなくて、信じたくない」マリユスは口をへの字に曲げた。

「さすがの坊ちゃまでも、口説くのは無理ですからね」クシャロはにやりと笑って言った。「残念に思うのも仕方がありません」

「僕が見境なく、女の子に声を掛けまくってるみたいに言うのは止めて欲しいな」マリユスは抗議した。

「違いましたっけ?」クシャロは首を傾げた。

 マリユスはクシャロに向かってべっと舌を突き出してから、話を続けた。「ともかく僕は、ジャンを囮にしてベルンを安全に通過するって言う、最初の計画を変更することに決めた。だから、マルコおじさんたちが捕まったことは、結構な誤算だったんだ。もし捕まったのがジャンなら、君たちは全力で彼を取り返そうとするだろうから、そんなに問題は無かったんだけど」マリユスはしかめっ面をジャンに見せた。「きっと君の変装が完璧すぎたせいだ。あの時の君は、どこからどう見ても女の子だったもの」

 ジャンは肩をすくめただけで、コメントを避けた。もっとも、クァンタンはジュスティーヌに求婚しようとしたし、ザナも生け捕りにしなければならないはずのジャンを殺そうとしたわけだから、彼の正体にまったく気付いていなかったことは明らかだ。ある意味、マルコが捕まったのはジャンのせいとも言える。

「そんなわけで、君たちはレオンにぶつける駒としては、少々心許ない状態になってしまったんだ。僕としては、カラスとカトリーヌがマルコおじさんたちを救い出して、みんなが合流してからベルンを逃げ出して欲しかったんだけど、ジャンはとにかく急いでクタンへ行くつもりになっていたから、僕はなんとしても、それを止めなきゃいけなかった。そうして、あれこれ言っているうちにへまを踏んで正体を見抜かれ、あとはクシャロとユーゴに任せるしかなかったと言うわけさ」彼はクシャロに目を向け、魔族の少女は説明を引き継いだ。

「駐屯地がザナに乗っ取られてることを教えたのは、みなさんがベルンの出発を遅らせて、旦那さんたちを助け出すように仕向けるためです。でも、まさかザナを殺した上に、魔王様にまで喧嘩を売るとは思っても見ませんでした」

「なんで、そこで魔王が出て来るの?」マリユスは首を傾げて訊いた。

「クシャロたち魔族のおなかに、魔王様の欠片が入っていることは知ってますよね?」と、クシャロ。

 マリユスはうなずいた。

「それは宿主の魔族が死ぬと、おなかから出て来て好き勝手なことを始めるんです。ザナが死んだ時も、やっぱり同じでした。クシャロは手出ししないで放っておけって言ったんですが、ジャンは耳を貸してくれなくって」

「父親の稼業を継ぐつもりだったの?」マリユスは眉間に皺を寄せてジャンにたずねた。

「クシャロの見込みとは、ちょっと違うことがわかって、ちび魔王を放っておくと大惨事になりかねなかったんだ。でも、魔王退治の経験がある人は他にいなかったから、自分たちでやるしかなかった」ジャンはため息を落としてから、マリユスを真っ直ぐに見つめた。「あらかたの事情はわかった。とにかく君は、望み通り自分の身体を取り戻したわけだけど、この後はどうするつもりでいるの?」

「わざわざ僕の希望を聞くの?」マリユスは目をぱちくりさせた。「今なら君は、僕を殺すことだって出来るんだよ」

 ジャンは仲間たちを見回した。彼らの表情を見れば、マリユスの提案を是とするつもりが無いことは明らかだ。もちろん、このままマリユスを野放しにすれば、きっと彼は、またジャンを捕まえようとするだろう。いつどこでユーゴが襲ってくるかと神経をすり減らすのは、正直楽しいものではない。

「これは、お前の作戦だ。みんな、お前の決定に従うだろう」アランが言った。

 ジャンはうなずき、マリユスに向き直った。「そうするには、いくつか問題があるんだ。一番は、僕がまだ、君とのおしのび旅行の約束をあきらめてないってことかな」

「君もしつこいね」マリユスは苦笑を浮かべた。

 ジャンは片目を閉じてみせた。「もう一つは、最終的にはこうなることがわかっているのに、君たちが何の備えもしていないと考えるのは難しいからさ。ひょっとしたら、本当に何も無くて、単に僕たちの友情に賭けただけなのかも知れないけど?」

 マリユスはにこりと笑っただけで、何も答えなかった。

「そして、君を殺すよりも生かしておく方が、僕たちにとって都合がいいんだ。なんと言っても、君が故郷に乗り込んで、偽マリユスの一派と対決することになれば、彼女たちがアルシヨンにちょっかいを出す暇なんて無くなるだろうから、当面は戦争の危機を避けられるし、僕たちは安心して旅を続けることが出来る」

「ずいぶん、とんちんかんなことを言うね。魔族に頼ろうとしている僕が、魔族と対決するだなんて、本気で思ってるの?」

 ジャンはクシャロに目を向けた。「マリユスを支持する魔族は、どのくらいいる?」

「そんなに多くはありません。でも、みんな坊ちゃまが口説いて回った可愛らしい女の子ばかりで、坊ちゃまには個人的な好意を持っています」

 ジャンはあきれた目を友人に向けた。

「ちょっと」マリユスは抗議した。「それじゃあ、僕がひどい女ったらしみたいに聞こえるじゃないか」

「みたいじゃなくて、そのまんまです」と、クシャロ。

「ナディアが聞いたら、がっかりするかも知れないね」ジャンは小さく首を振った。

「そこは内緒にしてあげてください」クシャロはにやりと白い歯を見せた。「あんな風に積極的な女の子と付き合うのは初めての経験なので、坊ちゃまはもう彼女にめろめろなんです」

「ねえ、クシャロ」マリユスは顔を真っ赤にして言った。「そりゃあ、魔法で繋がっていれば僕の心の中にあることも勝手に見えてしまうんだろうけど、その秘密を軽々しく他人に明かすのはマナー違反じゃないかな?」

 ジャンはこっそりと笑った。マリユスが()()()()なのはわかりきっていることなので、今さら秘密にしたところで無意味だ。

「まあ、それについては、後でじっくり話し合ってよ。二人で?」ジャンは言ってから、再びクシャロに目を向けた。「マリユス派の魔族たちは、どこにいるの?」

「ペイル伯爵領とモンルーズ辺境伯領の境にある、小さな修道院で修道女のふりをして暮らしています。坊ちゃまをメヌから逃がした時、みんなも姉様たちに愛想を尽かして逃げ出したんです。今は表立ってメヌに反抗するようなことはしていませんが、坊ちゃまがお願いすれば、きっと力を貸してくれるでしょう」

「そんなこと、いっぺんも聞いたこと無いんだけど」マリユスは言って唇を尖らせた。「なんでジャンは知ってるの。魔族に派閥みたいなものがあるなんて?」

「例の千里眼に決まってるじゃないですか」クシャロが代わりに説明した。

「とにかく」と、ジャン。「君は別に、魔族全部と対決するわけじゃないんだ。むしろ熱烈な忠誠心を持った魔族の親衛隊を手に入れられる」ジャンは自分で言っておきながら、ぎょっとした。「ちょっと待って、それに加えて将軍派の貴族を味方につけたら、君の陣営だけ相当に手強くならない?」

 カトリーヌが吹き出した。「撤回して、新しいルールを提案したほうがよくない?」

「まさか」ジャンはしかめっ面をした。「一度言い出したことを引っ込めてたら、いつまでもゲームを始められない」

「私としては、カトリーヌの助言に耳を貸すべきだと思うがね」マルコが渋い顔で言った。

「そうはさせないよ」マリユスはにやりと笑い、素早くジャンに右手を差し出した。「喜んで、君のゲームに参加させてもらうよ。もちろん、君の狙いもちゃんとわかってる。僕をメヌの攻略に忙しくさせて、君を追い掛けられないようにしたいんだ」

 ジャンは頷き、マリユスの手を握り返した。「君は、故郷のごたごたを片付けない限り、スタートラインにも立てないってことさ」

「ねえ、友だち。君ってば、ほんとに小賢しいやつだね。自分で気付いてた?」

「ポーレットにも同じことを言われたよ」

 二人は顔を見合わせて、くすくすと笑い合った。

「話はついたね」ウメコはしかめっ面で言って、マリユスの前に歩み寄った。「アランはああ言ったけど、私はジャンと坊ちゃんが殺し合いを始めたら、このお屋敷を吹っ飛ばして止めてやろうと思ってたんだ。そんなことにならなくてよかった」

「まったくです」レオンが言った。「もうちょっとで、私の受け取る財産が目減りするところでした」

「瓦礫の下敷きになったら、そんな心配をしている余裕なんてねえだろうに」ユーゴは言って、カラスとカトリーヌに目を向けた。「ひとまず休戦だ」

「あたしたちが、それを信用すると思う?」と、カトリーヌ。

「好きにしろよ」ユーゴは肩をすくめた。

「ねえ、そんなことより」ウメコは飢えたような目をマリユスに向けた。「ちょっと、その義足を見せてもらえる?」

「いいけど、なんだか目が怖いよ?」

 たじろぐマリユスをよそに、ウメコは彼の前にしゃがみ込むと、ガラスの義足をためつすがめつし、手に取って持ち上げたり、足首の関節を曲げたり伸ばしたりし始めた。「さすがにガラスだから重量はあるけど、中を空洞にしてできる限り軽くしているのね。よく考えられてるわ。でも、接続部分がこんなに小さくて、どうして固定できてるのかしら」

 ウメコがぶつぶつ言っていると、レオンもやって来て、あれこれ説明を始めた。「それはですね――」

「ねえ、ウメコ。どさくさに紛れて、脚を触るのはやめてくれるかな。それに僕は今、下着を穿いてないんだ。そんな風に裾を持ち上げられると困るんだけど?」マリユスは顔を赤くして言う。

「あら、坊ちゃんの身体になんか興味ないわよ」ウメコはあっさりと言って、レオンに目を向けた。「割れないって本当?」

「絶対と言うわけではないようです」レオンは頷いた。「これを発明した職人の説明によると、深い傷が付いた途端、破裂して粉々になるそうなので、その点は気を付けた方がいいでしょうね。ただ、私が実際に樫の棒で力いっぱい引っ叩いてみましたが、ひびの一つも入りませんでした」

「なるほど」ウメコは頷いた。「何か、特別な加工をするの?」

「炉で煮溶かしたある種の塩に、半日ほど浸け込むのだとか。ただ、その塩とやらがなんなのかは教えてくれませんでした。少なくとも、料理に使う塩とは別物のようです」

 ウメコはうなった。「その職人さんと、ゆっくり話をしてみたいわね」

「そんな時間はないぞ」マルコがたしなめた。

「わかってるわよ」ウメコはため息をついて頷いた。

 部屋の扉を、ノックする音が響いた。カラスとカトリーヌが身構え、ユーゴはレオンに目を向け無言で問いかけた。レオンは、こくりと一つ頷いた。

 ユーゴが扉を開けると、ジャンたちを捕らえた隊長と、使用人の格好をした少年がそこに立っていた。隊長は自分が捕らえた虜囚が武装して部屋の中にいるのを見るなり、ぎょっとした様子で剣を引き抜いた。

「武器をおさめてください」レオンはのんびりと言った。「彼らとは、すでに和解しているんです」

 隊長は用心深く室内を見回してから、命じられた通り剣を鞘に収めた。

「それで、用件は?」レオンがたずねた。

「メヌから手紙が届きました」隊長は言って、彼の一歩後ろに立つ少年に目配せした。使用人の少年はレオンに歩み寄り、一通の封筒を差し出した。彼はジャンよりやや幼く、マリユスほどではないにせよ、愛らしい顔立ちをしている。

 封筒を受け取ったレオンは少年に微笑みかけてから、彼の耳元でなにやらささやいた。ジャンの耳は「今夜」と言う単語をかろうじて聞き取った。使用人の少年は頬を染め、上目がちに主人を見つめた後、小さく頷いて隊長の後ろへ戻った。レオンは封筒に目を落とし、緩んだ顔を引き締めた。彼は封筒から手紙を取り出すと、それに目を通した。

「どうかしたのか?」マルコがたずねた。

「メーン公爵からです。西進するメヌ軍を待ち、ロズヴィルにて合流せよとの命令が書かれています」レオンは答え、隊長に目を向けた。「もちろん、君からもニュースがあるんだろう?」

 隊長は頷いた。「メーを出発したメーン軍が、ディポンを通過したとの報告が届きました。日付は三日前です」

 マルコはカトリーヌに目を向け、女スパイは小さく首を振った。どうやら彼女も初めて聞くニュースのようだ。カトリーヌは探るようにユーゴを見るが、彼もまた眉間に皺を寄せて首を振った。

「今、通過と言いましたね」アベルが言った。「ディポンの街道警備隊は、ただそれを見過ごしたと言うのですか?」

 隊長はアベルを見たあと、許可を求めるようにレオンへ目を向けた。レオンは頷いて見せた。隊長はアベルに向き直り、言った。「はい。ディポンの街道警備隊はメーン公爵との会見の後、一切の抵抗も無くメーン軍を素通りさせたようです」

「まさか、ディポンも魔族に乗っ取られていたのでしょうか?」アベルはマルコに問いかけた。マルコは束の間考え、不意に毒づき始めた。

「それは後にして、まずは説明してくれ」アランが言った。

「メーン公爵は将軍だ」マルコは短く答え、ぎょっとするような悪態を吐いた。

 すると、アベルがはっと息を飲んだ。「私は、街道における軍事行動を許されているのは、街道警備隊と王が招集した軍だけだと、ずっと勘違いしていたんです。しかしベルンへ入る前日に、マルコはそれが王位ではなく、将軍としての地位に付与された権利なのだと訂正しました。王は大将であり、メーン公爵は中将ですが、どちらも将軍職には違いがありません。従って、メーン公爵にも街道を行軍する正当な権利があるのです」

「それで」と、ジロー。「一体、どんなまずいことが起こるんだい?」

「メーン公爵が街道を進む限り、誰も文句を言えないんだ」アランが説明した。「だからディポンの街道警備隊も、彼の軍隊を素通りさせたんだろう。そしてペイル伯爵も公爵が街道を外れない限り、その進軍を阻むことはできない。それが出来るのは、今のところ同じ将軍である王の軍隊だけだ」

「だからと言って、今からシャルルを呼び寄せてたんじゃ間に合わないわ」カトリーヌが爪を噛んで言った。彼女の眉間には深いしわが刻まれている。

「むしろ、シャルルには王都を守っていてもらった方がいいだろう。おそらく公爵は、南側からも同時に軍を動かしているはずだ」アランは言って腕を組み、うなった。「駒が足りん」

「ねえ」ジャンとマリユスが同時に言った。二人は顔を見合わせた。マリユスがにやりと笑った。「ひょっとして、同じことを考えてた?」

 ジャンは頷いた。「たぶんね」

 マリユスも頷き返し、アランに目を向け言った。「もう一つ、ここに将軍の駒が転がってるよ」

 アランは目を見開き、マリユスをまじまじと見つめてから口を開いた。「なるほど」

「確かに、お前は親父から将軍職も引き継いでいるから、兵隊を引き連れて街道を闊歩しても法的には問題ない。しかし、どうやってそれを証明する?」マルコが難しい顔でたずねた。

「この部屋には、力のある貴族がうようよしているんですよ、ヴェルネサン伯爵」レオンは思い出させた。「あなたとベア男爵、皇太子殿下、それに前王陛下が連名の身分証明を一枚用意するだけで、きっと誰も文句は言わなくなるでしょう。しかし、一番の問題は、偽将軍に対抗できるだけの兵力が手元にないと言うことです。今から将軍派の貴族を招集して兵を集めていたのでは、到底間に合いません。三日前にディポンを出たのであれば、今頃メーン軍はロズヴィルまで二週間足らずの距離にいるはずですから」

「ベルンとクタンの街道警備隊に手を借りたらどうかな」ジャンは提案した。「それとも、将軍同士の喧嘩に街道警備隊が口出ししてはいけない法律があったりする?」

「この場合、一方が将軍ではないから、法的な問題は無い」マルコが言った。「ただ、ギャバン大佐はロゼ軍に対して、少しばかり悪印象を持ってるはずだから、まずはそれを解消した方がいいだろう」

 レオンはジャンたちを誘拐した部隊から、街道警備隊の目をそらすために、ベルン周辺で陽動を打っていた。おそらく彼らは、ロゼ軍と肩を並べて戦うことを良しとはしないだろう。

「私が直接行って、謝ってきます」レオンは肩をすくめて言った。

「僕からも一筆書くよ」と、マリユス。「それと、クタンには僕が出向こう。モンルーズ辺境伯は、ちょっと気難しい人らしいから、直接顔を合わせて頼む方がいいと思うんだ」

 ジャンはマリユスのゆるんだ顔を見て、今のモンルーズ辺境伯を妙齢のご婦人だと評した、カッセン大佐の言葉を思い出した。

「しかし、マリユス。自分が旅向きの身体でないことは、知っているでしょう?」レオンは眉間にしわを寄せた。

「杖があれば歩けるって言ったのは君だよ。それに、ジャンもクタンへ行く用事があるそうだから、どうしようも無くなったら彼が助けてくれるさ。こう見えて、ジャンはすごい力持ちなんだ」

 ジャンは立ち上がり、やにわにマリユスの身体の下へ手を突っ込んで、彼を横抱きにしてみせた。

「ちょっと」マリユスは顔を赤くして抗議した。「何も、今やって見せなくてもいいじゃないか」

「一筆書くって言ったよね」と、ジャン。「机まで連れてってあげるよ」

「坊ちゃま、お姫さまみたいですよ」クシャロがにやにや笑って言った。

「ドレスを持ってきましょうか?」レオンが提案した。

 マリユスはぎょっとした様子でジャンに目を向けた。「早く降ろして。さもないと彼らは、お姫さまらしく君にキスをして見せろって言い出すよ」

「それは、勘弁してもらいたいな」ジャンはマリユスを抱えたまま窓際の机まで歩き、その椅子に彼を座らせた。「もう、じゅうぶんしてもらったし」

「なんだって?」

「なんでもない」

 マルコがため息をついた。「王国の危機を前に、ふざけてる暇などないぞ。さっさと準備に取り掛かろう」

 レオンがうなずき、机に歩み寄ってその一番上の抽斗を開けた。ジャンが覗き込むと、そこには紙と封筒に加え、二本の印璽が入っていた。マリユスは印璽を手に取り、引っくり返して印面を覗いてからにやりと笑い、レオンに目を向けた。「なんで、君が公爵家の印を持ってるわけ?」

「前の公爵が父に預けていたものです。メーンは王国の東の端にありますから、西側の貴族たちに公爵の意向を素早く伝えるために、代筆を父に頼むことがあったのです。署名さえそっくり真似できましたよ」

 ザナは元々、ロゼ伯爵の監視役だったそうだが、この関係を見れば、魔族たちが伯爵を警戒するのも頷けた。

「いっそ父上は、ロゼ伯爵を跡継ぎに指名すればよかったんだ」マリユスはあきれた様子で言いながら白紙を一枚取り出し、机の上に置いてあったペンでさらさらと何やら書き付け、畳んで封筒に入れてから印璽を押して封を施した。

 レオンは封筒を手に取り、マリユスにうなずいて見せてから、隊長と少年が立つ出口へ向かい、彼らを連れて書斎を立ち去った。

「我々も、さっさと出発しよう」アランが言った。

「せめて、僕が着替えるまで待っててくれるかな。こんな裸同然の格好じゃあ外は歩けないよ」マリユスは言って、ジャンに目を向けた。「度々で申し訳ないんだけど、着替えが出来る部屋へ連れて行ってくれる?」

「おやすい御用さ」ジャンは請け合った。「でも、その前に君の身分証明を作らなきゃ」

「それは、我々でやっておく」と、マルコ。「お前は戻ってから署名だけしてくれればいい」

 ジャンは頷き、はたと思い出した。「でも、着替えなんてどこにあるの?」

 それを知っているであろう家主は、すでに出て行ったあとだ。

「適当な使用人を捕まえて、声を掛けるといい」ユーゴは言って、カトリーヌに目を向けた。「手を貸してくれ。メヌの動きを全く掴めなかったのは、どうにも気になる」

「そうね」カトリーヌはうなずき、口をへの字に曲げた。「向こうにいる部下たちに、何かあったのかしら」彼女はつぶやいてから、マルコに目を向けた。「ちょっと調べてくるわ。出発前には戻って来れると思うけど、それが無理ならクタンで合流しましょう」

 マルコはうなずいた。「もし可能なら、今のメーン軍の動きも調べてくれ。アランやカルヴィンの予想だと、彼らはペイル領を突っ切って、まっすぐロゼへやって来ることになっているが、それが外れて思いがけない場所で戦闘に巻き込まれる事態は避けたい」次いで、彼はカラスに目を向けた。「お前とジローは船の手配を頼む」

 カラスはふと考えてから口を開いた。「馬車を乗せるなら、そこそこでかいやつになるな?」

「この際、金に糸目はつけるな。クタンへ入る時は本物のメーン公爵が同行するんだ。あまりみすぼらしくして貴族に見えないようでは困る」

「一緒に行きます」と、クシャロ。「こっちではクシャロも、多少顔が利きますから、レオンさんのツケ払いにできると思います」

「だったら、とびっきりいい船にしよう」ジローは容赦なく言った。

「坊ちゃまを乗せるんです。レオンさんもきっと文句は言わないでしょう」クシャロは頷いて言ってから、ジャンに目を向け、スカートをたくし上げて魔族の短剣を取り出した。「これは、返しておきますね」

「いいの?」ジャンはたずねた。

「クシャロは自分のがありますから」クシャロは肩をすくめた。「まあ、ザナの宝石は、こっちで処分させてもらいますけどね」

 処分とやらの方法は気になったが、ジャンはあえて聞かないことにした。クシャロはジャンに歩み寄り、短剣の柄を彼に差し出した。刃にはまっていた緑色の宝石は無く、今は六角形の穴がぽかりと開いていた。

「おい、ちょっとそれを見せてくれ」ユーゴは驚いた様子で言うと、ジャンの方へ一歩踏み出した。すかさずカトリーヌが、彼の前に立ちふさがる。ユーゴは小さく舌打ちして言った。「何もしねえよ。あの妙なナイフを見せてもらうだけだ」

 カトリーヌはユーゴを睨み据えてから、一つうなずく。「いいわ。でも、おかしなことをしたら、ただじゃおかないわよ」

 二人の密偵は肩を並べてジャンに歩み寄った。

「間違いねえ」ユーゴはジャンの手の中の短剣を見てつぶやいた。「クセは、これと同じもので、前の公爵の心臓を突き刺したんだ」

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