13.黒衣の司祭
「カラス?」ジュスティーヌに変装していることを一瞬忘れて、ジャンは素っ頓狂な声を上げた。
「あんたこそ、なにやってるのよ?」と、ウメコ。
「お前とアランを助けに来たんだが」カラスは伍長とジャンを交互に見て、それから短剣をしまい込み、後ろ手に拘束していたレミを解放した。「どうやら、先を越されたようだな」
「はい」と、ジャン。「それに、クァンタンと彼の部下のみなさんは、彼女たちだけではなく父を助けるためにも力を貸してくださっています」
カラスはいぶかしげに、アランへ目を向けた。アランは首を振り、おなかの前でこっそり丸い形を作る。カラスは一つうなずいてから、きまりの悪い顔をクァンタンに向けた。「すると外の連中も、伍長さんの部下だったのか」
「二人に何かしたのか?」クァンタンは、ぎょっとしてたずねる。
「ちょっと眠ってもらった」カラスは申し訳なさそうに言った。「今は二人とも廊下に転がしてある。あとに残るような怪我はさせてないはずだが、見てきてやってくれ」
クァンタンは牢番の部屋を飛び出し、彼の部下たちもあとに続いた。部外者が消えたところで、カラスは鉄格子の向こう側をちらりと見てから、仲間に近くへ集まるよう手招きした。みんなが頭を寄せ合ったところで、彼は抑えた声でジャンに言った。「説明してくれ」
牢にいる者たちに会話の内容を聞かれないよう、カラスが気を配っていることはすぐにわかった。ジャンはカラスにならって抑えた声で、これまでのことを手早く説明した。それを聞いたカラスが、ため息をついて小さく首を振るのを見て、ジャンは自分がへまをしでかしたのではと心配になった。
「絶対に、ぼろを出すなよ」カラスは言った。「ジュスティーヌが架空の人物だと知ったら、あの伍長は自分の心臓に剣を突き立てるぞ」
「まさか」ジャンはぎょっとして言った。
「賭けるか?」
ジャンは首を振った。どうにも分が悪いように思えた。彼はふと思い出した。「カトリーヌは?」
「アランとウメコの武器を取りに行った。マルコおじさんが捕まってる場所で、落ち合う手はずになってる」
「獄舎?」
「いや、教会だ」カラスは言って、眉をひそめた。「そこの女司祭が、魔族なんだな?」
「たぶんね」ジャンはうなずいた。「イゼルの女性は、名前の頭文字がXなんだ。スイ、クセ、クシャロ、そしてザナ。僕たちの言い方なら、スイはたぶんクスイかクシィで、司祭のザナって名前はクザナになる」
カラスは頭をかいた。「魔界をうろついていたときは、そんなこと気付きもしなかったな」
「周りは敵ばかりだったからな。魔王崇拝者か、彼らに渋々従っている人たちのどちらかで、自己紹介し合うような暇も機会もなかった」アランは言って、ため息をついた。
「それにしても、ロッテが敵の一味だったなんて、がっかりだわ。ベルンに越してきて、最初に出来た友だちなのに」ウメコはため息をついた。「私に近付いてきたのだって、復讐のためかも知れないわね。だって、魔王を倒したアランの一味なんだもの。ジャンより恨まれてても、おかしくないでしょ?」
「それは、どうかな」ジャンは首をひねった。「彼女は、他の魔族とはちょっと違う考えを持ってるみたいなんだ。僕のことを好きだって言うくらいなんだから、ウメコさんを本気で友だちだと思っててもおかしくないよ」
「さんはやめて。さもないと十年前みたいに小さな坊やって呼ぶわよ」
「わかった」記憶はなかったが、あまり愉快なことではなさそうなので、ジャンは神妙にうなずいた。
カラスはアベルに目を向けた。「北部が七柱神教に熱心だとは聞いたが、司祭の影響力はどの程度なんだ?」
「そうですね」アベルは束の間考え、言った。「ベアの司祭様は、政に口出ししてくることはありませんが、ペイル伯爵の領地にいる司祭は、あれこれ教会の意向を押し付けて、ルイを困らせているようです。一方で、財政難の領主に代わって耕作地の開墾や、橋や道路の整備を担ってくれているので、民衆からの支持は高く、彼らの懐に依存している貴族も少なくありません」
カラスは険しい顔でしばらく考え込み、言った。「教会が魔族に乗っ取られたんだとしたら、厄介なことになるな」
あまり宗教に熱心ではない王国の南部で育ったジャンには、どうにも理解しがたい話だった。葬式や結婚式の折に、トレボーから司祭が招かれることもあったが、彼らさえ本職を別に持つ兼業神父で、聖職は半ば趣味や奉仕活動の類だと言う。他に宗教じみた行事と言えば、農閑期に村人たちで寄り集まり、八柱の神々の扮装をして、神話の一節を演ずるお芝居がある程度だ。ジャンが覚えている限り、女神役はいつもジネットおばさんで、その時の彼女は普段にもまして美人に見えた。いつかポーレットが女神になって、僕はアルシヨン役をすることになるんだろうなと考え、皇太子になってしまった今となっては、そんな時が永遠に来ないのだと気付き、不意に寂しさを覚えた。それで、ジャンはふと気付いた。「神様は八柱あるのに、どうして七柱神教なんて呼ぶの?」
「帝国時代のある時期に、女神を唯一の神とする女神崇拝が生まれ、反乱を起こしたことがあるんだ。そのせいで、女神信仰がはばかられるようになり、本来の八柱神から女神の一柱を隠して七柱神教と呼ぶようになった」アランが説明した。
カラスが唇に人差し指を立てた。束の間を置いて扉が開き、レミが顔をのぞかせる。彼は扉を押さえて廊下の方へ目をやり、すぐにクァンタンとバジルが、ブノワとボッブに肩を貸しながら入ってきた。
「二人は、ここで休ませる」クァンタンが言った。「代わりにランディとレイモンを見張りに置いてきた」
「悪かったな、お二人さん」カラスは謝った。「まさか、うちのお嬢様が、伍長さんに応援を頼んでるとは思ってなかったんだ」
「気にするな」ブノアが喉をさすりながら、にやりと笑って言った。「しかし、見事な技だな。隊長に起こされて事情を聞かされるまで、俺は襲われたことにすら気づかなかった」
「あなたは、見た目通りの商人じゃないようだな?」クァンタンはすがめた目でカラスを見つめた。
「カラスだ」小男は右手を差し出した。「昔、ちょいと荒っぽい商売をやってたことがあってね。ヴェルネサン伯爵とは縁があって、今は彼に手を貸してる」
クァンタンはカラスの手を握り返しながら、アランに目を向けた。「あなたも、ただの少女には見えません」
「そいつはアラン。俺に護衛として雇われている剣士だ」カラスが紹介した。
「ひとつ言っておくが、剣王にあやかっているわけではないからな」アランが機先を制して言った。
「あなたの身のこなしを見ていれば、その必要がないことはわかります。お嬢さん」
アランは渋面を作った。「アランで結構だ」
「そこの小汚いのは、俺の妹のウメコ。魔法使いを自称しているが、火の玉を飛ばすよりも棒っきれで人を殴る方が性に合ってるらしい」
クァンタンは尊敬をたたえた眼差しでウメコを見つめた。「ジュスティーヌから、薬師もされているとうかがっております。美しいだけでなく、多才な方なんですね」
「ほめてもなんにも出ないわよ」ウメコは口元をゆるめた。彼女は兄に目を向けた。「そろそろ出発しない? 彼のお世辞をずっと聞いていたい気もするけど、今はマルコおじさんが心配だわ」
カラスはうなずき、クァンタンに目を向けた。「伍長さん。あんた、リュネ公爵の別邸の場所は知っているか?」
「ここから、さほど遠くない」クァンタンは言って、いぶかしげに首を傾げた。「それが、どうかしたのか?」
「公爵が、そこに囚われている」
クァンタンは息を飲んだ。彼は「どうして」と言い掛けて、その答えに思い当ったのか、大きく目を見開いた。
カラスはうなずいた。「ギャバン大佐が妙なことをしているのは、父親を人質に取られているせいで、叛逆者たちに手を貸しているのも仕方なくなんだ」
「つまり」アベルが口を挟んだ。「公爵を救い出しさえすれば、マルコを奪い返したあとでも、追っ手の心配をする必要はないと言うことですね」
「そういうことだ」カラスは言って、クァンタンに目を向けた。「あんたは信用のおける連中を集めて、公爵を救出してきてくれ」
「わかった」クァンタンはうなずいた。
「正直なところ、俺は公爵を見捨てるつもりでいたんだ」カラスは渋い顔で白状した。「囚われの貴族を二人も救出するには、ちょいと人手不足だったからな。しかし、頼れる戦力があるなら話は別だ」
「ジュスティーヌ」クァンタンはジャンに笑顔を向けた。「我々は、あなたのペテンに感謝しなくてはなりません」
「あなたが親切だったからです、クァンタン」ジャンは笑顔を返した。「あなたが愛想を尽かして私を追い返していたら、きっとこうはならなかったでしょう。あなたが私の友人でいてくれたことを、ベルン子爵とリュネ公爵は感謝すべきです」
「お二人さん。作戦は、まだ始まってもいないんだぜ?」カラスは釘を刺した。彼はクァンタンに目を向けた。「公爵の屋敷を守っている兵隊は五人だ。しかし、頭数はそろえて行った方がいいぜ。なにせ、魔物が出るかも知れないからな」
「魔物?」クァンタンはぎょっとした。
カラスはうなずいた。「屋敷を調べたのはジョゼットだから、彼女からの伝聞になるが、公爵は幽閉生活をことのほか、お気に入りのようなんだ。なんでも彼は、十二人の少女をはべらせて、屋敷どころかベッドからも、逃げ出す気を失くしているらしい」
クァンタンは、女性たちをちらりと見て、一つ咳払いした。「いささか、この場にふさわしくない話題のようだが?」
「問題は」カラスは構わず続けた。「その少女たちが全員、同じ姿をしているってことだ。背格好や顔ばかりか、尻にあるほくろの位置まで、そっくり同じだったらしい」
「それが、どう魔物と関わっている?」クァンタンは眉間に皺を寄せて言った。「そもそも剣王が魔王を倒した時に、魔物たちもみんな滅びたはずだ」
「いや、魔王も魔物も完全に滅びたわけじゃない。魔族を称する連中が、魔王の屍を体内に取り入れて、その命を養い続けているんだ。彼らは魔王のように魔物を生み出し、それを自在に操ることができる。そして正体を隠している魔物は人間そっくりで、本物の人間と見分けがつかない。その姿は作り手の魔族が思い通りにできるらしいから、公爵を喜ばせている女の子たちも、彼を骨抜きにするために魔族が作り出した魔物だと俺はにらんでいる。彼女たちの母親が、十二人の姉妹をいっぺんに生んだと考えるよりも、そう考えるほうが自然だろ?」
「その魔族が、なぜ駐屯地を支配しようと企んでいるんだ?」
「魔族は、俺らが相手にしている叛逆者たちに手を貸しているんだ。なんと言っても、狙いが皇太子殿下と言う点で言えば、連中の目的はまったく同じだからな」
「魔族も殿下のお命を?」
カラスはうなずいた。「彼らは魔王を倒した剣王をひどく恨んでるし、それを晴らすには彼の息子を殺すのが一番だと考えているようだ」
「剣王本人が王都に帰還されたのだから、文句があるなら彼に直接言えばよいと思うのだが」クァンタンは首を傾げた。
「一理ある」と、アラン。
「魔族は、この街にいるんだな?」クァンタンは目をすがめて言った。
「うちのお嬢様の考えでは、駐屯地の教会にいるらしいぜ。ついでに言うとヴェルネサン伯爵も、そこに囚われてる」
クァンタンは素早くジャンを見た。
「司祭様のお名前をうかがったとき、私がザナではなくクザナではないかと聞き返したのを、覚えてますか?」と、ジャン。
クァンタンはうなずいた。
「魔族の女性は、名前の頭にクを発音するようなのです」
「しかし、たったそれだけのことで決めつけるのは、いささか乱暴ではありませんか?」クァンタンは眉間に皺を寄せて言った。
「そうですね」ジャンは認めた。「でも別の魔族が、この駐屯地に仲間がいることを白状したのです。他に候補がないのであれば、司祭様を疑うべきではありませんか?」
クァンタンは考え込み、束の間を置いてバジルに目を向けた。「ビアンキ軍曹に、今の話を伝えてきてくれ。お前は彼について行って、公爵の救出に成功したら、そのことを我々に知らせるんだ」
バジルはうなずき、牢番の部屋を飛び出していった。その背を見送ってから、カラスがいぶかしげにクァンタンを見つめた。「あんたは行かないのか?」
「私とレミがいなくても、軍曹は十分な戦力を持つ部隊を組織できる。それよりは、ヴェルネサン伯爵の救出部隊にいたほうが、何かと役に立てるだろう」
カラスは肩をすくめた。「好きにするといいさ」
「では、出発するとしよう」クァンタンはにっと笑って見せた。「行くぞ、レミ」
クァンタンは少年兵を引き連れて出口へ向かった。しかし、ジャンもあとへ続こうとすると、彼はそれを見咎めた。「ジュスティーヌ、あなたは残るべきです」
「伍長」アランが言った。「我々の敵は密偵を使っている。お前の部下が無能だとは言わないが、一度はカラスの侵入を許しているのだから、ここが安全だとは言えないだろう。彼らは手強いぞ」
「なるほど」クァンタンはうなずき、ジャンに目を向けた。「では、あなたは私が守ります。命に代えても」
「クァンタン」ジャンは首を振った。「私が欲しいのは、あなたの心臓ではありません」
クァンタンは笑顔でうなずき、訂正した。「では、あなたとの友情に賭けて」
一行は獄舎を出て、カラスの先導で礼拝堂へと向かった。途中彼は、目的地にほど近い建物の影にみなを連れて行った。そこでは、女中の格好をしたカトリーヌが、アランの巨大な剣とウメコの杖を手に彼らを待っていた。
「あらまあ」カトリーヌはジャンを見て、あきれた様子で言った。「なんだって、こんなところにいるんですか、お嬢様。それに、その御髪は?」
「ごめんなさい、ジョゼット。色々あったので」
カトリーヌはカラスに目を向けた。説明しろと言いたげだ。カラスは苦笑を浮かべてカトリーヌに歩み寄り、彼女の耳元で何やらささやいた。束の間があって、カトリーヌは唇をへの字に曲げた。
「中の様子は?」と、カラス。
「ぜんぶの出入口に、見張りがいて近付けないの」カトリーヌはアランに剣を渡しながら答えた。「それと、ちょっと前にシャルロットが連れ込まれたわ。なんだか、ひどく痛めつけられたみたい」
「ロッテが?」ウメコがぎょっとして訊いた。「あの子、大丈夫なの?」
「わからないわ。意識はあるみたいだったけど」カトリーヌは首を振り、いぶかしげにウメコを見た。
「俺の妹だ」と、カラス。
カトリーヌはうなずき、六フィートはあろうかと言う、つるつるに磨かれた真っ直ぐな木の棒を、ウメコに渡した。「あなたがウメコさんね。よろしく、ジョゼットよ」
「ええ、よろしく」ウメコは気もそぞろで、礼拝堂の入口をちらちらと眺めながら言った。
カラスはクァンタンに目を向けた。「礼拝堂の構造はわかるか。兵隊たちのおしゃべりを盗み聞いて、ヴェルネサン伯爵があそこへ連れ込まれたのはわかったが、居場所を探る暇までは無かったんだ」
「レミ?」クァンタンは部下にたずねた。
レミは剣を抜いて、地面に大雑把な見取り図を書いた。「入口は三つ。正面玄関と、厨房の勝手口と、本堂と離れをつなぐ裏口です。ただし、教会は敷地を柵で囲まれているので、このメンバーでそれを越えて潜り込むのは、ちょっと無理でしょうね。そうなると、どの入口を使うにせよ、門と玄関の見張りの目にとまります」
「裏口や勝手口があるのに、裏門が無いのはどうしてなの?」カトリーヌが訊いた。
「よくわかりません」レミは肩をすくめた。「柵も見張りも、今の司祭様が置いたんです。以前は誰でも好きなときに訪れて、お祈りすることができたんですが、今は彼女のお許しがないと、中に入れてもらえません」
「誰かを捕まえて、閉じこめておくのに都合のいい部屋はどこだ?」と、カラス。
「書斎ですね」レミは考え考え、地面の見取り図を剣の切っ先でつついた。「ここは窓もないし、出入口は一つだけなんで。人目に付かないように、ここへ近付くつもりなら、裏口から入るのが一番です」
アランは眉間にしわを寄せて、見取り図をにらみつけた。「この図の通りなら、正面玄関から門が丸見えだな。門の見張りを殴り倒したりしたら、玄関の連中が中に異常を知らせて、結構な騒ぎになる」
「あたしとカラスなら、門番をこっそり始末するのは難しくないわ」と、カトリーヌ。「問題は、全員でぞろぞろと玄関へ向かったりしたら、間違いなく警戒されるってことね」
ジャンはクァンタンに目を向け、言った。「クァンタン、私と結婚してください」
クァンタンはぎょっとして目を見開いた。
「もちろん、お芝居ですけど」ジャンは急いで付け加えた。それを聞いたクァンタンは、落胆とも安堵とも付かない表情を浮かべた。それに構わず、ジャンはみんなに作戦の概要を説明した。
「私は反対だ」アランが言った。「しかし、代案は思い付かない」
「なら決まりだ。さっさと始めよう」カラスはカトリーヌに目配せた。カトリーヌは頷き、二人はみんなを残して音もなく立ち去った。ほどなくして、短い口笛の音が響いた。
「終わったみたいですよ」レミが言った。「なんだか、昔を思い出すなあ」
「金目の物を探している暇はないぞ」クァンタンは釘を刺した。
「わかってますって」レミはにやりと笑った。
一行が身を屈めて、こそこそと門前へ向かうと、かがり火が掲げられた門柱の下に、意識を失くした門番が座らせられていた。彼らのそばでは、しゃがみ込んだカラスとカトリーヌが待っていて、ジャンたちが近付くと、カラスは礼拝堂の正面玄関に向かって顎をしゃくって見せた。ジャンは一つうなずいてからクァンタンと肩を並べ、玄関へと向かった。彼らの後ろからはカトリーヌがすまし顔で付いてくる。
かがり火を置く三脚の台の間を通り抜け、彼らは玄関の前に立った。途中、見咎められるのではと心配になったジャンだが、そうはならなかった。二人の見張りたちは玄関の扉に耳を押し当て、中の様子をうかがうのに一所懸命で、ジャンたちにまったく気付いた様子はない。
「ちょっといいか?」
クァンタンが声を掛けると、彼らは慌てて自分たちの職務に戻った。
「なんだ?」一人が剣呑な声で言った。
「司祭様にお目通りを願いたい」クァンタンはひとつ咳払いをして、ジャンをちらりと見てから続けた。「彼女と結婚したいんだ」
見張りたちは顔を見合わせた。
「明日、彼女はロズヴィルへ連れて行かれ、金持ちだけが取り柄のでぶの男爵と結婚させられることになっている。だが、私たちは愛し合ってるから、今ここで結婚し、理不尽な縁組みから彼女を解放したい。もちろん結婚には聖職者の立ち会いが必要だ。どうか司祭様に取り次いでもらえないだろうか」
「生憎と司祭様は忙しい」見張りの一人が言って、なにやら下卑た笑いを浮かべた。「それに、礼拝堂は今、結婚式に使える状態じゃなくってな」
前触れもなくカトリーヌが動いた。彼女は一人の兵士の胃の辺りを激しく打ち、彼が身体をくの字に負ったところで、素早く首に腕を巻き付けた。その一瞬で兵士は脱力し、カトリーヌが手を放すと地面へうつ伏せに倒れ込み、ぴくりとも動かなくなった。彼女よりわずかに遅れて、クァンタンも別の兵士の顎のあたりを、籠手をはめた手でがつんと殴り、気絶させた。
「お見事」カトリーヌがほめ、クァンタンはお辞儀をして見せた。彼は倒れた兵士たちを見て、首を傾げてから玄関の扉に耳を押し当てた。
ジャンは門の前で待機していた仲間たちに手を振って、玄関の制圧が終わったことを伝えた。ところが全員が集まる前に、クァンタンはなにやら毒づき始め、ジャンが止める間もなく扉を開け放った。
赤い絨毯の敷かれた身廊の真ん中に、膝立ちになった兵士がいた。奇妙なことに彼は、上半身に胸当てを着けて武装しておきながら、下半身は裸で尻が丸出しになっている。辺りには、他にも武装した五人の兵士が床に座り込み、下卑た笑みを浮かべながら、尻を出す兵士の前に転がる、ぼろ切れのような物に、飢えたような視線を注いでいる。扉が開けられたことに気付いた彼らは、一斉にその目をジャンにたち向けてきた。彼らの視線に言い知れぬおぞましさを覚えたジャンは、思わずクァンタンの後ろに身を隠した。
背中を向けていた下半身裸の兵士も、上半身をひねって振り返った。その時、兵士の身体の影に隠れていたものが見え、ジャンは息を飲んだ。
女中の格好をした女が床に倒れていた。彼女はスカートをたくし上げられ、尻を突き出すような格好になっており、しかも下着は穿いていなかった。彼女の白い小さなお尻の左側には、不思議な形をした赤っぽいあざが見えた。
神聖な場所に相応しくない狼藉が、つい今しがたまで行われていたことは明らかだった。ジャンがふと視線を上げると、周囲の床よりやや高い場所にある祭壇の前で、黒い服を着た女が、こちらに背を向け熱心に祈りをささげていた。この乱行を放置して一体何を祈るのかと、ジャンは見知らぬ女の態度をいぶかしく思った。
「貴様ら」クァンタンが震える声で言った。ジャンが見ると彼は歯をむき出し、兵士たちをすがめた目でにらみ据えていた。「それでも街道警備隊の兵士か!」
クァンタンは抜剣した。兵士たちも立ち上がり、それぞれ腰に帯びた剣を抜いた。尻を出した兵士もきょろきょろと辺りを見回し、床に落ちていた剣帯から剣を引き抜いて、下半身裸のままそれを構えた。クァンタンは大股で三歩進み出て、不敵にも兵士たちに手招きした。「もっと、こっちへ来い。そこでは、ご婦人を踏みつけてしまう」
兵士たちは、雄叫びを挙げてクァンタンに襲い掛かった。いくらなんでも多勢に無勢だと、ジャンがおろおろしていると、クァンタンは突き出される六本の剣を、横薙ぎにした剣の一振りであっさりと弾いた。兵士たちは壁にでもぶつかったかのように、無様にたたらを踏んで後退する。思いもよらぬ剛剣を見て、ジャンが目をぱちくりさせていると、
「加勢は不要だな」アランは言った。
いつの間にか、礼拝堂の入口には仲間たちが集まっていた。カラスとカトリーヌと、レミの姿は見えない。おそらくマルコを助け出すために、裏口へ向かったのだろう。
「腕が違いすぎますね」アベルはうなずいた。「なぜあれで伍長止まりなのか、不思議でなりません」
しかし、達人たちの意見を無視し、ウメコが鬼の形相で護符を構えた。それを見たアランが、ぎょっとして叫んだ。「伏せろ、クァンタン!」
クァンタンが横っ飛びに床へ伏せたのは、おそらく上官の命令には問答無用で従うと言う、兵士としての訓練のたまものなのだろう。ウメコの手から放たれた拳大の火球は、彼がつい数瞬前まで立っていた場所を貫いて、下半身裸の兵士の股間にぶつかり、破裂音を立てた。兵士は絶叫し、焼け焦げた股間を押さえて床にうずくまった。誰もが呆然と立ち尽くす中、ウメコは泣きわめく兵士に大股で歩み寄り、大きく杖を振りかぶった。ジャンは幼い頃に、棒っきれで地面の小石を打ち飛ばして遊んだことを思い出した。彼女の動きは、それとそっくりだった。ウメコが杖を振り降ろすと血飛沫が舞い、兵士は叫ぶのを止め、白目をむいて静かになった。
彼の仲間たちは、あたふたとウメコに襲い掛かった。しかし、ウメコは竜巻のように杖を振り回し、瞬く間に彼らの武器を叩き落としてから、一人の鼻先に杖の先端を突き付けた。
「俺たちが悪かった、降参する!」兵士は両手を挙げて床に膝を突いた。他の四人も彼にならい、ウメコは兵士たちをねめつけてから、素早く杖を振るって端から一人ずつ叩きのめした。床の上で伸びた男たちを見おろし、ウメコは馬鹿にするように小さく鼻を鳴らした。床に伏せていたクァンタンが立ち上がり、ウメコに歩み寄った。
「なに?」ウメコは挑むようにクァンタンを睨み付けた。
「返り血が付いています」伍長はポケットからハンカチを出し、ウメコに差し出した。ウメコはきょとんとクァンタンを見つめるばかりで、ハンカチを受け取ろうとしなかった。クァンタンは真面目な顔で、女魔法使いの頬についた血の滴を拭い取った。
「ありがとう」ウメコはきまりの悪い顔で礼を言ってから、床に転がる女中に駆け寄った。それと入れ替わるようにアランがクァンタンに歩み寄り、労うように彼の背中を叩いた。
ジャンとアベルも、床に倒れ伏す女に駆け寄った。ウメコは杖を脇に置いてから彼女を仰向けに寝かせ、乱れたスカートの裾を整えてやった。女中の服はあちこちが破れ、ところどころの穴から肌が覗いている。アベルは素早く上着を脱ぎ、彼女の上にそっとそれを掛けた。ウメコは紳士に感謝のまなざしを向けてから、女中に呼びかけた。「ロッテ?」
ジャンも彼女のそばに膝を突いて、青黒い痣のある腫れた顔を覗き込んだ。それは、紛れもなくクシャロで、彼女は虚ろな目で天井を見つめていた。しかしジャンは、彼女の唇が微かに動いていていることに気付いた。ほとんど吐息だけの声をどうにか聞き取れば、彼女が「坊ちゃま、剣」と繰り返していることがわかる。ジャンは辺りを見回し、すぐ近くに引き裂かれたクシャロの下着と、鞘に収められた例の短剣が放り出されているのを見付けた。彼は短剣をクシャロの胸に乗せ、その上に彼女の手を置いた。クシャロの手が、短剣の柄をゆるく掴んだ。彼女は一つ瞬きをしてから、怯えの色が浮かんだ目をウメコに向けた。
「もう大丈夫。悪いやつは、みんな私がやっつけたわ」ウメコは、クシャロの頭を撫でながら言った。クシャロは笑みを浮かべ、それからふと目を閉じた。それを見て、彼女が息絶えたのではと肝を冷やしたジャンだが、胸が微かに上下しているのを見て安堵のため息をついた。
「今、みんなって言った?」
全員が、声のした祭壇の方に目を向けた。祈りをささげていた黒服の女がゆらりと立ち上がり、振り返った。彼女は、ゆるくウェーブの掛かった金髪で、ふっくらしたつやのある唇に、妖しげな笑みを浮かべている。女は、たれ気味の目で、ぐるりと一同を見回して言った。「まだ私がいるのよ。無視するなんて、ひどいじゃない」
ジャンは、ようやく気が付いた。胸元がはちきれそうにふくらんでいたせいで、まったく違う意匠に見えたが、彼女の黒い服は、クセが着ていたイゼルの民族衣装と同じものだった。それは、たった一つの事実を表していた。つまり、彼女こそが魔族の司祭、ザナだった。
('17/2/13)誤字修正
('17/7/1)誤字修正




