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プリンセスコード  作者: 烏屋マイニ
魔界の王国
24/46

9.シャルロット

 シャルロットはひとしきり泣いてから身を起こし、ジュールの横に座り込んで手の甲で涙を拭うと、目を三角にして言った。「今まで、どこへ行ってらしたんですか。シャルロットは本当に心配したんですよ」

「ごめんよ」ジュールも身を起こし、困った顔で謝った。「ちょっと誘拐されてたんだ」

「誘拐?」シャルロットは息を飲むなり箒を引っ掴んで立ち上がり、それを武器のように構えると、ジュールを背にかばって一行に剣呑な目を向けた。しかし、勇ましい顔つきとは裏腹に、踏ん張る脚と箒を持つ手はぶるぶる震えていた。

「違う、違う」ジュールも慌てて立ち上がり、シャルロットと一行の間に割って入った。「彼らは、その人さらいから助けてくれた上に、僕をここまで送り届けてくれたんだ」

 シャルロットは目を丸くしてから箒を背中に隠し、ぺこぺこ頭を下げた。「これは失礼しました」

「誰かさんが、おっかない目をしてるから勘違いされるんだ」ジローが言った。

「お前みたいに、怪しさ満点なやつには言われたくないね」カラスが反撃する。

「お二人とも、負けず劣らず怪しく見えますけど」シャルロットは、ずけずけと言った。「シャルロットとしては、こっちのきれいなお嬢さんの方が気になります」女中はじろじろとジャンを眺め回した。「さっきは友だちとか仰ってましたけど、まさか、また坊ちゃんの甘い言葉に騙された口じゃないですよね?」

「また?」ジャンは聞き返した。

「人聞きの悪いこと言わないでよ」ジュールはしかめっ面をして女中に抗議した。「みんなのことは、ちゃんと紹介するから、とりあえず中へ入ろう。何か飲み物を用意してくれる?」

「わかりました。では、ご案内します」シャルロットはひとつお辞儀をしてから、先に立って歩き出した。彼女のあとに続いて屋敷に入ると、だだっ広い玄関ホールがあった。シャルロットは振り返り、一同をぐるりと見回してから、右手の扉をぞんざいに指さした。「そちらに食堂があります。この人数だと、応接間ではちょっと窮屈だと思うんで」シャルロットはマルコに目を向けた。「構いませんか?」

「ご覧の通り」マルコは丸いおなかをぽんと叩いた。「私は広い方がありがたい」

「それはよかった」シャルロットはにっと白い歯を見せた。彼女は小さい子供たちに目を向けた。「みんなは他の部屋へ行きましょう。あとでお菓子を持って行きますので、とりあえずシャルロットと一緒に来てください」

 子供たちはわっと歓声を上げ、シャルロットのあとを追い掛けた。

 ジャンたちはシャルロットが示した扉を抜け、食堂へ入った。そこには長いテーブルが置かれ、十二脚の椅子がそれを挟んで対面に並んでいる。テーブルの上には燭台がずらりと並んでいるが、火は一つも点っていない。しかし、室内は明るかった。それと言うのは、窓から初夏の日差しがまばゆく差し込んでいたからだった。ジャンは、その窓を見て息を飲んだ。彼は窓に駆け寄り、枠にはまった透明の板に触れてから、素早くジュールを見た。「これ、ガラス?」

「そうだよ」ジュールは平然とうなずいた。

「本で読んだことはあるけど、本物のガラス窓を見るのは初めてだ」

「僕の父さんはロゼで、商社を経営してたんだ。色んな品物を扱ってたけど、その中でもガラス器は、主力商品だったのさ」

「ガラスはロゼの特産だからな」カラスはうなずいた。「北部の貴族の中で、ロゼ伯爵だけ羽振りがいいのは、そのおかげなんだ」彼はぐるりと室内を見回した。「お前の親父は、相当な金持ちだったんだな。ガラス窓もだが、この部屋に使われてる調度は、相当に金が掛かってる」

「確かにお金持ちだったけど、ここにある物は見栄と言うより見本なんだ。お客さんを呼んで食事をふるまいながら、実物を見せて売り込みをするってわけさ」ジュールはカラスを見てにやりと笑った。「壁を登って忍び込もうとしないでね。この屋敷には魔法が掛かっていて、決められた入口を通って入らないと、迷子になって外へ出られなくなるんだ」

「君がやったの?」ジャンは目を丸くした。

「もちろん」ジュールは得意気に鼻を鳴らした。「結界魔法なんて、初歩中の初歩さ」

「なかなか挑みがいがありそうだ」カラスは、口元に不敵な笑みを浮かべてつぶやいた。

「ちょっと」ジュールはぎょっとした。

「冗談だ」カラスは肩をすくめた。「友だちの財産には、手を出さないことにしている」

「君は――」口を開き掛けたジャンは、カトリーヌが壁や天井を念入りに眺めながら、室内を歩き回っていることに気付いた。何をやっているのだろうと首をひねってから、質問の続きをジュールに投げかけた。「お父さんの跡を継がなかったの?」

 ジュールはうなずいた。「父さんが、事業とロゼのお屋敷を売り払ったんだ。景気が悪くなったら、こんな高級品なんてそうそう売れなくなるぞって言って、死ぬちょっと前にね。おかげで僕には結構なお金と、このお屋敷を遺してもらえたってわけ」

「どうでもいいが、窓を開けてくれ」アランが顔を赤くして言った。「暑い」

「彼女は暑いのが苦手なんだ」ジャンは説明した。そう言うジャンも、ドレスの下は少しばかり汗ばんでいた。ガラス窓は光を通しても風は遮るから、室内は温まる一方なのだろう。

「君が下着を穿かないわけがわかった」ジュールはアランを見て眉間に皺を寄せた。彼はジャンに目を戻した。「開けるの手伝ってくれる?」

 数えてみると、窓は全部で六枚あった。

「僕は向こうの半分を開けてくる」ジャンは指さして言った。

 部屋の中をうろうろと歩き回っていたカトリーヌが、ふと足を止めて意地悪な笑みをジャンに向けてきた。「割らないように気を付けて」

 窓に触れようとしたジャンは、ぎょっとして手を引っ込めた。「おどかさないでよ」

 幸いにもジャンたちは、一枚もガラスを割ることなく無事に窓を開け終え、室内には涼しい風が吹きこんできた。みんながそれぞれ席に着くとシャルロットが現れ、挨拶もせずに厨房へ駆け込み、しばらく経って数本の瓶と人数分のガラスのカップを乗せたワゴンを、押しながら戻ってきた。彼女は手際よくカップと瓶をテーブルに並べながら言った。「ワインと蜂蜜酒です。どっちも地下室に置いてあったんで、よく冷えてますよ。坊ちゃまとお友だちは、蜂蜜酒にしてくださいね。子供用に、あまり酔っぱらわないように仕込んだやつなんで」

「ありがたい」マルコは言って、さっそく手酌で一杯飲んだ。

「それはシャルロットの仕事です、旦那さん」

「だが、一人ずつ注いで回ったんじゃ時間の無駄だろう。みんな勝手にやるから、あんたも座って一杯やってくれ」

「シャルロットは、旦那さんが好きになりそうです」シャルロットは、またもや白い歯を見せた。「でも、おかまいなく。仕事は仕事ですから」

「私も、あんたのような人間は嫌いじゃないぞ」マルコは片目を閉じて笑みを返した。

 飲み物が行き渡ると、カラスがカトリーヌに目を向けて言った。「それで?」

 カトリーヌはうなずいた。「商談に使われる部屋だけあって、さすがにちゃんとしてるわね。厨房の扉と窓を閉めれば、ここでの会話が外へ漏れ出すことはないわ。たとえ、となりの部屋に密偵が潜んでいたとしてもね」

 アランが恨めしそうな目をカトリーヌ向けた。

「開けといていいわよ」カトリーヌはくすりと笑った。「窓辺に誰かが近寄ったら、すぐにわかるから」カトリーヌはジュールに目を向けた。「みんなのこと、紹介してくれる?」

 ジュールはうなずいた。「まずは、シャルロットから紹介するよ。彼女は、この家の唯一の使用人で、僕の身の回りの世話なんかをやってくれてる」

「シャルロットです。この度は坊ちゃまが世話になりました」シャルロットはぺこりとお辞儀した。

「父さんの屋敷で働いてたんだけど、彼女だけ再就職先が見つからなくて、うちで雇ってるんだ。紹介先から、十五にもなって礼儀作法も知らない娘を雇えるかって、何回も送り返されちゃってさ」ジュールは首を傾げて女中に目を向けた。「今は十六だっけ?」

「十七です。なんか、面目ありません」シャルロットはへらへら笑いながら頭をかいた。

「無礼なのはともかく、この家をたった一人で管理できるくらいには有能だよ」と、ジュール。

「ほめてもらえるのは嬉しいですが、やっぱり一人では手が回らないところもあります。門扉なんか、ここに越してきたときからきーきー鳴りっぱなしですし」シャルロットは口をへの字に曲げた。

「油を注せばいいじゃないか」と、ジュール。

「だから、そうする手が回らないんですってば。もう一人か二人、使用人を雇ってくれるとありがたいんですが」

「そんな余裕ないって、前から言ってるよね?」

 すると、シャルロットはぼそりとつぶやいた。「けち」

「シャルロットは、いつもこんな感じでさ」ジュールは肩をすくめた。「もし偉い人が訪ねてくることがあったら、彼女には引っ込んでてもらわないと。機嫌を悪くされることが目に見えてるもの」

「坊ちゃま、その偉い人が目の前にいらっしゃいます」シャルロットはマルコを指さした。「上等な服を着て偉そうな髭を生やしているので、間違いなく偉い人です」

「そうだね」ジュールはうなずいた。「彼は、ヴェルネサン伯爵。確かに偉い人だけど、僕たちは親しみを込めてマルコおじさんって呼んでる。それと、あれは付け髭だからね」

「なんだって、そんなものを付けてるんですか。外した方が絶対に可愛いと思うのですが?」シャルロットは首を傾げてマルコにたずねた。

「私がここにいることを、誰にも知られたくないんだ」と、マルコ。

「なるほど、秘密のお妾さんに会いに来たんですね」シャルロットは決めつけた。

「どうしてそうなる」マルコは眉間に皺を寄せた。

「みんながこそこそしてる理由は、とりあえずおいといて」と、ジュール。「マルコおじさんの隣りにいる白髪の紳士は、アベル。彼はベア男爵なんだ」

 アベルは会釈し、言った。「子供たちはどうしてますか?」

「みんな楽しくやってますよ。坊ちゃまが小さい頃に遊んでいた玩具があったので、貸してあげました」

「それはよかった」アベルはにっこりと笑った。

「彼らは、あなたのお子さんですか?」シャルロットは首を傾げた。

「いいえ」アベルは首を振った。「人さらいから、ジュールと一緒に助けた子供たちです。みんな、ベルンの近郊でさらわれたようなので、ここの街道警備隊にあずけて両親を探してもらおうと考えています」

「なるほど、そう言うことですか」シャルロットはうなずき、アベルの隣りに座るカラスとジローを見てから首を傾げた。彼女はジュールに目を向け、たずねた。「隣のお二人も貴族様ですか?」

「たぶん、違うと思う」ジュールは首を振った。「仮面を被ってる方はジロー。吟遊詩人みたいけど、詳しい正体は不明なんだ」

 シャルロットは探るようにジローを見てからたずねた。「仮面を外したら、すごいハンサムだったりしませんか?」

「どうだろうね」ジローは首を傾げた。「ただ、そんなことをしたら、厄介事を引き起こすのは間違いないよ」

「女絡みで貴族から命を狙われてるらしいぜ。どこまで本当か知れたもんじゃないがな」と、カラス。

「彼はカラス」ジュールは紹介を続けた。「本人は旅の商人って言ってるけど、実は世間を騒がす大怪盗か何かじゃないかと僕は思ってる。それか、外国から派遣された密偵かも知れない」

「見た目も素性も怪しい人たちばかりですね」シャルロットは腕組みをして眉間に皺を寄せた。まったくその通りだと、ジャンは胸の中で同意した。

 シャルロットは、マルコたちと対面して座る女性陣に目を向けた。「こちらのお嬢様たちも、やっぱり素性は謎めいておられるんですか?」

「そうだね」ジュールは苦笑した。「あっちの女性はカトリーヌ。今は女中さんの格好をしているけど、国王陛下に仕える密偵なんだって」

「みなさんの中でも、彼女がとびっきり怪しいかも知れません」

 カトリーヌは謎めいた笑みを浮かべ女中に会釈した。

「そして、彼女の隣りにいるのはジャン。彼は、この国の王子さまなんだ」

 シャルロットは首をひねり、ジャンをしげしげと眺めてから主人に目を向けた。「坊ちゃまの目は節穴ですか。この人は、どう見てもお姫様ですよ?」

「おじさんと同じ理由で変装してるんだ」ジャンは、ちらりとマルコを見てから言った。「証拠を見せろとは言わないでね。まさか、ここで脱ぐわけにはいかないし」

「脱ぐ?」シャルロットは鼻の穴を広げて言った。「証拠、見せてください」

 ジャンはぎょっとして、シャルロットをまじまじと見つめた。

「冗談です」シャルロットは、にっと笑って言った。「でも、シャルル陛下に子供はいないって聞いてましたが?」

「僕の父さんは、陛下のお兄さんなんだ」

「なるほど」シャルロットは納得してうなずくが、再び首をひねった。「王子さまって、閣下と殿下のどっちで呼ぶんでしたっけ?」

「ジャンでいいよ」

「わかりました、ジャン」シャルロットは、あっさり呼び捨てにした。

「胸がすくほど無礼な娘だな」マルコが感心するように言った。

「僕も、彼女が好きだなあ」ジャンは言った。「少なくとも彼女が一緒にいる間は、皇太子ってそんなに大したものじゃないって思えそうだもの」

「言ってる意味はわかるが、そもそも自分の地位の重さについて、お前が自覚しているようには見えないんだがな?」マルコは笑って言った。

「おじさんにはわからないんだろうけど、これでも頑張ってるほうなんだ」

 シャルロットはいぶかしげにジャンとマルコを見つめたあと、ジュールに目を向けた。「坊ちゃま、シャルロットが偉い人たちに喜ばれています。それとも、ただの皮肉でしょうか?」

「それはないと思うよ」ジュールは笑って言った。「彼らは偉い人でも、相当変わった偉い人みたいだからね」

 シャルロットはアランに目を向けた。「この、大きな剣を持った女の子は?」

「アランだよ。護衛の剣士で、僕とジャンの友だちなんだ」

「アラン?」シャルロットは首を傾げた。「剣王?」

 ジャンがぎょっとする横で、ジュールは手の平をぽんと拳で叩いた。「そっか、どこかで聞き覚えがあると思ったら、剣王アランと同じ名前なんだね」

「彼には迷惑している」アランは顔をしかめて言った。

「どうして?」ジュールはいぶかしげにたずねた。

「私が実力不足を隠すために、彼の名にあやかろうとしていると考える輩がいるからだ」

「違うんですか?」シャルロットはずけずけと言った。

「彼女の流派で代々名乗る名前らしいよ」ジュールは説明した。「それに、腕の方も確かなんだ。馬で突進してくる人さらいの首を、一太刀で刎ね飛ばすくらいにはね。そいつは首を斬られたことにも気付かずに、そのままどこかへ走って行った」

 シャルロットはひっと声を上げて青ざめた。「シャルロットが、そ、そう言う話を苦手にしてるって、坊ちゃまも知ってるでしょう?」

「ごめんよ」ジュールは苦笑いを浮かべた。「暴力沙汰は見るのも聞くのもだめだったね」

 シャルロットはこくこくとうなずいた。

「一通り、紹介は終わったな」マルコが言った。彼はシャルロットに目を向けた。「あんたに秘密を明かしたのは、我々が姿を変えてまでこそこそしている理由を、我々が気付かない間に、あんたに知られることを避けたかったからだ。そんなことになれば、内緒にしてくれと頼むこともできないからな」

 シャルロットは、マルコをじっと見てうなずいた。「その口ぶりからすると、お妾さんに会いに来たわけではないんですね」

「もちろんだ」マルコはしかめっ面をしてうなずいた。「私とジャンはロゼ伯爵に追われていて、ベルン子爵がその手助けをしているようなんだ。しかし、我々はどうしても、このベルンで人に会わなければならない。だから、しかたなく貴族の格好なんかをしている」

「貴族が貴族に変装して意味があるんですか?」シャルロットは首を傾げた。

 マルコはにやりと笑った。「変装していない私は、どうやら貴族に見えないそうなんだ。だとすれば、偉そうにふんぞり返っていれば、誰も私だとは気付かないだろう?」

「なるほど」シャルロットは感心した様子でうなずいた。「探し人って、誰ですか?」

「ウメコと言う娘だ。ジュールの話によれば、薬屋の主人をやっているらしい」

 シャルロットはうなずいた。「それなら、ここから歩いても大した距離じゃありません。シャルロットがご案内します」

「そうしてくれると助かる」マルコはうなずいた。「カラス、アラン。お前たちは一緒に来るんだ。他のみんなは、ここで留守番を頼む」

「そりゃあ、ないよ。旦那」ジローが抗議した。「私は、ウメコさんに一目会いたくてここまで来たんだ。来るなと言ってもついて行くからね」彼は自分の言葉を強調するように、立ち上がってリュートを背に負った。

「どうせ、これからは行動を共にするんだから、そんなに慌てなくてもいいだろう?」マルコは眉をひそめて言った。しかし、ジローは首を振る。マルコは肩をすくめ、言った。「好きにするがいいさ」

「あたしは、街の中をかぎ回って来るわ」カトリーヌが言った。「ベルン子爵が、メーン公爵やロゼ伯爵の言いなりになってるって話しには、ちょっと引っかかるところがあるの」

 マルコは片方の眉を吊り上げて女スパイを見つめた。

「だって、コズヴィルの詰所へ行った時は、特に何もなかったんでしょ?」

「旦那が、ヴェルネサン伯爵だってばれた以外は」カラスは肩をすくめて言った。

「なおさら妙じゃない」カトリーヌは眉をひそめた。「もし子爵が将軍派に肩入れしてるなら、少なくともロゼ伯爵と情報を共有しているはずでしょ。それなのに詰所の兵士たちは、あなたたちを捕まえもしなかった」

 カトリーヌの疑念はもっともだった。ロゼ伯爵の部隊は、ジャンとマルコを目当てに捜索を行っていたのだ。ところが詰所にいた中尉は、マルコをヴェルネサン伯爵だと知りながら手出しもせず、そればかりかジャンが王子だと言うことにも気付いていない様子だった。しかし、ジャンはその理由に思い当たる節があった。「命令や情報が届いてなかったってことはない?」

「おそらく、ジャンの言う通りだと思います」アベルがうなずいて言った。「遠隔地の部隊に申し送り事項がある場合、伝令役には警邏隊が使われます。子爵がその警邏隊を出していないのですから、詰所の兵士が何も知るはずがありません」

「鳩でも早馬でも飛脚でも、代わりの手段ならいろいろあるでしょ?」カトリーヌは言い張った。「とにかく、この件には、もう一枚裏がある気がするの」

 マルコはジュールに目を向けた。「今夜は世話になっても構わないか? それと、もう一人客が増える予定になっている」

「もちろん」ジュールは二つ返事で応じた。彼はジャンに笑顔を向けた。間もないと思われた別れが、半日とは言え先延ばしになって嬉しく思っているのだろう。もちろん、それはジャンも同じだった。

 マルコはうなずいてから、カトリーヌに言った。「明日の朝までだ」

「そこまで掛からないと思うわ。遅くとも真夜中には戻れるはずよ」カトリーヌは言って、カラスに目を向けた。「ひょっとすると、手伝いをお願いすることになるかも」

 カラスはうなずいた。

「あたしの分の夕食、残しておいてね」カトリーヌは、シャルロットに言った。

「夜中に食べると太りますよ」と、シャルロット。

「その分、運動するから大丈夫よ」カトリーヌはくすりと笑って言った。「それじゃあ、行って来るわ」

 食堂を出て行くカトリーヌを見送ってから、マルコはアベルに目を向けた。「あんたはどうする?」

「私は残って子供たちを見ておきます。それに――」アベルは言って、ジャンに目をやった。「アランが出かけるなら、他の誰かがジャンについていた方がいいでしょう」

 ジャンはうつむき、誰にも気付かれないようこっそりとため息をついた。もちろん、お姫さまの格好で街など出歩けるわけがない。今回は大人しく留守番するしかなかった。ふと顔を上げると、シャルロットと目があった。彼女はアーモンド形の青い目で、ジャンをじっと見つめていた。

「旦那さん」シャルロットが言った。「ジャンが、がっかりしてます」

「そうなのか?」マルコは甥にたずねた。

 ジャンは肩をすくめた。「そりゃあ、僕だって街を見て回りたいもの。でも、無理なのはわかってる。お姫さまはきれいな馬車もなしに、外出なんてできないからね」

 マルコは「その通りだ」とうなずくが、ジュールはそれに反論した。「ちょっと前まで、おんぼろ馬車に乗ってたじゃないか」

「あれだって相当な綱渡りだったんだ。門番の伍長を言いくるめられたのはカラスの口八丁と、彼がジャンに見惚れてぼうっとなっていたおかげだろう」

「だったら、お姫さまじゃなければいいんです」シャルロットが言った。

 みんなはシャルロットに注目した。

「シャルロットには、いい考えがあります」女中はにんまりと笑った。その顔つきが、昨晩のカトリーヌとそっくりだったので、ジャンは嫌な予感がし始めた。

 結局、シャルロットの「いい考え」のおかげで、留守番はアベルと幼子たちだけになった。外出を許され、シャルロットと肩を並べて歩くジャンは、お姫様の代わりに女中の格好をしていた。

「うちで働かない?」

 ジャンの新しい変装を見るなり、ジュールは冗談とも本気ともつかないことを言った。もちろんジャンは、舌を出して丁重に断った。

「望み通り外へ出られたんですから、もうちょっと嬉しそうな顔をしませんか?」ジャンの隣りを歩きながら、シャルロットが言う。

「うん」ジャンは渋い顔のままうなずいた。「わかってる」

「そもそもシャルロットと同じ服を着ておいて、シャルロットより可愛らしいのに、何がそんなに不満なんですか。もし他の屋敷に勤めていたら、ご主人に書斎へ連れ込まれてもおかしくない程度なんですよ」

 ジャンには、よくわからないたとえだった。

「まったく、自分でやった事ながら、とんでもないものを作ってしまいました」シャルロットはぶつぶつ言った。その横顔を見つめながら、ジャンはあることに気が付いた。彼は女中に呼び掛けた。「ねえ」

「はい、なんですか?」シャルロットは首を傾げてジャンを見た。

「君、イゼルの人だよね?」

 シャルロットはきょとんとして、しばらく経ってから口を開いた。「イゼル?」

「ずっと北にある異国だよ。アランもイゼルの生まれで、君は彼女によく似ているからね」

 シャルロットは、ジュールと何やら雑談をかわしながら、二人の女中のあとをついてくるアランを肩越しに眺めてから、ジャンに白い歯を見せて言った。「あんなに可愛らしい子とシャルロットが似てるなんて、ジュスティーヌの目は節穴ですね」

「君だって、じゅうぶんきれいだと思うけど」ジャンは言い張った。

 シャルロットは目を丸くした。彼女は鼻息も荒くたずねた。「玉の輿を期待してもいいですか?」

「え?」

「正妻が無理なら、お妾さんでもシャルロットは構いませんよ?」

 ジャンはひとつ咳払いをしてから、改めて問うた。「それで、君はどこの生まれなの?」

 シャルロットは、しばらく考えてから言った。「シャルロットは生まれも育ちもロズヴィルだと、ずっと思ってましたが、シャルロットがイゼルの人に似ているのなら、ひょっとするとそれは間違っていたのかも知れません」

 ジャンは首を傾げて女中を見つめた。

「母はシャルロットが物心がついた頃に死んでましたし、父は七歳のシャルロットを人買いに売り払ったので、二人からシャルロットが生まれた時の様子や、それより前のことを聞く暇がなかったんです。もしシャルロットがイゼルとか言う外国の人だとしたら――」彼女は、はっと息を飲んだ。「シャルロットの正体は、その国のお姫様?」

「えーと。まあ、その可能性だって無いとは言えないけど、あまり期待しない方がいいんじゃないかな?」

「でも、シャルロットのお尻には変わった形のあざがあります。いつかそれを見付けた王国の使者が、あなたは赤ん坊の頃に我が国から誘拐された姫君に間違いありません――と言ってくれるかも知れません」

 ジャンは首をひねった。お尻のあざを使者が見付けるなんて、どんな状況だろう?

「本当に変わった形をしてるんですよ。見てみますか?」シャルロットは真顔で言った。

「いや、遠慮しておくよ」ジャンは顔を赤くして断った。

 シャルロットが、ふと前方を指さした。彼女の指先が示す先には、「薬」とだけ書かれた木製の小さな看板が下がっていた。シャルロットが振り返り、後ろから付いて来るみんなに言った。「あのお店がそうです」

 店の前までやって来ると、シャルロットは扉を開けて中へずかずかと踏み込んだ。店内は狭く、採光の窓が天井付近にいくつかあるだけで、少々薄暗かった。薬屋と言うだけあって、部屋の両脇に設えられた背の高い棚には何本もの薬瓶や壺が並び、薬草の匂いがたち込めている。しかし、そこに主の姿は見えない。

「おーい、ウメコ。お客様ですよ」シャルロットが店の奥に向かって呼ばわった。わずかな間があって、出入口と反対側にある扉が開かれ、そこから不機嫌そうな顔の少女が現れた。真っ黒な髪をあたまの後ろでぞんざいに縛り、染みだらけのローブを着た彼女は、一見してジャンと同じか年下にさえ見えたが、ジュールの言うことが正しければ、実際は彼より六つも年上なのだ。おそらく、そう見えるのは、低い身長と凹凸の少ない体つきのせいだった。

「なんだ、ロッテか」ウメコは不機嫌な顔のまま、シャルロットを見て短く言った。

「二日酔いか何かですか。虫の居所が悪そうな顔をしていますね」シャルロットは首を傾げた。「目が三角になってます」

「この目は生まれつきだって言ったでしょ」ウメコはジャンに目を向けた。「なるほど。あのけちん坊も、観念して新しい使用人を雇ったってわけね」

「誰がけちん坊だって?」ジュールが抗議した。

「坊ちゃんも来てたのか。暗くて気付かなかったわ」ウメコは、あるかなしかの笑みを浮かべた。「可愛い子だけど、手を出したりするんじゃないわよ?」

「そんなこと、するわけないだろ」ジュールは唇を尖らせた。

 ウメコはくすくす笑ってから、店の入口辺りに佇む三人の男に気付き、彼らをすがめた目で見回した。視線がふと止まり、彼女は途端に険しい顔になって低い声で言った。「タケゾー、あんたそこで何やってんの?」

('17/8/20)誤字修正

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