7.明かされた秘密
街道の向こうから騎馬が二騎、こちらへ向けて駆けてくる。騎手の一人は灰色のマントを着た男で、もう一人は旅装の若い女だ。
「カラス、カトリーヌ!」アランとくつわを並べて、一行の先頭を進んでいたジャンは、手を振って二人に呼びかけた。騎手たちも手を挙げてジャンに応え、間もなく彼らは合流した。
「どうだった?」マルコは馬車を止め、二人に報告を求めた。
「三マイルほど先に二十人以上」と、カラス。
御者台の上のマルコは眉をひそめた。「ちょっと、気前がよすぎやしないか?」
「仕方ないわ」カトリーヌは苦笑いを浮かべた。「だって、強盗団が二つもいたんだもの」
「僕たち、大人気だね」ジュールがげんなりした顔で言った。
「どこかの英雄たちのおかげだろう」マルコは嫌味を言った。
「今はもう、一人もいないけどね」と、カトリーヌ。
マルコはいぶかしげに彼女を見つめた。
「二つの強盗団の間で、獲物の権利について意見の相違があったの。折り合いが付いた頃には、ほとんどが死んでたわ」
間の抜けた話を聞いて、ジャンは思わずくすりと笑い声を漏らした。しかし、マルコにじろりと睨まれた彼は、すぐに真面目な顔を取り繕った。事と次第によっては、笑い話で済まなかったかもしれないし、なんと言っても、その原因の一端を握っているのはジャン自身なのだ。
「まさかとは思いますが」アベルが、馬車の荷台にいる子供たちをちらりと見てから、心配そうに言った。「彼らの目に触れるとまずいものが、路上に転がっていたりはしないでしょうね?」
「それは大丈夫」カトリーヌが請け合った。「生き残りの強盗たちが、きれいに痕跡を消してくれたの。だって、地面に血痕や人の身体の一部が転がってたら、誰だって警戒するでしょ? それは、待ち伏せを考えてる彼らにしてみると、ちょっと都合がよくないから」
「なかなか丁寧な仕事だったな」カラスはカトリーヌに言った。
「そうね」カトリーヌは同意した。「おかげであたしたちは、ほとんど手を汚さずにすんだわ」
「なるほど」アベルはうなずいた。
「まだ偵察を続けるか?」カラスはマルコにたずねた。
マルコは丸い顎をなでながら、しばらく考えて口を開いた。「もう、普通に進んでかまわんだろう。コズヴィルで我々の動向を掴んだ連中が、先回りをするにしても限界があるからな」
彼の予想通り、再び街道を進み始めた一行が、その後の道中で危険な輩に出くわすことはなかった。翌日以降も旅は順調で、すれ違うのは、ごく当たり前の旅人や隊商ばかり。旅路はいっそ退屈なほどだったから、ジャンはしばしばアランと一緒に、伯父が不要だと言った前方の偵察を買って出た。彼らは一行より数マイルほど先行して馬を駆けさせたり、何百年も前に置かれた帝国時代の道標を探したりして「任務」をたっぷり楽しんだ。そして、翌日にはベルンへ着くと言う日の朝、またもや偵察に出掛けようとするジャンたちを見て、ジュールが羨ましそうに呟いた。「僕にも馬があればなあ」
「あんた、馬に乗れたのかい?」と、ジロー。
「まあね」ジュールは肩をすくめた。「最初に鞍を使ったのは四歳の頃だよ」
すると、ジローはふと考えてから言った。「なんなら、私の馬を貸してあげようか?」
「いいの?」ジュールは目を輝かせた。
ジローは頷いた。「馬も嫌いじゃないけど、馬車の上ならリュートを弾けるし、退屈しのぎにはもってこいだからね」彼はマルコに目を向けた。「どうだい?」
マルコはため息をつき、馬車を止めた。「まあ、明日にはベルンだ。友だちとの楽しみを邪魔するのは、野暮と言うものだろう」
「ありがとう、マルコおじさん!」ジュールはマルコの首根っこにしがみつき、音を立てて彼の頬にキスをした。
「お前さん、恋人の癖が感染したたんじゃないか?」マルコは複雑な顔をして頬をさすった。
ジュールはにっと笑い返してから御者台を飛び降りた。彼はジローが鞍を空けるやいなや馬にとり付き、少しばかりぎこちない動作でその背によじ上った。しかし、一度鞍に跨がってしまうと、彼と馬は息がぴったりで、まるで神経で繋がっているかのようだった。
「あの向こう側には、何があるのかな?」ジュールが興奮した笑顔で指す先には、若草の萌える丘があった。
「あっちは、僕たちの行く方向じゃないよね?」ジャンは首を傾げた。そもそも、そちらへ向かう道すらない。
「でも、見えない先って気にならない?」と、ジュール。
「普通はそうだな」アランは熱心に同意した。
彼らの会話を聞いていたマルコが、眉をひそめてアランを見た。「ずいぶん子供っぽいことを言うな?」
「子供だからな」アランは、ふんと鼻を鳴らした。
マルコは小さく首を振り、カラスに目を向けた。「どうにも、いやな予感がしてきたぞ」
「俺が見張っておく」と、カラス。
「みんな、楽しんでおいで」ジローが荷台の上でのん気に手を振り、さっそくリュートをつま弾いた。その陽気な曲を背に、四人は丘を目指して馬を駆った。
間もなく頂上へたどり着くと、彼らの目の前には広大な丘陵地帯が現れた。微かに紗の掛かった青空を背に、なだらかな緑の起伏がどこまでも広がり、ハリエニシダの花が所々の斜面を黄色く染めている。その見事な光景に、ジャンはほうとため息を落とした。
「ほらね」ジュールが言った。「丘の向こう側には、大抵、素晴らしい物が隠されてるんだ」
しかし、カラスは素早く馬を降り、短く「さがれ」と言って、馬を引きながら元来た斜面を降り始めた。ジャンはただなら気配を感じ取って彼にならい、アランとジュールも後に続いた。
カラスは丘の頂上からじゅうぶん離れると、馬を置いて再び斜面を上り、草むらに伏せた。後に続いて頂上へたどり着いたジャンは、カラスの隣りで同じく草むらに身を潜め、彼が見つめる方向へ目をやった。遠くの丘の麓を沿って街道から東へ伸びる枝道で、何かがぎらりと朝日を反射する。目を凝らしてみると、それはぴかぴかの甲冑に身を固めた兵士の一団だった。ジャンは呟いた。「兵隊?」
「そのようだ」カラスはうなずいた。「しかし、あの旗印は誰のものだ?」
隊列の先頭には馬に乗った兵士と、それに並んで歩く旗を掲げた兵士がいた。
「ここからでは、よく見えないな」片膝を突いてしゃがみ込んだアランが、草むらの上に顔だけ出して言った。
ジュールは腹這いのまま、アランの横から前方へにじり出て、行軍する正体不明の部隊をしばらく見つめてから言った。「明るい赤の地に、黄金のバラを棘のある蔓が囲んでるように見える」
ジャンには黄色い染みにしか見えなかったが、言われてみれば、確かにバラのようにも見えた。
「それなら知っている。ロゼ伯爵の紋章だ」それでもアランは、まだ目をすがめて、旗の模様を見極めようと頑張り続けた。
ジュールが首だけで振り返り、不意に顔を赤くして前へ向き直った。「ねえ、アラン。丈の短いスカートで、しゃがみこむのは止めた方がいいよ」彼はもぐもぐと忠告した。「丸見えだ」
「僕も、せめて下着は穿くように言ってるんだけどね」と、ジャン。
「アランの貞節ついては、別の機会に議論してくれ」と、カラス。彼はアランに目を向けた。「この辺りはリュネ公爵の領地のはずだ。なぜ、ロゼの兵がうろついている?」
アランは旗を見るのを止め、草むらに頭を引っ込めてから眉を寄せて考えた。「街道へ向かっているところを見ると、ベルンかコズヴィルへ侵攻するつもりに見えなくもない」
「しかし、あいつらはとても、敵地を犯しているようには見えないぜ?」
ジャンも、それには気付いていた。堂々と行軍する様子からして、彼らが周囲を警戒していないことは明らかだ。
「前に、ベルンで聞いた噂なんだけど」ジュールはカラスに目を向けた。「リュネ公爵はすごい借金をしていて、お金を貸してくれたロゼ伯爵に頭が上がらないらしいんだ」
「借金の一部を帳消しにするって言われたら、ロゼ伯爵の兵隊を、自分の領地で自由に歩かせるくらいのことはしそうだね?」と、ジャン。
「うん。まさにそれだと思う」ジュールはうなずく。
「やつらが他人の領地を、我が物顔で行軍していられる理屈がそれだとしても、その目的はなんだ?」カラスはアランにたずねた。
「同盟国内で軍事行動をするとなれば、その隣国への侵攻だろうな。コズヴィルから西へ向かえばレーヌ公爵領が、そして南は王領だ」アランは言って首を傾げた。「しかし、それにしては部隊の規模が小さすぎる」
「そうだな」カラスは同意した。「見たところ、せいぜい三個小隊がいいところだ」
「ねえ」と、ジャン。「街道警備隊って、そう言うのを見過ごしたりしないんだよね。それに、ベルンには駐屯地もある?」
「そうだな」アランは認めた。「しかし、ベルンの町を治めているのはベルン子爵だし、彼はリュネ公爵の二男で、ベルン駐屯地の連隊長でもある」
「なるほど」ジャンはうなずき、カラスに目を向けてから、できるだけ何気ない調子で言った。「ひょっとして、おたずねものを捜し回ってるなんてことはない?」
「考えられない話じゃないな」カラスは認めた。「とにかく引き上げて、マルコに伝えよう。後ろめたいことはなくても、官憲や兵隊の世話になるのは愉快じゃない。特にそれが、誰かを捜しているんだとしたら、なおさらだ」
彼らは丘の頂上を引き払い、マルコたちの元へ戻った。報告を受けたマルコは厳しい表情でたずねた。「間違いなく、街道へ向かっているのか?」
カラスはうなずいた。「やつらがベルンを目指しているのでなければ、昼過ぎにはぶつかることになりそうだ。ここからは、しばらく街道を外れて歩いた方がいい」
「いや」マルコは首を振った。「馬車を引いていたんじゃ、道の無いところは進めないだろう」彼はぐるりと一同を見渡してから言った。「何かアイディアはないか?」
「回り道はないの?」と、ジャン。
「この辺りはほとんど村がないから、枝道が少ないんだ。たぶん、ここから一番近いのは、あの兵隊が歩いていた道じゃないかな」ジュールが答えた。
「馬車を捨ててはどうですか?」アベルが言った。「乗馬は六頭いますから、それぞれ子供たちと二人乗りになれば、問題ないでしょう」
「七頭だ」マルコは訂正した。「私の馬は乗馬の訓練を受けているし、予備の鞍も持ってきている。しかし、食料や野営の道具を置いて行くのは惜しいな。馬車も含めてベルンで買い直すとなると、かなりの出費になるぞ?」
「背に腹は抱えられません」アベルは言い張った。
「だったら、こう言うのはどう?」カトリーヌが言った。「あたしとカラスが馬車に乗って、夫婦のふりをするの。荷台には息子や娘までいるし、これなら貧しい村を見限って、大都市へ引っ越しする家族に見えるわ。そして、みんなは街道の外を、兵隊たちに気付かれないように付いてくる」
ジャンには悪くないアイディアに思えたが、アベルは違うようだった。彼は眉をひそめて懸念を口にした。「兵隊たちに芝居を見破られれば、子供たちが危険にさらされることになりませんか?」
「心配するな。俺とカトリーヌなら、うまいこと言いくるめられるさ」カラスが請け合った。「それに、こそこそ隠れてたんじゃ、こんな所で連中が行進している理由を聞き出せないからな」
彼らの会話を、じっと聞いていたマルコが口を開いた。「カトリーヌの案で行こう。アベルの心配もわかるが、私は情報が欲しい。もし、他にも同じような部隊がいるとしたら、何か手を打つ必要があるからな。とにかく、それを最優先で知りたいんだ」
全員がマルコの決定にうなずいた。カトリーヌは馬車に馬を寄せ、荷台を覗き込んで言った。「みんな、お芝居は出来るかしら。今からあたしがお母さんで、あの怖い目のお兄さんがお父さん。あなたたちは兄弟姉妹で、私たちの子供って役ね。うまくできたら、そこの仮面のおじさんが、またおこづかいをくれるはずよ」
子供たちの目が、同じ荷台にいるジローに集まった。ジローはため息を落とし、リュートの弦を一本だけ鳴らしてうなずいた。「まあ、そう言うことなら仕方ないね」
子供たちは嬉しそうに、わっと歓声を上げた。
「僕は?」と、ジュール。
「おこづかいは、あきらめて」カトリーヌは笑いながら言って、馬を降りた。「あなたじゃ、私の息子にしては大きすぎるもの」
ジュールはしぶしぶうなずいた。
「なかなか面白い考えだな、愛しい人?」カラスは言って、馬を降りた。
「ちょっと」カトリーヌは顔を赤くした。「いきなり始めないでよ」
カラスは、女スパイににやりと笑って見せてから御者台に乗り、マルコに目を向けた。「あんたはどうする。舅にでもなるか?」
「冗談じゃない」マルコは手綱をカラスに譲り、御者台を降りてカラスが乗っていた馬に飛び乗った。馬は少し迷惑そうにマルコを見たが、何も言わなかった。カラスはカトリーヌに手を伸ばし、彼女を御者台に引っ張り上げた。
ジローが荷台を降りて、カトリーヌの馬に乗るのを見てからマルコは言った。「よし、始めよう。役者以外は全員、舞台裏へ下がるんだ」
一行は街道を外れ、灌木や茂みの間をこそこそと進んだ。そして昼を回った頃、街道の方から鎧が立てるがちゃがちゃと言う音が響いてきた。間もなく指揮官のものと思しき声が全隊の停止を命じると、行軍の音が止んだ。
マルコは馬を降り、みんなを見回してから人差し指を唇に当てた。みんなは馬を降り、灌木の影に身をひそめた。マルコは声をひそめて言った。「しばらく、ここで待って連中をやり過ごそう」
「様子を見てきていいかな、おじさん?」ジャンがたずねると、マルコはあからさまに渋い顔をした。ジャンは急いで付け加えた。「カラスたちに助けが必要になった時、それを見逃すのはまずいと思うんだ」
「彼の言うことはもっともだよ」ジローが言った。「それに、私らみたいな大人じゃ、この茂みを抜けて彼らに近付くなんて無理だからね」
マルコはしばらく考え込んでから、しぶしぶうなずいた。「わかった。アラン、お前も行ってくれ」
アランはうなずいた。
「僕も行く」ジュールが名乗りを上げた。「何も起こらない方がいいんだろうけど、何かあったら僕の魔法も役に立つと思うし」
「お前たち三人が揃うと、また厄介事が起こりそうな気がしてならないんだがな?」マルコは小さく首を振った。「まあ、いい。くれぐれも慎重に頼むぞ」
三人はうなずき、藪の中へ潜りこんだ。衣服の布越しに、ちくちくと肌を刺す尖った枝葉に難儀しながら、彼らは四つん這いで街道の縁から三〇フィートほど手前に来た。そこの地面はぽかりと開け、頭上はハリエニシダの枝で覆われていたから、隠れて街道の様子をうかがうにはうってつけの場所だった。難点があるとすれば蒸し暑いこととと、ハリエニシダの花の甘ったるい香りで、少しばかり頭痛がすることだ。
「しかし、閣下」カラスの声が聞こえた。「見ての通り、私どもはただの田舎者ですし、王子様のお顔なんて知るはずもございません。道中で見たかと仰られても……」
ジャンは内心ぎょっとしたが、それはおくびにも出さず、藪のすき間からそっと様子をうかがった。カラスは馬車を降りて、馬に乗った兵士の詰問を受けているところだった。騎兵の横には歩兵が一人と、生真面目な表情を浮かべる年若い従者が立っている。カラスの隣にはカトリーヌがいて、彼女は不安そうに夫と馬上の兵士を、交互に見つめてから口を開いた。「ねえ、あなた」
「どうした、カトリーヌ?」カラスは良い夫を演じて、気遣わしげに妻を見やった。
「王子様ってことなら、立派な服をお召しになって、たくさんのお供を連れておいでになってるはずでしょ。お顔なんて知らなくても、見掛けていれば、すぐにそれとわかるんじゃないかしら」カトリーヌは馬上の兵士に目を向けた。「そうですよね、少佐さん?」
しかし、少佐は首を振った。「殿下はお忍びで行啓あそばされたようでな。おそらく供は少数で、平民の姿に身をやつしておられるだろう」
「そうなりますと、どこかですれ違っていたとしても、わかりゃしませんね。何か、王子様に特徴は?」
「齢は十三。髪は淡い金髪で瞳は青、背丈はお前と同じくらいだ」大佐らはさらに、つらつらといくつかの特徴を並べた。それを聞いて、ジュールが素早くジャンを見た。「なんだか、君に似てる気がするんだけど?」
「頭が高い。控えおろう」ジャンはふざけて言うが、内心はひどく動揺していた。
「草むらでしゃがみこんでるのに、これ以上、どうやって頭を下げるのさ?」ジュールはにやりと笑って言った。
アランが「しっ」と言って、唇の前に人差し指を立てた。ジャンとジュールは口をつぐんだ。
カラスは平手を拳でぽんと叩いた。「私らが出発する少し前に、コズヴィルでちょっとした騒ぎがありましてね。剣士と魔法使いの女の子が、たった二人で街のギャング団を壊滅させたんです。何せ、街道警備隊も手を焼く悪党どもでしたから、街の人たちはそれはもう大喜びで――ああ、いえ。本題はですね、悪人をやっつけた女の子たちと一緒にいた男の子が、まさしく閣下が仰る王子様にそっくりなんですよ」
「本当か?」少佐は馬上で身じろぎし、彼の鎧ががちゃりと音を立てた。
「この辺りで金髪は珍しいですからね。見逃しっこありません」カラスは請け合った。「実を言えば私どもは、彼らと同じ宿に泊まってたんです。それで、ご一行が食堂で話しているのをうっかり耳にしてしまったんですが、彼らはベルンを通ってロズヴィルを目指すつもりだったようです」
「だった?」少佐が聞き返した。
「ええ。しかし、ギャング退治のせいで思いのほか目立ってしまったから、どこか適当なところで南北街道を東に外れて、ロズヴィル街道へ移ろうと話しておりました」
少佐は兜の下で顔をしかめてから、近くにいた歩兵に目を向けた。「中尉。確か、ロズヴィル街道の担当は、ベッソン大佐だったな?」
「はい、少佐。しかし大佐は、リュネとの境に検問を置いて、そこから動いていないはずです」
「コズヴィルから国境までは十日以上ある。急げば大佐に手柄を渡さずにすむかも知れん」少佐はしばらく考えてから口を開いた。「コズヴィルで情報を集め、ロズヴィル街道へ入る。中尉、部隊を進ませろ」
中尉は敬礼してから、大声で号令を掛けて部隊を前進させた。兵士たちが、がちゃがちゃと鎧を鳴らしながら通り過ぎる横で、少佐は従者に目配せした。従者は腰に下げた袋から数枚の硬貨を取り出し、カラスが揃えて差し出した両手の上に、それを落とした。
「ありがとうございます」カラスはぺこぺこ頭を下げ、カトリーヌもそれに倣った。少佐は鷹揚にうなずき返してから馬を数歩進め、ふと足を止めて振り返った。「もう一つ、聞かせてくれ」
「はい、なんなりと」カラスは硬貨をポケットに押し込みながら言った。
「お前が見た一行に、太った男はいなかったか?」
ジャンの頬に、汗が一粒流れた。ジュールの視線を感じたが、彼は気付かないふりをした。
「恰幅のいい農民風の男が一人、混じっておりましたが、それが何か?」カラスはいぶかしげにたずねた。
「いや、それだけ聞ければじゅうぶんだ。助かったぞ」少佐は速歩で、馬を隊列の先頭へ向かわせた。カラスとカトリーヌは、兵士たちが通り過ぎるのを待ってから馬車へ乗り込み、手綱を揺らして進み出した。
「戻ろう」アランが言って、肩越しに背後を親指で指した。三人は藪を抜け、マルコたちに兵隊が去ったことを告げた。彼らはしばらく街道を外れて北へ進み続け、それからカラスたちと合流した。
「あの兵隊たちは、お忍びで旅をしている皇太子殿下の行方を捜しているそうだ」カラスは御者台を降り、カトリーヌに手を貸しながらマルコに言った。マルコはカラスの馬から、体重を感じさせない動きで飛び降りると、「ほう?」と短く言った。
「どうやら、一帯の主要な道に部隊を配置して、殿下を捕まえようとしているらしい。あの部隊がこの辺りの担当だとしたら、しばらく他の部隊に突き当たることはないだろう」
「なるほど」マルコはうなずいた。「連中は?」
「カラスがでっち上げた話を聞いて、コズヴィルへ向かったわ」カトリーヌが言った。「彼、あたしたち自身を王子様の一向に見せかけて、彼らがロズヴィル街道へ向かったことにしたの。あの兵隊さんたちがコズヴィルで聞く話は、実際に私たちがしたことだから、きっとカラスが言ったことを本当だと思い込んで、ロズヴィル街道を捜して回るはずよ。もう、こっちへ戻ってくることもないわ」
「それでも私なら、さっさとこの場を離れるね」ジローは言ってカトリーヌに馬を返した。「急に彼らの気が変わって、引き返してこないとも限らないだろ?」
マルコはうなずき、御者台へのぼって手綱を取った。「準備ができたら出発しよう」
一行が再び進み出して間もなく、ジュールがジャンの馬にくつわを並べて来た。
「もちろん、説明してくれるんだよね」彼はにっこりと微笑みながら言った。「殿下?」
ジャンの隣りにいたアランは、じろりとジュールを睨みつけた。
「怖い顔をしないでよ、アラン。これは、僕のせいじゃない」ジュールは唇を尖らせた。
「そうだね」ジャンはため息をついた。「でも、その前に君が気付いたことを、みんなに伝えなきゃ」
ジャンは少し考えて、まずはカラスに相談しようと決めた。彼はジュールとアランを引き連れ、一行から少し離れて先頭を行く、カラスの横に馬を付けた。
「あなたと少佐の会話を、ジュールが聞いてたんだ」ジャンは言った。
カラスは、ふと目を見開いた。
「彼は王子と、太ったお供の特徴を聞いて、何かを確信したみたい」ジャンは説明した。
「なるほど」カラスはうなずき、ジュールに目を向けた。「ジローも言ったが、今はロゼ伯爵の兵隊から、できるだけ距離を稼いでおきたいんだ。説明は野営を布いてからにしよう」彼は小さく首を振った。「ついでにマルコおじさんには、腹の肉を何ポンドか減らすように話したほうがよさそうだな」
日暮れまで歩き続けた一行は、野営を布いて夕食を終え、子供たちを寝かし付けた。そして、カラスは話を切り出した。「ジュールが、ジャンの本当の身分に気付いたそうだ」
マルコは片方の眉を吊り上げた。「なんだって?」
「昼間の兵隊が、ジャンと旦那の特徴をぺらぺらしゃべってくれたおかげさ」カラスは肩をすくめた。
「その前から、みんなが見た目通りの人たちじゃないとは思ってたんだ」と、ジュール。「人さらいを、あんな風に始末できるなんて、ちゃんと訓練した人じゃないと無理だろうからね。でも、まさか王子様の一行だとは思わなかった。なんだって、こんな事をしてるの。世直しの旅をしてるんじゃないんだよね?」
カラスはマルコに目を向け、彼がうなずくのを見てから口を開いた。「俺たちは国王の使者として、イゼルと言う国へ向かっている途中なんだ。しかし、ジャンを捕まえたいと考えている連中がいるせいで、屋根付きの立派な馬車や、着飾った大勢のお供はあきらめるしかなかったと言うわけさ」
「君、ロゼ伯爵を怒らせでもしたの?」ジュールは首を傾げてジャンを見た。
ジャンは首を振った。「僕を捕まえたがってるのは、ロゼ伯爵じゃないよ。それに、彼らを怒らせたのは、僕じゃなくて父さんなんだ」
「でも、君の両親は亡くなってるんじゃなかった?」
「それがあったのは、もう十年以上前の話で、その頃はまだ、父さんも生きてたからね」ジャンは肩をすくめた。
「とにかく」マルコが口を挟んだ。「ジャンをつけ狙っている連中がいて、そいつらはメーン公爵と手を組んでいる。ロゼ伯爵はメーン公爵の信奉者だから、公爵が自分の協力者のためにジャンを捕まえろと命じれば、喜んでそうするだろう」
「実際、あの兵隊たちはジャンを探していたし、そう言うことなんだろうね」ジュールはうなずいた。
「しかし、私が最後に見たロゼ伯爵は、魔物に蹴飛ばされた怪我のせいでベッドに転がっていたし、彼の折れた骨がぜんぶくっ付くには、もうしばらく掛かるはずだ。となれば、あの部隊に命令を出しているのは一体誰だ?」マルコは首をひねった。
「魔物?」ジュールはぎょっとして言った。
マルコはうなずいた。「ジャンを追い掛けている連中は、魔物を操ることができるんだ。メーン公爵は、その力を借りて謀叛を起こそうとしたが、失敗して捕らえられた」
「それで僕たちが、コズヴィルで騒ぎを起こしたことに、腹を立てたんだね。そんな連中を相手にしてるなら、いくら用心したって、し過ぎってことにはならないもの」ジュールは言って、口をへの字に曲げた。「強盗よりもたちが悪い」
「そう言うことだ」マルコはうなずいた。
「さっきの話だけど」ジャンは考え考え言った。「ロゼ伯爵の部隊を指揮しているのって、マリユスか彼の家臣じゃないかな」
マルコは素早くジャンを見た。「どうして、そう思った?」
「ジュールたちに会う前、カラスと話し合ったんだ。王都を出てからずっと、ユーゴの邪魔が入らない理由についてね。僕たちは、その理由を、ユーゴが他の仕事に忙しいせいだと考えた」
「ユーゴって誰?」ジュールはジャンにたずねた。
「メーン公爵の密偵だよ」ジャンは答えた。「僕は三度も彼にさらわれそうになったんだ」
「すごく手強い相手よ。あたしたちがこそこそしてるのは、もっぱら彼の目から逃れるためなの」カトリーヌが補足した。
「ともかく」カラスが説明を引き継いだ。「俺とジャンはユーゴ以外の誰かが行動を起こすとすれば、俺たちがロゼ伯爵領へ入ったところだと考えたんだ。連中が軍隊を使うと言う点でジャンの読みは当たっていたが、まさか他人の領地でそれをやるとは思わなかった」
「リュネ公爵の経済事情なんて、あの時は知りようがなかったしね」ジャンは肩をすくめて言った。
マルコはいぶかしげにジャンを見た。
「リュネ公爵は、ロゼ伯爵に借金をしてるんだ」ジュールが説明した。
「そう言うことか」マルコはうなずいた。「その金の出所がメーン公爵の金庫だとすれば、リュネ公爵はなおさら協力を断りにくいだろうな。しかし、ジャンを捕まえるのに、なぜ軍隊を使う必要がある。斧で鶏をさばくようなもんだぞ?」
ジャンは首を振った。「ユーゴがやったみたいに、不意をついて襲うような真似を繰り返してたら、何かの拍子で僕を殺してしまうことだってあるよね。でも、彼らは僕を生け捕りにしたいと考えてる。だったら、みんなが抵抗するのをあきらめるくらいの大人数で、取り囲むのが一番だと思ったんだ。もし僕にマリユスと同じだけの権力があるなら、きっとそうするよ」
「だからと言って、マリユスや彼の家臣が、ロゼの軍隊を手ずから仕切ってる理由にはならないぞ」マルコは話しを戻した。
「うん」ジャンはうなずいた。「公爵の関係者がロゼにいる理由は、たぶん僕を捕まえるためだけじゃないと思う。例えば、ロゼとリュネの連合軍で王都を襲うとするなら、両方の貴族に顔が利く誰かをロゼに置いた方が、ずっと都合がいいよね?」
「まさか」マルコはぎょっとした。
「いや、それほど突拍子もない話じゃない」アランが言った。「メーン公爵がロゼだけでなく、リュネにまで影響を与えられるとするなら、自分の領地から兵隊を連れて来なくても、じゅうぶんな戦力を整えられるはずだ。ことによると、リュネ公爵と同じく借金漬けにされた他の貴族も、それに加担しているかも知れない。しかも、ベルンの街道警備隊が彼の軍事行動について見て見ぬふりをしてくれるのなら、南北街道における障害はトレボーだけになる。そこに時を合わせてメーン軍をヴェルネサン領経由で侵攻させれば、王都はクルミ割り器に挟まれたクルミと同じになるだろう」
「そこまで大規模な軍事行動となると、ユーゴでは手に負えないだろうな」マルコは顔をしかめてうなずいた。「それに、本国にふんぞり返って鳩や早馬で指示を出していたんでは、他人の兵を思い通りに動かすなど、到底無理だ。マリユス自ら、ロゼに乗り込んできていると見るべきかも知れん」
「けどね、メーン公爵領からロゼまでは、一ヶ月以上掛かるんだよ。つまり、マリユス君は父親がクーデターを起こす何日も前に、この計画を立てていたってことにならないかい?」ジローは首をひねった。
「ひょっとすると、何年前かも知れないわよ」と、カトリーヌ。
ジローはジャンに目を向けた。「こりゃまた、君はとんでもない相手を敵にしたもんだね?」
「そうだね」ジャンはうなずき、口をへの字に曲げた。「彼が友だちだったら、すごく頼もしいんだけど」
「まあ、戦争の心配はカルヴィンとシャルルに任せよう」マルコは言った。「問題は、我々が王都を離れて北方にいると、メーン公爵の側に知られてしまったことだ。ロゼの部隊が我々を探しているのだとしたら、そう見るべきだろう。ここからは、さらに慎重に行動するべきだ」
みんなは揃ってうなずいた。
「ねえ」と、ジュールが言った。「みんなが大事な使命を帯びてることや、手強い敵を相手にしていることはわかったけど、そろそろ僕に質問させてくれないかな?」
「あらまあ」カトリーヌが目をぱちくりさせた。「すっかり忘れてたわ」
「わざとじゃないよね?」ジュールは疑わしげに彼女を見て言った。カトリーヌは意味深な笑みを返しただけで、何も言わなかった。
「それで?」カラスはジュールに質問を促した。
ジュールはうなずいた。「カラスって、ナディアのことをどう思ってるの?」
カトリーヌがくすくす笑い出した。カラスは彼女をじろりと睨んでから、ため息をついてジュールに目を向けた。「なぜ、そんなことを気にするんだ?」
「だって、やたらとナディアに優しいからさ。そりゃあ、気になるよ」
カラスはしばらく考えてから口を開いた。「俺もマルコおじさんに引き取られるまでは、ナディアと同じ境遇だったからな。まあ、彼女ほど正直な商売はしていなかったが、大勢の仲間を守って生きていかなきゃならない苦労も多少はわかるんだ」
「同情したってこと?」
「そんなようなもんだ」カラスは言って、ふとジュールに笑みを向けた。「あんな熱烈な見送られ方をしておいて、まだ彼女の好意を疑うのか?」
「疑うわけじゃないけど、その……」ジュールは顔を真っ赤にした。「うん、そうだね。変なこと聞いてごめんよ」
「気にするな」カラスは軽く首を傾げて言った。「他には?」
「ジャンが王子様だってことはわかったけど、他のみんなはどうなの?」
「俺とアランは最初に言ったとおり、旅の商人と護衛の剣士だ」と、カラス。アランもこくりと一つ頷く。「アベルはベア男爵で、そこの太っちょの旦那は、みんなからヴェルネサン伯爵と呼ばれているが、本人はマルコおじさんと呼ばれる方が好みらしい」
「ジャンから二人のことは聞いてたけど」ジュールはマルコに目を向けた。「あなたは、元貴族だって話しだったんだ。ひょっとして、ジャンの伯父さんって話も嘘なの?」
「いや、それは本当だ。従妹がジャンの親父の嫁なんでな」と、マルコ。
次いで、ジュールはカトリーヌに目を向けた。
「あたしは国王陛下の密偵よ」カトリーヌは言った。
ジュールは目をぱちくりさせた。「密偵って、そんな風に自分の正体をぺらぺらしゃべっていいものなの?」
「ええ。だって正体がある密偵なんて、密偵じゃないもの」カトリーヌは肩をすくめて言った。
「意味がよくわからないんだけど、正体不明ってことでいい?」
「そうね」カトリーヌはくすりと笑ってうなずいた。「でも、正体不明なのはジローも同じよ」
仮面の吟遊詩人は大仰な仕草でお辞儀をして見せた。
「よく、そんな人と一緒に旅ができるね」ジュールは眉をひそめた。「そりゃあ、僕に気前よくおこづかいをくれたり、馬を貸したりしてくれたんだから、いい人なのはわかるけど」
「それに、なかなか役に立つ」マルコが言った。
「邪魔をしたら、どこかその辺に埋められるかも知れないからね」ジローは言った。「そりゃあ、一所懸命にもなるよ」
「まだ覚えてたのか?」カラスは笑った。
「忘れるもんか」
ジュールは、ジローを眺めまわしてから口を開いた。「昼間の兵隊たちは、どうしてジャンとマルコおじさんを目当てに、みんなを捜してたんだろう。こんなに派手な目印があるんなら、そっちを探せばすぐなのに?」
「もし僕たちがジローと別行動を取っていたら、彼らは違うものを追い掛けることになるからだよ」と、ジャン。「その点、おじさんは僕の保護者だし、二人そろっていれば間違いなく僕だってわかる」
「そっか」ジュールはうなずいた。
「まだ、何かあるか?」カラスが訊いた。
ジュールは、しばらく考えてからジャンにたずねた。「最後は君に聞きたいんだけど?」
「なに?」
「君は王子様だけど、僕はどうしたらいいのかな?」
ジャンは目をぱちくりして、それから笑顔で右手を差し出した。「今まで通り、友だちでいるって言うのはどうかな?」
「それはご命令ですか、殿下?」ジュールはにやりと笑みを浮かべ、ジャンの手を握り返した。二人は顔を見合わせ、それから愉快げに笑い合った。
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