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プリンセスコード  作者: 烏屋マイニ
魔界の王国
21/46

6.ナディア

 悪漢を討ち、街を救ったジャンたちへの報酬は、乙女のキスと、たっぷりのお菓子やごちそう、そして大勢の新しい友だちだった。それはもちろん、厩舎で働くナディアの仲間たちのことで、気の良い彼らとジャンたちは、あっと言う間に仲良くなった。ジャンたちが連れて来た小さい子供らは、同じ年頃の孤児たちと広い馬場を駆けて遊び、ジュールは約束事のように性別を間違われたあと、今は女の子たちと芝生の上で車座になって、なにやらおしゃべりに興じている。アランはそこから少し離れた場所で、華麗な剣技を披露し、男の子たちの拍手喝采を受けていた。

「あなたは遊ばないの?」

 ジャンが馬房を巡って馬たちを眺めていると、新しい馬を連れたナディアが声を掛けてきた。

「遊んでるよ」ジャンは肩をすくめて見せた。「今は馬を眺めて楽しんでる」

「そっか」ナディアは笑ってから、ジャンにリンゴのきれっぱしをいくつか手渡した。ジャンは礼を言ってそれを受け取り、さっそく一つを手の平に乗せ、ナディアが連れている馬の前に差し出した。馬はジャンの手の平に鼻っ面を押し付けて、リンゴの欠片を美味しそうに食べた。

「君こそ、一人でせっせと働いてるじゃないか」ジャンは、馬場を出て行く男の背に目をやった。それは馬を預けに来た旅人で、つい今しがたまで、ナディアは彼の応対をしていたのだ。

「みんなに、ジュールを取られちゃったからね」ナディアは苦笑して、他の女の子たちをおしゃべりで喜ばせているボーイフレンドにちらりと目をやり、それから面白がるような顔をジャンに向けてきた。「あなたもでしょ?」

 ジャンは少し考えてから、ナディアがアランのことを言っているのだと気付いた。アランを見ると、彼女は空中へ放り投げたリンゴを細切れにして、男の子たちを驚かせているところだった。先ほどジャンが馬に与えたリンゴの出所は、これのようだ。

 ジャンは、ナディアが馬の世話を始めたのを見て、それを手伝いながら言った。「アランは、そう言うのじゃないんだ。どっちかと言えば、姉弟みたいなものだよ」

「そうなの?」

「うん。そして彼女の方がお姉さんだ」

 ナディアはうなずいた。「あんな風に、堂々と大人に命令するなんて、どうやったらできるんだろう」

 ブリスをやっつけたあと、アランは近くにいた大人に、街道警備隊の詰所から人を呼んでくるよう命じていた。おそらく彼女は王だから、誰かに命令することになれているのだろう。王都では、議会に集まった立派な貴族でさえ、アランの言いなりだったのだ。そこらの平民が、王者の命令を無視するのは、難しかったに違いない。もちろん、そのことを明かすわけには行かないから、ジャンは適当な理由をひねり出した。「たぶん、大人に交じって仕事をすることが多いから、気後れすることがないんだよ」

「そう言うもの?」ナディアは首を傾げた。

「そう言うものさ」ジャンは言い張った。

 馬の世話が一通り終わると、二人は馬留めの柵に寄りかかって、たわいのないおしゃべりを始めた。ジャンとしては、ジュールの想い人を独占することに幾ばくかの罪悪感もあったが、彼女を放ったらかしにするジュールが悪いのだと考えて、素直に会話を楽しむことにした。もっとも、彼らの話題はもっぱら仕事の話ばかりで、浮ついた会話は一切なかった。

「そう言えば、夜はどうしてるの?」と、ジャン。

「夜?」ナディアは首を傾げた。

「馬泥棒に襲われたりしないのかと思って」

「それは大丈夫」ナディアは言って、門の方を指さした。「ほら、ここは門に近いから、いつも門番さんが目を光らせてくれてるんだ。それに最近は、詰所の方から騎士さんが見回りに来てくれるし」

「いい職場を見つけたね」

「うん」ナディアは笑顔でうなずいた。しかし、彼女はすぐに笑みを消した。「でも、この仕事を見付けられなかったら、どうなってたかって思うときもある」

 ジャンは首を傾げて、先を促した。

「この町には、近くの村で親を亡くした子や、捨てられた子が集まって来るんだ。みんな、大きな町なら寝床や食べ物もあるだろうって考えてるんだけど、実際はそうじゃないから飢えたり凍えたりして、毎年何人も死んでる。だから、みんな生きるために、なんでもやる。残飯をあさったり、物乞いをしたり、盗みを働いたり、中には体を売る子も」ナディアは、ふとため息を落とした。「ブリスだって、そうだよ。彼らも、生きるために自分のできることをしていただけで、私と何も変わらない。つまり、他に方法がなかったら、私が彼らになってたかも知れないんだ」

「たぶん」と、ジャンは考え考え言った。「君がギャングになったとしても、ブリスたちと同じにはならないと思うよ。彼らは自分より弱い人から奪うことを楽しんでたけど、君はそうじゃないから」

「なんで、そんなことが言えるの?」ナディアは疑わしげに訊いた。

「だって、ほら」ジャンは、馬場を走り回る子供たちを指さした。どうやら彼らは、鬼ごっこのような遊びをしているようだった。ただし、女の子の鬼に捕まった男の子は、鬼の頬にキスをしなければいけないらしい。「君がブリスみたいなやつなら、彼らがこんなに楽しそうなはずがないもの」

 ナディアは目をぱちくりさせた。

「大体、みんなが遊んでる中、一人で働いてるような君に、ギャングなんてできるはずがないよ。この仕事に就いてなかったら、きっと今頃、どこかの路地で野垂れ死んでるんじゃないかな?」

「そうだね」ナディアはくすくす笑った。

「わかってるなら、ちょっとくらい遠慮を忘れて自分がやりたいことをやろうよ」ジャンはナディアの手を取り、ぐいぐい引っ張ってジュールのそばへ連れて行き、無理やり彼女を輪の中に押し込んだ。ジュールはナディアを見て、それから目だけでジャンに感謝を伝えてきた。ジャンは友人に片目を閉じて見せてから、その場を離れアランを取り囲む男の子たちの輪に加わった。

 そうして夕暮れまで遊んだジャンたちは、宿へと戻った。宿の一階の食堂には、酒と食事を目当てにする客たちがあふれており、彼らは入口に現われたジャンたちを見るなり、なぜかわっと沸き立ち、盛大な拍手をくれた。朝には怒鳴り声を上げていた宿の主人も、ナディアがいると言うのに何やらご機嫌な様子だ。しかし、奥のテーブルにいるマルコはしかめっ面で腕組みをしているし、その隣で手招きするカラスも口をへの字に曲げている。カトリーヌはあきれた様子で首を振り、笑顔を浮かべているのはアベルとジローの仮面だけだった。ジャンは、自分たちがへまをしたことに、たちまち気付いた。

「さっき、ちょっとした噂を耳にしたんだ」

 ジャンがテーブルの側に立つと、カラスが言った。ジャンは、やっぱりそれかと、こっそりため息を落としてから、知らないふりをしてたずねた。「どんな噂?」

「なんでも勇敢な子供たちが、街にのさばっていたギャングをこてんぱんにやっつけて、街道警備隊に引き渡したらしい」

「それは、ぜひその場にいて見てみたかったな」アランはとぼけた。

「俺が聞いたところだと、それは二人の女の子で、一人は馬鹿でかい剣を振り回し、もう一人は魔法で火の玉を投げつけていたそうだ」

「僕は男だって言ってるのに」ジュールはぶつぶつ文句を言った。彼は、ジャンとアランが睨んでいることに気付いて、慌てて口をふさいだ。

 マルコはすがめた目で、ジャンとアランを交互に睨んだ。「我々は、世直しの旅をしているんじゃないんだぞ。目立つなと言ったのを忘れたのか?」

「ごめんなさい、おじさん」ジャンは素早く謝った。

「ジャンたちのせいじゃありません」ナディアが言った。「カラスの旦那に、安全な場所を案内しろって言われたのに、そうできなかった私が悪いんです」

「君のせいなもんか」ジュールはガールフレンドをかばった。「まさか、あんなに人がいっぱいいる広場にギャングが現れるなんて、普通は考えないよ」彼は、マルコに目を向けた。「大体、僕たちがやつらに絡まれてるとき、大人たちは見物するばかりで、誰も助けようとしてくれなかったんだよ。自分らで身を守って、何が悪いの?」

「私もジュールの言うことは、もっともだと思います」アベルが弁護に回った。「聞けば相手は、街道警備隊も手を焼く悪党だったと言うではありませんか。そんな連中を前にして、されるがままでいろと彼らに言うのですか?」

「そうじゃないよ、アベル」ジャンは口を挟んだ。「おじさんは、あいつらをやっつけるにしても、もっと目立たないようにするべきだったって言ってるんだ」

 アベルはいぶかしげに片方の眉を吊り上げた。

「たとえば人目に付かない場所へ誘い込んでから、アランに真っ二つにしてもらうとかね。少なくとも、こんな大騒ぎにしたのは僕らの失敗だった」

「そんな余裕なんてあった?」ジュールは疑わしげに言った。「僕たちは小さい子を連れていて、とても逃げられる状況じゃなかったし、だからって手をこまねいてたら、ナディアを連れて行かれて、あいつらにひどいことをされるところだったんだ」

「君もね」ジャンは思い出させた。

「あれは、やつらが僕を、女の子と間違えただけだよ」ジュールは唇を尖らせた。

「でも君なら、女の子のふりをしてブリスたちについて行って、アジトごとあいつらを魔法で焼き払うことも、できたんじゃないかな。それなら、連中をやっつけたのが僕らだって、街の人たちに知られることもなかった。違う?」

 ジュールは目をぱちくりした。「なるほど」

「君の魔法の腕を最初っから知ってたら、その作戦を思い付いてたんだけど」ジャンは口をへの字に曲げた。

「戦力を、事前に把握しておくことは重要だぞ」アランが言った。

「今度から気を付けるよ」

「今度?」マルコは甥をまじまじと見つめた。

「うん、わかってる」ジャンは急いで言った。「そもそも、もめ事には関わらないようにしなきゃね」

「よくわからないんだけど」ジュールは首を傾げてから、マルコに目を向けた。「なんで、こそこそする必要があるの。別に、やましい商売をしてるわけじゃないんでしょ?」

 マルコはため息をつき、小さく首を振った。「カラス、説明してやってくれ」

 カラスはうなずき、説明を始めた。「人たちの注目を集めるってことは、俺たちが何をするのか逐一見張られるのと同じことになるんだ」彼は、こっちを見て笑顔でジョッキを掲げる酔客に、軽く会釈を返してから続けた。「そして、俺たち旅人の動向を知りたい連中と言うのは、何も善良な人たちとは限らない。たとえば追い剥ぎや強盗は、待ち伏せする適当な場所を決めるために、俺たちがいつ街を出るのか知りたがるだろう。彼らは街に流れる噂から、そうした情報を難なく拾うことができるようになるってわけさ」

「そして、私らは街道のどこかで別な悪党を退治し、世界はまた、ほんのちょっとだけ住みよくなる」ジローは、リュートをかき鳴らして自分の言葉を締めくくった。

 すると、ナディアがジュールに言った。「たまにがら(・・)の悪い人が厩舎に来て、馬を預けた人が、それをいつ引き取りに来るのか聞いてくることがあるんだ。たぶん、カラスの旦那が言ったようなことを、企んでるんだと思う」

「そんな時は、なんて答えるの?」ジュールはたずねた。

「私たちみたいな孤児に、そんな大事なことを教える人はいないって言う。たまに殴られるけど、大抵はそれであきらめるよ」ナディアは肩をすくめて言った。

「君って、少し暴力に慣れすぎちゃいない?」ジュールは、まじまじとナディアを見つめて言った。

「抵抗したら、余計にひどい目に遭うんだ。口惜しいけど私も仲間たちも、君やアランみたいに強くないからね」ナディアは言って、小さく首を振った。

 お説教は、それでうやむやのうちに終わった。間もなく彼らが着いたテーブルに夕食が用意され、カラスはナディアに同席を勧めた。最初は固辞していた彼女だが、しつこく誘うジュールに根負けして席に着いた。食事が始まると、みんなはジャンたちが街の広場で行った、悪党退治の顛末を聞きたがった。ジャンが事実だけを淡々と語り始めると、ジュールが「それじゃだめだ」とさえぎり、話を引き継いだ。彼は面白おかしく話を脚色し、大いに聴衆を喜ばせた。その中には、一緒にいたはずの子供たちと、ナディアも含まれていた。

「僕も、その戦いを見たかったな」ジャンは苦笑いを浮かべ、ぽつりとつぶやいた。

「私もだ」アランは、にこりともせずに同意した。「例の話を聞く度に、私がどんな気持ちになるか、これでわかっただろう」

「あれって、これくらいでたらめなの?」

「いや、もっとひどい」アランはしかめっ面をした。

 夕食が終わると、カラスは宿の主人に言って、残り物の料理を包ませた。彼はそれをナディアに持たせ、「持って行け」と言った。

 ナディアは料理の詰まったかごを両手で抱え、目を丸くした。「いいんですか?」

「いいも悪いも」カラスは肩をすくめた。「お前ばかり美味いものを食べてたんじゃ、仲間たちにでかい顔をできないだろ。違うか、リーダー?」

「はい、その通りです。ありがとうございます、旦那」ナディアは笑顔でうなずいた。

「ねぐらはどこだ」カラスは言って、席を立った。

「厩舎の裏にテントを張ってるんです。明け方にも、馬たちに飼葉をやらなきゃいけないんで」

「わかった。そこまで送ろう」そう言って、カラスはナディアの返事も聞かず、さっさと宿を出て行った。ナディアも慌てて席を立ち、それから友人たちに目を向け言った。「みんな、おやすみ。今日はありがとう」

「おやすみ。また明日」ジャンは言った。アランは黙ってうなずき、ジュールは何か言い掛けて口を開けてから、結局「おやすみ」とだけ言った。ナディアはマルコたちにぺこりと頭を下げてから、小走りで宿を出て行った。

「ねえ、ジャン」二人が出て行った扉を見つめながら、ジュールがつぶやいた。

「なに?」

 ジュールは小さく首を振り、言った。「うん、ごめん。なんでもないや」

 ジャンは首を傾げ、いぶかしげに友人を見つめた。

「おい、ジャン」マルコが声を掛けた。

「なに、おじさん?」

 マルコは眠そうに目を擦る子供たちを顎で示した。「みんなを部屋へ連れて行って寝かし付けてくれ」

 ジャンはジュールと協力して、子供たちを椅子から降ろした。

「お前はどうするんだ?」アランが訊いた。

「もちろん、飲むに決まってるだろう」

「ほどほどにしておけよ」

「私が一度だって二日酔いをしたことがあるか?」

「お前の体調については心配していない」アランは鼻を鳴らした。「遅くまで、みんなを付き合せるなと言ってるんだ」

「もちろん、わかってるさ」マルコは片目を閉じて見せてから、カウンターの向こうにいる宿屋の主人にビールを注文した。

 ジャンとアランとジュールは言い付けに従って、自分たちの部屋へ子供たち連れて行った。部屋の中には大きなベッドが二台あり、子供たちはその内の一台に潜り込んで、子犬のようにかたまり、すぐに寝息を立てはじめた。

 ジャンは一息ついて、自分の荷物からポーレットの詩集を引っ張りだし、余ったベッドへ腰かけて勉強を始めた。アランは床に座り込んで剣の手入れを始め、ジュールは両手を枕にベッドへ寝転がり、天井を眺めて何事か思案にふけっていた。ずいぶん経ってから、ジュールは不意に口を開いた。「カラスって、やけにナディアに優しいよね?」

「そうだね」ジャンは、本のページから目を離さずに同意した。「仕事の代金は気前よく払うし、お土産を持たせた上に家まで彼女を送って行った」

「ひょっとして、彼女のことが好きなのかな?」ジュールは心配そうに言った。

 アランは砥石を滑らせる手を止めて顔を上げ、ジュールに目を向けた。「あいつとは長らく一緒に旅をしているが、子供に手を出すような性癖を持っているようには見えなかったぞ」

「それは、君が小さすぎるからだよ」

 アランは何も言わず、肩をすくめてから作業に戻った。

「でもナディアは、もう結婚できるとしなんだ」ジュールは身を起こし、開け放たれた窓を気遣わしげに見やった。

 ジャンは、ふとスイの事を思い出した。彼女もナディアとさして変わらない齢だったし、実際にジャンとは婚約もしていたのだ。ジュールがナディアを、そう言う風に見てしまうのも、無理なからぬことかも知れない。「ひょっとして、ナディアと結婚したいって思ってるの?」

 ジャンがたずねると、ジュールは首を傾げた。「どうなのかな。ただ、彼女が他の誰かのものになるかも知れないと思うと、すごく嫌な気分になるんだ」

「なるほど」

「今日、会ったばかりなのに、こんな気持ちになるなんて、自分でもびっくりだよ」ジュールは苦笑を浮かべた。

「そんなに、おかしな事じゃないさ」ジャンは肩をすくめて言った。彼も他人のことは言えなかった。

「最初は、可愛いから仲良くしたいって思ってただけなんだ」ジュールは言った。「でも、彼女と手を繋いでるうちに、なんて言ったらいいかわからないけど、守らなきゃって気持ちになった。だってさ、彼女の手ってすごく小さいのに、荒れてがさがさで、豆だらけでごつごつなんだよ。どれだけ働けば、あんな手になるんだろう?」

「そうだね」ジャンは同意した。「でも、彼女は強い子だよ。せっかくの儲けをふいにしてまで、僕たちをブリスから守ろうとしたんだ。あんな勇敢な女の子、なかなかいるもんじゃない」

「だからって、守っちゃいけない法はない。違う?」

「うん」ジャンはうなずいた。「君は彼女を守れるだけ強いんだし、できるならそうした方がいい」

 ジャンは、スイを守れなかった。それが、単なる自分の力不足だと考えるほど、彼は傲慢ではない。それでも自分にアランやジュールのような力があれば、別な結末があったのではないかとも思うのだ。

「まあ、彼女が僕なんかに守られたいって、思ってればだけどね」ジュールは不意に自信を失った様子で、しょんぼりと肩を落とした。

「きっと大丈夫だよ」ジャンは請け合った。どう見ても、ナディアがジュールに対して、好意を抱いていることは明らかだ。

「そうだといいんだけど」ジュールは疑わしげに言ってから、ジャンの膝の上の詩集に目を向けた。「ねえ、それってなに?」

「従妹に借りたんだ。もっと芸術としての文章を勉強すべきだって言われてね」

「なんだって、そんなことになったの?」

 ジャンが、ダミアンの手紙について説明すると、ジュールはそれを読みたいと言い出した。ジャンはしぶしぶ手紙を見せ、ジュールはしばらくそれを読み込んでから、こくりと一つうなずき言った。「こう言うのを読むには、字面を追うだけじゃだめなんだ」

「どう言うこと?」

「大抵の本の文章は語りかけてくるものだけど、この手紙や詩のような文章は歌っているのさ。ちょっと聞いてみて?」

 そう言って、ジュールはダミアンの手紙の内容に、節を付けて読み上げた。自分を賛美する言葉を、ジュールの可愛らしい声で歌われ、ジャンはいたたまれないほど顔が熱くなるのを感じた。

「わかった?」と、ジュール。

「うん」ジャンはうなずいた。「死ぬほど恥ずかしいってことがわかった」

 ジュールは笑って、再びダミアンの手紙を歌い出した。ジャンは枕の下に頭を突っ込んで耳にするまいと抵抗するが、ジュールはそんな彼に添い寝するような恰好で、歯の浮くような言葉を歌い続けた。それが終わって、ジャンはようやく言った。「もう、勘弁して」

「今度こそわかった?」ジュールはにやにや笑いながら言った。

 枕の下から赤い顔をのぞかせ、ジャンはうなずいた。「一つの文の中に、色んな意味が重ねて織り込まれてるんだ。それと、韻律があって本当に歌みたいだった。声を出すつもりで読んだ方が、ずっと理解しやすい」

 ジュールは肘枕をしてうなずいた。「これを書いた人って、結構な教養のある人みたいだけど、一体何者なの?」

「元は貴族らしいよ」ジャンは起き上がり、頬に手を当てため息をついた。男の子だとわかっていても、美少女にしか見えないジュールの顔が間近にあるのは、少しばかり落ち着かなかった。

 ジュールはいぶかしげにジャンを見た。「君って、やたらと元貴族に縁があるね?」

「それと、ギャングにもね」

「え?」

「その手紙を書いたのは、トレボーのギャングなんだ。僕を誘拐して身代金を取ろうとしたんだけど失敗して、僕を助けに来たみんなに殺されかけた」

「かけた?」ジュールは首をかしげた。「殺さなかったの?」

「私は殺すべきだと言ったんだ」アランが、手入れを終えた剣を鞘に収めながら言った。「それなのに、ジャンは一発殴っただけで許した」

「悪党に情けを掛けるなんて、ちょっと優し過ぎやしない?」ジュールは眉をひそめて言った。

「僕たちに復讐を考えるほど馬鹿な人には見えなかったし、恩を売っておいたら後で何かの役に立つと思ったんだ」ジャンは肩をすくめた。「実際、彼のおかげでたった今、いいアイディアが浮かんだ」

「何?」ジュールはけげんそうにたずねた。

「僕たちは、明日にはこの町を発つことになってる。そして君はベルンに帰ってしまうから、どうしたってナディアとは離れ離れになるよね」

 ジュールは起き上がり、渋い顔でうなずいた。

「だったら、手紙を書いたらどうかと思ってさ」

「ナディアが字を読めるとは思えないんだけど?」

「そうだとしても、自分の好きな相手から手紙をもらえば、きっと嬉しいと思うよ」

「そう言うものかな」ジュールは首をひねってから、にやりと笑ってジャンを見た。「君も、この手紙をもらって嬉しかった?」

 ジャンはしかめっ面をして見せた。「君まで高尚な恋愛についてとやかく言うつもりなら、僕は廊下で寝るからね?」

「冗談だよ」ジュールはくすくす笑った。「とにかく、さっそく書いてみよう。君も一緒に、返事を書いてしまったらどうかな。なんなら、手伝ってもいいけど?」

「ありがとう。でも、どうやってトレボーまで届けたらいいんだろう。飛脚を頼むのって、結構なお金が掛かるよね。生憎、僕は持ち合わせが少ないんだ」

「封筒に届け先を書いて、宿の主人に預けるといいよ。そっち方面へ行く旅人がいたら、届けるように頼んでくれるから。もちろん、ちゃんと届くかどうかは、その旅人の正直さ次第だけど、料金は飛脚を頼むよりずっと安い」

「私は返事など書かずに、放っておいた方がいいと思うんだがな」アランが苦々しい顔で言った。

「でも、もらった手紙に返事を書かないのはよくないよ。それに、彼が僕に夢中だって言うんなら縁を切ってしまうより、これからも僕たちの商売に役立ってもらった方がいいんじゃないかな?」

 すると、ジュールはげらげら笑いだした。「今、わかった。君って、優しいんじゃなくて冷酷なんだね」

「僕は、君やアランみたいに特別な力があるわけじゃないんだ。借りられる力があるなら、無駄にしたくないってだけさ」ジャンは肩をすくめた。「始めようか?」

 二人は窓際に設えてあったテーブルに並んで座り、あれこれ話し合いながら、お互いの手紙を書き終え、寝床に入った。そして翌朝、朝食を終えた一行は厩舎へ向かい、ナディアから馬と馬車を引き取った。カラスは彼女たちの仕事ぶりを短くほめ、約束通り銀貨を一枚支払った。そして、いよいよ出発と言う段になったところで、ジャンはジュールの脇腹を肘で突いた。「ほら、早くしなよ」

 ジュールはうなずき、手紙の入った封筒をナディアに差し出した。

「これは?」ナディアは不思議そうに首を傾げて、ジュールを見つめた。

「手紙だよ」ジュールは少し緊張した面持ちで答えた。「これでお別れなんて僕は嫌だし、せめて会えない間は手紙を書こうと思って」

「ありがとう、ジュール」ナディアは目を丸くして手紙を受け取り、それから少し戸惑った様子で言った。「でも、ごめんね。私、字は読めないんだ」

「読める大人に頼めばいいだろう」カラスが口を挟んだ。「アランたちがギャングどもを退治してから、街の連中がお前さんらを見る目もちょっとは変ったようだし、そのくらいの親切を惜しむやつは、そういないはずだ」

「街の連中が信用できないなら、詰所にいる中尉に頼んでみるといい。ここにいる英雄たちの友だちだと言えば、よろこんで付き合ってくれるさ」マルコが言った。

「手紙を読んでもらうついでに、読み書きの勉強もするといいですよ。そうすれば、返事を書けるようにもなるでしょう」と、アベル。

 ナディアは大人たちの助言を聞いて、こくこくとうなずいた。それからジュールに目を向け抱きついてから、彼の頬に音を立ててキスをした。「私、頑張って勉強して返事を書くよ」

「うん、楽しみにしてる」ジュールは言って、ナディアの頬にキスを返した。そして、少しばかり後ろめたい表情を浮かべてから白状した。「実を言うと、手紙を書くってアイディアをくれたのはジャンなんだ」

 ナディアはジャンに目を向けた。ジャンが黙ってうなずくと、ナディアは彼に歩み寄り、やっぱり抱きついて頬にキスをくれた。

「嬉しいけど、君は誰にでもキスしすぎだよ」ジャンは顔を赤くして言った。昨日は騒ぎのあとで気付かなかったが、こうしてくっつかれると彼女の身体は柔らかく、とても女の子らしかった。「そう言うのって、本当に好きな人のために取っておいた方がよくない?」

「言いたいことはわかるけど、私はあなたも大好きなんだよ?」ナディアはころころ笑って、アランに目を向けた。「もちろん、あなたも」

「キスはいらないぞ」アランは言った。

 そして、ナディアはジュールの前に戻り、彼をまっすぐに見て言った。「でも、あなたは特別」

 ナディアはジュールの首に手を回して、彼の唇に自分の唇を重ねた。ジュールはびくりと身じろぎして、そのまま凍り付いた。「あらまあ」と、カトリーヌは言って微笑んだ。マルコとアベルは気を利かせて背中を向け、カラスはロマンティックな曲を奏でようとするジローを、肘で小突いて止めた。ナディアの仲間とベルンからさらわれてきた子供たちは、カップルが束の間の口付けを終えて離れるのを待ってから、わっと歓声を上げて拍手した。ジュールとナディアは手を繫ぎ合って、照れくさそうに彼らの喝采を受けた。

「さて。名残惜しいが、そろそろ行くとしようか」マルコは言って、馬車の御者台に乗り込んだ。

 カラスは自分の馬に乗ろうとして、ふと思い出したようにナディアに目を向けた。「最後に、もうひと仕事頼まれてくれるか?」

「はい、なんでしょう?」ナディアは、きょとんと目付きの悪い小男を見つめた。

「幌馬車と、そいつの馬車馬を置いていくから、お前たちで適当に処分しておいてくれ。もし売れたら、その金は好きにするといい」

 ナディアは、こくりとうなずいた。それから彼女はカラスに駆け寄り、彼の頬にもキスをした。ぎょっとするカラスを見て、ナディアはいたずらっぽく笑い、言った。「私、旦那も大好きです」

 カラスは苦笑いを浮かべ、ナディアの頭をくしゃくしゃになでてから、鐙を踏んで馬に乗り込んだ。彼の側に、カトリーヌが馬を寄せてきて、にやにや笑いを浮かべた。

「なんだ?」と、カラスは訊いた。

「なんでもないわ」カトリーヌは、ふふんと鼻を鳴らした。

 ジャンも、久しぶりに牝馬に跨がった。気のせいかも知れないが彼女も喜んでいる様子で、ジャンが話し掛けるとちらりと左目で見てうなずいた。

「おや。僕を放って、親友が可愛い牝馬めうまと浮気しているぞ」マルコと並んで、御者台に座ったジュールが言った。

 ジャンの牝馬は勝手に馬車へ歩み寄り、ジュールの頬にに鼻面を押し付けた。ジュールはぎょっとした。「なに?」

「可愛いって言われて嬉しいんだって」

「馬の言うことがわかるの?」ジュールは牝馬の鼻面をなでながら、目を丸くした。

「なんとなくね」ジャンは曖昧に答えた。

 マルコが手綱を揺らし、馬車が動き出した。

「ジュール」ナディアが口の横に手を当てて叫んだ。「それに、みんな。いろいろありがとう」

 一行は厩舎の孤児たちに手を振り、一路ベルンを目指して出発した。

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