1.パレード
白い馬が引く装飾過多な馬車に乗せられたジャンは、行く先の沿道に延々と人垣ができているのを見て、誰にも気付かれ無いように、そっとため息をついた。
人たちは手や旗を振り、口々に「ジャン皇太子殿下、万歳!」と声を張り上げている。さらに頭の上からは、ひっきりなしに白やピンクの花びらが降り注ぎ、見上げれば建物の二階や三階の窓から子供たちが顔をのぞかせ、手に提げたかごから花びらをつかみ出しては、空に向かってそれを放り投げていた。
馬鹿げてる――と言う思いとは裏腹に、ジャンは笑みを浮かべ、手を振り人たちに応えた。もちろん、彼を讃える声がちゃんと聞えていることを示すために、時折うなずいて見せることも忘れてはいない。王子とは、かくあるべきものなのだ。
その始まりは、今朝のことだった。ジャンは彼のために割り当てられた宮殿の一室で、誰かが言い争う声に起こされた。毛布の中で声がする方へ目をやれば、扉が開いた出入口付近で、自分の背丈ほどもある剣を背負った少女が、廊下に立つ初老の侍従に向かって、何やら声を荒げている。
「アラン様」と、侍従はひどく困った様子で言った。「これは、陛下のお考えなのです」
「シャルルの考えなど知ったことか」少女は吐き捨てるように言った。「もう一度言うぞ、モラン。我々は先を急いでいるんだ。パレードなんかをしている暇はない」
ジャンは首をひねりながらベッドを抜け出した。パレード?
「わかったら、さっさと――」アランはいら立たしげに手を振って、さらに言葉を継ごうとした。
「おはよう、父さん。それに、モランさんも」ジャンは急いで二人の話に割り込んだ。
アランには、腹を立てると何かを真っ二つにする困った癖があるのだ。昨日などは、玉座を叩き斬っていた。おそらく、モランを真っ二つにすることはないとは思うが、彼女の良識を試すのは、別の機会にすべきだろう。
ジャンは夜着姿でのんびりと二人に歩み寄り、何気ない調子でたずねた。「パレードって聞こえたけど?」
「シャルルが馬鹿な事を考え出したんだ」アランはむすっとして言った。「あいつはお前の立太子を記念して、王都の中をパレードをすると言っている」
ジャンは、モランを見て首を傾げた。「昨日は、そんなこと一言も言ってなかったよ?」
「実を申しますと、殿下が街へお出かけになられた後に、思いつかれたことなのです」
「ねえ、モランさん」ジャンは、目をすがめて侍従を見た。「忘れてるみたいだけど、僕は魔族に狙われてるんだよ。彼女が僕を捕まえようとして、魔物にパレードを襲わせたらどうするの。まさか陛下の気まぐれで、街の人たちを危険に巻き込むつもり?」
魔族とは、十年前に倒された魔王を信奉し、その屍の肉片を自分の体内に取り入れ、魔物を操る力を得た人間のことだ。ジャンは、魔王を倒した剣王アランの息子と言うことで、彼らにひどく憎まれていた。そして、クセと名乗る魔族の女は、彼を捕らえて自分の主の前に引っ立て、その目の前で家畜のように殺すつもりでいるらしい。
「それについては、ご心配におよびません」モランは断言した。自信満々の侍従を見て、ジャンは目をぱちくりさせた。「どう言うこと?」
モランは、一つうなずいてから続けた。「一昨日、議場を出た後で、南門を走り抜ける一団があったと、部下から報告を受けました。風体からして、ユーゴと彼の手下かと思われます。その中には、クセの姿もございました」
「王都から逃げ出したってこと?」ジャンは、目を丸くしてたずねた。
モランはうなずいた。「方角からして、彼らはルアンへ向かっております」
「ルアン?」ジャンは首を傾げた。「港町だっけ。ここから近いの?」
「南に三日ほどの距離だ」アランが説明した。彼女は怪訝そうに首を傾げ、ジャンを見て言った。「結構、大きな町だぞ。知らないのか?」
「町や地方の名前は本で覚えて知ってるけど、方角とか距離感はさっぱりつかめなくって」ジャンは肩をすくめた。「僕は、三歳の頃に母さんが死んでからずっと、マルコおじさんの村で暮らしていたんだ。村を出たのは、十日くらい前におじさんとディボーへ行ったのが初めてだから、あまり地理には詳しくない」
アランは苦笑を浮かべた。「それでよく魔界へ行こうなんて思い付いたな」
「おいおい勉強するよ」
「いずれにしましても」と、モランは言った。「一番新しい報告によれば、クセは相変わらずルアンへ向かっており、王都から四十マイルは離れた場所におります。パレードの列へ魔物をけしかけるにしても、いささか遠すぎるでしょう」
「ディボーにも魔物が現れたんだよ」ジャンは指摘した。「それは王国に、クセ以外にも魔族がいるって証拠にならない?」
モランはうなずいた。「ディボーの事件については昨日、カッセン大佐から詳しいお話をうかがっております。そもそも彼は、その報告のために王都へいらしたのです。ともかく、当時は王都にいたクセに、ディボーの事件を起こせるはずがございませんから、殿下が仰る通り、国内には彼女以外の魔族が、潜伏していると見てよろしいでしょう。しかし、クセも含めて複数人の魔族が王都に潜伏していたのであれば、私どもに魔物を撃退されたからと言って、仲間に援護を求めることもなく逃げ出すのは、いささか出し惜しみが過ぎるように思えます」
確かに侍従の言う通り、王都に他の魔族が潜んでいるのだとすれば、クセが尻尾を巻いて逃げ出す道理はない。仲間の魔族の手を借りて、反撃に打って出るか、あるいは王都をディボーの二の舞にして、その混乱の隙にジャンを捕まえることもできたはずだ。それをしなかったのであれば、王都に彼女の援軍はいなかったと言うことになる。
いや、そもそも援軍など、はなから用意するつもりはなかったのかも知れない。クセは、メーン公爵がクーデターを成功させると確信していたし、議会が始まるまで、ジャンが彼女の探していた、剣王の息子であるとは知らなかったのだ。つまり、今の王都に魔族が潜んでいる可能性は少なく、パレードの最中に突然魔物が現れる心配はないと言うことだ。
「でも」と、ジャンは首をひねった。「なぜ今、パレードなの?」
「実を申しますと」モランは咳払いした。「南門でクセたちを目撃したとの報告を受けてから、追っ手を差し向けるまでの間に、ユーゴの姿を見失ってしまったのです」
「お前たちは――」アランは、侍従に叱責の言葉を投げつけようとするが、大きなため息を一つ落として首を振った。「まあ、いい。続けろ」
モランは頭を下げてから説明を続けた。「ユーゴの目的は、殿下を捕らえることです。今のまま魔界へ向かわれれば、ユーゴの追跡を受けることは間違いございません。そこで陛下は、みなさまが出発された後も、殿下が王宮に滞在しているとユーゴや彼の手下に思わせるため、派手な催し事を開こうとお考えになったのです」
ジャンは考え込んだ。悪くない作戦に思えたが、何か引っかかるものがあった。しばらく経って、彼は違和感の正体に気付き、それを指摘した。「ユーゴに僕を捕まえる理由なんて、もうないはずだよ。だって、その命令を出してたメーン公爵は、牢屋の中なんだから」
メーン公爵ことシセ将軍は、秘かに魔族と通じ、彼らがつけ狙うジャンを捕らえよと、手下の密偵であるユーゴに命じていたのだ。しかし、皇帝即位の野望をジャンの伯父マルコに阻止された彼は、破れかぶれのクーデターを起こした末に失敗し、今は地下牢に囚われている。
ジャンの疑問に、モランは首を振って答えた。「いえ、ユーゴは殿下をあきらめてはおりません」
「どうして?」
「クセに手下を付け、行動を共にしていると言うことは、二人の間に何らかの協定があると考えるべきでしょう」
「ああ、そっか」ジャンは、すぐに答えを思い付いた。「ユーゴは僕と引き換えに、公爵の救出をクセに手伝わせるつもりなんだ。たぶん、魔物に王宮を襲わせるとか、そんな方法で?」
「はい」モランはうなずいた。「私どもも、同じ考えです」
するとクセは、ルアンに潜伏して、ユーゴがジャンを連れてくるのを待つつもりなのだろうか。しかし、なぜルアンなのだろう。王都から三日であれば、距離的にトレボーでも構わなかったはずだ。しかも、ジャンが知るトレボーから王都への経路は、人たちに忘れられた旧道で、半分は道ですらなかった。街道を行けばその距離はもう少し短いはずだから、クセがルアンを選んだ理由がますますわからない。そもそもルアン行きを決めたのは、クセなのだろうか。彼女がユーゴの手下と共に行動しているのなら、あるいはユーゴの計画かも知れない。ジャンが知る限り、密偵は気まぐれで行動することはない。思い付きで動いているように見えて、その裏には緻密な作戦が張り巡らされているものだ。となれば、ルアンであることにも、何か意味があるはずだった。
「港だ」ジャンはぽつりとつぶやいて、アランに目を向けた。「ねえ、父さん。ルアンから、メーン公爵の領地までは、どのくらい掛かるの。船でだけど?」
アランは束の間考えてから答えた。「風向きと潮次第だが、丸一日でマセリの港に着く。そこから、公爵の城があるメヌの町までは十日ほどだ。それがどうかしたのか?」
ジャンはモランに目を向けた。「前にカッセン大佐が話してるのを聞いたんだ。メーン公爵は、皇帝になって大陸を支配するつもりでいるって」
モランはうなずいた。「確かに、前の議会でそのようなことを申しておりました。議員のみなさまは、象徴的な意味にとらえていたご様子でしたが」
「彼は本気で、それをできると考えていたかも知れないよ」
「馬鹿げている」アランは吐き捨てた。
「カトリーヌが言ったこと、覚えてないの? 公爵は、クセを魔族と知った上で彼女と付き合ってたんだ。彼女の、魔物を操る力を利用するつもりでね。僕は、それを皇帝の冠を手に入れるために、そうしてるんだと思ってたけど、本当に彼女の力が必要になるのは皇帝になったあとなんだ。きっと彼が皇帝になってたら、世界中でディボーに起きたのと同じ事が起こったと思うよ」
アランはあ然とした。「あの馬鹿は、皇帝ではなく魔王になるつもりだったのか?」
「それはどうか知らないけど、ユーゴもその計画を知っていたはずなんだ。そして彼は、メーン公爵を取り戻すために、クセを利用しようと考えた。でも、問題はその方法なんだ。ユーゴがクセをルアンへ向かわせたのは、そこから船に乗せてメーン公爵の領地へ向かわせるためだと思う」
アランは目をすがめ、モランは微かに頬を強張らせた。
ジャンは続けた。「マルコおじさんは、公爵がクーデターを成功させたあと、王都を手に入れるために、自分の領地から軍隊を呼び寄せるだろうと考えてた。つまり、公爵の領地にはいつでも進軍できる、準備万端整えた部隊がいるって事なんだ。その軍隊にいるのが人間の兵士だけだって、誰か賭けてみる人はいる?」
「小遣い稼ぎなら、他の方法を考えた方がいい」アランは肩をすくめた。「分が悪すぎて、賭けが成り立たない」彼女はモランに目を向けた。「お前はどうだ」
「わざと負けて、殿下の懐をあたためて差し上げるのも、悪くないような気がしてきました。それくらいの価値はございます」モランは言って、ジャンに目を向けた。「つまり殿下は、クセとユーゴが公爵奪還のために、その軍隊を用いるつもりでいると、お考えなのですね?」
ジャンはうなずいた。
「しかし、公爵が我々の手の内にあるのに、誰が軍を率いる?」アランは侍従に訊いた。
「メーン公爵には、殿下と同じ年頃の息子がおります。彼を旗印に将軍配下の将校が、実際の指揮を執る形にするでしょう」
アランはうなずき、そして片手で頭を搔きむしった。「こうなると、メーン公爵を吊すわけにはいかなくなるな」
「どうして?」ジャンはたずねた。
「交渉の余地があれば、すぐに戦端を開こうとはならないだろう。よっぽど血に飢えているのでなければ?」
「そっか」
「それと、そんなことをすれば、せっかく捕らえたメーン公爵が、何百マイルも離れた場所に現れる事になる。王に敵対する有力貴族を、わざわざ本拠地へ帰してやる道理はない」
ジャンは首をひねった。少し考えて、その意味がわかった。「息子が公爵の位を継ぐんだね?」
「そうだ」アランはうなずいた。「あるいは、公爵の息子は父親の爵位ばかりか、彼の野望も引き継ぐつもりなのかも知れない。ユーゴがクセをメーン領へ送ったのは、単に彼女を公爵奪還の作戦に加えさせるだけでなく、我々が公爵を殺した場合に備える意味もあると考えた方がいいだろう」
「そうなる前に、爵位を取り上げられないの?」
ジャンの問いに、アランは首を振った。「王の権力は、それほど強いわけではない。ただ、誰よりも古い家系だから、他の貴族たちに国のまとめ役として、認められているに過ぎないんだ。王は、貴族から王位を認めてもらう代わりに、彼らへ爵位と領地を与える。それを取り上げると言うことは、その貴族に対して、王と認めてもらう必要はないと、宣言することに同じなんだ。もちろん、爵位を奪われた側が大人しく領地を返してくれればいいが、そうでない場合は戦争になる。ただし、貴族たちは王が求めれば兵を出す義務を負っているから、元公爵は全アルシヨンを相手に戦わなければならない」
「でも、実際はそうはならないよね。公爵を支持していた貴族は、シャルル陛下が彼らに公爵をやっつけろって命令しても、耳を貸さないかもしれない。それどころか、公爵に加担して歯向かって来る事だってある。そして彼を支持する貴族は、議会の半分以上を占めていたんだ」ジャンは言って、口をへの字に曲げた。そんなことになれば、シャルルがこの戦に勝利することは絶望的だった。
アランはうなずいた。「だからこそメーン公爵には、公爵のまま生きていてもらわなければならない。もちろん、謀叛を企んだ責任は取ってもらうが、それは今ではない」
「でも、クセは別だよ」ジャンは言って、モランに目を向けた。「彼女は捕まえられそう?」
モランは難しい顔をした。「人手を割いて追跡していますが、いささか厳しい状況です」
「ユーゴは、聞くまでもないね」ジャンはため息をついた。
モランは黙って頭を下げた。
「いっそのこと、僕を囮にして捕まえられないかな?」ジャンは提案した。
「ジャン」アランはじろりと息子を睨んだ。「だめだ」
「いずれにせよ、そうする場合は、護衛にあてた密偵の配置を見直さなければなりません。今から始めていたのでは、ユーゴに気取られてしまうでしょう」モランも反対した。
「ちょっと言ってみただけだよ」ジャンは唇を尖らせて言った。彼はしばらく考え、父に目を向けた。「たぶん、ここで揉めてても、それこそ時間の無駄だよ。パレードが、三日も四日も掛かるなら別だけど?」
アランは渋い顔をした。「絶対に後悔するぞ?」
「何に後悔するの。出発が、一時間かそこら遅れること?」ジャンは首を傾げた。
「いや」アランは首を振った。「パレードをしたことそのものに、だ」
ただ街の中を、ちょっと行進するだけなのに、何がそんなに嫌なのか、ジャンにはさっぱり理解できなかった。
「他のみんなはどうした?」アランは侍従にたずねた。
「西門の外でお待ちです」
「あとは僕たちがパレードを終わらせて、うまく王宮を抜け出せばいいんだね?」と、ジャン。
「さようでございます」モランは頭を下げた。
「それじゃあ、さっさと始めよう」アランはむすっとして言った。
モランはうなずき、指を鳴らした。すると、畳んだ服を持った女中が二人、しずしずとジャンの部屋に入ってきた。彼女たちの後ろからは、目の覚めるような赤いドレスを着た淑女が姿を現した。彼女の顔を見て、ジャンは息をのんだ。「カトリーヌ?」
「二人とも、ちょっとのんびりしすぎよ」女スパイは、にやりと笑って言った。彼女はアランに目を向けた。「あなたもジャンと一緒の馬車に乗りたいなら、それなりの格好をしてちょうだい」
アランは、ジャンを見てため息をついた。「後悔すると言ったのを、忘れるなよ?」
ジャンが、どう言う意味かと聞き返す前に、青い服を持った女中が笑顔でにじり寄ってきた。彼女は言った。「殿下、お召し換えを」
「えーと」女中は、ジャンより二つ、三つ年上に見えた。ジャンは後ずさりながら言った。「自分でできるよ」
しかし、彼女は容赦しなかった。ジャンはたちまち夜着を脱がされ、青地に金銀の縫い取りやモールが付いた、派手な服に着替えさせられた。彼は、アランの言う後悔の意味を理解した。
一方のアランは、されるがままと言った様子で、ひらひらのレースがふんだんに使われた水色のドレスを着付けられていた。それは服を着ると言うより、荷造りを思わせる作業だった。しかし、着替えを終え、髪がしっかり結い上げられると、その出来栄えは目を見張るものがあった。彼女は、蜂蜜色の髪や真っ青な瞳とあいまって、まるで優れた人形師が、技術の粋を込めて作り上げた陶器人形のように見えた。ただし、この愛らしい人形は、ぶつぶつと悪態をたれていた。
「似合ってるわよ」と、カトリーヌは笑いながら言った。「何がそんなに不満なの?」
「暑いんだ」アランは剣を背負いながら、むすっとして答えた。
少女の姿になってしまったことで、父としての威厳を損ねることを心配していた割に、女物の服を着ることに関して、特に思うところはない様子だった。
「それで、僕たちはどこへ行けばいいの?」ジャンはたずねた。
モランと女中がさっと道を開け、カトリーヌは「こっちよ」と言って部屋を出た。連れて行かれたのは、宮殿の玄関だった。扉を開けて外へ出ると、彼らの前には、ごてごてと黄金に飾られた屋根の無い青い馬車があった。それを引くのは、一頭の白いせん馬だ。ジャンは、アランが悪趣味と評した意味を理解した。もちろん、度合いで言えば、彼が着ている服もいい勝負だ。
馬車から少し離れた場所には、ぴかぴかの鎧をまとい、儀礼用の槍を掲げた騎士が五人、馬と並んで立っていた。そして、その内の一人と何やら話し込む、ローブ姿の男がいた。彼の頭の上には、王冠が載っていた。
「陛下?」
ジャンが声を上げるとシャルルは振り返り、甥っ子に歩み寄って笑顔で言った。「おはよう、ジャン。ずいぶん遅かったじゃないか」
「ここで、何をしてるの?」ジャンはたずねた。
「君たちを待っていたのだ。パレードの件について説明しようと思ってな?」
「わざわざ、ありがとう」ジャンは皮肉っぽく言った。
「そう、むくれるな」シャルルはにやりと笑って、甥っ子の頬を軽く叩いた。彼はアランに目を向けた。「やあ、兄上。すごく似合ってるではないか」
「だが、暑い」アランは顔をしかめていった。
「おしゃれは我慢と聞くぞ?」
アランはますます渋い顔をした。「お前も一度、スカートを穿いてみればいい。これは、結構蒸れるんだ」
「吾輩に合うドレスがあるとは思わんがね」シャルルは肩をすくめた。「モランから、これの目的は聞いているな?」
ジャンとアランは揃って頷いた。
「パレードは、王都の大通りをぐるりと巡って、またここへ戻ってくる。急なふれで街の連中も大して集まってはいないとは思うが、せいぜい笑顔を振りまいて彼らを喜ばせてやってくれ。そのあとは、お楽しみの宴会を開く」
アランが眉を吊り上げた。「我々に、そんな時間は――」
「父さん」ジャンは言って、人差し指を唇に当てた。「もちろん、陛下はちゃんとわかってるよ」
シャルルはジャンを見て、片目を閉じて見せた。「ついでに、街の居酒屋には王宮の食糧庫からパンと肉と酒を、ジャンの命令と言うふれこみで昨夜のうちに配っておいた。彼らには今日一日、街の人たちに格安で料理を振る舞うように命じてある。きっと、むこう一週間くらいは、太っ腹な王子を讃える声が、町中に響き渡るに違いない」
ジャンはため息をついた。「子どもたちには、お菓子を配ってあげるといいよ。とびきり甘いやつを?」
「もちろん、それも手配済みだ」シャルルはにやりと笑って言った。「さて、さっさと出発してくれ。三十分もあれば戻って来られるだろう。吾輩は中で待っている」彼はくるりと踵を返し、二、三歩行ったところで振り返った。「剣は降ろした方がいいぞ、兄上。そのドレスには合わんからな」
アランは、しぶしぶと言った様子で、背中の剣を外した。それを見届けると、シャルルは満足そうに頷いて見せてから、宮殿の中へ戻って行った。
ジャンは、アランとカトリーヌを見てから肩をすくめ、馬車へ乗り込んだ。馬車の中には二人掛けのシートが向い合せにあって、ジャンは後方のシートに腰を降ろし、向かいのシートにはアランとカトリーヌが座った。
「君も来るの?」ジャンはカトリーヌにたずねた。
「当たり前でしょ」カトリーヌは笑って言った。「なんのために、おめかししたと思ってるの?」
騎士たちが騎乗し、一騎が槍の穂先を真っ直ぐ掲げながら、門を目指して進み始めた。ジャンの馬車の着飾った御者が手綱を振り、その後を追った。残りの騎士たちは二騎ずつ並んで馬車のあとからついて来た。王宮の門にたどり着くと、そこには大勢の人たちが集まり、沿道に人垣を作って「ジャン皇太子殿下、万歳!」と叫んでいる。ジャンは急いで笑顔を作り、人たちに向けて手を振った。そして、彼はこっそりと言った。「陛下は、大して集まっていないって言ったよね。僕の聞き違いかな?」
「いや、私も聞いた」アランは言った。「確かに、それほど多くはないな」
「僕の村のみんなが集まったって、この半分にもならないよ?」
「ここは大都市なんだぞ、ジャン?」アランは思い出させた。
パレードが門を抜け、街中に入ると、頭上からいい香りのする花びらが降ってきた。見上げると、建物の二階や三階の窓から子供たちが顔をのぞかせ、「王子様、お菓子をありがとう」と言いながら、手に提げたかごから花びらを放り投げている。ジャンが手を振ると、男の子はしかつめらしく敬礼し、女の子は頬を染めて嬉しそうに手を振り返した。
「ねえ」と、ジャンはうんざりして言った。「父さんも、こんなことをしたの?」
「殿下」カトリーヌが、とがめるように言った。彼女は、アランをちらりと見やって言った。「こんなに可愛らしい女の子をつかまえて、父さんだなんて呼んでたら、みんなから変に思われるわよ?」
「でも」と、ジャンは口答えした。「父さんは父さんなんだから、しようがないじゃないか」
もちろんジャンも、自分が妙な事を言っているのはわかっている。しかし、見た目が女の子であろうと、アランは紛れもなく、ジャンが赤ん坊の頃に姿を消した父なのだ。ついでに言えば、彼女は先の国王ジャン=アランであり、人たちが救世の英雄と称する、剣王アランでもある。
「それでも、だめよ」カトリーヌは取り付く島もなかった。「仲間内以外では名前で呼ぶように。いいわね?」
「わかったよ」ジャンは渋々承知した。彼はアランに目を向けた。「さっきの質問なんだけど?」
「もちろん、私が皇太子になった時も、こうやって市中を引き回されたものだ」アランは頷いた。「しかし、お前は私より、ずっとうまくやっていると思うぞ」彼女は、ジャンに向かって熱心に手を振る少女たちに、目を向けて言った。少女たちは、ジャンより二つ、三つ年上のように見えた。ジャンは彼女たちに手を振り返し、ひとつ頷いて見せた。少女たちは顔を真っ赤にすると、仲間内で手を取り合い、ぴょんぴょん飛び跳ねて喜んだ。その様子を見て、アランは肩をすくめた。「私はあんな風に、きゃあきゃあ言われた覚えがない」
「あら、そうでもないわよ」と、カトリーヌ。「あたしが見たのは即位式のパレードだったけど、たくさんの乙女が、あなたを見てうっとりしてたもの」
するとアランは、不意に渋い顔をした。「あの日はパレードの後で、マリーがひどく機嫌を損ねたんだ。ひょっとして、それのせいか?」
マリーと言うのは、ジャンの母親の名前だった。彼女はジャンが三歳の頃に病気で亡くなっていたから、ジャンには母親の記憶がほとんどない。まさか、こんな形で、母の人となりの一端を知ることになろうとは、思ってもみなかった。
「そうかも知れないわね」カトリーヌはにっこり笑って言った。「でも、あなたの場合、町の女性よりも王宮の兵士に多くの人気があったことが、もっと厄介だったの」
アランは片方の眉を吊り上げた。
「ジュベール大尉もそうだけど、あなたはよく練兵場で兵士たちに稽古をつけてたでしょ。一兵卒も士官も分け隔てなく?」
アランは頷いた。
「おかげで王宮付きの兵士はみんな、あなたを個人的に慕っていたの。だから、シャルルが玉座を継いだときは、それを不満に思った兵士たちがクーデターを起こす寸前にまでなったわ。シャルルが二、三人の士官に、あなたの秘密を明かして、ようやく事態を治めることができたけど、対応を誤っていたら、アルシヨンは王のいない国になっていたかも知れないわね」カトリーヌは、ふと眉を寄せて続けた。「あなたが議会で言った王冠への忠誠は、大抵の人たちにとって難しいことなんじゃないかしら。結局のところ、あたしたちは何かじゃなくて、誰かにしか思いを向けられないんだから」
アランは、目をすがめてカトリーヌを見た。「その頃のお前は、今のジャンよりもずっと年下だったはずだ。なぜ、そんなことを知っている?」
「あたしは密偵よ」カトリーヌは思い出させた。「それに、モランは優秀な先生だったの」
「皮肉な話だな」アランはため息をついた。「メーン公爵は不忠から謀反を起こし、逆に兵士たちは忠義から王に逆らった」彼女はジャンに目を向けた。「私は、どうすればよかったんだ?」
ジャンは、しばらく考えてから答えた。「シャルルおじさんに王様の位を渡そうとする前に、みんなから愛想を尽かされるような、馬鹿な真似でもしておけば良かったんじゃないかな。わがまま放題をするとか、理不尽なことで家来を叱りつけるとか。自分の肖像画を隠すよりも、ずっと効果的だったと思うよ?」
アランは、きょとんとして息子を見つめた。「魔王を殺しに行く前に、お前に相談しておけばよかったな」
「たぶん、そんなことをしたら、寝てるところを起こすなって、母さんに怒られてたと思うな。僕がもう、生まれてたらだけど」ジャンは首を傾げてアランを見た。「マルコおじさんには相談しなかったの? 彼ならきっと、同じアイディアを出したと思うけど」
「あいつは譲位に反対だったんだ。もちろん、魔王退治もな」アランは肩をすくめた。
「おじさんは意見が合わないとか、嫌いだからとか言う理由で、家来の務めを忘れるような人じゃないよ」ジャンはきっぱりと言った。「その証拠に、母さんのことで嫌っていたシャルル陛下を、議会でちゃんと助けてたでしょ?」
アランは目をぱちくりさせた。
ジャンは、ふと首をひねった。伯父はどうして魔王退治に反対だったのだろう。しかし、よくよく考えてみれば、マルコがそうするのは当然だった。アランが正体を明かす前、ディボーの事件を聞いたシャルルは魔王の復活を疑い、魔界へ軍を差し向けるつもりでいた。おそらく十数年前のマルコも、同じことを考えただろう。なにもアランが一人で魔王に立ち向かう必要はなかったのだ。
「そもそも、どうして父さ――アランが、魔王退治なんて引き受けなきゃいけなかったの?」
しかし、アランが答える前に、カトリーヌが「殿下」と言った。彼女は笑顔を浮かべていたが、その目はまるで笑っていなかった。「笑顔」
ジャンは慌てて王族の笑みを浮かべ、沿道の人々に手を振った。彼は、スイの気持ちが少しだけわかった気がした。
馬車は王都をぐるりと巡り、王宮へと戻って行った。ジャンたちが宮殿に入るなり、玄関ホールで待ち構えていたモランが、彼らを厨房へと連れて行った。厨房には、ジャンを裸にひん剥いた例の女中が待ち構えており、テーブルの上には二人分の服が畳んで置いてあった。
「こちらでお召し換えください」と、モラン。
「どうして、厨房で?」ジャンは首を傾げた。
「勝手口があるの」カトリーヌが説明した。「それを使えば、人目を避けて外へでられるでしょ?」
「そっか」
「二人とも急いでね。あたしは、別の部屋で着替えてくるわ」そう言って、カトリーヌはモランと連れ立って厨房を出て行った。
テーブルの上の服を広げて、ジャンはほっとため息をついた。それは、トレボーの牡鹿亭で貰った町民風の服だった。初めてこれに袖を通したとき、ジャンはひどく落ち着かない気分になったものだが、今着ている上等すぎる服よりは、ずっとましだった。王宮のお仕着せは、一挙手一投足に気を付けないと大惨事を引き起こしそうだし、なにより王族がよく身に着ける鮮やかな青は、自分には似合わないと思っていたからだ。
アランは女中の手を借りてさっさとドレスを脱ぎ、いつものイゼル風のワンピースに着替えた。下着だけがぽつんと残されているのを見て、ジャンは目を三角にして言った。「下着を着けてって言ったよね?」
アランは渋い顔をした。「シャルルにも言ったが、スカートは蒸れるんだ」
「それでも、隠すべき場所は隠したほうがいいと思うよ?」
「あの」女中が口をはさんだ。「急ぐようにと仰せつかっておりますので」
「わかったよ」ジャンはしぶしぶと言った。あまりもたもたしていては、また脱がされかねない。「でも、君はここを出て行くか、せめてあっちを向いててくれないかな?」
使用人は慎ましくジャンに背を向けた。
ジャンが着替えを終え、最後にマントを羽織ってからしばらくすると、扉がノックされた。女中が扉を開けると、カトリーヌが顔を見せた。彼女は赤いドレスから、町民風の地味な服に着替えていた。あとには、なぜかシャルルが続き、それからモランと見知らぬ赤い髪の少年が厨房へ入ってきた。モランは、二の腕ほどの長さの白い布の包みを携えていた。
「何しに来たんだ?」アランは首を傾げて異母弟にたずねた。
「兄と甥っ子が旅立とうと言うのに、見送りをせぬわけにもゆかぬだろう?」シャルルは笑って言った。彼は赤毛の少年を指してから続けた。「それに、彼を紹介しておこうと思ってな」
少年は前に進み出て、ジャンにお辞儀をした。「ロロともうします、殿下」
「ロロは、吾輩の母の妹の息子でな。つまり、吾輩のいとこと言うわけだ」シャルルが説明した。
「よろしく、ロロ」ジャンは少年と握手を交わし、首を傾げた。彼は何のために、ここへ連れてこられたのだろう。
「僕は身代わりです。殿下が無事に王都を離れるまで、僕が皇太子殿下のふりをするんです」そう言ってロロは服を脱ぎ始めた。「殿下の服、お借りしますね」
ジャンは素早くモランを見た。
「彼が危険な目に遭うことが無いよう、手配は済んでおります」
「髪はどうするの?」ジャンは、自分の淡い金髪を指して言った。「これは貸せないよ?」
「かつらを用意しております」モランが目配せすると、カトリーヌはにやりと笑い、背中に隠していた金髪のかつらをジャンに見せた。
「用意周到だね」ジャンは感心した。
「そうあるように心がけております」モランは言って、深々と頭を下げた。それから彼はジャンに歩み寄り、包みを差し出した。ジャンはそれを受け取り、首を傾げて見せた。
「クセの短剣でございます」と、モラン。
それは、ジャンの恋人の心臓を刺し貫き、彼女の命を奪った忌まわしい武器だった。
「どうして?」と、ジャンはたずねた。
「あまり気分はよくないだろうが、イゼルへ持っていって詳しく調べて欲しいのだ」シャルルが答えた。「吾輩の方でも少し調べてみたが、さっぱり手掛かりがつかめなかった。人に化けた魔物の正体を明かす武器など、誰も聞いたことがない。出所が魔界であれば、ゼエル殿が何か知っているやも知れん。あるいは、魔族との戦いに役立つこともあるのではないかな?」
ジャンはうなずき、短剣の包みを抱きしめた。
不意に厨房の扉がノックされた。その場にいた全員がぎょっと扉を見た。モランが唇に人差し指を当て、静かにするよう合図すると、厨房の扉にそっと歩み寄ってノブに手を掛けた。
「モラン」と、扉の向こうから男の声が聞こえてきた。「開けてくれ、まずい事になった」
「ピエール?」モランが扉を開けると、平民の服を着た若い男が滑り込んできた。彼は、ひとつ息をついてから言った。「メーン公爵が殺された」
「やられた!」カトリーヌがぴしゃりと額を叩いた。「ユーゴのしわざね?」
「おそらく」モランは苦り切った顔でうなずいた。「可能な限り、この件を伏せるしかありません。爵位の継承が公然となるのを、なるべく遅らせるように手を打ちましょう」
「しかし賊は、どうやって侵入したんだ?」ピエールは苦々しい様子で言った。「そりゃあ、女の追跡とパレードの警備に人手を割いたせいで、宮殿が手薄になっていたのは確かだが、簡単に侵入を許すほどじゃなかったはずだ」
「ユーゴは手強い相手なの」カトリーヌは言った。「ひょっとすると彼は、そのためにクセを南へ向かわせたのかも知れないわね。あたしたちが彼女へ注目している間に公爵を暗殺して、まんまと逃げ出すために」
シャルルは顔をしかめた。「どうやら、吾輩の知らない何かが起こっているようだな?」
「パレードの前に、私とモランとジャンの三人で、少し話し合ったんだ」アランは言って、カトリーヌに目を向けた。「彼女は外で立ち聞きをしていたようだが」
カトリーヌはにやりと笑ってお辞儀した。
「それで?」と、シャルルは先を促した。アランはうなずき、ジャンの考えを話して聞かせた。
「彼らは公爵の身柄よりも、爵位を選んだわけか」シャルルはジャンに目を向けた。「読みが外れたな?」
「プロには敵わないってことさ」ジャンは肩をすくめた。
「いや、君がその可能性を示してくれなければ、我々はユーゴの意図をはかりかねて、右往左往していただろう」そう言ってから、シャルルはふと眉をひそめた。「あるいは、ユーゴは死んだ公爵ではなく、はなから息子に仕えておったのかも知れんな」
「まさか」ジャンはぎょっとした。「自分の父親を殺せって、ユーゴに命令したの?」
シャルルはうなずいた。「もし、メーン公爵が計画通り皇帝に即位し、それから不慮の死を遂げたとすれば、帝位は誰のものになる?」
ジャンはあ然として叔父を見つめ、しばらくそうしてから、ようやく言った。「新しい公爵は、僕と変わらない齢なんだよね?」
「ああ、確か」シャルルは思い出すように宙を見た。「十四かそこらだ。名前は、マリユスと言ったかな」
いくら巨大な権力を手に入れるためとは言え、肉親の命を代償に差しだすなど、ジャンにはまったく理解できないことだった。しかも、それを考えたのは自分と同じ年頃の少年なのだ。
「もちろん、マリユス本人の考えとは限らんがな。彼を傀儡にして、うまい汁を吸おうと考える輩がいてもおかしくはない」
「まあ、そっちは任せる」アランが薄情にも言った。「このあとの手はずは?」
「勝手口の外に馬を繋いである」シャルルは言った。「兄上たちは、それに乗って、西門の外にいるマルコたちに合流してくれ。王宮の門を開放して街の人たちを集めているから、人ごみに紛れて外へ出るといいだろう。吾輩とロロは、そっちの当たり前の出口からバルコニーへ向かい、民衆に愛想を振りまいてくる」彼は表情を引き締め、兄に手を差し出した。「イゼルを頼む、兄さん。まだ手紙のやりとりしかしていないが、ゼエル殿は吾輩の友だちなのだ。どうか彼と顔をつき合わせて酒を飲む機会を作ってくれ」
「わかった」アランは手を握り替えした。「しかし、それを頼む相手は私ではない」
シャルルは苦笑を浮かべ、甥っ子に目を向けた。「ジャン、頼んだぞ」
「うん、がんばるよ」ジャンはうなずいた。
「お互いにな」シャルルは片目を閉じて見せた。
こうして、平民に身をやつしたジャンたちは、厨房の勝手口から宮殿の外に出た。そこには鞍を付けた馬が、三頭用意されていた。これもまた、モランの手配なのだろうか。だとすれば侍従は、ジャンが馬に乗れないことを知らなかったに違いない。
「ジャンは、あたしの馬に乗って。アランは余った馬を引いてちょうだい」カトリーヌはてきぱきと指示を下し、一頭の馬に飛び乗った。
ジャンは、カトリーヌに引っ張り上げられるようにして、彼女の鞍の前に乗り込み、アランも自分の馬に乗り込んで、ジャンが乗るはずだった馬の手綱を鞍に結びつけた。彼らは馬を進めて街中に入り、西門を目指した。通り過ぎる人たちは、ジャンが午前中に彼らの前をパレードした皇太子だとは、気付いていない様子だった。
王都の西門を抜けて少しばかり進むと、街道の端にとまる一台の荷馬車が見えた。馬車の側らには騎手を乗せた馬が数騎あった。最初に目に入ったのは、全身緑ずくめの男だった。大きなダチョウの羽が揺れる帽子を被り、背にはリュートを負っている。彼はジャンたちをみとめると、愉快な笑顔を模った仮面を向けて大きく手を振った。
「ジロー」と言って、ジャンは仮面の男に手を振った。カトリーヌは馬の脚を速めて、馬車の一団に駆け寄った。
ジローと馬を並べているのは、灰色のマントに身を包んだ黒髪の小男だ。彼は射貫くような鋭い目を向けてくるが、それは別段、ジャンたちに敵意や害意を持っているわけでなく、単に彼の生まれつきのものだった。
「ずいぶん遅かったじゃないか」目付きの悪い男が言った。
「あらまあ」と、カトリーヌ。「あたしがいなくて寂しかったの。カラス?」
「そうだな」カラスは肩をすくめた。「もうちょっと遅かったら、またぞろジャンを誘拐して逃げ出したんじゃないかと疑うところだった」
「そんなことしないわよ」カトリーヌは唇を尖らせた。
ジャンは鞍から飛び降りて、馬車に向かった。馬車の側には禿頭の巨漢がいて、御者台にいる農民の服を着た太った男と談笑していた。
「やあ、ジャン」と、禿頭の男は言った。「パレードは楽しめたかね?」
ジャンは肩をすくめた。「観客は楽しそうでしたよ、大佐」
「カルヴィンでかまわんよ」大佐は片目を閉じて見せた。「見ての通り、今は軍服じゃないからな」その言葉通り、彼はジャンと同じような都会風の平民の服を着ていた。「それに」と、カルヴィンは続けた。「ここはまだ街に近い。カラスが辺りを嗅ぎまわってくれたが、ひょんなことで誰かの耳に入らないとも限らないだろう?」
ジャンは神妙にうなずいてから、御者台に登った。
「それはなんだ?」先に御者台の太った男が、ジャンの抱える細長い包みを見て訊いてくる。
「シャルルおじさんに頼まれたんだ」ジャンは、魔族の短剣が入った包みをぎゅっと抱きしめた。「あとで説明するよ」
マルコは片方の眉をつりあげたが、何も言わなかった。
アランが馬車に馬を寄せて言った。「出発しよう」
マルコはうなずき、手綱を揺らして馬車をすすめた。馬車は、ごとごとと街道を進み始めた。ジャンは、細めた目で行き先を見つめながら言った。「村を出た時と一緒だね」
「それは、どうかな」マルコは笑った。「荷台にキャベツは積んでいないぞ?」
「何もかも同じってわけにはいかないさ」ジャンはぐるりと仲間を見渡し、最後に馬車と並んで馬を進めるアランへ目を向けた。息子の視線に気付いたアランが、ふとジャンを見て微かに笑みを浮かべた。ジャンも笑みを返し、再び顔を前に向けた。道は、どこまでも続いていた。




