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プリンセスコード  作者: 烏屋マイニ
魔王の復活
15/46

15.旅立ち

 ジャンが見る限り、シャルルの言葉をまともに取りあう議員は、一人もいなかった。みな隣り合った者とひそひそ話し合うか、あきれた様子で苦笑を浮かべるばかりだ。ジャンも、そんな彼らの意見に賛成だったし、議長も同様だった。

「陛下」と、議長がとがめるように言った。「それに、大尉。いささか冗談が過ぎますぞ」

「あいにくと、吾輩は本気だ」シャルルは言った。

「すると私は、陛下の正気を疑うしかないようですな」議長はむすっとして言った。

「それは、さすがに不敬ではないかね?」シャルルは傷付いた顔をした。

「しかし、あのような娘をつかまえて、先王陛下だと仰っても誰が信じましょうか?」

 大尉が一つ咳払いした。「太刀筋です、議長閣下。私は過去に、先王陛下の剣を拝見する機会がございまして――いや、実を申せば私から手合わせを申し出たのですが、先ほど彼女が玉座を叩き切ったのとそっくり同じ太刀筋で、私はこてんぱんにのされてしまったのです。木剣だったとは言え、我が身に刻んだ剣なので見誤るはずがございません」

「その割に、気付くのが遅れたようだが?」アランが玉座壇の上から、笑いながら口を挟んだ。

「そんな身なりをされておいででしたので、しばらく我が目を疑っていたのです」大尉は真面目な顔で言った。「しかし五年間、毎日叩きのめされて得た経験を信じることにしました」

「そんなに?」ジャンは目を丸くした。

「ああ」アランは渋い顔をして頷いた。「それで、とうとううんざりした私は、忙しくなればもう来ることもないだろうと思って、彼に嫁を見付けてやったんだ。そして娘が産まれると、ぱったり顔を見せなくなった」

「寂しかったですか?」大尉はにっこりと笑って言った。

「最初の二、三年はな」アランは肩をすくめ、ジャンに目を向けた。「しかし、しばらくして私にも息子が産まれたから、それどころではなくなった」

 それでジャンは、アランを剣王だと指摘した、シャルルの言葉が示す別な意味に気付いた。彼は素っ頓狂な声を上げた。「父さん?」

「そうだ」アランは、しかつめらしく頷いて見せた。「私は、お前の父だ」

「何かの冗談だよね?」

「もちろん、本気だ」

 ジャンが見る限り、アランにふざけている様子は見えなかった。しかし、物心付く前に姿を消した父が、小さな女の子になって戻って来るなど、あまりにも馬鹿げた話だ。ジャンは伯父に目をやった。彼なら、このくだらない状況を笑い飛ばしてくれるに違いない。

「ジャン」と、マルコが言った。「信じられないかも知れないが――いや、私もまだ信じられないが、彼女は間違いなく剣王だ」

「まさか、おじさんも太刀筋がどうとか言うの?」ジャンはうんざりしてたずねた。

 マルコは頷いた。

「ねえ」ジャンはため息をついた。「たぶん、おじさんと大尉は剣の達人だから、そんなことで彼女が僕の父さんだってわかるのかも知れないけど、僕も含めてここにいる人たちには、もっとはっきりした証拠が必要だと思うよ?」

 マルコと大尉は顔を見合わせた。

「まったく、殿下の仰る通りだ。私の剣の腕前は、人並みに毛が生えた程度だから、太刀筋で人を読むと言う芸当など、出来ようはずもない」議長はシャルルを見て、無言で彼に答えを求めた。

「もちろん、吾輩とて達人と言えるほどの腕前ではないが、幼い頃から兄さん――」シャルルは咳払いした。「兄上に稽古をつけてもらった身であれば、マルコや大尉の言い分が、的外れではないこともわかる。しかし、何よりも兄上は、十三年前にも玉座を真っ二つにした前科があるのだ。吾輩は、これ以上の証拠はないと考えている」

「それじゃ、だめだよ」ジャンは首を振った。「この場で僕の父さんに、玉座を真っ二つにする癖があるのを知ってるのは、陛下とマルコおじさんと僕だけなんだ」ジャンは、アランに目を向けた。「もちろん君は、何か考えがあって、そこに上がったんだよね?」

 アランは肩をすくめた。「私はお前のおじさんたちに、私との約束を思い出してもらおうと思っただけだ」

 ジャンは頭を抱えた。彼女が本当に剣王なのだとしたら、シャルルが国王になったことは、この国にとって幸いだったのかもしれない。こんな風に行き当たりばったりで、事を決めるような王では、いずれ災厄を引き起こすに違いないからだ。少なくともシャルルには、この十数年を無事に乗り切った実績がある。

「困ったことになったな」カトリーヌとジローを引き連れて、苦笑を浮かべるカラスがやって来た。

「あなたは、最初っから知ってたんだね?」ジャンは口をへの字に曲げて見せた。

「まあな」カラスは肩をすくめた。「しかし彼は、正体を明かさないつもりでいたのに、どうして急に考えを変えたんだ?」

 ジャンには心当たりがあった。「たぶん、僕のせいだ」

「ほう?」カラスは片方の眉を吊り上げた。

「僕が魔界へ行きたいって、彼女に言ったからさ。そしてアランは、陛下とマルコおじさんを説得するって約束してくれたんだ」

「なんだって?」マルコがぎょっとして言った。

「後で話すよ」話がややこしくなる前に、ジャンは急いで言った。

「それで、玉座を真っ二つにしたってわけか。旦那らしいと言えば、らしいが」カラスはため息をついてアランを見た。アランは素知らぬ顔をした。

「もっと、穏やかな方法で説得するつもりだったって、本人が言ってたのを忘れたの?」ジャンはカラスに思い出させた。彼は二人のおじ(・・)をじろりと睨んだ。「おじさんたちが、僕を王様なんかにしようとするから、こんなことになったんだよ。たぶん、メーン公爵みたいな反逆者を、これ以上出さないために、英雄の息子って言う僕の立場を利用しようと考えたんだろうけど」

「その、なんでも見透かす癖は控えろと言わなかったかね?」シャルルは渋い顔をした。「君を利用しようと考えたのは確かだが、何より君を王にしてしまえば、魔族もおいそれと手を出せなくなると考えたのだ。王をどうにかしようとするなら、暗殺するか戦争でも仕掛けるしかないからな」

「そして我々の相手は、その両方を実行に移せるだけの組織かも知れないんだ」マルコが補足した。「イゼルの国王が、わざわざアルシヨンに助けを求めると言うのは、そう言うことだ。そんな連中の前に、お前を無防備のまま放り出せるわけがないだろう」

「それなら別に、皇太子のままでも構わなかったんじゃないの?」

「いや」マルコは首を振った。「今度は、お前を担ぎ上げて、シャルルから玉座を奪い取ろうと考える輩が現れるだろう。そこを、またクセのようなやつに突かれたらどうする?」

「あ、そっか」ジャンは、そのことをまったく考えていなかった。もう少し、自分が重要人物であることを、自覚した方がよさそうだ。

「しかし、吾輩がさっさと王冠を脱いでしまえば、その口実も無くなるからな。名案だろ?」シャルルは、にやにやしながら言った。しかし、彼の頭に王冠は乗っていなかった。玉座壇から転げ落ちた時に、どこかへ落っことしたのだろう。

「だったら、彼女を剣王だなんて宣言しないで、さっさと捕まえればよかったんだ」ジャンはむすっとして言った。「一つの国に王様が三人もいるなんて、馬鹿げてるよ」

「最初に言い出したのは大尉だぞ?」シャルルは部下に責任を押し付けた。

「陛下と私では、言葉の重みが違いますから」大尉は涼しい顔で言った。「いずれにせよ、彼女が先王陛下であるとわかった以上、私は彼女を捕らえたりはできません」彼は、不動の姿勢で命令を待つ兵士たちをちらりと見てから、ジャンに目を向けた。「それは忠義からと言うより、剣を持った剣王を取り押さえろなどと言う、無謀な命令で部下たちを死なせたくないからです」

「アランは、そこまでしないよ」ジャンはぎょっとして言った。

「俺なら、それに何かを賭けようとは思わないね」カラスは本気とも冗談ともつかぬ様子で言った。

「私が誰かなど、どうでもいい」アランが言った。「少なくとも、シャルルとマルコは納得したんだ。シャルルは今まで通り、王を続けろ。そして私とジャンは、魔界へ行く」

「父さんは黙ってて」ジャンはぴしゃりと言った。アランはぎょっとして口をつぐんだ。

 事は彼女が考えるほど、単純ではない。ジャンが現れたことで、シャルルは今、ひどく微妙な立場にあるのだ。確かに昨日はマルコのおかげで、シャルルの地位が先王の意思により、正式に譲り渡されたものであると、議員たちの理解を得ることができた。しかし、シャルルが庶子であることは動かしようのない事実で、先王の嫡子であるジャンが現れた今となっては、マルコが指摘したように、その地位を譲るべきだと言う声が、いずれ出ることは目に見えていた。つまり、ジャン自身が次のメーン公爵になりかねないのだ。そして、ジャンがいくら玉座を望まないと言っても、クセのような魔族に毒を吹き込まれた彼の支持者は、善意(・・)から王に歯向かう道を選ぶだろう。要するに、ジャンのふたりのおじ(・・)が考えた一手は、紛れもなく国にとっての最善手なのだ。ただし、それはジャンにとっての最善手ではない。彼は王になどなりたくなかった。本当は、皇太子になることだって願い下げなのだ。甘んじてそれを受け入れたのはスイがいたからだし、彼女が死んでしまった今は、彼女の故郷である魔界へ行きたいがためだ。王子の立場を利用して、ゼエルへの使節団に紛れ込むことこそが、彼の目的だった。ところがアランは、一時の怒りでそれを台無しにしてしまった。この状況をひっくり返す方法はただ一つ。みんなに、玉座を真っ二つにした女の子が剣王だと認めさせるしかない。その上でアラン自身に、シャルルこそが正当な王であり、彼に歯向かうことは自分への挑戦に等しいと宣言させるのだ。剣王の後見があれば、シャルルの治世に疑いをはさむ者も現れないだろう。

「一体、何が問題になってるんだい?」不意にジローが訊いてきた。

「陛下が、そこにいる女の子を剣王アランだと言ったせいで、彼は議会の人たちから頭がおかしいと思われてるんだ。でも、それは誤解で、彼の言い分が本当は正しいってことを、みんなに教えてやらなきゃいけないのに、誰もいいアイディアを出せずにいる」

「なるほど」ジャンが説明すると、ジローは背負っていたリュートを降ろした。「それじゃあ、私に何かできるかやってみよう」彼は言って、憂いを帯びた静かな曲を奏で始めた。初めは議場内の、ざわざわ言う人たちの声に紛れてかき消されていたその音だが、一人、また一人と口をつぐんで、吟遊詩人に注目する者が増えると、ついに議場の中に響く音はリュートの音色だけになった。

「それは最も新しく、恐らくは、この世で最後の英雄の話にございます」

 お決まりの口上から始まった物語は、誰もが知る剣王アランの英雄譚だった。こんな時に何をやっているのかとジャンはいぶかしむが、すぐに吟遊詩人の巧みな演奏と語り口に引きこまれてしまった。しかし、その物語は、以前ディボーで聞いたものとは結末が異なっていた。

 剣王は一騎打ちの末に魔王を倒した。そこまでは同じだ。しかし、魔王は最後の力を振り絞り、見えざる魔法の手で剣王の魂を掴み出すと、それをちっぽけなサファイアに変えてしまった。魂を奪われた剣王は力尽き、魔王と共に倒れ伏した。その時、英雄の最後を目の当たりにした囚われの姫君が、剣王の魂だった宝石を拾い上げ、賢者に訴えた。偉大な英雄を死なせてはならない。この魂をあるべき場所へ戻してくれ、と。しかし賢者は無情にも、死者に魂を戻す術はないと告げる。かくなる上はと姫君は、己の身を剣王の魂に預けると言いだした。剣王ほど偉大な英雄であれば、いずれは探索の果てに、己が身を取り戻す術も見付けられるであろうから、それまではこの身を存分に使え、と。姫の熱意に賢者は折れ、彼女の魂を深い眠りにつかせると、その身に剣王の魂を宿らせた。そして彼は、幼い姫として蘇った剣王に事の次第を伝え、姫の献身と勇気に心を打たれた剣王は、彼女の意志に応え、再び探索の旅へと向かうのだった。

「かくして、ひとつの冒険が終わり、新たな冒険が始まりました。そして、二つの魂をその身に宿した彼と彼女の冒険は、まさに今、みな様の目前にあるのです」

 ジローが最後の一弦を鳴らして深く一礼すると、わずかな間があってから議場は大きな拍手に包まれた。中には立ち上がり、涙を流す議員までいた。議長も目元にハンカチを当てているし、ジュベール大尉と彼の部下たちは、表情を変えずに突っ立っているように見えて、実は目に溜まった涙がこぼれないよう、議場の天井を見つめるのに必死だった。シャルルとマルコも、そろって目頭を押さえている。

 ジローの見事な技術に与るところが大いにあったにせよ、とかく男と言う生き物は、健気な少女の献身に弱いのだ。もちろんジャンも、少なからず感銘を受けた一人だが、不満げに口をへの字に曲げるアランを見て、これがまったくの作り話であることに気付いた。しかし、これはチャンスだった。誰かが今の話を、本当のことだと保証すればよいのだ。しかし、誰がそれをできる?

お見事(ブラボー)!」

 いまだ拍手と喝采がやまぬと言うのに、その声は驚くほどよく響いた。ジャンが声のした方を見ると、いつの間にか議場の扉が開いていて、そこには白いローブを着た老人が立っていた。老人の髪は真っ白で、それは背に垂れるほど長く、流れる雲のようにゆるく波打っていた。彼のすぐ隣には禿頭の軍人がいた。カッセン大佐だった。

 老人は何もない空中から真っ白なハンカチを取り出し、それで目元を拭ってから大きな音を立てて鼻をかんだ。彼がハンカチを背後に放り投げると、それはたちまち消え去った。老人はつかつかと議長席の方へやって来て、ジローに右手を差し出した。

「素晴らしい。実に素晴らしい語りようだった!」

「いえいえ、とんだお耳汚しを」ジローは老人の右手を握り返した。「それで、あんたはどこのじいさんかね?」

「彼については、私から紹介しよう」にやにや笑いのカッセン大佐が言った。

「こんなところで何をしているんだ、カルヴィン?」マルコはいぶかしげに親友を見て言った。

「そこのじいさんに随伴を頼まれたんだ」

 マルコは、老人の顔をしげしげと見て、不意に目を見開いた。「あんたは……」

「おいおい。彼の正体を明かして、私の仕事を奪わないでくれよ?」カルヴィンはでぶの親友の言葉を遮り、議長に目を向けた。「ひとまず、みんなを静かにさせてくれないか?」

 議長は頷き、議長席へ着いて声を張り上げた。「静粛に!」

 議員たちはジローへの拍手喝采をやめた。議長は禿頭の軍人を指して、街道警備隊トレボー駐屯地連隊長のカッセン大佐であると紹介し、彼の話に耳を傾けるよう議員たちに求めた。

「諸君」と、大佐は言った。「我々は十年前、この場所で、魔王が討ち倒され世界に平穏が訪れたことを知った。その素晴らしいニュースをもたらした、この老人のことを、諸君らは覚えているだろうか。こつ然と議会に現れ、また魔法のように消え去った彼を?」カルヴィンは言葉を切り、たっぷり間を置いてから続けた。「彼こそはザヒ老師。剣王アランに魔王の存在を明かし、彼を勝利へと導いた偉大なる賢者である」

 議場にどよめきが起こった。議長が再び静粛を求めるが、議員たちの興奮はなかなか収まらない。つい先ほど聞いた物語の登場人物が、現実に現れた不思議に、誰もが驚き畏怖を覚えているようだった。しかし、カルヴィンが場所を譲り、白髪の老人がずいと前へ進み出ると、彼らはぴたりと口を閉ざした。

「さて。先ほどの素晴らしい物語について、いくつか言っておかなければならんことがある。かの英雄譚に事実の裏打ちがあったとしても、所詮は耳を楽しませるための作り話であることは、みなも知っての通りだ。全てを鵜呑みにできないことも、良識ある大人であれば、もちろん心得ているだろう。しかし裏を返せば、その中にはいくらかの真実が隠されているとも言える。かの物語の登場人物の一人である私なら、脚色や演出を取り除き、真実のみを明かすこともできるが、それではせっかくの物語を台無しにし、この場にいる多くの者の楽しみを奪い去ることになる。しかし、物語への不敬と君たちへの残酷な仕打ちを承知の上で、私はひとつの真実を諸君らに明かさねばならん」老人は一度言葉を切り、議員たちをぐるりと見回してから続けた。「諸君らがよく耳にする物語は、英雄が姫と言う伴侶を得て、我々の前から姿を消すと締めくくられているはずだ」

 何人かの議員がこくこくと頷いた。

「これは、人たちの好奇が、剣王の次なる探索の邪魔にならぬよう、彼の仲間である我々が広めた真っ赤な嘘である。真実は、ここにいる仮面の吟遊詩人が、先ほど語った通りで相違ない」

 ジローが滑稽な仕草でお辞儀をすると、ふたたび議場にどよめきが起こった。

「すなわち」老人は声を張り上げ、議員たちを黙らせた。「諸君らの前に、剣を携えて立つこの少女こそ、名も無き姫の身体を借りた剣王その人である。彼は祖国が危機にあると言う私の警告を受け、自らの重大な使命をひとまず脇へ押しやり、ここへ駆けつけたのだ。そうして魔王の眷属と称する輩の陰謀を、見事退けて見せた。ところが諸君らは、その働きぶりを前にしてもなお、彼女をただのちっぽけな愛らしい少女としか見ていない。そして彼女の正体をいち早く見抜き、諸君らにそれを明かした賢き王を、まるでたわごとを叫ぶ狂人であるかのように嘲笑っている。議会とは、ぼんくらの集まりなのか? そうではあるまい。諸君らは真実を直視せねばならん。なんとなれば王国に迫る危機は去っておらず、魔族の企みを阻止せぬ限り、さらなる脅威となって我らに襲い掛かるからだ。はっきりと告げよう。魔族は、死した魔王を蘇らせようとしている。彼らはすでに主の屍を千に分け、自らの体内でその命を日々養っているのだ。彼らが主の魂を冥府より取り戻した時、魔王は再び世界にその汚れた手を伸ばすだろう。しかし、今の剣王に魔を断つ力はない。例え魂が偉大な英雄であろうと、肉の身体はか弱き姫君にすぎないからだ。諸君らは、疾く彼を本来の使命へと送り出さねばならん。剣王が魔王を打ち滅ぼす肉体を手に入れるのが先か、あるいは魔王が自らの魂を取り戻すのが先か。すでに、物騒極まりない競争レースは始まっている。我らが負ければ、魔王はやすやすと仇敵を打ち滅ぼすだろう。それはすなわち、世界の敗北なのだ」

 老人が話し終え一歩さがると、議員たちは隣り合う者同士、盛んに議論を始めた。

「やれやれ」老人はため息をついた。「今度は私の真贋を疑い出さなければいいんだがな」

「あんたも言ったが、彼らはぼんくらではない」禿頭の大佐が言った。「少なくとも、魔族と言う脅威を目の当たりにしてるのなら、今の話を聞けばどうすればいいか、すぐに気付くさ。例えあんたを、怪しげなじいさんだと疑っていてもな」

「それが出来なければ、議会などあってもなくても同じだ」マルコがむすっとして言った。

「珍しくへまを踏んだな、マルコ」カルヴィンはにやりと笑って言った。「お前がいながら、議会がこれほどこじれるとは思わなかった」

「いろいろと予定外の事が起こり過ぎたのさ」マルコは玉座の方を顎で示した。「それに、私がでしゃばり過ぎると、シャルルをないがしろにしているように見えるからな。とにかく今は、どんな形であれ王の権威を損なうわけにはいかないんだ」

「それで、剣王の息子を王に据えようとしたわけか」

「いつから見ていたんだ?」マルコはいぶかしげにたずねた。

「ジャンを皇太子にしたあたりかな」カルヴィンは肩をすくめた。「あのじいさんはシャルルに何かを伝えに来たんだが、議会に出席中で不在だと言うから、広間の方で待ってたんだ。モランから昨日の乱痴気騒ぎについて聞いたあと、退屈だからと言って魔法で議会の様子を壁に映して見てた」

 マルコはぎょっとして老人に目をやった。ザヒはにやりと笑って片目を閉じて見せた。

「確かにジャンを王にするのはうまい手だが、そうなることを嫌って、彼を外国へ隠した剣王の前でやるべきではなかったな?」と、カルヴィン。

「まったくだ」マルコは認めた。「彼女が剣王だとわかっていれば、別な手を考えたさ。しかしアランは旅の間中、ずっと自分の剣技を隠していたんだ。私の目には、まったく別人に見えた」

 ジャンは二人の会話を聞いて、アランが正体を明かさないつもりでいたと言う、カラスの言葉を思い出した。どうして彼女は、正体を偽ろうなどと考えたのだろう。もちろん、いきなり「私はお前の父だ」などと言われてすぐに信じられるはずもないが、少なくともマルコには自身の剣で身の証を立てられたはずだ。しかし、彼女はそうしなかった。剣王には、自分が魔界で消息を断ったことにしておかなければならない、何か大切な理由があったのかもしれない。もしそれが、偉大な王の帰還と言う事実が、シャルルの治世に及ぼす影響を考えてのことであれば、彼女への評価を変える必要があった。

「彼がいようといまいと、お前なら剣王との約束を守りそうなものだがな?」と、カルヴィン。

「らしくないことをした報いと言うわけか」マルコは肩をすくめた。

「甥っ子の安全と、主君への忠義を天秤にかけたってだけだろう、伯爵?」ザヒが口を挟んだ。「アランなら、あんたのささやかな叛逆くらい許してくれるさ。なんと言っても彼の息子を慮っての行動なんだから」

「そう願いたいね」マルコはアランに目を向けた。つられてジャンもそちらを見ると、彼女は少し退屈そうに剣を弄んでいた。一言も口を挟もうとしないのは、黙れと言ったジャンの言い付けを真面目に守っているからだろうか。

「そろそろ、僕たちの方針をはっきりさせない?」ジャンは言った。

「どんな方針だ?」マルコはいぶかしげにたずねた。

「僕は皇太子のままで、王様はシャルルおじさんがこれからも引き受ける」

「私は今も、シャルルのアイディアの方がより安全だと思っている」マルコは頑なに言った。

「父さんは絶対にうんと言わないよ」ジャンは思い出させた。「それより、この場で彼女が正式に、シャルル陛下へ王様の位を譲るって言うべきだと思うんだ。そもそも、それを内緒でやったから、メーン公爵に付け込まれるようなことになったんでしょ?」

「実に聡明な少年だな」ザヒが感心した様子で言った。「君は、本当に剣王の息子か?」

「老師」ジャンは顔をしかめて見せた。「みんながみんな、『お前は誰だ?』なんて言い出したら、なんにも先に進みませんよ。どこかで折り合いをつけないと」

「まさに然り」老人はしかつめらしく頷いた。

「もちろん、おじさんやシャルル陛下がそうだと言っただけで、どうしてみんなが僕のことを剣王の息子だって信じてるのか、よくわかってないんですけど」

「君は自分の顔を見たことがないのか?」ザヒは目を細めて言った。「君の顔立ちは、母親に生き写しなのだ。そして、剣王の妻は彼女しかいないから、君の出自を疑うものはいないだろう」

 確かに、シャルルが飾っていた絵を見る限り、ジャンと彼の母はよく似ていた。しかし、誰かに似ていると言うことが、それほどはっきりとした身の証になるものだろうか。

「あーあ」シャルルが不意にため息をついた。「やっと、この重たいローブから解放されると思ったのに」

「あきらめろ、シャルル」マルコは王の肩を叩いた。「我々の負けだ」

「是非もあるまい」シャルルは苦々しく言ってから、きょろきょろと辺りを見回した。「はて、吾輩の王冠はどこだ?」

 ジャンは議員席の方へ目を向けた。議員たちは席を立ち、そこかしこに小さなグループを作って議論を続けていた。議長もそれを止めず成り行きを見守っている。

「これ、いつまで続くのかな?」ジャンは、誰ともなしにたずねた。

「議長次第だな」カルヴィンが答えた。「頃合いだと思えば、彼が採決を宣言する」

 ジャンは伯父に目を向けた。「ちょっと父さんと話してくる」

 マルコは頷いた。

 ジャンは玉座壇を駆け上った。「父さん」

「どうした?」と、アラン。

「僕たちの話、聞いてた?」

 アランは頷いた。「シャルルへの譲位が、私の意思によるものだと、この場ではっきりさせればいいんだな?」

「うん。でも、もう一押ひとおしした方がいいよ」ジャンは、こそこそとアランに耳打ちしてからたずねた。「うまくできそう?」

「私は王だぞ?」アランはにやりと笑って見せた。「王の主な仕事はしゃべる事なんだ」

 しばらくして議長が静粛を求めた。議場が静まり返ると彼は、玉座壇に立つ少女の正体が剣王アランであると認めることについて、異議の有無をたずねた。議員たちは大声で異議なしと唱和した。議長は振り返り、議会を代表してアランにこれまでの無礼を詫びた。アランは鷹揚に頷き、それから議場一杯に響き渡るほどの声で言った。「聞け!」

 議員たちは一斉に起立し、姿勢を正した。ジャンは何が起こったのかといぶかしむが、隣に立つアランを見て納得した。見掛けは愛らしい少女のままだと言うのに、彼女の威容はまさに、王者のそれだったのだ。

「諸君らは、一つの間違いを犯した。諸君らの忠誠は王冠と玉座に捧げるべきもので、玉座に座り王冠を戴く者が誰かなど、本来であれば諸君らの知ったところではないのだ。ところが諸君らは、これまで王を指してその適不適を考え、彼への忠誠を惜しんだ。王とは国家の体現だ。その王に対する不忠は国家への不忠に等しい。それがまかり通ると言うのであれば」アランは剣の切っ先で、真っ二つになった玉座を示した。「こんなもの、不要であろう?」

 議員たちは、叱られた子供のようにうつむいた。

「諸君らに告げる」アランは切っ先を議員たちに向けた。「私はシャルルに玉座と王冠を譲る。彼の地位に対して異を唱える者は心せよ。それは、我が剣への挑戦である」

 当然、議員たちから異論は出なかった。

「諸君らに問う」アランは議員たちを見据えたまま、切っ先をシャルルへ向けた。「諸君らが忠誠を誓うべきは誰か?」

 議員たちは、「アルシヨン国王」と唱和した。

「ならば、それを示せ!」

 たちまち議場は「アルシヨン国王、万歳! シャルル陛下、万歳!」と、王を讃える声にあふれた。

「まあ、こんなところだろう」アランはふんと鼻を鳴らし、玉座壇をつかつかと降りた。

「ねえ」ジャンは彼女を追い掛けながら言った。

「何か、まずかったか?」アランはぎょっとした様子で言った。

 ジャンは首を振った。「この上なくうまくいったよ。でも、僕らが今までやったことが、みんな無駄になった」

 アランは首を傾げた。

「ジローが物語を歌ったり、老師が演説をぶったりしなくても、父さんが一声上げれば、みんな納得してたんじゃないかってことさ」ジャンはぷりぷりして言った。

「しかし、黙っていろと言ったのはお前だぞ?」アランは思い出させた。

「そうだったね」ジャンは目をぱちくりした。「ごめんよ」

「気にするな」父は息子を許した。

「吾輩が、王をやりたくない理由の一つが、まさにこれなのだ」シャルルは議長席の下に転がり込んだ王冠を拾い上げ、それを頭にかぶりながら、ため息交じりに言った。「小さな女の子になっても、まるで王者の風格を失わない英雄と、四六時中比較されるのだぞ。まったく、ひどい話だ」彼は異母兄に目を向け、笑顔で言った。「お帰り、兄さん」

「ああ、ただいま」アランも笑顔で応えた。「しかし、ザヒが言ったように、私はまた旅に出なければならない」彼女は息子に目を向けた。「ジャンも一緒だ」

「魔界へか?」マルコが口を挟んだ。「あんたを毛の先まで憎む連中が、うようよしているんだぞ。そんな危険な場所へ、私がジャンを行かせると思うか?」

「お前がジャンの養い親でよかった」アランはにこりと笑った。「しかし、ジャンは全てを承知で魔界へ行くと決めたんだ。私は彼の意思を尊重する」

 マルコは甥に目を向けた。ジャンは頷いた。

「わかった」マルコはため息をついた。「細かいことはあとで話し合おう。今は議会を終わらせるのが先だ」

「兄上の演説のあとで気は重いが、吾輩も一言言わねば収まらぬだろう。さっさと行って片付けてくる」シャルルは言って玉座壇をのぼり、いまだに王を讃える議員たちを止め、彼らにユーモアを交えて演説を打った。威厳なんてものはほとんど感じられなかったが、それはひたすらに誠実だった。そしてジャンは気付いた。これもまた、王なのだ。

 シャルルが演説を終えると、議長が散会を告げた。ジュベール大尉はアランとシャルルの双方に敬礼してから部下を連れて引き揚げ、議長と議員たちも議場を去った。残されたジャンたちにシャルルは、謁見の間へ場所を換え、後のことを話し合おうと提案した。誰にも異論はなく、彼らは議場をあとにした。

 謁見の間に着くと、シャルルは当たり前のように玉座へ腰を降ろした。ジャンは、それを見たアランがにんまりと微笑むのを見た。

「おそらく、これで当面はこの国が揺らぐことはないだろう」シャルルが言った。「まあ、あと数年は」

「その程度か?」アランは眉をひそめた。

「感動はいずれ冷めるのだ」シャルルは渋い顔で頷いた。「それで、魔界へ行くのは誰と誰だ?」

 ジャンは手を挙げた。すぐにアランとカラスも手を挙げ、マルコも倣った。ジローとカトリーヌは手を挙げなかった。ジャンは、その事にひどくがっかりした。

「私も手を挙げたいところだが、アベルが腹を立てるだろうから止めておこう」カルヴィンはため息をついた。

「うらやましいか、友よ?」と、マルコ。

「ああ。このとしでも、冒険心は失っていないつもりだ」カルヴィンはにやりと笑って言った。彼は、ふと眉をひそめた。「しかし、ジネットは許してくれるのか?」

「説得するさ」マルコは渋い顔をして言った。彼は甥に目を向けた。「どこへ行くにせよ、一度村へ戻ろう。おばさんたちに黙って行くわけにはいかん」

「そうだね」ジャンは頷いた。

「あんたはどうする?」カラスは、ザヒにたずねた。

「もちろん、魔界へは行くとも。しかし、お前たちに同行するつもりはない。街道をのんびり歩いている暇はないんでな」ザヒはシャルルに目を向けた。「ゼエルが、同盟の件を急いでほしいと言っていた」

「向こうは、そんなに切羽詰まっておるのか?」シャルルは眉をひそめた。

 ザヒは頷いた。「多少は大げさに言っているところもあるが、魔王崇拝者たちの勢いが日に日に増しているのも確かだ。人心がすっかり離れる前に、ゼエルに手柄を立てさせてやってくれ」

「わかった」シャルルは頷いてから侍従を呼ばわった。「モラン、協定書を老師に渡してくれ」

 部屋の片隅に佇んでいたモランが、お辞儀をして「かしこまりました」と言うのを見て、ジャンはぎょっとした。彼は、侍従がそこにいることを、たった今まで完全に見落としていたのだ。侍従は玉座の脇にある扉を抜け、しばらくしてから一巻の巻物を携え戻ってきた。彼は老人に巻物を差し出し、それを受け取ったザヒは中身にざっと目を通して、一つ頷いてから元のように巻きなおした。

「議会に諮らなくていいのか?」マルコは眉をひそめた。

「そんな時間はなさそうだからな。後で辻褄は合わせる」シャルルは言って、唇を引き結んだ。

「まさか、賢者様が使い走りを引き受けるとはね」カラスがにやにや笑って言った。

「ああ、まったくひどい時代になったもんだ」ザヒは巻物で肩を叩きながら言った。彼はふと考えてから言った。「街道沿いに進むなら、ベルンを通るだろう?」

「それがどうかしたか?」カラスはいぶかしげにたずねた。

「ウメコがいるんだ。魔界へ入る前に、彼女も連れて行け」

 カラスは途端に顔をしかめた。「あれが、素直に俺の言うことを聞くと思うか?」

「そんなのは私の知った事じゃない」ザヒは肩をすくめた。「だが、相手は魔法を使うらしいじゃないか。だったら専門家を連れてゆくべきだ」

「わかったよ」カラスはしぶしぶ承諾した。

「誰なの?」ジャンはカラスにたずねた。

「剣王の一味に、ザヒの弟子で符術師の少女がいただろう?」

 ジャンは頷いた。

「そいつのことだ」カラスはため息をついた。「そして、彼女は俺の妹なんだ」

「ねえ」ジャンは、目をすがめて小男を見つめた。「剣王の仲間って、確か三人だったよね。ひょっとして、音もなく敵を殺す少年って?」

「まあ、俺の事だろうな」

「こりゃ驚いた」ジローが言った。「物語のヒーローたちが、ここに三人もいるなんて、一体どんな奇跡だろう。しかも、もう一人とも会えるって言うんなら、私もついてくしかないじゃないか」

「一緒に来てくれるの?」ジャンは目を丸くしてたずねた。

「もちろん」ジローは頷いた。「本当は、ちょいと路銀が怪しくなってきたら、ここらでみんなとはお別れして、しばらく王都で稼がせてもらおうと思ってたんだけどね。まあ、道々で稼ぐのも悪くはないさ」

 ジャンはカトリーヌに目を向けた。

「ごめんね、ジャン」カトリーヌは申し訳なさそうに言った。「あたしだって本当は一緒に行きたいんだけど、シャルルを放っておくわけには行かないでしょう?」

 ジャンはしょんぼりと頷いた。

「一つ、よろしいですか?」モランが口を挟んだ。

「お前が、誰かの話に割り込むなんて珍しいな?」シャルルが笑って言った。

 モランは頭を下げた。「申し訳ございません。いささか弟子の教育について、思うところがあったものですから」侍従は顔を上げ、カトリーヌに目を向けた。「お嬢様、こちらはお任せいただいて結構です」

「あらまあ」カトリーヌは目を丸くした。「あなた、密偵は引退したんじゃなかったの?」

「陛下をお守りし、貴族たちに目を光らせる程度であれば、この老骨でも事足ります」モランはお辞儀をして言った。「しかし、あのクセと言う女の口ぶりからして、魔族の最大の目的は殿下です。陰謀をなげうってまで彼を捕らえようとしたところを見れば、それは明らかでしょう。そうとなれば、お嬢様はぜひ、彼のお力になって差し上げてください」

 カトリーヌはシャルルに目を向けた。シャルルは玉座の肘掛けに頬杖をついて、面白がるような表情で自分の密偵を見つめ返した。

「まあ、先生がそう言うならしかたがないわね」カトリーヌは肩をすくめた。彼女はジャンに笑い掛け、言った。「あたしも一緒に行くわ」

 ジャンも笑顔を返した。

「結局、トレボーを出た時の面子になったな」マルコは笑いながら言った。

「腐れ縁ってやつは、大抵そうやって始まるものさ」カラスは肩をすくめた。「いつ出発する?」

 マルコは顎をかきながら考えた。「明日の朝でいいだろう。どうせ、旅の支度もあれこれあるからな」

「買い出しなら僕が行くよ」ジャンは申し出た。「今度こそ、ポーレットのお土産を買いたいんだ」

「それは、あまりいいアイディアじゃないぞ」マルコは眉をひそめた。「ユーゴとクセは、まだ捕まっていないんだ」

「なあ、マルコ」禿の大佐が笑いながら言った。「どうせ父兄同伴なのだから、それほど心配はいらんと思うぞ」

 アランは頷いた。

「あたしも行った方がよさそうね」カトリーヌが言った。「そうすれば、あなたの伯父さんも安心するし、大抵のものは王宮のつけ(・・)で買えるようになるわ」

「いいの?」ジャンは目を丸くした。

「あなた、王子様なのよ。遠慮することなんてないでしょ?」カトリーヌは思い出させた。

「私は、そろそろ行くぞ」ザヒが空中から、長い杖を一本取り出して言った。彼が議場で、同じように空中からハンカチを出したとき、ジャンはそれを手品の類と考えたが、アランの背丈ほどもある杖は、到底袖の下に隠して持ち歩けるものではない。となれば、やはりこれは魔法なのだろうか。

「お前たちも、なるべく急いでくれ」ザヒはみなに警告してから、シャルルに目を向けた。「今のところ、ゼエルはなんとか持ちこたえているが、彼が倒れれば魔界にできた貴重な味方を失うことになる。前は魔王一人を倒せば済んだが、今回は状況のいかんによっては兵馬の力を借りることにもなるだろう。その時になって、イゼルがあるのとないのとでは、ずいぶんと形勢が違ってくるぞ」

 王は神妙に頷いた。

 ザヒはアランに目を向けた。「ベルンに着いてウメコに会ったら、私の塔へ来てくれ。そこでなら、私がどこにいようと連絡が取れるからな。塔の場所はウメコが知っている」

 アランは頷いた。

「立派な息子に育ったじゃないか?」ザヒは笑い掛けた。

「私の手柄ではない」アランは肩をすくめた。「しかし、それを喜べないほど、私はひねくれてもいない」

 ザヒはにやりと笑って片目を閉じた。そして彼は、杖で軽く床を突いた。次の瞬間にはもう、老人の姿はかき消えていた。

「たまげたな」ジローが言った。

「あんな芸当ができるなら、私を案内に連れてくる必要など無かったんじゃないか?」カルヴィンは苦笑して言った。

「彼の魔法も万能ではない」アランは言った。「前に彼から聞いたことがある。あれと同じ魔法を使ったとき、現れた場所にたまたま落ちていたリンゴを踏んで、派手に転んだことがあるらしい」

「なるほど」カルヴィンは頷いた。「それがリンゴではなく、王や議員だったら、尻もち程度ではすまなかっただろうな」

「さて」シャルルは玉座を立った。「買い出し班以外は、ちょっと執務室まで付き合ってくれ。ゼエル殿への手紙や、イゼルまでの地図など必要な物を渡そう」

 モランがさっと動き、先ほど書類を取りに入った扉を開けた。ぞろぞろとそれをくぐる一行を見て、ジャンは慌てて伯父を引きとめた。「足りないものはなに?」

「そうだな」マルコは足を止めて考えてから、いくつかの品の名を挙げた。甥っ子がそれを復唱し、すっかり暗記したのを確認すると、彼は「頼んだぞ」と言い残して謁見の間へ去って行った。

 ジャンは、アランとカトリーヌに目を向けた。「僕たちも行こうか?」

 三人は謁見の間を出て廊下を進んだ。カトリーヌが先に立ち、アランはジャンの横にぴたりとついて、三フィートの約束を律儀に守っている。

「なんで、ずっと正体を隠してたの?」ジャンは歩きながらアランにたずねた。するとアランは、途端に困った様子で眉をひそめた。「話さないとだめか?」

 ジャンが頷くと、アランは小さくため息をついた。彼女はしぶしぶと言った感じで、口を開いた。「父親がこんな姿では、格好がつかないからだ」

 ジャンは足を止めて、目をぱちくりさせた。「そんなことで?」

「そんなこととはなんだ」アランはむっとして言った。「息子に尊敬されるかどうかは大問題だぞ?」

 ジャンは笑い出した。結局、彼女――彼?――の頭には、国家の成り行きなど入ってなくて、ただ息子に、情けない姿を見られたくなかっただけなのだ。

「笑わなくてもいいだろう」アランはむくれた。

「ごめんよ、父さん」謝りながらも、ジャンは笑いを止めることができなかった。誰もが崇敬してやまない偉大な救世の英雄、剣王アランの正体が、実は息子にいい格好をしたいだけの普通の父親だったのだから、笑うなと言う方が無体だった。そしてジャンは、自分が目の前でふくれっ面をする可愛らしい少女を、いつの間にか当たり前のように父と呼んでいることに気付いて、なおさらおかしくなった。「ねえ」と彼はくすくす笑いながら父親に言った。「尊敬するも何も、僕は父さんのことを何も知らないんだよ?」

 アランはふくれっ面を止めて、きょとんとした。彼女は苦笑を浮かべて言った。「それもそうだな」

「でも、魔界までは長い旅になるよね。その間に、いろいろ教えてくれるかな?」

「わかった」アランは真面目な顔で頷いた。

「ねえ、お二人さん」カトリーヌが口を挟んだ。「あなたたちは、まだ出発してもいないのよ?」

 ジャンとアランは顔を見合わせ、ちょっとだけ笑い合ってから、再び肩を並べて王宮の廊下を歩きだした。カトリーヌが言うように、彼らはまだ玄関の扉を抜けてもいないが、それでもこれは紛れもなく、二人の冒険の始まりだった。

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