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プリンセスコード  作者: 烏屋マイニ
魔王の復活
14/46

14.アラン

 スイの亡骸を背に、ジャンは議場の正面に目を向けた。議長席の左側では、二匹の魔物と一人の魔族を相手に、ジャンの仲間たちが奮闘を続けている。と言っても、シャルルが相手にしていたムカデは、頭から胴体の中ほどまでを真っ二つに両断され、すでにこと切れている様子だった。その死骸のかたわらには疲労困憊したシャルルが、ローブが汚れるのも構わず、魔物の黒い血だまりの中にへたりこんでいる。少し離れた場所ではアランとマルコが、長さが三分の二ほどになったムカデを、さらに短くしようと頑張っていた。そして、カラスとクセは相変わらず剣呑なダンスを続けており、どうやら互いに決定打を与えられずにいる様子だった。

 議長席の右側では、ジャンが剣で吹っ飛ばした密偵を、ジローが両足を持って床を引きずり、運んでいるところだった。ジャンたちが駆け寄ると、彼は意識の無い密偵から剣を取り上げ、ちゃっかり自分の腰に差した。そして、輪っかにまとめた細い糸をポケットから取り出して、それで密偵の手足を縛り始めた。

「生きてるの?」ぴくりとも動かない男を見て、ジャンは少しだけ心配になった。

「息はあるし、何本か骨は折れてるけど、まあ死ぬことはないよ」手を休めず、ジローは言った。「ただ、しばらく目を覚まさないだろうね」

「だとすれば、わざわざ縛り上げる必要などあるのかね?」議長はいぶかしげにたずねた。

「もちろんだよ」ジローはきっぱりと言った。「密偵はすごく油断ならないところがあるし、例え死んでても安心しちゃいけないのさ」彼は、カトリーヌに仮面の顔を向けた。「そうだろ、お嬢さん(マドモアゼル)?」

「ええ」カトリーヌは真顔で同意した。「私だったら、心臓に杭を打ち込むわね」

 議長は途端に心配そうな顔になった。「そう聞くと、そんな細い紐では、いささか心もとなく見えますな」

「これは紐じゃなくて、リュートの弦だよ。ぴんと張って使うものだから、すごく頑丈なんだ」

 ジャンはふと思い出して、カトリーヌに目を向けた。「どうして変装なんかしてたの?」

「カラスはイゼルの使者を、魔王崇拝者じゃないかって疑ってたの。彼は私に、あなたの護衛を兼ねて使者たちの監視を頼んだんだけど、使者たちは私の顔を知ってるから、変装する必要があったってわけ」

 今となれば、その疑念が正しかったことはわかる。しかし、カラスが使者の存在を知ったのは王都へ来てからだし、ジャンの前にジョゼットが現れたのは、その翌日だ。あまりにも手際がよすぎる。

「カラスは最初から知ってたのかな」ジャンは言った。「魔族が僕たちに、ちょっかいを出してくるかも知れないってことを?」

 カトリーヌは頷いた。「彼の口からそう聞いたわけじゃないけど、おそらくそう考えていいわね」

「君も同じ考えだったの?」

「まあね」カトリーヌは肩をすくめた。「イゼルへ行った人たちから、魔王崇拝者の話をいくつか耳にしたの。彼らは剣王に関わりがあるものなら、彼がはいてたタイツでも憎むような連中だって言ってたわ。自分を魔王の分身だと思ってる魔族なら、なおさらじゃないかしら。そんな連中が、こっそり使者に紛れてやって来ることが、絶対にないとは言い切れないでしょう? なんと言ってもシャルルは、剣王の弟なんだもの。あなたほどじゃないにせよ、狙われる資格はじゅうぶんあるわ」

 ジャンは、しばらく考えてから口を開いた。「魔王崇拝者と魔族って、同じものなのかな。魔王崇拝者って呼ばれる人たちがみんな魔族なのか、その一部が魔族になったのか、それとも二つはぜんぜん関係のないグループなのか?」

「わからないわ。でも、そのどれかによって状況が変わって来るわね。カラスが言ってたんだけど、魔王が死んでからばらばらになっていた魔王崇拝者たちを、最近になって誰かが一個の組織としてまとめ上げた節があるらしいの。これは予断になっちゃうけど、魔族が自分たちを魔王の代理人のようなものだと、狂信者たちに吹き込んだのかも知れないわ」

「カラスは、なんでそんなに魔界の情勢に詳しいんだろう?」

「それも、わからない」カトリーヌはしばらく考え込み、それからふと顔を上げた。「こう言ったらなんだけど、恋人が死んだばかりなのに、ずいぶん小難しいことを考えるのね?」

「そうしてないと、ちょっとつらいんだ」ジャンは情けない顔で笑った。

 カトリーヌは優しい笑みを浮かべた。「もっと、子供らしくしてていいのよ?」

「僕はそうしてるつもりだよ」ジャンは肩をすくめた。「それより、ちょっと聞きたいんだけど?」

「なあに?」カトリーヌはきょとんとした。

 ジャンは、彼女をじろりと睨んだ。「君は、スイも疑ってたの?」

「あたしは密偵よ。当然でしょ?」カトリーヌはあっさりと認めた。「でも、それと彼女を好きになるのは別なの。だから、クセと少し話をしなきゃいけないわね」彼女の手には、いつの間にか鋭いナイフが握られていた。一体、彼女は何本のナイフを持っているのだろうかと、ジャンはいぶかった。

「だったら、急いだ方がいいよ。もうすぐアランとマルコおじさんがムカデをばらばらにするだろうし、そうなったら次は、クセの番だ」

「そのようね」カトリーヌは、戦況を見て眉をひそめた。

「僕も一緒に行っていいかな」ジャンは、カトリーヌの口から反対の言葉が出る前に、素早く続けた。「もちろん、あの女には近付かないようにするよ。ただ、このごたごたが片付くのを、最後まで見届けたいんだ」

 カトリーヌはため息をついて、モランに目を向けた。「お願いできる?」

「かしこまりました」モランはお辞儀して言った。

「私たちも、一緒に行った方がよさそうだね」と、ジロー。「あのゴロツキは逃げ出したけど、気が変わって戻って来ないとも限らないだろ? ここにいるより、強い人がいっぱいいる戦場の近くにいる方が、ずっと安全な気がするんだ」

「確かに、君の言う通りだ」議長は心配そうに、ユーゴが逃げ出した出口へ目を向けた。

「わかったわ」カトリーヌは苦笑を浮かべた。「特等席に案内してあげるから、ついてきて」

 カトリーヌは、戦いが行われている議場の前面を大きく避け、議員席の間を縫って歩き出した。ムカデの魔物がなぎ倒した椅子や机や気絶した議員が転がっていて、ひどく歩きにくかったが、いまだに戦い続けているアランやマルコの側を通って、彼らの邪魔をするわけにはいかなかった。

 しばらく歩いて、カトリーヌが足を止めたそこは、カラスとクセがいる場所から、三〇フィートほど離れていた。周囲には机や椅子があって、ちょっとした防柵になっている。これならクセが気を変えて、ジャンたちに襲い掛かろうとしても、容易には近付けないだろう。

「ちょっと行ってくるわね」カトリーヌは、まるで散歩にでも行くかのような口ぶりで、戦場へと向かって駆け出した。彼女が加わると、クセはたちまち不利な状況になった。カラスとカトリーヌは、まるであらかじめ示し合わせていたかのように息もぴったりで、クセのつけいる隙がまったくなかったからだ。

「ねえ、教えて」余裕を失い始めたクセに、カトリーヌは攻撃の手を止めて話しかけた。クセはカラスをけん制してから、カトリーヌに鋭い突きを何度か見舞うが、カトリーヌは涼しい顔でそれをかわし、さらに言葉を投げかけた。「魔族の血って、何色なの?」

 クセは苛立たしげに歯をむき出し、カトリーヌに追撃を仕掛けた。しかし、それは明らかに失策だった。クセがその事に気付いたときにはもう、カラスが背後から短剣を大きく振り下ろしていて、慌てて振り返った彼女の手の甲に深い傷を作った。クセは武器を取り落とし、大きく跳躍して間合いを取ってから、傷を押さえてお前のせいだと言わんばかりにカトリーヌを睨み付けた。

「あらまあ」カトリーヌは言った。「赤だなんて、がっかりだわ」

「次は、頭の中を覗いてみようぜ」カラスが言った。「ひょっとしたら、脳みその代わりに小鬼が出てくるかも知れないし、おあつらえ向きに何でも真っ二つにする専門家も来てくれた」彼が顎をしゃくって見せた先では、アランとマルコがそれぞれの得物を持って駆け付けて来るところだった。彼らの背後を見ると、ムカデの魔物は原型がわからないほど、すっかりばらばらになっていた。

 しかし、絶体絶命の状況を前に、クセは奇妙な行動に出た。彼女は自分の胸元に手を突っ込むと、そこから短冊状の紙切れを引っ張り出した。

「伏せろ!」アランが叫んだ。その声で弾かれるように、モランが素早くジャンを背にかばった。ジローと議長は揃って頭を抱え、その場にしゃがみこんだ。クセは、きょとんと立ち尽くすカトリーヌに向かって、紙切れを投げ付けた。ほとんど同時に、カラスはカトリーヌに飛び付き、彼女を床に押し倒した。クセが放った紙切れは空中で炎の槍と化し、ほんの一瞬前までカトリーヌがいた場所を貫いて、議場の反対側の壁に当たり、けたたましい音を立てて弾け、そこに黒い焦げ跡を作った。

「今の、なに?」ジャンはたずねた。

「魔法です」モランが答えた。「お気を付けください。あれが最後とは限りません」

 その時、まるで見計らったかのように近くの扉が開かれ、ユーゴが顔を覗かせた。彼はクセに向かって叫んだ。「こっちだ!」

 クセは身を翻し、扉をくぐった。扉は駆け付けてきたアランの鼻先でぴしゃりと閉じられ、それは彼女がノブをがちゃがちゃ言わせても開くことは無かった。アランは扉から一歩さがると剣を振りかざし、裂帛の気合いとともに枠ごと扉を斜に叩き斬った。彼女は半分になった扉を蹴倒して外へ飛び出した。

「まさか、魔法まで使えるとはな」カラスは言って、カトリーヌに手を貸しながら立ち上がった。途端、カトリーヌが悪態をつき始めた。カラスはぎょっとして訊いた。「どうした?」

「髪が焦げちゃったの」カトリーヌは髪の房を一つ摘まんで見せた。「もう、頭に来るわ!」

 カラスは肩をすくめた。

「ともかく、これで一息つけるな」マルコは言って、巨大な斧を放り出した。鋼鉄の塊は絨毯が敷かれた床の上に落ちて、鈍い音を立てた。

 戦いが終わったのを見て、モランはジャンに、みんなのもとへ行っても構わないと告げた。ジャンたちが歩み寄るのを見て、カトリーヌは口をへの字に曲げ、肩をすくめて見せた。

「ひとまず片付いたようだな」シャルルも、足を引きずるようにしてやって来た。

「まだだよ」ジャンは冷たく言った。彼はスイの亡骸の方へ視線をくれた。「クセはまだ、自分がやった事の償いをしていない」

「もちろん、わかってるとも」シャルルは瞑目して、スイの亡骸に頭を下げた。「いずれ、彼女には相応の報いを受けさせる。しかし、あの女の子が追っているのであれば、それも間もなくであろう」

「そりゃあ、どうかな」カラスは言った。「いくらアランでも、密偵との追っかけっこは分が悪いぜ」

 彼の予言通り、間もなくアランが戻ってきて短く言った。「見失った」

「外の様子はどうだった?」カトリーヌがたずねた。

「議場の警備兵が全員と、逃げ出した議員の何人かが死んでいた。他に人の姿はない。死んだ警備兵の一人が、こんなものを持っていた」アランは、きらきら光る小さなものをカトリーヌに放って寄越した。カトリーヌは空中でそれを掴み、手の平を開いて目を丸くした。「あらまあ」

「なんだ?」と、カラス。

 カトリーヌは、手の中のものを指先につまんで、みなに見せた。それは一枚の金貨だった。

「兵士が持つには、ちょいとばかり不相応な代物だな」カラスは眉をひそめて言った。

「買収されたんだろう」マルコは言って、鼻を鳴らした。「そして、最後には裏切られた」

「王宮の警備体制を、見直した方がよさそうだな」シャルルは苦々しい顔で言った。

「その前に、考えることが山ほどあるぞ」マルコが言った。「どうやら事態は、魔王の復活などと言う生易しい状況ではないようだ。ディボーの件も、さっきの魔族とか言う連中の仕業だとすれば、これからは同じことがどこか別の町でも起こり得る。それはトレボーかも知れないし、あるいはこの王都かも知れない。彼女たちが、あのおかしなナイフで誰でも彼でも魔物に変えられるとするなら、もはや悪夢だ」

「それはないわ」カトリーヌが口を挟んだ。「クセが、あの子を殺す前に囁いてるのを聞いたの。スイ殿下は王都へ向かう前にすでに殺されていて、私たちが見ていた彼女は殿下に似せて作った魔物に、殿下の魂を植え付けたものらしいわ」

 アランが首を傾げた。「私は、お前の隣りにいたはずだが、何も聞こえなかったぞ?」

「本当は聞こえてたのよ」カトリーヌは少女に笑みを向けた。「彼女たちは、一〇フィートも離れてなかったんだもの。あなたは、ごちゃごちゃ混ざる音から、必要な会話を聞き取る訓練を受けてないってだけ」

「そうなると」カラスは、クセが取り落とした短剣を拾い上げた。「これは、魔物を本来の姿に戻すきっかけでしかないのか」

「それ、ちょっと貸して」ジャンは手を伸ばした。彼はカラスから短剣を受け取り、それをしげしげと眺めた。彼は刃の真ん中にはまった緑の石を指した。「スイが刺される前は、ここには穴が空いてるように見えたんだ。でも、クセが剣を引き抜くと、これがあった。ムカデになった使者たちの時も、同じだったよ」

「彼女たちはこんな風に」カトリーヌは、手のひらで示して見せた。「刃を水平にしてたから、あたしの位置だとよくわからなかったんだけど、確かに宝石がはまってるようには見えなかったわ」

「どんな意味があるかはともかく、むげに放っておくわけにはいかぬようだな」シャルルは言って、侍従に目を向けた。「これを、どこかに保管しておいてくれ」

「かしこまりました」モランは上着を脱ぐと、ジャンから短剣を受け取り、それでていねいに包んだ。

「少なくとも、我々がいつの間にか魔物になる心配はないわけか」マルコがほっとした様子で言った。

「安心するには、ちょっと早いわよ?」カトリーヌが言った。「ユーゴとおしゃべりしてわかったんだけど、メーン公爵はクセが魔族と知った上で、彼女と付き合ってたようなの。ひょっとすると、魔族の魔物を操る力を、自分の野望に利用しようとしてたんじゃないかしら。彼女や彼女の仲間たちが、彼にしたのと同じように他の貴族をそそのかして、また謀反でも企てたとしたら、そう遠くないうちに、この国はばらばらになってしまうわ」

「吾輩を玉座から引きずりおろして、もっとみんなに尊敬される王様を立てればいい」シャルルが言って、でぶの伯爵に目を向けた。「君なんかどうだ、マルコ?」

「私は王の血筋じゃない」マルコは肩をすくめた。

「だったら皇帝になればいい。帝国臣民は、等しく皇帝になる権利を持っておるのだ。帝国は滅びたが、法的にはまだ存在している。そして、このアルシヨンは、かつて帝国を支えた三王国のひとつだ」

「馬鹿馬鹿しい」マルコは吐き捨てるように言った。

 シャルルはきょろきょろと辺りを見回した。「そう言えば、我らの皇帝陛下はどこだ?」

 カラスは議員席の方へ向かい、机の下で気を失っていたメーン公爵の襟首を掴んで、みなが集まる場所へ引きずってきた。それから彼は、マントの下から取り出した細縄で、念入りに公爵の手足を縛り上げ、たるんだ頬を何度か引っ叩いて正気付かせた。

 目を覚ました公爵はきょろきょろと辺りを見回し、拘束された自分の手足を見て観念したようにうなだれた。「どうやら、私はしくじったようだな」

「なあ、将軍」シャルルは諭すように言った。「そもそも、魔王に所縁ゆかりの者と手を組んだ時点で、君はしくじったのだ。剣王の秘密について君が知ったのは、やはりあの女の入れ知恵か?」

「お前は馬鹿か、シャルル?」公爵は鼻を鳴らした。「私がそれを暴露したのは半年前の議会だぞ。そして王女たちが来たのは、つい先月の事だ」

「それは、つまり――」シャルルは絶句した。代わりに、公爵がそれを引き継いだ。「つまり、お前はそれと知らず、魔族が化けた偽の使者と意味のない交渉を続けていたのさ。王なんかやめて、道化でも始めたらどうだ?」

「つい先ほどまで、そのことについて議論していたところなのだ」シャルルは言って、一同を見回した。「他に王の候補者はいないか。皇帝でも構わんぞ?」

「いいから義務を果たせ、シャルル」マルコは言った。「資質はどうあれ、今の王はお前だ」

「わかっているとも、マルコ」シャルルは肩をすくめた。「しかし、彼を吊るすだけでは済まないことぐらい、あんたも承知しておるだろう」彼は議長に目を向けた。「明日、もう一度、議会を招集してくれ」

「いささか、空席の多い議会になりそうですな」議長は議員席の惨状へ目をやった。

「あり合わせで、なんとかするしかなかろう」シャルルは渋い顔をした。「モラン、明日までにここを使えるようにしてくれ。ただし、あまりきれいに直しすぎるなよ。さっきまでの出来事が現実だと、はっきりわかるようにするんだ。それからスイ殿の亡骸は、くれぐれも丁重に扱うように。魔物だろうとなんだろうと、吾輩は彼女が大好きだったのだ」

「心得ております」モランは深々とお辞儀をした。彼は「人手を集めてきます」と言い置いて、議場を出て行った。

 次に王はカトリーヌに目を向けた。「君はメーン公爵から、必要と思える情報をありったけ聞き出してくれ」

「わかったわ」カトリーヌはナイフの切れ味を確認した後、公爵に笑顔を向けた。公爵は青い顔をして、芋虫のように這いずりながら逃げ出した。もっとも、その試みはカラスに背中を踏まれることで、あっさりと潰えた。

「やりすぎるなよ」シャルルは釘を刺した。「絞首台へ乗せるときに正気を失っていたりしたら、見物人に文句を言われるからな」

「もちろんよ」と、カトリーヌ。「でも、皇帝陛下を地下牢へお連れする栄誉なんて、私にはちょっと荷が重すぎる気がするの。言葉通りの意味だけど?」

「空いてる手なら、ここにあるよ」ジローが手を挙げた。「今日の私は、ちっとも活躍していないからね。それくらいの仕事なら、喜んで引き受けるさ」ジローは、じたばたもがく公爵を軽々と担ぎ上げた。「それで、お嬢さん(マドモアゼル)。地下牢はどこにあるんだい?」

「ついて来て」カトリーヌは、ジローを引き連れ議場を後にした。

 二人を見送ってから、シャルルはマルコに目を向けた。「この後の予定は?」

「ベッドへ行って晩飯まで寝る。お前はどうか知らんが七フィートのムカデと戦うのは、なかなか疲れるんだ」

「吾輩もそうしたいのは山々だが、明日の議会について二つ、三つ相談があるのだ。元気が出る飲み物を用意するから、吾輩の部屋まで付き合ってくれ」

「いいとも」マルコはあっさりと承諾した。彼はカラスに声を掛けた。「お前はどうする?」

「俺は、ユーゴとあの女の足取りを追ってみる」そう言って、カラスはジャンに目を向けた。「アランから離れるなよ。あの二人が、まだこの辺りに潜んでいないとも限らないからな」彼は、ジャンが神妙に頷くのを見てからその場を立ち去った。

 マルコは甥の側へやって来ると、その肩に手を置いた。彼は何か言葉を掛けようと口を開き掛けるが、あきらめた様子でため息をついて、結局こう言った。「あとで暇ができたら、彼女について聞かせてくれるか?」

 ジャンは頷いた。

「よし、約束だ」マルコは笑顔を一つくれると、シャルルや議長と並んで議場の出口へ向かった。

 ジャンはぽつんと立ちつくし、伯父たちの背中を見送った。少し経ってアランがやって来て、ジャンの背中を軽く叩いた。彼女は言った。「部屋へ戻ろうか」

「うん、そうだね」ジャンは、スイの亡骸に一瞥をくれた後、出口へ向かった。しかし彼は二、三歩歩いたところで、ふと足を止めた。「ねえ、その剣は置いて行った方がいいんじゃないかな?」

 アランは眉をひそめ、少し名残惜しそうに自分よりも大きな剣を床に置いた。

「ひょっとして、気に入ったの?」

 アランは頷いた。「ただの飾りかと思っていたが、なかなかの業物だった」

「そう言えば、自分の剣はどこへ置いて来たの?」

「ここを出てすぐ、それ用の棚があるんだ」

 二人は扉が無い出口を出ると、アランの剣を回収してからジャンにあてがわれた三階の部屋へと向かった。部屋へたどり着くなり、ジャンはベッドへ突っ伏した。アランは当たり前のように部屋の中までついて来て、今はベッドの端に腰を降ろしている。

「ひどい一日だったね」枕に顔をうずめたまま、ジャンは言った。

「昼過ぎだぞ。まだ今日は終わっていない」

「他にも、ひどいことが起きる予定なの?」

「王族のスケジュールなら、侍従が把握しているはずだ」アランは真顔で答えた。

「そっか。あとでモランさんに言って、ぜんぶキャンセルしてもらうよ」ジャンは起き上がり、あぐらをかいて護衛の少女を見た。「冗談は別にして、これから僕はどうなるのかな?」

 アランは首を傾げた。「村へ帰るんじゃないのか?」

「うーん」ジャンは考え込んだ。「どうだろう。陛下は僕を皇太子にしたがっているし、そうなったら王都に残らなきゃいけないよね?」

「しかし、それはシャルルの都合だ」

「そりゃあ、そうだけど」ジャンはむっつりと言った「ディボーからこっち、誰かの都合以外で何かをしたのは、スイと王宮を探険したことだけだよ?」

「だったら、お前はどうしたいんだ?」

 そんなことは決まっている。ポーレットへのお土産の本を買って、村へ帰るのだ。そうして、次の瞬間に何が起こるのかわからない日々から、決まりきった明日が来る平穏な毎日へ戻る。それこそが、彼の望みだった。

「僕は――」しかし、口から飛び出した言葉は、自分でも意外なものだった。「魔界へ行きたい」

 なぜ、そんなことを口走ったのかと、いぶかしく思いながらも、彼はその答えをとっくに知っていることに気付いていた。

 しばらくの沈黙の後で、アランが訊いてくる。「魔界へ行って、何をする。魔族を皆殺しにして、スイの仇討ちでもするか?」

「それは考えてなかったな」ジャンは苦笑いを浮かべた。「確かにクセは許せないと思うけど、見たこともない他の人まで、憎いとは思えないんだ」

「復讐が目的じゃないとしたら、なぜ魔界なんかへ行こうと思った?」アランは首を傾げた。

「たぶん」と、ジャンは考え考え言った。「僕は、スイのことをもっと知りたいんだと思う。だって、彼女と出会って四日も経ってないし、一緒に過ごせた時間はもっと短いんだ」 

「それでどうして、そこまで彼女を好きになれたんだろうな」アランは苦笑した。

「自分でもよく分かんないや」ジャンは肩をすくめた。「とにかく僕は、スイの故郷へ行って、彼女がそこでどんな風に暮らしていたのか、知りたいと思ったんだ。それに、彼女の家族にも会ってみたいしね。庭園でちょっと聞いたんだけど、彼女にはお母さんが三人と、妹が六人いるんだって」

「向こうの人たちは、一夫多妻なんだ」

「魔界のことを知ってるの?」ジャンはいぶかしげにたずねた。「こっちで暮らしてるから、向こうのことはよくわからないって言ってたじゃないか」

「それでも、一応は魔界の生まれだからな」アランはにやりと笑い、それからふと眉を寄せた。「本気で、魔界へ行きたいと思っているのか?」

「もちろん」ジャンは即答した。「実は魔界へ行くための計画を、たった今思い付いたところなんだ」

「ほう?」

「イゼルへ使節を送るように、陛下をそそのかすのさ。なんと言っても、彼は預かっていた姫を死なせてしまったんだから、そのわけを説明する責任があるでしょう? もちろん、その使節団には、スイ殿下の婚約者だった皇太子が、同行するべきだと思わせる」

 するとアランは、難しい顔をして黙り込んでしまった。彼女はずいぶん経ってから、ようやく口を開いた。「自分の言っていることが、わかっているのか?」

 ジャンは頷いた。もちろん、彼は理解していた。「きっとスイの家族は、僕たちを責めるだろうね。彼女を殺したのはクセだとしても、僕たちには彼女を守る義務があったんだ。そして、国の代表としてイゼルに向かうんだから、僕は彼らの非難をぜんぶ引き受けなきゃならない」

「お前に、その義務はない」アランはきっぱりと言った。

「それについては違う考えもあると思うけど」ジャンは肩をすくめた。「でも、ただで行きたいところへ連れて行ってもらおうとしてるんだから、ちょっとした雑用は仕方ないんじゃないかな?」

「お前は子供なんだぞ」アランは少し、腹を立てた様子で言った。「もう少し、無責任にはなれないのか?」

「そうじゃないよ、アラン」ジャンは首を振った。「僕は自分がやりたいことのために、義務や責任を果たそうと見せ掛けてるだけさ。その方が、大人たちは聞き分けがよくなるからね」

「しかし、本当にそれで、お前のおじさんたちをだませると思うか?」

 ジャンは首を振った。おそらく二人は、甥がどんな策を弄しても首を縦には振らないだろう。たとえ、ジャンの言い分がもっともだと思っても、彼を魔族や魔王崇拝者の本拠地へ送る際に起こりうる危険を、無視するはずがないからだ。結局のところ、ジャンは家族や肉親を愛していたし、彼らに愛されていることを疑っていないから、自分の望みが叶わないことを、すでに知っていた。それは、あまりにも幸せで、重たく逃れようのない枷だった。

「魔界が、お前にとって危険な場所だと言うことは、わかっているんだな?」

「わかってるけど、たぶん君ほど理解は出来てないよ。僕は魔界のことを、ほとんど何も知らないんだ。水の中で息が出来ないことを知らなきゃ、底の見えない沼や淵が恐いってわからないのと同じさ」

 アランはばりばりと頭を搔きむしり、顔をしかめて考え込んだ。「たぶん」だいぶ経ってから、彼女はようやく口を開いた。「私はお前を、危険に近付けないようにすべきなんだ。それでも、私はお前の決断を尊重したい」

 ジャンは目を丸くした。「手伝ってくれるの?」

 アランは、歯を食いしばって頷いた。

「だったら、心配することなんて、何もないじゃないか」ジャンはにっこり笑って言った。「だって、君が一緒なら、どんな危険だって真っ二つにしてくれるだろうしね」

 アランは目を丸くしてから、にやりと笑って見せた。「そうだな。もちろん、私はお前を守る。それが魔界だろうと、どこだろうと」

 二人は顔を見合わせ、くすくすと笑い合った。

「でも」と、ジャンは言った。「そうなると、問題はおじさんたちだね」

 アランはベッドを降り、腕組みしながら部屋の中を歩き回った。しばらくそうしてから、彼女はひとつ頷き、ジャンを向いて言った。「明日、私が二人を説得する」

「どうやって?」

 アランは背負った剣の柄に手をやった。「これでだ」

「脅すの?」ジャンはぎょっとした。

「それは、ちょっと違う」アランは肩をすくめた。「まあ、見ていろ。必ずうまく行くから」

 ジャンは半信半疑だったが、他に手はない以上、任せるしかなかった。

 翌朝になって、ジャンは再び議場の来賓席に腰を落ち着けていた。昨日とは違い椅子は一つだけで、彼は仲間たちに取り囲まれていた。左右はカラスとカトリーヌが立ち、背後にはジロー、そして正面にはアランがいる。カラスとカトリーヌはそれとわからないが、アランはいつもの剣を背負っていたし、ジローも密偵から盗んだ剣を腰に帯びて武装している。本来、議場への武器の持ち込みは禁じられているが、開会の際に議長が前日の出来事を議員たちに思い出させ、議会の慣習よりも剣王の血統がはるかに重要であることを説いたおかげで認められた、特別措置だった。マルコはと言えば、玉座の脇に控え、時折シャルルと何事かを話し合いながら議事の進行を見守っていた。

 議会で話し合われたのは、魔族の脅威へいかに対処するかと言うことと、イゼルとの関係を今後、どのように扱うかの二点だった。魔族については、各都市と重要施設の警備を増強し、加えて警備兵の買収と言う事態への反省を踏まえ、警備体制の見直しをはかりつつ、街道警備隊に人員の派遣を要請することで落ち着いた。イゼルとの関係については、意見が分かれた。まずイゼルが持ち掛けた交渉そのものを魔族の謀略と疑い、ただちに関係を断つべきだと訴える者があり、それに対して、過去に送った使者が無事に戻ってきている事実を踏まえれば、必ずしもそうではないと反論する者が出た。最終的にシャルルが、もう一度使者を立て、事の次第をゼエルに伝え、彼の真意を改めて質してはどうかと提案し、それが表決に掛けられ、賛成多数で可決した。

 そしてすべての議事が終わると、王は玉座を立ちジャンを呼ばわった。ジャンが玉座の前でお辞儀すると、シャルルはマルコに目を向けて言った。「構わんのだな?」

 マルコは頷くと、玉座壇を降りてジャンの隣り並び、シャルルにお辞儀した。

「何を始めるの?」ジャンはたずねた。

「お前を、皇太子にするんだ」マルコが答えた。

 ジャンはため息をついて見せた。つまらない芝居だが、伯父に疑念を持たれるわけにはいかなかった。彼がジャンの皇太子叙任に賛成しているのは、剣王との約束と、国家の危機を天秤に掛けた結果なのだ。それが揺らぐことになれば、ジャンの目論見がご破算になりかねない。「もう、スイはいないんだよ。慌てて王子様を立てなくても構わないんじゃないかな?」

「いるに越したことは無いからな」マルコは肩をすくめた。「少なくともシャルルに子供を作る気が無いんだから、お前がやるしかないだろう。そら、王がしゃべるぞ。静かにするんだ」

 シャルルは玉座の前で、まばらな議員席をぐるりと見渡し、口を開いた。「昨日、ヴェルネサン伯爵が諸君らに明かしたように、このジャン少年は先王陛下の御子である。しかしながら、今の彼は無位無官であり、彼の正当な血統に対して吾輩は不義理を働いているありさまだ。そこで吾輩は今すぐそれを正すため、彼を吾輩の養子とし、皇太子に任ずるものである」王はジャンに目を向けた。

 ジャンがしぶしぶと言った様子で頭を下げると、議員席から満場の拍手が起こった。

「彼らに、新しい皇太子の顔を見せてやるんだ」マルコが肘で突いて言った。

 ジャンは振り返り、片手を上げて議員たちに笑顔を見せた。議長が彼に頭を下げ、なにやら告げた。議会は王室に忠誠を誓い、皇太子に対しより良い助言を与えられるよう努める、とかなんとか。そして議員たちは一斉に席を立ち、「ジャン皇太子殿下、万歳!」と唱和した。

「よしよし」シャルルは満足そうに笑顔を見せた。「式典やら何やらの決め事は、まあ追々で構わんだろう。まずは、諸君らに伝えておかねばならぬことがある」

 議長が静粛を求め、議場は静まり返った。

「まったくもっていまいましい事ではあるが、今回シセ将軍のような叛臣を生んだ責任の一端に、吾輩が与っていることは明らかである。もちろん、多くは誤解から出たものであるし、それは昨日の議会でヴェルネサン伯爵が解いてくれた。しかしながら、吾輩が正当な王の血筋から外れていることは事実だ。いかに先王陛下のご意志とは言え、その場を見ていなかった諸君らに得心がゆかぬのは至極もっともと言える」

 ジャンは、きまりが悪そうに王から目を逸らす、数人の議員がいることに気付いた。

「それ故に」と、王は続けた。「吾輩は近いうちに退位し、玉座をジャンに譲ろうと思う」

 議場がどよめいた。ジャンは耳を疑った。彼は王を見た。シャルルは口元に、勝ち誇るような笑みを微かに浮かべていた。次いで、ジャンは伯父を見た。マルコは渋い顔で、真っ直ぐに議員たちを見つめている。シャルルの言葉に驚いている様子はない。

「無論、彼が一人前の王としてやっていけるようになるまで、いくらかの猶予が必要であろう」シャルルは言った。「従って、当面は吾輩とヴェルネサン伯爵が摂政に就くこととなる。あるいは若い王を立て、吾輩たちが彼を傀儡にして、権力をほしいままにするのではないかとの疑いがあるやも知れぬが、そう思う者は素直に申し出て欲しい。無論、吾輩はそれをとがめ立てはせぬし、この重たい責任を代わりに負ってくれると言う愛国者に、喜んでそれを譲ろう。しかし、ジャンは非常に賢い少年だ。彼をいいように操ろうなどとは考えない方がよい」シャルルは一度、咳払いした。「まあ、叔父のひいき目と見る向きもあることは、否定せぬが」

 議場に控えめな笑いが起こった。

「さあ、異議のあるものはいるか?」シャルルは議員たちに問うた。彼らは沈黙を守った。マルコすら、口出ししなかった。ジャンは、王様なんてまっぴらごめんだと叫ぼうと、口を開きかけた。そうしなかったのは、アランがつかつかと玉座の前にやって来て、無造作に玉座壇を昇り始めたからだ。少女は、剣の柄に手を掛けていた。

「どうしたのかね?」シャルルはぎょっとしてたずねた。

「もう少し、穏やかな方法で説得しようと思っていたが、お前たちが自分の義務を息子に押し付けると言うのなら、私にも考えがあるぞ」アランは剣を抜き放った。

 議長が警備兵を呼ばわり、武装した兵士が数名、扉を開けて議場に飛び込んできた。

「一体、何のつもりだ?」シャルルは声に怯えの色を混ぜて言った。

「そこをどけ、シャルル。王など、もはや必要あるまい」

 アランが剣を振り下ろすのと、シャルルが飛び退いて玉座壇を転がり落ちるのは、ほとんど同時だった。アランの剣は玉座を真っ二つに叩き斬り、ジャンは落ちてきたシャルルが呟くのを聞いた。

「兄さん……」

 ジャンは、その言葉の意味がわからなかった。伯父を見ると、彼は顔を真っ青にして立ち尽くしていた。駆けつけた警備兵が、玉座壇の下からアランに向かって剣を突き付けた。アランは警備兵の一人をじろりとにらんで言った。「お前の王に剣を向けるか、ジュベール少尉?」

「私は大尉だ」いささか年配の警備兵が答え、はっと息を飲んだ。「陛下?」

「すると、十年で二階級も昇進したわけか」アランはにこりと微笑んだ。「娘は元気か?」

 大尉は敬礼した。「去年、嫁にやりました。亭主は腕のいい刀鍛冶です」

「孝行娘だな。お前の剣を見れば、婿殿が立派な職人だと言うことは、よくわかる」

 大尉は頭を下げ、抜き身の剣を鞘に収めてシャルルを見た。「陛下、申し訳ございません。誰の命令であろうと、私は主君に向ける剣は持ち合わせないのです」

「構わぬよ、大尉」シャルルは言って立ち上がった。「隊長を君に選んでよかった。さもなければ、真っ二つになった警備兵が、ここに数人転がるところだった」彼はくるりと議員たちを向いて言った。「控えよ、剣王ジャン=アラン陛下の帰参である!」

あれ? この話で第一章が終わるはずだったのに……


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