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プリンセスコード  作者: 烏屋マイニ
魔王の復活
12/46

12.貴族議会

 スイは扉の前で、それが開かれるのをじっと待っていた。今日は議会の開催日だ。間もなく彼女は議場に呼ばれ、王によってジャンとの婚約が発表されるだろう。

 そのための支度は万全に整っている。スイが身に着けているのはイゼルの伝統的な衣装で、鮮やかな青を地色とした、フェルトの色彩豊かなドレスだった。髪は結わず背に垂らし、頭にはフェルトの帽子を被っている。帽子は深紅に染められ、スイの一族に伝わる複雑な紋様が縫い込まれていた。ただし、彼女の肩を飾る銀糸を編み込んだケープは、伝統をいささか逸脱していた。そもそも、それはイゼルのものですらない。王宮へ来た当日、献上品への返礼としてシャルルから贈られたものだ。わざわざこんなものを身に着けたのは、同盟によってイゼルがもたらす富を暗示するためだった。彼らがそれを忘れない限り、彼女たちは丁重に扱われるに違いない。しかし、この装いには欠点もあった。温暖な気候のアルシヨンで着るには、いささか温かすぎるのだ。汗だくになる前に何もかも終わらせて、さっさと自室へ戻ってしまいたかった。

 スイは、いつまでこうしていなければならないのかと、問い掛けるつもりで、背後にいるクセを肩越しに見た。彼女はスイから数歩離れたところに、二人の使者を従えて立っている。スイほど派手ではないにせよ、彼女たちも同じくイゼルの伝統衣装を身に着けていた。ただし、生地の色は帽子も含め、青ではなく黒だった。服の色は本来、属する氏族を表すもので、スイが知る限り黒を象徴とする氏族は存在しない。クセは、スイを目立たせるため地味な色にしたのだと言うが、この時のためにわざわざイゼルで仕立てて持ってきたのであれば、まったく用意のいいことだ。

 クセたちの背後には、鎧兜に身を固めた護衛の兵士が、四人並んで立っている。スイが考えるに、彼らは異国からの賓客を警護するためではなく、彼女たちが逃げ出さないよう見張るためにいた。実際、出来ることならスイは、この場から逃げ出してしまいたかった。扉の向こうには、ジャンがいるのだ。彼はおそらく、スイたちが彼の叔父とその敵に、二股を掛けていたことを知っている。扉を抜けてジャンの前に立ったとき、彼が自分に向けてくるであろう軽蔑や嫌悪の眼差しを思えば、今すぐ心臓が止まってしまえばいいのにとさえ思えた。いっそのこと、監視の兵士たちに無手で襲い掛かってみようか。彼らならちっぽけな少女くらい簡単に斬り殺せるだろうし、万が一生き残ってしまったら、そのまま王宮を飛び出し、どこかの森へ逃げ込んで、暑苦しいドレスを脱ぎすててから、そこに棲まう鹿や熊や狼たちと暮らそう。アルシヨンはこんなにも暖かいのだから、人目さえなければ裸でいても差し支えないはずだ。

 考えるにつれ、それはなかなか魅力的なアイディアに思えてきた。しかし、彼女が逃走プランを実行へ移す前に、目の前の扉がゆっくりと開かれた。

 その時になって、スイはふと気付いた。もし、この議会で勝利をおさめるのがメーン公爵だとしたら、彼女はどうなるのだろう。イゼルが欲しいのは、単に大国との同盟関係だけではなく、王室が剣王の係累となって、国民の崇敬を得ることだ。シャルルは剣王の血統という対価を持っているが、公爵にそれがあるとは思えない。公爵自身や、彼の息子なり甥っ子なりが剣王の血筋であれば、彼は皇帝になるなどと言う、馬鹿げた考えを思い付かなかっただろう。シャルルが死ねば、玉座は彼らのものになるからだ。つまり、公爵の側にスイの夫となるべき相手はいないのだ。そうだとすれば、クセは彼にどのような対価を求めたのだろう。そして、その時、スイにはどのような役割が与えられるのだろう。

 けたたましいラッパの音に思索をさえぎられ、スイはしぶしぶ議場に足を踏み入れた。彼女の前には半円を描く議員席がずらりと並んでいて、一度足を止めると、そこに座る議員たちが一斉に熱烈な拍手で彼女を迎えた。スイは視線を左手に向けた。そこは議場正面の中央で、まず演壇があり、それより数段高い場所に議長の席があった。議長席の背後のさらに二、三段上ったところには玉座があって、少しふてくされた様子のシャルルが座っている。玉座の右手には来賓用の席が設けられており、そこにジャンの姿をみとめてスイの心臓はどきりとなった。ジャンは緊張した面もちでスイの方を見ながら、議員たちと同じように拍手をしている。彼の背後には腕組みをするアランと、スイにこっそり手を振るジョゼットの姿があった。アランはいつもの剣を背負っておらず、ひどく機嫌の悪そうな顔をしていた。

 背後でクセが小さく咳払いした。スイはジャンから目を離し、議長席に向かって歩き出した。彼の前を通るとき、スイはあえて目を合わせなかった。クセと使者は途中で足を止め、ジャンの隣に並んで来賓席に腰を落ち着けた。

 スイは「閣下」と言って、議長に頭を下げた。白髪頭の議長が席を立ち、段を降りてから「殿下」とお辞儀を返すと、王に挨拶するよう促した。スイは玉座の前に立ち、王を見上げた。玉座の左右には、王の権威を現すように巨大な剣と戦斧がそれぞれ二丁ずつ、壁に交叉して掛けられている。こんな馬鹿でかい武器をふるえる人間など、はたしているのだろうかとスイはいぶかしく思った。彼女は武器から目を離し、王にお辞儀をして短く挨拶を述べた。王は不機嫌な表情でじっとスイを見つめたまま、なかなか挨拶を返さなかった。おそらく、卑劣な裏切りを働いた彼女に、はらわたが煮えくりかえる思いなのだろう。

「殿下」とシャルルは言って、不意に相好を崩した。「君たちのせいで、吾輩はジャンに叱られてしまったぞ」

 スイは、きょとんと王を見つめた。

「君たちが、吾輩とメーン公爵に二股を掛けたのは、吾輩の自業自得だとジャンは言うのだ。吾輩が、一国の命運を託すに足るほど頼りがいのある王であれば、このような事態にはならなかったであろう、とな。まったく、彼の言うとおりだ。君たちには、いらぬ苦労を掛けたようで、申し訳なく思っている」

 スイは思わず両手で口を覆った。ジャンは、ちゃんと理解してくれていたのだ。スイはこぼれそうになる涙を必死でこらえながら、王に向かって深々と頭を下げた。

 王はジャンに目を向けた。「そろそろ始めよう」

 ジャンは来賓席を立ってスイの隣に並び、シャルルにお辞儀をした。

「それじゃあ、私のことを怒ってないのね?」スイは、こっそりジャンにたずねた。

 ジャンは頭を上げてから、スイを見てにこりと笑って言った。「君に腹を立てる理由なんてないよ。それに、陛下には悪いけど、僕は皇帝でも王でも、国をちゃんとまとめてくれるなら、どっちでも構わないんだ」

「吾輩は構うぞ」シャルルが口を挟んだ。「次期国家元首の候補に吾輩が含まれているのは、いささか不満をおぼえる」

「他に適当な人がいないんですから、あきらめてください」ジャンは王に向かってぴしゃりと言ってから、再びスイに目を向けた。「準備は出来てる?」

「ええ」スイは頷いた。「あなたは?」

「緊張しすぎて吐きそうだ」

「そうは見えないけど?」

「この三日間で、王族らしい振る舞いってやつを叩き込まれたんだ。王族は、どんなときでもそれらしく笑えなきゃいけないんだってさ」

「知ってるわ」スイはくすりと笑った。「イゼルも同じなの。ひょっとすると、世界共通なのかも知れないわね」

「とにかく僕は今、逃げ出したくてしかたがないってことだよ」

「それは無理よ」スイは断言した。「だって、私が手を繋いでるんだもの」

 シャルルが一つ咳払いをして、玉座から立ち上がった。「いちゃいちゃするのは、後にしたまえ」

「それはご命令ですか、陛下?」スイはたずねた。

「うむ」シャルルは、しかつめらしい顔で頷いた。「王の命令である」

「大変」スイはジャンに言った。「私たち、後でいちゃいちゃしなきゃいけないらしいわ」

「そうだね」ジャンは厳かに言った。「王命は守らないと」

「子供たち」シャルルは眉間に皺を寄せて言った。しかし、口元には笑みが浮かんでいた。「さっさと吾輩の側へくるんだ」

 二人は段を上り、シャルルの前に立ってから、振り返って居並ぶ議員たちに目を向けた。シャルルは二人の肩に手を置くと、議場全体に響き渡る大きな声で言った。「諸君、紹介させてもらおう。こちらの少年は吾輩の甥で、名をジャンと言う。長らく外国で暮らしていたから、見知らぬ者も多いだろうが、彼は紛れもなく王室の一員だ。今後はみなにもよろしく頼みたい」

 ジャンは微かに頬を染めながら、議員たちにお辞儀をした。議席からは大きな拍手が鳴り響いた。

「そして、先に伝えたとおり、こちらの姫君がイゼル王国の王女、スイ殿だ。彼女の国と我が国が友情によって結ばれることが、両国の大きな利益であることは、先ほどまでの審議によって諸君らが明らかにした通りだ。しかしながら、諸君らが下した決議は、賢明ではあるが少々味気がないように思える」

 議員席がざわついた。

「考えてもみたまえ。紙切れを取り交わし、二人の王がそれに署名して握手をするだけの儀式など、見ている方もやっている方も地味すぎてつまらぬだろう。どうせなら、国民も含めて喜びを分かち合えるような催事にしようではないか」シャルルは一呼吸おいて、議員たちを見渡した。「吾輩は、この若い二人の婚約をここに宣し、アルシヨンとイゼルの両国が友情のみならず、婚姻によって結ばれることを約束する。これは、イゼルの国王であるゼエル殿も承知のことだ。つまらぬ理由をひねり出して反対するような野暮は、勘弁してくれたまえよ?」

 シャルルが話し終えて玉座に座ると、議員たちは隣り合った者同士で熱心に討論を始めた。

「モラン」と、シャルルが呼ばわると、どこからともなく侍従が現れ玉座の前でお辞儀した。「二人に椅子を持ってきてくれ。長丁場になるからな」王はモランに命じた。

「かしこまりました」

 モランはすぐに簡素な椅子を二脚持ってきて玉座壇に上り、玉座の前にそれを置いて立ち去った。子供たちが腰を降ろすと、シャルルは議長に目を向けた。白髪の議長は席に着き、朗々と響く声で言った。「静粛に」

 議員たちは話すのをやめて議長に注目した。

 議長は、一つ咳払いをしてから言った。「本来であれば、王室の婚姻は王の専権であり、我ら議会が口を挟むことではない。しかしながら、陛下はそれに関する議論を、我らに預けてくださった。我らは陛下の決定について異議ではなく、有益な助言を与えられるよう努力せねばならない」議長はぐるりと議員たちを見回した。「以上だ。では、始めよう」

「議長」すぐさま声が上がり、挙手する者がいた。

「シセ将軍」と、議長はその貴族に目を向け呼ばわった。

 挙手した貴族が立ち上がった。それは固太りの小男で、先端がぴんと上を向く逆への字の口髭をたくわえていた。褐色の髪は頭に撫でつけられ、油でてかてかと光っている。彼は濃い眉の下にあるぎょろりと大きな目で議長を睨み付けた。

「彼がメーン公爵?」ジャンが言った。

「ええ」スイは頷いた。「前に一度、見かけたことがあるわ。でも、彼とは挨拶さえしたことがないの」

「君たちは彼と交渉してたんだよね?」

「私は蚊帳の外だったから」スイは肩をすくめた。

 メーン公爵が口を開いたので、二人はこそこそ話し合うのを止めた。

「はじめに言っておくが、私は彼らの婚約にケチをつける気はない」と、公爵。「しかし、陛下のなさりようはいささか急ぎすぎる。イゼルとの交渉の件も、議会に知らされたのはつい昨日の事だ。そのための審議と採決で、今日は多くの重要な議案が後回しにされてしまった。婚約のあれこれに関する決め事は、陛下に任せられたとあれば議会にとって名誉なことではあるが、別段、急ぐ話ではない。従って、それは後へ回し、本来の議事進行に戻すべきではないか」

 他の議員席から、熱心に同調する声がいくつも上がった。おそらく彼らが将軍派の議員なのだろう。

「どう言うこと?」ジャンが誰とはなしにたずねた。

「メーン公爵は彼を皇帝の位に就かせると言う議案を、早く採決したいのだ」シャルルが答えた。「どうやら彼は、吾輩が議事を妨害するために、くだらない議案を割り込ませていると考えているらしい」そう言って、彼は肩をすくめた。「まあ、実際その通りだ」

「私たちの婚約は、くだらなくないわ」スイはむっとして言った。

「吾輩が、そう考えているわけではないぞ?」シャルルはたじろいだ。

「だから、メーン公爵に怒ってるんです」スイは、ぷいとそっぽを向いた。「私、あの人嫌いだわ」

「そんなことをして、意味があるんですか。その、時間稼ぎのようなことをして?」ジャンはいぶかしげにたずねた。

「もちろん、あるとも。会期中に採決されなかった議案は、全て廃案となるからな。吾輩の強みは、王が発議した議案が何にもおいて優先されると言う法律があることだ。今夜の食事のメニューについて審議したまえと吾輩が言えば、それすらもまじめな議案として扱われる。ただし、議長が認めればだが」

 肉の焼き加減を真剣に議論し合う貴族たちの姿を思い浮かべ、スイは思わず吹き出しそうになった。しかし、彼女は恐ろしい可能性に気が付いた。「もし、私たちの婚約についての議案が後回しにされて廃案になったら、婚約は解消されるってことですか?」

「それはない」シャルルは首を振った。「君たちの婚約はすでに決まったことで、この議案は、それを国民にいつ知らしめ、いつ式を執り行うか、式には誰を呼ぶのかなどを話し合うためのものだ。もっとも、それは議長が言ったように、吾輩が勝手に決めても構わぬことだから、本来であればわざわざ議会に掛ける必要はない」

 スイはほっとため息をついた。しかしジャンの方を見ると、彼はなにやら難しい顔をして考え込んでいる。

「では、シセ将軍の動議について採決を行う。賛成者にはご起立いただきたい」議長が言った。

 立ち上がった議員の数は議場の半分以上を占めていた。

「見ての通り」シャルルは苦り切った顔で言った。「ブルネ公爵が暗殺されたせいで、吾輩の会派はすでに少数派なのだ。奇策でも愚策でも、できることはなんでもやらねばならぬ」

 議長は賛成多数であることを認め、次の議案の審議を進めるよう議員たちに命じた。しかし、議事の進行はシャルルの横槍で、たびたび遅れた。始末が悪いことに彼が思い付きで発する議案は、まさに議員たちが取り上げている議題に深く関わりがあり、しかも無視できない程度に重要だったから、メーン公爵も後回しにしろとは言い出せず、あきらかにいら立っていた。加えて、表決をとる方法に投票が採られた時は、演壇に置かれた投票箱へ行くまでの道程にたっぷり時間を掛ける議員が現れた。ジャンは田舎道を歩く牛のようだと評し、スイの目には雪の中で重荷を引くトナカイに見えた。彼らはみな国王派の議員で、こののろまな歩き方は、シャルルの横槍と同じく、会期切れの廃案を狙った時間稼ぎのようだ。

「会期って、何日くらいあるんですか?」ジャンはシャルルにたずねた。

「七日だ」

「皇帝を任命する審議はいつ?」

「そうだな」シャルルは顎をかきながら言った。「あと二つか三つ、議案を片付けた後だろう」

「それじゃあ、会期切れなんて無理じゃないですか」

「うむ」シャルルは渋い顔をした。「実を言えば、そうなのだ。しかし、それでも時間を稼がねばならぬ」

「何か、他の作戦があるんですね。援軍でも来るんですか?」

「ジャン」シャルルは片方の眉を吊り上げた。「君は少し、物事を見通しすぎるところがあるな。もう少し成り行きを見守るくらいでないと、人生はつまらんぞ」

「農家の性分なんです」ジャンは肩をすくめた。「マルコおじさんなんて、いつ、どの畑で、何がどれくらい穫れるのかを、始終考えてますよ」

「君が王になったら、我が国はそこら中が畑だらけになってしまいそうだ」シャルルは苦笑した。

「牧草地も作って欲しいわ」スイは口を挟んだ。「こっちは暖かいから、羊も育てやすいと思うの」

「ねえ」ジャンは言った。「二人とも、僕がまだ皇太子ですらないってこと、わかってる?」

 それからも、シャルルと国王派の議員は妨害を続けたが、彼らの努力もむなしく議事は着々と進行し、ついに議長はシセ将軍の皇帝即位と承認に懸かる諸法案について、採決を行うと告げた。

「どうやら、間に合わなかったようだな」シャルルは立ち上がり、二人の子供たちに言った。「君たちは、来賓席へさがっていたまえ」

 スイとジャンも立ち上がり、シャルルに伴われて玉座壇を降りた。そして、議長に向かって何事かを話すシャルルを残し、彼に命じられた通り二人は来賓席へさがった。

「どうした?」アランが首を傾げて訊いてくる。

「陛下が、何かしようとしてるんだ」ジャンは言った。彼は素早く女中に目を向けた。「ジョゼットさん、アランの剣を持って来られないかな?」

「ごめんなさい、議場に武器は持ち込めない決まりなんです」ジョゼットは申し訳なさそうに言った。

 ジャンは考え込み、それからクセに目を向けた。「クセさん、スイを連れて、ここから大急ぎで逃げてください」

「どうしてですか?」クセは、いぶかしげにたずねながらも席を立ち、スイの肩に手を掛けた。二人の使者もただならぬ事態だと気付いたのか、王女と侍女を守るような位置に立った。

「メーン公爵は、クーデターを企んでいるんです」

 スイは息を飲んだ。しかし、クセが眉一つ動かそうとしなかったので、スイは彼女がこの事を承知していたのだと気付いた。

 ジャンは疑いの色を目に浮かべながらも、さらに続けた。「もし陛下が、公爵の即位を邪魔することに成功したら、公爵はそれを実行に移すかも知れません。もちろん、そうなる可能性は低いでしょう。でも、騒動が始まってからでは遅いんです。お願いできますか?」

 スイは、議員席でにやにや笑いを浮かべる公爵に目を向けた。シャルルは王であることを不本意に思っているが、反対に公爵は自分が皇帝になることを当然だと考えているようだ。そして、権力を持つことが当然だと考える人間は、それにまつわる責任を無視するきらいがある。そんな人間が、玉座にふさわしいとは到底思えない。ましてや、そのために自分の王へ弓引くことを企むなど、破廉恥極まりなかった。

「そう言うことでしたら、心配には及びません」クセは笑顔で言った。

 ジャンは目をすがめて侍女を見た。「やっぱり、あなたは知ってたんですね?」

「はい」クセはあっさりと認めた。「その時は、我々とあなたの身の安全をはかるよう、公爵閣下から約束をいただいております」

「僕も?」

「我々は、あなたと殿下のお子を、次の王に迎えたいのです。あなたに死なれては意味がありませんから」

 よもやクセたちが、そんなことを考えていたとは知らず、スイは思わず顔を赤らめた。

「もっとも、シャルル陛下がどんな手を使ったところで、将軍閣下が思い切った手段をとるような事態になることは起こらないでしょう」不意に、クセはくすくすと笑い出した。「それにしても、まさか宰相閣下を暗殺するなんて、思っても見ませんでしたわ。あの男は野望のためなら、自分の治めるべき国がなくなっても構わないようですね」侍女は議員席へ目をやった。「あの人たちは、何を考えてあんな愚か者を担ぎ上げているのかしら?」

「担ぐ荷物は軽い方がいいって考えてるんですよ」ジャンは肩をすくめて言った。

「そうですね」クセは同意した。「愚か者の方が御しやすいのは確かです」

 不意に、議場の扉が開け放たれた。それはスイたちが入場したときに使った入口で、姿を現したのは役人の服を着た男だった。彼は議長席に駆け寄り、そこにいた王と議長に何事かを話しかけた。スイは、王の口元に笑みが浮かぶのを見て取った。王が二、三言い含めると、役人は何度か頷いて駆け出し、入ってきた扉から出て行った。まもなくラッパが吹き鳴らされ、再び扉が開いた。

 先頭に立って現れたのは、赤い縁取りのある黒い服を着た中年の貴族だった。体型は樽のようで、その髪はジャンと同じ淡い金髪だ。

 彼を見て、ジャンは息をのんだ。「マルコおじさん?」

 スイは、その名前に覚えがあった。確か、シャルルを嫌っているとか言うジャンの養い親だ。

 続いて議場に入ってきたのは、灰色のマントに身を包んだ黒髪の小男だった。彼の身の丈は少年のジャンとさほど変わりなく、ひどく油断のならない目つきをしている。どう見ても貴族ではないし、およそ高貴な人々が集まる貴族議会を訪れるような人物と思えない。そして、最後に現れた男は、さらに輪を掛けてこの場に不似合いな人物だった。全身緑ずくめで安物のリュートを背負い、頭にはスイが見たこともない大きな羽の付いた帽子を被っている。しかし、何よりも奇妙なのは、彼が笑顔をかたどった白い仮面を被っていることだった。一体、何者たちだろうとスイが見守っていると、議席がざわつき始めた。

 黒い服の貴族は、自分を指さしてひそひそ話し合う議員たちに構わず、真っ直ぐジャンのところへやって来て、彼に優しい笑顔を向けた。「それは、お前の父さんの服だな。似合ってるじゃないか?」

「おじさんこそ」ジャンは笑い返した。「でも、遅かったね。着替えるのに手間取ってたの?」

「ああ。貴族の服なんて久しぶりだからな」マルコはにやりと笑った。彼はスイに細めた目を向けた。「すると、君が私の新しい姪っ子だな?」

「スイと申します、閣下」スイはあわててお辞儀した。

「殿下」マルコは完璧なお辞儀を返した。「人たちは私をヴェルネサン伯爵などと呼んでおりますが、もし殿下のお気に召せば、私のことはマルコおじさんと呼んでいただきたい」

 そう言って人懐っこい笑みを向けてくるマルコを見て、スイは嬉しくなった。彼女は今、ジャンの家族から新しい家族として迎え入れられたのだ。スイはにこりと笑みを返して言った。「はい、マルコおじさん」

「旦那」と、灰色のマントの男が言った。「鼻の下が伸びてるぜ?」

 マルコはむっとして何かを言い返そうとしたが、先に口を開いたのは仮面の男だった。「ちょいとカラスの旦那。そりゃあ、野暮ってもんだよ」

「なんだって?」カラスは片方の眉を吊り上げた。

「こんなに可愛らしい姪っ子が急に出来たんだ。ご立派なヴェルネサン伯爵にだって、でれでれする権利くらいあるってもんさ」

「弁護してくれてありがとうよ、ジロー」マルコはため息をついた。「さっさと、シャルルを助けに行こう。ジャン、お前も来てくれ」

 ジャンは頷き、それからスイに目を向けた。「行ってくる。クセさんから離れないようにね」

 スイは頷き、議長席へ向かう四人の背中を見送った。彼らは王と議長も交えて何事かを話し合い、ほどなくして議長は小さく頷き、ざわつく議員たちに向かって言った。「静粛に」

 議場はしんと静まりかえった。

「すでに諸君らも気付いておられると思うが、たった今、ヴェルネサン伯爵が見えられた。まずは彼との思いがけない再会を歓迎しよう。そして、彼からみなに一言申すことがあるようだ」

 議員たちは、ジャンの伯父の登場を熱心な拍手で迎えた。マルコは一歩進み出て、拍手が鳴りやむのを待ってから口を開いた。「諸君、取り急ぎ聞いて欲しいことがある。まず、シャルル陛下に対するあらぬ誤解についてだ。どうやら彼は、先王陛下から玉座を奪い取った卑劣な私生児と考えられているようだが、それは違う。先王陛下は魔王討伐と言う大業を前にして、唯一の弟君であるシャルルに自ら国家の行く末を託したのだ。私はその場面をこの目で見たし、先王陛下のご意志もはっきりとうかがっている。もし、これを疑う者があれば、ただちに名乗り出てくれ」マルコはぐるりと議場を見渡した。異議をとなえる者は、一人として現れなかった。「ありがとう。では、もう一つの誤解も解くとしよう。先王陛下に関わりの深い者たちが姿を消した理由について、シャルル陛下が関わっているなどと言う馬鹿馬鹿しい話だ。しかし、ご覧のとおり私はぴんぴんしているし、むしろ腹の肉が数インチ増えた」

 議場は遠慮がちな笑いに包まれた。

 マルコは続けた。「先王陛下の友人や家族が姿を消したのは先王陛下の命であり、それには三つの意味がある。一つはシャルル陛下の治世に異を唱える輩が現れないようにするためだ。先王陛下は、最初に言ったような誤解が生まれるであろうことも承知しておられた。そこで、自身の痕跡を王国から消し去ろうとお考えになったのだ。彼がどれほどの覚悟を持って事に臨まれたか、この事実からもうかがえるだろう」マルコは言葉を切り、メーン公爵をじろりと睨んだ。「もう一つは、他人の成功を自分の手柄のように考える輩に備えての事だ。ただ英雄と生国が同じと言うだけで、自分までも英雄の一人であると勘違いするような浅はかな連中は、酒場で自慢話をしているだけならば無害だが、それを口実につまらん野望を抱くこともある。それが田舎のくたびれた親父ならまだしも、国家権力の中枢に立つ人物であるとするなら、騒動の種にしかならない」

 メーン公爵は目をすがめてマルコを睨み据え、マルコはそれを正面から受け止めた。先に折れたのはメーン公爵で、彼はふて腐れたようにそっぽを向いて目を逸らした。

「もう一つは、彼が魔王討伐を果たせず魔界にて命を落とした場合、その非難が彼の係累に向かうことを恐れたためだ。残念なことではあるが、善意を義務とはき違える輩が多いのも事実だからな。しかし、剣王は魔王を打ち倒し、彼の心配は無用のものとなった。だから私は、シャルル陛下と共通の甥について、みなにその素性を明かそうと思う」そう言って、マルコはジャンの肩に手を置いた。

 ジャンはいぶかしげに、自分の伯父を見上げた。

 マルコはやや上を向き、議場の天井辺りを見据え、大きく息を吸い込んでから高らかに宣言した。「彼こそは最後の英雄である剣王アランが一子、すなわち先王陛下が御子である」

 議場が大きくどよめいた。スイは思わず両手で口を覆った。そうしなければ、悲鳴が飛び出しそうだったからだ。彼女も、剣王を神のように慕い敬うイゼルの民の一人だ。自分の婚約者がよもや、その剣王の息子だったとは、思いもよらなかった。

「見つけた」クセがつぶやいた。

 スイは侍女に顔を向け、「何を?」と問い掛けようとした。しかし、その質問は喉の奥で凍りついた。クセは、どう言うわけかぞっとするような笑顔を浮かべ、ジャンを見つめていた。

「さて」と、シャルルが一歩進み出て、メーン公爵を睨み付けた。「なあ、将軍。君は先王が得るべき権利を吾輩から奪い返すため皇帝になりたいのだったな。どうやら、それを果たす時が来たようだ」彼は議長に目を向けた。「採決が必要かね?」

「いいえ、陛下」議長は肩をすくめた。「彼の高潔な目的の達成に、皇帝の椅子は必要無さそうですからな」

 メーン公爵は椅子を蹴倒して立ち上がり、ぎりぎりと歯噛みしながらシャルルを睨み据えた。「こんな、馬鹿げた話があるか!」彼は右手を高く上げ、それを振り下ろした。しかし、いくら待っても何事も起こらず、彼は不安げに議場の扉へ目をやった。

「皇帝陛下には申し上げたき儀がございます」カラスが前へ進み出て、大仰な仕草でお辞儀した。「あんたの兵隊たちは、みんなとっ捕まえて地下牢へぶち込んである。あんたが、ブルネ公爵の暗殺に集めた傭兵を使うなんて馬鹿な真似をしてくれたおかげで、彼らの潜伏先がわかったんだ」

 公爵は青ざめ、脂汗を流し始めた。

「ついでに言うとな」カラスは続けた。「あんたが謀反を企てた証拠も押さえてあるんだ。観念したほうがいいぜ?」

「クセ!」公爵は素早くイゼルの侍女に目を向けた。

「使えない男ね」クセは舌打ちをした。彼女は二人の使者に目配せして言った。「お前たち」

 使者たちはクセを見て一つ頷くと、やにわにスカートの裾を跳ね上げ、腿に結わえつけていた短剣を引き抜いた。それは波打つ刃を持つ奇妙な形をしていて、刃の中央には六角形の小さなが穴が空いていた。そして、ぎょっとする間もなくスイの胸元には、使者たちの剣と同じ形の刃が突き付けられていた。その柄を握るのは、クセだった。

「スイ!」ジャンが叫んで、こちらへ駆け寄ろうとした。しかし、少年はたちまちマルコに取り押さえられた。

「さて、紳士のみなさん」クセはぐるりと辺りを見回し、嘲るような笑みを浮かべた。「この娘を助けたければ、おとなしくしていただきましょうか?」彼女は、ふと思い出したようにアランとジョゼットに目を向けた。「あら、淑女もいらしたのね」

「おとなしくと言われても、我々は武器も持ってはおらぬのだ」シャルルは両手を広げて言った。「そもそも抵抗のしようがない」

「もちろん承知してますわ、陛下。ちょっと言ってみたかっただけです」クセはくすくす笑った。彼女は議員席で立ち尽くすメーン公爵に目を向けた。「何をしているの、グズ。さっさとこっち来なさい」

 公爵は弾かれたように走ってきて、クセの後ろにこそこそと隠れた。

「始めなさい」クセは二人の使者に命じた。

 二人の使者は向き合うと、互いの胸に短剣を突き立てた。彼女たちは一瞬、苦痛に顔を歪めたが、剣を引き抜いた途端、その表情は恍惚に変った。引き抜かれた刃の六角形の穴には、いつの間にか緑色の宝石がはまり込んでいた。

 スイは目の前で起きた惨事から目を逸らし、震える声でたずねた。「クセ、なんのつもり?」

「じきにわかります、殿下」クセはにやにや笑いながら答えた。

 使者たちの手から短剣が滑り落ち、絨毯敷きの床の上でごとりと重たい音を立てた。使者たちは虚ろな笑顔を浮かべたまま、ぎこちない動きで議長席の方を向いた。その時になってスイは、彼女たちが一滴の血もこぼしていないことに気付いた。使者たちの身体からは枯れ枝を踏み折るような音が聞こえた。彼女たちは衣服を縫い目から裂きながら、伸びて膨らみ、節のある無数の足を脇腹から生やして、見る間に巨大なムカデに姿を変えた。しかも、ただ図体がでかいだけではなく、その額には恍惚の笑みを浮かべる使者の顔をはり付け、無数にある節足の歩肢に紛れて人の手足を何本も生やしたおぞましい姿をしている。

 しんと静まり返っていた議員席の方から、「魔物だ」と呟く声が聞こえた。それを引き金にして、議員たちは叫び声を上げながら出口に殺到し始めた。

「ちょっと、うるさいわね」

 クセが不機嫌そうにつぶやくと、一匹の魔物が素早く床を這って出口に取り付いていた議員たちを蹴散らした。魔物は出口の前にとぐろを巻いて、怯える議員たちを睨み据えながら毒を垂らす顎肢をがちがちと打ち鳴らした。

「みっともない真似は止めてくれるかしら」クセが言うと、議員たちは泣き叫ぶのを止めた。「そう、それでいいわ。あまりうるさくすると、今すぐ皆殺しにしますからね」

 スイは、もはや起こっていることを理解できなかった。見知った者たちが魔物に姿を替え、厳しいながらもずっと彼女に付き従って来てくれた侍女は、彼女の心臓に刃を向けている。

「可哀想な殿下」と、クセは猫なで声で言った。「泣いて、笑って、恋をした時間が、全部まがい物だったなんて、思いもよらなかったでしょう?」

 スイは首を捻って侍女の顔を見た。それは、いつもの彼女の笑顔だった。笑っているのに、目だけが笑っていない。そして彼女は、なんのためらいもなくスイの胸に波打つ刃を突き立てた。

「何をしている、クセ」メーン公爵が耳障りな声で叫んだ。「人質だぞ?」

「人質? 馬鹿言わないで」クセが嘲るように言った。

 不思議と痛みを感じなかった。ただ、あばらの隙間から体内へ滑り込んでくる金属の感触を、スイはひどく不快に覚えていた。議長席のところでは、マルコに羽交い絞めにされたジャンが、めちゃくちゃに手足を振り回しながら何事かを叫んでいた。来賓席の所では、アランとジョゼットが恐ろしい顔でこちらを睨んでいる。もちろんそれは、スイに向けたものではないだろう。スイは、彼女たちを怒らせるようなことをした覚えはない。

「殿下」スイの耳元で、クセが言った。「気付いてないと思うけど、あなたはとっくに死んでるのよ。だって、国境を越える前に、あなたたちは私たちに皆殺しにされたんですもの。そして私たちは、あなたの姿を真似て作った魔物に、記憶を適当に書き換えたあなたの魂を植えつけ、イゼルからの使者のふりをしてここへやって来た。本当なら、あなたが皇太子と結婚して王都をパレードしている最中にでも、魔物に戻して夫を食い殺させようと思ってたんだけど、ちょっと予定が変わってしまったの。なかなか素敵なシナリオだと思ってたのに、本当に残念だわ」

 スイの視界が、ふと暗くなった。シャンデリアの蝋燭が、不意に何本か消えたかのようだ。さらに眠気を覚えて、立っているのがつらくなってきた。いっそ床に突っ伏して眠ってしまいたいのに、クセが後ろから支えているせいでそうすることもできない。じんじん響く耳鳴りの向こうで、ジャンが何度も「スイ」と呼んでいるのが聞こえた。ごめんね、ジャン。私、本当に眠いの。

「だから、代わりにシャルルと、あのでぶの貴族を殺してくれるかしら。ああ、もちろんジャンに怪我をさせてはだめよ。彼は、魔王様のところへ連れて行かなきゃならないから。ちゃんとできる?」

 スイは、のろのろと首を振った。できるわけがなかった。スイは、気の置けない王様のシャルルが大好きだった。今日、初めて会ったばかりだが、優しい笑顔のマルコおじさんも、嫌いになる理由などなかった。もちろん、彼女が肢を一振りするだけで、二人をばらばらにできることはわかっている。でも――

「大丈夫、あなたならできるわ。ほら?」

 クセが刃を引き抜いた。刃の穴には緑の宝石がはめ込まれていて、スイの胸に空いた穴からは血の一滴もこぼれてこなかった。視界は急速に暗くなり、人たちの声もうるさい耳鳴りに飲まれて消えた。スイはぽろりと涙をこぼしたが、もう、そのわけを考えることはできなかった。そして意識が消える間際、彼女は図書室の本を借りっぱなしだったことを思い出した。

 そうだった。本を返しに行くついでに、一緒に王宮探検の続きをするんだったわ。一緒に、ジャンと一緒に。でも、今日はもう眠いから、また明日ね。

 もう、何も見えなくなった目を、スイは恋人がいる方へ向けた。明日の朝を思ってわくわくしながら、彼女は「おやすみ、ジャン」と言った。声は出なかったから、唇だけを動かした。それでも、彼ならきっとわかってくれるだろうから、彼女は何も心配していなかった。

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