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夜咲き峰の人々  作者: 三茶 久
第二章 火の主の愛し子
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それぞれの変化 -琥珀-

 エリューティオの部屋を出たところで、大きく息を吐く。入り口の外にはロディ・ルゥが控えていて、ルカが無事に出てきた様子にあからさまにほっとしていた。


「私、火ノ鹿の誘いには、乗らない」

「はい、承知しております」


 ルカの言葉に頷きながら、今度は彼と一緒に、長い螺旋階段を下ってゆく。



「ねぇ、ロディ・ルゥ。火ノ鹿のことを、貴方は知っていたの?」

陽炎(かげろう)の連中ですか――詳しくは、よく。他の地に干渉することなど、なかったことですから」

「……そう。だったら何故、彼は急に私を」


 唐突に訪れた嵐のような訪問。わけも分からず唇を奪われ、子を産めと言われた。

 見知らぬ妖魔にあのようなことを言われて、混乱しない方がおかしい。しかも、彼は“火ノ鹿”だけではない。“火の主”とも名乗った。それはすなわち、夜咲き峰の様な場所がこの世に存在して、そこの筆頭、ということにでもなるのだろうか。



「鷹があの場にいましたね」


 ロディ・ルゥは冷静に、ある可能性を示唆してくる。

 たしかに彼の言うとおりだった。確かに、オミの姿をルカは見た。すぐに空気に溶けてしまったけれども、やけに印象的な五分の三裸を見間違えるはずがない。


「彼が連れてきた可能性は十分にありますが――しかし」


 その考えを悟らせぬよう、ロディ・ルゥは押し黙る。

 ルカもまた、同じように息を吐きながら、オミのことを考えてみた。

 名前を縛った妖魔。最初からルカに付きまとい、特殊な執着を見せた彼。なのにどうして今更、ルカを裏切るような真似をしたのだろうか。


「名を縛っても、命を刻まなければ、影響はない?」

「そんなことはないですよ。どうあったとしても、鷹にとっても貴女は主。ただ、仕え方はそれぞれですから」

「オミもまた、何か、私のためを思って行動してくれている……ってことなのよね」


 良い迷惑だけれど、とため息をつく。

 エリューティオもそうだが、オミもまた、ルカに隠し事がありすぎる。なにか事を起こす前にいちど相談してくれたらいいものの、良かれと思って立ち回られてしまうのが良い迷惑だ。

 とは言っても、エリューティオに宣言したとおり、ルカは強制的に命を彼自身に刻みつけるつもりはない。

 そんなものは、ロディ・ルゥのみで十分。はっきりと自覚はしなかったけれども、ルカがロディ・ルゥを変えたのは、彼の名を呼んだとき、その心に命を刻みつけたからなのだろう。




 難しい顔をしながら下弦の峰の方へと向かう。丁度回廊を渡りきったところで、ルカは見慣れた後ろ姿を発見した。

 クリーム色の柔らかい髪。身長はそんなに高くない、少年といった印象の妖魔。

 ルカたちの足音に気がついたのだろう。少しそわそわした表情を見せながら、彼はゆっくりと振り返る。


「琥珀」

「ルカ。昨日はよく眠れた?」


 頬を緩めた彼の表情に、少しほっとする。こくり、と頷くと、琥珀もまた、安心したようにいちど頷いて見せた。


「よかった。――ねえ、ルカ。少し、話があるんだ。いいかな?」


 決意を滲ませた琥珀色の瞳。しっかりとその瞳に見つめられ、ルカは頷くことしかできない。そんなルカを見て、良かった、と彼は再び安堵の色を滲ませた。




 ***

 



 琥珀に連れられて、彼の部屋を訪れる。ロディ・ルゥに席を外してもらい、琥珀と二人になった。

 穏やかな秋を思い起こさせる柔らかい色彩がルカを迎えてくれた。今の彼の部屋は、ベージュと蜂蜜色、そこに赤煉瓦のような甘い赤茶色がアクセントとなっている。

 優しい色合いで統一された空間だが、どうも既視感を覚える。


 寝台こそ、ルカの部屋のようにお姫様のような甘い天蓋が付いていないが、飾り棚も、ソファも、テーブルも――大きな円テーブルを置く前のルカの部屋と比較的近い作りになっていた。

 内装をコロコロ変えるのは彼の趣味だが、この部屋は、彼にとって居心地の良い空間ではない。ルカにとって過ごしやすい場所。

 皆が使用できるようにと模様替えしたルカの部屋の代わりに、居場所を作ってくれたのだろうか。驚きに目を丸めると、琥珀はルカから視線を逸らす。



 ルカの訪れを察知するなり、奥から眷属たちがぞろぞろと現れた。一人が手を引きルカをソファーに誘い、もう一人は紅茶を用意する。しっかりと香り立つ紅茶は、ルカの好む、スッキリとした味わいだった。


「ルカを部屋に呼びたいなって思ったら、こうなってた」


 少し気恥ずかしそうに、琥珀はルカの隣に腰を下ろす。が、とてもではないが、平常心ではないらしい。両膝を抱え込んで、そこに顔を埋めていた。耳まで真っ赤にしながら、おし黙る。


「……を馬鹿にできないな」


 後悔するように呟く彼の言葉を全て聞き取ることは叶わなかった。ますます強く膝を抱え込む彼に触れようとするが、どうしても憚られて、ルカは肩を落とす。


 何を語るわけでもない。紅茶に口をつけ、味わう。彼のおもてなしを受けること。それがルカにできる全てのことだった。




「ルカはさ、これからどうするの?」

「うん……」


 ぽつりと。呟かれた疑問に、ルカも視線を落とす。

 今日、改めてエリューティオと話していたのを知っていたからだろう。名目上とはいえ、婚約者と話してきたのだ。火ノ鹿の話題を含めて。昨日ルカを助けてくれた琥珀が気になるのは当然のこと。


 本当はルカの言葉を聞くのが怖いのか、琥珀の体が小刻みに震えている。そんな彼の様子に胸を痛めながら、ルカは静かに、そしてはっきりと言葉にした。


「昨日の夜、みんなに伝えたのと何も変わらない。火ノ鹿のものにはなりたくないよ」

「風の主のことは?」

「……わからない。彼は結局、何を考えているのか、教えてはくれなかった」


 苦笑いを浮かべながら、ルカは首を横に振る。そして琥珀の方へ視線を向けると、彼は膝に埋めていたはずの顔を、ルカにまっすぐ向けていた。

 本当に聞きたいことはそれじゃない、と告げられているようで、ルカも言葉につまる。


 澄んだ琥珀色の瞳。

 口をぎゅっと結んで、真剣にルカを見つめる彼の気持ち。ただただ慕ってくれるばかりでないことは、もう、わかっている。

 圧倒的な力の差を前にして、彼は身体を張ってルカを助けてくれた。絶対的な強者であるエリューティオに意見してまで、自分の気持ちを明らかにしてくれた。 




「琥珀、私――」


 ぽつりと、彼に呼びかける。琥珀もまた、表情を強張らせてルカを見た。


「エリューティオ様が、好き」


 先ほど本人にも伝えてきた素直な言葉。

 嘘偽りのない気持ちをまっすぐ伝えると、琥珀はわずかに息を吐く。瞳を翳らせたのも僅か、その顔にしっかりと笑みを浮かべて。



「――そっか」

「うん」


 くしゃりと目を細めて、彼は言葉をこぼす。そっか、そうかと同じ言葉を何度も繰り返し、何度も頷く。


「ルカは――遠いなぁ……」


 しみじみと呟く彼の言葉は、まるで自分に言い聞かせているようでもあった。何も返す言葉が思い浮かばなくて、ルカは両手を握りしめる。


「わかったよ。教えてくれて、ありがとね」

「琥珀」

「そんな顔しないで。まずは、火ノ鹿をなんとかしないといけないしね」

「……」


 ごめんね。という言葉が喉まで出かかっているが、声に出すのをやめた。彼はそのような言葉を求めていない気がするから。だから、今伝えるべきは、感謝の言葉。


「ありがと」

「うん」


 大きく頷いて、彼は両手を伸ばしてくる。ルカの首にそれらを巻きつけて、一度だけ、ぎゅうとルカの体を抱きしめた。

 しかし、瞬きをしている間に彼は側を離れる。そしてルカから顔を背け、震える声で告げた。



「教えてくれて、ありがとう。――やること、たくさんあるよね。みんなも心配してるだろうし」

「ううん、大丈夫」

「僕は後で顔を出すから。行っていいよ。きっと、みんな待ってる」

「……」


 声に嗚咽が混じり出して、ルカは立ち上がる。けしてその顔を見せないように振る舞う琥珀の背中。ルカには見せたくないのだろう。

 わかった、行くね。そう言い残し、ルカは入り口に向かって歩き始めた。

 部屋を出る際、ちらりとだけ、振り返る。そこには変わらず、背を向けたまま、静かに嗚咽を漏らす彼の姿があった。

琥珀の気持ちを受け止めて、それでもなお、ルカの決意は揺るぎません。


次は兄たち人間とのお話です。

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