表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
夜咲き峰の人々  作者: 三茶 久
第二章 火の主の愛し子
98/121

それぞれの変化 -ルカ-

 長く続く螺旋階段を昇ってゆく。

 自らの足で、峰を移動することはなかなかに骨が折れるけれども、ルカもすっかりと慣れてしまった。

 一段一段、彼の部屋に近づくとともに、心臓の鼓動が大きくなるのを感じる。



「ロディ・ルゥは、どうするつもりなの?」


 ルカ自身の意思で、わざわざ呼び出した上級妖魔の名を呼ぶ。

 火ノ鹿の行為を黙って見ていた彼、ロディ・ルゥにも、その意図を聞かねばならないと思っていた。


「――私は、ルカ様の意思に従うつもりでいますよ」

「昨日は、黙って見ていたようだけど?」

「……主の器が広げられるのを、止める理由もないと思いましたので」


 女の花梨とは、まったく見方が異なっている。

 子を孕むことに対する軽視ももちろん。そのための行為を、誇りを傷つけられると認識するか、力を分け与えるものだと思っているのか。

 ロディ・ルゥは、かつて薊に力を分け与えていたから、特に偏っているかもしれない。


「私は、嫌だった」

「肝に銘じます」


 ロディ・ルゥは少々合理的にものごとを見過ぎている気がある。

 彼までが火ノ鹿にルカを差し出そうとするならば厄介だと思っていたが、合理的過ぎるが故、彼の言葉に偽りはない。――隠しはするけれども。

 少なくとも、火ノ鹿のものになりたくないという意思は、受け取ってくれたらしい。




 峰の頂上までたどり着き、ロディ・ルゥに中に声をかけてもらう。だが、彼は困ったように静かに首を横に振る。

 それでもルカの足は止まらない。問答無用でエリューティオの部屋の前に立った。皆が心配するのら知っているけれど、まずはエリューティオと話がしたい。その一心で今、ルカはこの場所にいる。

 ロディ・ルゥに、中に入らぬように命じ、ルカは己の手をその扉へとあてた。


 どういう仕組みなのかはルカにもわからないが、この扉は、人を選別するように出来ている。エリューティオの他に、ここを私室として使用するルカ、そしてレオンたち従者は出入りが出来るらしいし、その仕様は特に変更されていない。



 扉を潜ると、見慣れた部屋がそこには広がっていた。

 けして広くない空間が、ルカも好きだった。華美ではない装飾も、まるで研究室に籠もってるような感覚になって、気が楽になったからこそ。

 しかし、今は。

 強ばった表情まま、入り口前で立ち尽くす。

 そこには誰の姿もないけれども、ルカにはわかる。彼の気配が、色濃くなっていることを。



「エリューティオ様! エリューティオ様、いらっしゃるんでしょう? 姿を見せて下さいませ!」


 誰も居ない空間で、ルカはひとり声を張った。狭い室内に凜とした声が響くが、彼は姿を現さない。


「エリューティオ様! 姿を現してくれるまで、私、帰りません!」


 何度も何度も、彼の名前を呼ぶ。声は虚しく響くだけだが、彼に届いていることくらいわかる。だからルカは声をかけ続けられる。

 ぐっと両手の力を入れて、高ぶる気持ちのままに、ただただ彼を呼んだ。


「エリューティオ様!」



 そうしてしばし。

 ひとりで彼に呼びかけていると、やがて目の前の空気が溶けるように、ぐにゃりと曲がる。

 その方向に目を向けると、無表情を貼り付けたエリューティオが、いつものようにソファーに身を預けている姿が目に入った。


「……出てきて下さったのですね」


 ルカは、ぽつりと言葉を落とす。じいと、彼と見つめ合ってしばしの時間、まずは彼が姿を現してくれたことに安堵する。



 ――でも、いつもなら、ここでエリューティオ様が手を差し出してくれる。


 そしてルカは、彼の側へ歩むのだ。彼の手前にちょこんと腰掛けたなら、長い腕がルカの腰を絡め取って――そんな当たり前の日常を思い出して、胸が苦しい。

 じっとしていても、今日は彼は手を伸ばさない。ルカを呼ばない。存在を、求めない。




「怒っていたのではないのか――何故、こんな所に来る。妖気の供給、というわけでもないのだろう?」


 淡々と質問をぶつけられて、表情が強ばる。昨日の出来事があっても、何一つ動揺を見せないエリューティオの姿を目にするのは、正直、胸が痛む。

 しかし、ルカは顔を上げた。呼ばれてもいないのに前に進み、勝手に彼のソファーに腰掛ける。


 エリューティオはそこでようやく、戸惑うように目を見開いた。まさか自分から近づいてくるとは思っていなかったのだろう。

 反射的に彼の腕が動く。ルカが側に居ることに反応するかのごとく腕を腰に巻き付けようとして――ピタリと、動きを止めた。彼の中に葛藤が生まれたらしく、ルカに触れる前にそっと手を引いた。

 それがもどかしくて、ルカはまっすぐ、寝そべる彼に視線を落とした。



「怒っています」

「火ノ鹿が現れた今、わざわざ私に会いに来る理由など――」

「エリューティオ様が何も話してくれなかったことに、怒ってます」


 だらだらと言い訳がましいことを言う前に、被せるようにしてルカは告げた。ピクリと彼の身体が動くのがわかるが、ルカは気にせず言葉を続ける。



「貴方が私を娶る気がないのは――とてもとても悲しいけれど、それが貴方のお気持ちなのは理解しました」

「……だったら」

「だからと言って、火ノ鹿にあてがうのは何故ですか。私のためだと貴方は仰ったけれど、私は、納得できません。嬉しくもない」

「……」


 予想通り、エリューティオは何も答えなかった。彼に押し迫ってようやく、いつも涼しげな表情を少し崩すばかり。



「勝手に私の幸せを決めないで下さい。大局を見ろと琥珀に仰いましたけど、私にはその大局もわかりません。話して下さらなければ、何も分かりません」


 だからルカは、ソファーに腰掛けたまま、身体をひねる。彼のすぐ側で、彼と向き合う形になって、その手を彼の胸へと添えた。

 そっと伸ばした手を、彼は拒否しない。ただただ、静かに、ルカの金の瞳を見つめ返してくるだけだった。


「……」

「また、何も仰って下さらないのですね」


 ただただ口を閉じるエリューティオを見て、ルカは眉を寄せた。彼の衣装を掴んだまま、手に力を込める。

 その行動をやめさせようと、彼もまた、ルカの手に己の手を重ねた。

 優しくルカの手を掴んで、そっと解く。それでも、自然と彼の指が触れてきたから、ルカはその手をにぎり返す。振り解くことを許さず、しっかりと、指を絡めた。

 そしてじっと見つめ合いしばし。――長い長い沈黙の後、彼は、諦めるように言葉を絞り出した。



「それは、命令か? ならば、念を込めて、真名を呼ぶと良い。命を刻まれては、私も話さざるを得ない」

「そのようなこと、したくありません」

「私の名を縛っている其方なら、資格はある。――その覚悟もないのなら、何も聞くな」

「覚悟? 勘違いなさらないでください」


 ルカは、覚悟をした。

 しかしそれは、名前を縛って、命じる覚悟ではない。けして、ルカの意思を、命令という形にしない覚悟だ。


「私は、貴方のことを助けただけにすぎません。貴方に命じる資格など、今後も持つつもりはありません」

「縛るつもりもないのに、理解せよと言うのか? 面倒な」

「はい、私は面倒なんです」


 彼の目の前で、にっこりと笑ってみせる。そしてルカの方から顔を近づけた。

 息がかかるほどに近く顔を寄せると、彼はふいと視線を逸らす。指は相変わらず絡んだままだ。

 乱暴な振り解き方をしなかった彼は、それでも少しだけ抵抗するかのようにルカを押す。そうしてわずかに距離をとった。

 そんな彼の一連の行動に戸惑いが感じられて、ルカの表情は緩む。口の端を上げて、少し挑戦的な目で、彼の瞳を見つめた。



「どうしたのですか? 私に、口づけされるとでも思ったのですか?」

「……」

「怖いのですね、貴方も」


 そう告げた瞬間、ぶわりと、部屋中に突風が吹いた。月白の髪の毛がなびき、視界がふさがる。それでも、怖くなどない。彼はけして、ルカを傷つけないことくらいわかっている。


 それよりも、強い感情を見せてくれたことの方がよほど嬉しかった。

 これは彼なりの心の抵抗だ。ルカに対して何も思っていないわけではない。彼の中で、嬉しいことも、嫌なことも、確かに形として存在していることのほうがよほど嬉しい。


 彼の気が済むまで、彼が発する風を全身で受け止める。そうして彼と手を繋いでいると、荒々しい心はやがて凪いでゆき、髪がルカの肩に落ちる。そうして乱れ髪のまま、ルカは再び彼に微笑みかけた。




「エリューティオ様。私、火ノ鹿のものにはなりません」

「其方……何を言って」

「何を? 当たり前のことしか言ってませんよ?」


 にっこりと微笑んで、ルカは高らかに宣言する。

 抵抗しておきながら理由を言えない彼は、ただの子ども。知られることを怯えているだけの、ちっぽけな存在だ。


「申し上げましたとおり、火ノ鹿のものになれというのなら、納得できるだけの理由をくださいませ」

「それは……」

「ねえ、エリューティオ様」


 口を閉ざすエリューティオに向かって、ルカは再び呼びかける。そうして手を伸ばし、彼の頬にそっと触れた。

 今まで、当たり前のように触れてきた。そこに居ることに何の違和感もないままに、彼に抱えられ、過ごしてきた。

 それでもやっぱり、正面から彼を見据えて彼の存在を感じると、妙に緊張する。

 心臓が苦しくて、痛む。

 けれどそれは、悲しいからではない。気持ちをわかってもらえない憤りから来ているわけでもない。


 神に愛されたとしか表現できない整った顔。強い力を持った特別な存在。ルカにとっては、ずっとずっと、憧れそのものだった妖魔という存在。


 ルカを真っ直ぐ受け止めてくれた人。貶すこともなく、ただ、好きなように過ごさせてくれた人。

 それなのに、まるで子どもみたいに、不器用な感情を持っている。

 


「私、貴方が好きです」


 だから、伝えた。

 嘘偽りない、ルカの本心を。


 目も逸らさず、ただ真摯に前を向いて。一切逃げずに、一切誤魔化さずに。

 ただただ、胸に秘めた恋を、彼に伝えた。



「だから、火ノ鹿のものには、なりません」

正直なルカの気持ちを伝えました。

エリューティオはだんまりですが……。


次は、琥珀の変化です。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ