いずれより来たりて(2)
息苦しさを感じながら花梨と向き合う。
下級妖魔は、なぜ直子を孕むのか。
上級妖魔は、どのように命をつなぐのか。
二つの大きな疑問を、花梨はどのようにして語るのか、じっと、ルカは待ち続けた。
「宵闇の者たちのことはよく分かりませんわ。少なくとも、私たちとは価値観が違うようですわね」
「……そう」
「僕従の契りと近いと言うならば、力を得ることを目的にしているとも考えられますけど」
でも、それも憶測に過ぎない。花梨はそう呟いて、口を閉ざす。
そのまま彼女はしばらく黙り込んだ。
もうひとつの大きな質問。それにどのよう返答するのか、言葉を吟味しているのだろう。
「私たちがいずれより来たるのか――」
ぼそりと、彼女は呟いた。
妖魔はどのように生まれるのか。彼らは何処へ向かうのか。広く、大きな世界の仕組み。その片鱗に触れるようで、身体が強ばる。
ルカの緊張が伝わっているのだろう。花梨もまた、静かにルカを見つめては、表情を強ばらせた。
「そうですわね。貴女が、妖魔の社会で生きていくと言うのなら、一度は触れておくべきかもしれませんわね」
花梨の言葉に小さく頷く。緊張して、身体中が汗ばんで来るのがわかる。
花梨はそんなルカを一瞥した後、ふっと笑顔を浮かべた。大丈夫、と小さく呟き、ルカの頭を撫でる。
「ルカ。貴女は勘違いなさってるかもしれないけれど……私たちはね、死ねませんの」
「!」
「正確には、死ぬに勝る大罪は、ありませんのよ」
「それは、不老不死、ってこと?」
恐る恐る、彼女に訊ねる。
ルカが想像できないほどに、彼らが永い時を生きてきたのは知っている。花梨も、ジグルス・ロニーの時代を生きているのであれば、その年齢は二百をゆうに超える。
おそらく、エリューティオや赤薔薇は、もっと永い時を生きているのだろうということも、ルカは気がついている。
しかし花梨は、ふと頬を緩めただけで、首を横に振った。
「いいえ、私たちにも、終わりはありますわ」
「だったら、どういう」
「世界に張り巡らされた大きな歯車」
トン、と胸に落ちて来る言葉に、ルカは息を呑む。
花梨の言葉は、やがて、聞き慣れぬ音へと形を変える。
『妖魔と呼ばれる我ラ管理者は、生きることでその役割を果たす。生まれ石を身ニつけ、祈リテ後に、石へと力を注ぐ――』
それは、いつか琥珀が書いて見せた、三百年ほど前の古語に近い。
音として聞く日が来るとは思わなかった。脳内の変換が追いつかぬ。瞬いていると、彼女の紡ぐ言語は、更に昔のものへと遡る。
『我ラは我ラの器を、祈りとともに浄化する。それは月の雫の落チル峰に。――陽光――山ノ頂ニ、降リ立チ、祈リ、浄化スル。――――枷ヲ――、イチ――――。――我ラ管理者ハ――――新シキ――――生――――』
「か……りん……?」
身体の芯から震えがくる。花梨の言葉の半分以上もわからないのに、何故だろう。大きな意思に触れる心地がして、恐怖した。
話をする花梨もまた、小刻みに震えていた。
世界の真理。それを語る彼女の言語。それはまるで、祈りの言葉そのものに思えた。
そして、彼女の言葉がルカの脳裏に刻まれる。――いや、違う。ルカは、とっくに知っているはず。この身体を構築する妖魔の血に、確かに刻み込まれた古き祈りの言葉。
ただ、ずっと眠っていたから、気がつかなかっただけ。真理の答えを、ルカはずっと持ち合わせていることを。
忘れられた記憶の一部がまるで蘇るように、ルカは瞳の奥、峰の中央をから放たれる光の柱を見た。
夜咲き峰で、ルカが歩き回れる場所は少ない。しかし、ルカはその場所を知っている。
どのように訪れたのかはわからない。しかし、何かの声に導かれるようにして歩いた後、たどり着いていた場所。
石の声を聞いた。ルカを呼びかけ、呼び覚ました記憶が流れて――ああ、そうだ、とルカは思う。
あれは、レイルピリアが、ルカを呼んだときのことだった。
かちり、と、鍵が音をたてる。
意味を持たぬ祈りの言葉。それは、妖魔にとっては生きる意味と同等のもの。
知りたいと思う気持ちと同時に、あまりの世界の大きさに恐怖し、言葉が続かない。
花梨を見つめたまま途方にくれたルカは、ぎゅっと、唇を噛みしめることしか出来なかった。
「……このようにしか、言葉にしようがないのです」
「――うん」
大きな意思の片鱗を見たルカは、いつの間にか全身、汗ばんでいた。
花梨もまた、疲労の色が浮かんでいて、真理に触れるということがどれだけ彼女にも影響を与えたか思い知らされる。
胸がいっぱいになって、なんとか、ありがとう、と言葉をひねり出す。
歯車、と彼女は言った。死ぬことが許されぬ身。その大罪を回避するために、何か、彼女たちは大きな祈りの言葉を口にした。そうして、彼女たちは命を繋ぐ。
ぶんぶんと頭を振って、気持ちを持ち直す。
妖魔たちの持つ途方も無い時間という概念。それに触れて、寂しさが胸に押し寄せる。
言葉が出なくなって黙り込む。ぎゅっと手を握りしめると、その手に花梨の細い指が重なった。
顔をあげると、気位の高い薄紅色の瞳が、柔和な輝きを帯びている。ずっとずっと、孤独の中で生きてきた彼女にとって、ジグルス・ロニーがどれほど特異な例だったかを思い知る。そして、ルカ自身も。
直子という存在の他に、妖魔たちは、永遠とも言える時間を引き継ぐ方法があるのだという。それならば尚更、火ノ鹿が直子に固執する意味がわからない。
エリューティオだってそうだ。ルカと火ノ鹿を引き合わせることによって、何を得ようとしているのだろうか。
直子を孕ませることによって、火ノ鹿はルカに力を送り込む。しかし、それらがやがて子のものとなるのであれば、ルカには何も残らない。
エリューティオは、子を孕ませることを第一の目的にはしていないようだった。つまり重要なのは、ルカが火ノ鹿と関わること? それとも、子を成す過程が重要なのだろうか――。
――と、そこまで考えて、肩を落とす。
子どもを産むという行為。それがあまりに、事務的で、何かのために利用することしか考えていないことに吐き気がする。
ルカだって、ひとりの女の子だ。
力なき身でも、少しは憧れたことがある。
「ルカ?」
声をかけられて、苦しくなる。
ルカの婚約者はエリューティオだ。婚約者という意味が妖魔にとってなんの価値もないことくらい、もうわかってはいる。けれど、ルカにとっては、自分が思っていた以上に大切なことだったらしい。
「妖魔との間に子が成せるなら――私は」
どうせなら、想い人と。
どんどん自分が我儘になってるようで、嫌になる。
かつては諦めていた婚姻。それが、家の役に立てるかもしれないと喜ぶようになり、今。自分の気持ちを自覚してからは、己のことで手一杯だ。
「……少なくとも、今の貴女は特殊ですわよ、ルカ。子を孕ませるどころか、風の主では、貴女を染めることすら叶わないかもしれない」
「……」
「触れているのに染められない。これがどれほど屈辱か、お分かりになって? ――あの方が身を引くのはね、おそらくそう言った事情ですことよ。もちろん、私の想像に過ぎませんけどね」
本当に、くだらない。そう吐き捨てるように言って、花梨は頬に手を当てる。
もちろん、私もですけどね。と、花梨はそう付け足した。己もまた、自分の誇りがちっぽけなものだと思いはじめているのかもしれない。
「ルカ、よく覚えていらして。貴女があの方を手に入れると言うことは、彼の持つ誇りを踏みにじるのと同義ですのよ。妖魔が、妖魔でいられる一番大切なものを捨てよと言っているのですわ」
「……」
「名を縛っても、命じることすらしない貴女が、彼に誇りを捨てさせられて? 彼の、彼たる所以を、斬り捨てさせられるのかしら?」
「……花梨の伝えたいことは、わかった」
彼女の言葉に、すぐに答えは用意できない。彼女の憶測に、全て頷くことが出来るわけではない。
しかし、エリューティオとの間に感じた途方も無い距離感がどこから来ているのか、少しだけでも理解できてほっとする。
しかし同時に、もう一つの疑問が浮き彫りになるだけだった。
「エリューティオ様の気持ちは、少し、理解できたわ。だからと言って、私に他の方をあてがうのは、理解できない」
「……それは、私にもわかりませんわね」
「そう――直接、エリューティオ様に聞いてみるしか、ないのね」
重たい気持ちを抱え込んで、ルカは大きく息を吐き出した。
世界の真理に触れたルカ。
鍵となる場所と、かつて縁があったようです。
次回、再びエリューティオに会いに行きます。




