峰の主(1)
「……なんだい、あれは」
鬱屈とした森が続く宵闇の村は、転移陣からしばらく歩くと景色が少しずつ変わり始める。
木々の向こうに、白い屋根がひょっこり見えたあたりで、ハチガは表情を変えた。
森の一族、花の一族、空の一族、石の一族――など、数多の集団がそれぞれ離れた場所に集落を作っている。転移陣は、森の一族の集落の近くだが、今回ハチガを連れていきたかったのは、そこから少し歩いた場所にある。
森が開けた瞬間、ハチガは言葉を失った。まるで大神殿な細やかな装飾の柱頭。豪奢なつくりの白き建物を中心にして、同じ白の道が真っ直ぐ伸びている。
漆喰のような質感ではあるが、全くもって素材がわからない。おそらく妖魔たちによって、様々な素材を合成して何かに変換したのはわかるが、人間社会では見られないものだ。
「まるで貴族街のようだが――いや、違うな――」
例えようがないらしく、ハチガは途方に暮れる。それもそうだろう。貴族と一口に言っても、王都に住む貴族の屋敷か、それとも外の貴族の一時的な館なのか。富んでいるのかそうでないのかで、館の見栄えも変わる。
それに比べ、この大神殿――もとい、トイレを中心とした妖魔たちの共有街となりつつある場所は、琥珀の指揮の元、非常に統一性を持った作りになっている。
もちろん、人の視点で見ると、用途と見栄えの釣り合いが取れていない。が、琥珀曰く“釣り合いの意味がわからない”そうで、妖魔の持つイメージに任せている。
結果、まるで神殿のようなトイレを中心に、大食堂と調理場、資材置き場、集会場に作業用工房など、無駄に装飾過多な建物が増えつつあった。
「……ルカ、あの大きな建物はなんだい」
「ああ。トイレ、ね」
「トイレ!?」
普段冷静なハチガが、素っ頓狂な声をあげた。その反応が見たかったと、つい笑い声がもれる。
ルカ自身も、出来上がったときはあっけにとられたものだが、今ではすっかり慣れてしまった。むしろ、妖魔たちが嬉しそうに利用するものだから、愛着が湧いてきたとも言える。
「ちょっと待て。おかしいだろう? 何故トイレの建物自体が、あんなにも屋根が高いんだ? 二階建てだったりするのかい? 他に部屋とか用途とか……」
「ああ。ないわね」
「ない!?」
彼の声が悲鳴に近くなる。まるで信じられないと頬をピクピク引きつらせて、何度も首を横に振った。
琥珀のデザインは、あくまで見た目のみに拘ったもの。そこには利便性や機能性は全く考えられていない。きっとそのようなもの、上級妖魔である琥珀には必要のない要素なのだろう。
「無駄が過ぎるね……」
「兄様からしたらそうかもね。でも、ここでは、それが大事みたい」
「?」
ルカの言葉の意味がわからないらしく、ハチガが何度か瞬く。
今はわからずとも、実際に妖魔たちと接してみたら理解できていくだろう。人間と妖魔では、明らかに優先順位が異なっていることに。
思わせぶりに、にいっと笑顔を残す。
皆が手を取り合って作っているこの場所をハチガに紹介できることは嬉しかった。ルカは王都では一人で何も出来ないちっぽけな娘だった。だからこそ、夜咲き峰にやって来て、少しでも皆の役に立てたことが、大きな自信となっている。
無駄だらけと言われても仕方が無いこの村。それでも、この場所はルカのお気に入りだった。
なんと言っても、人間の文化のなかでも、彼らにとって“良い”と判断されたものが凝縮された場所。人間の文化と妖魔の文化が適度に融合した、不思議な空間。
ルカという異分子が入ってきて、それを彼らが受け入れてくれたことが、とっても嬉しい。そんな宝物のような場所を、はやくハチガに見せたかった。
パタパタと前を行くルカの隣を、ロディ・ルゥがしっかりと付き添う。それに遅れぬようにと、ハチガも慌てて後ろをついてきた。
振り返ると、早足になりながらもハチガは周囲をきょろきょろと見回していた。おっかなびっくり、とでも言えば良いのだろうか。彼の中の常識がことごとく打ち崩されているのだろう。
朝のトイレ参拝時間は落ち着いたらしい。妖魔たちは食堂の方にまばらにいるくらいで、この時間は施設の利用者が少ない。どうやら途中になっているそれぞれの工事も続きが行われているわけではないらしい。
人化が進む宵闇の村は、必然的に皆、毎日の食事が必要となってくる。そのため、一日という時間の概念が、彼らの中ではっきりとしてきたようだ。
朝、目覚めて排泄と食事。妖魔としての糧もやはり必要らしく、朝の時間にそれらの採集や、素材集めを行う。そして昼を過ぎた頃にやってくる琥珀を中心として、夕方まではこの場所で建築の作業を進めたりと、それぞれが村作りに勤しんでいる。
彼らはルカが思っていた以上に勤勉で――いや、きっと働いているという自覚が無いのだろうが――上級妖魔と同じ“美しいもの”を作り上げるのが楽しくて仕方がないらしい。
「おや? どうした、様子を見に来たのか?」
ルカが宵闇の変化を確認していると、建物の中から低めの女性の声がかかる。光の扉ではない、人間社会のそれと似た作りのドアを開けて、中から顔を出したのは、ルカより少し年上に見える娘だった。
「薊」
「……ああ」
少し癖のある紫の髪が風になびく。芯の強い同じ色の瞳が、ルカたちの姿を確認して、少し不思議そうに揺れた。
話しかけてきたにも関わらず、後の続かない様子に、ルカはきょとんとする。しばらく押し黙った後、彼女ははっとしたように首を振って、僅かに微笑んだ。
「……すまない。少し驚いただけだ。しばらく会わない間に背が伸びたか? 前はアタシより低かったろう?」
しみじみと呟きながら、薊はルカの正面に並ぶ。不思議そうに手をかざして比較しながら、すごいな、とこぼした。
「噂には聞いていたが、人というのは、こんな短期間で不思議な成長をするのだな。もうアタシと変わらないじゃないか」
「背、伸びてたんだ――」
薊の言葉でルカ自身も初めて認識する。
年齢の割に小柄なルカだったが、この峰に来てから半年あまりで少しは成長したらしい。薊と出会ってからと限定すると、さらに期間は短くなる。なんにせよ、ルカにとっては嬉しい変化だった。
最近は花梨が好き勝手衣装を仕立ててくれるため、まともに寸法を測ることもなくなった。故に、彼女に指摘されるまで、考えたこともなかった。
喜びではにかむように表情を緩めていると、薊は今度は、ロディ・ルゥの方を向いている。
「白雪様。何だか久しぶりに感じますね」
「薊。元気にしているようだね」
「おかげさまで。――あいにく、今は狼も山猫も出払ってますよ」
かつての自分の主に対し、彼女は言葉遣いこそ丁寧だが、頭を下げることはなかった。まるで己が宵闇の代表であるかのように、堂々とその場に立っている。
「構わない。今日は、ルカ様とそのお兄様に、こちらを案内に来ただけだから」
「そうですか。でしたらアタシが案内しましょう」
そう言って彼女は、初めて会うハチガに向き直る。悪戯っぽい表情を残しつつも、彼女は誇らしげに名を告げた。
「薊だ。森の一族の族長、狼の妻をやっている」
ルカとさほど変わらぬ年頃の少女が族長の妻と名乗り、ハチガも居住まいを正す。上級妖魔と違って、少し着崩した服装から、ついつい人間の少女を相手しているつもりになっていたようだ。しかし、彼女の振る舞いより、すぐに相手が妖魔であることを実感したらしい。
「僕はハチガ・ミナカミ。ルカの兄だ。木蔦の女神のお導きに感謝を」
「?」
人間だと当たり前の挨拶に、今度は薊が不思議そうに小首を傾げる。が、それだけだ。すぐにどうでもよくなったらしく、ハチガに背を向けて、ついて来いとだけ告げた。
***
第一の目的であるトイレを一通り見せ、その洗浄機能も折角なので確認してもらう。
もちろんハチガは、かつてエーファの研究をここに届けてくれたのもあり、その原理についてもすぐに理解したらしい。
たかがトイレにこんなにも技術を終結させることに、彼は苦笑しながらも、良いかもしれない、と言い残す。末兄のお墨付きがいとも簡単に出て、ルカの足取りも軽くなる。そのまま、次の施設へと向かっていった。
大食堂と調理場。こちらも今、優先して建築されているらしい。
宵闇の建築は琥珀を中心として進められているが、調理場だけは、下級妖魔が中心になって動いているようだ。実際使用するのが彼らだから、ここだけは機能面にこだわった様子が見て取れる。
そうして最後に資材置き場。ここまで歩いて来た後で、薊は少しだけ表情を曇らせた。
どうしたの、と声をかけると、呆れるような恨まれるような視線が返ってきたため、困惑した。
「あの方に、何かあったのか?」
問われたものの、薊が何を聞きたいのか、いまいち分からない。
「あの方?」
「琥珀様だよ。最近、顔を見せない。正直困惑しているんだ」
「え?」
薊の報告に、ルカは瞬いた。
ルカの脳裏に、琥珀の表情が蘇る。最近、方々に顔を出している関係で、彼とはまともに話をしていなかった。
というより、彼が、ルカの前に姿を現さなくなったのだ。
「突然いらっしゃらなくなったものだから、何かあったのかと」
「あぁ……」
薊の言葉に、ルカ自身頭を抱えたい気持ちで、ロディ・ルゥの方を見やる。彼もまた思い当たる節があるらしく、ため息を吐いた。
「ごめん、薊。それ、私のせいかもしれない……」
きっと、雛の一件がまだ引っかかっているのだろう。感情の起伏の激しく、気まぐれな琥珀のこと。そっとしておけば、そのうちひょっこり顔を出すだろうと思っていたが、甘かったらしい。
ルカ自身が自分の周囲を“名を縛った”妖魔たちでかためはじめてから、彼との時間がとれないでいたことは自覚していた。だからこそ、料理をしようと言ったときは、琥珀自身もはしゃいでいたのに。
雛の待遇を決めて、レオンがルカの兄たちを連れて帰ってきて。峰がバタバタし始めて、すっかり失念してしまっていた。
ロディ・ルゥが心配げに顔をのぞき込んでくる。が、彼の手をとることもなく、ルカは首を横に振った。
「大事ないですか?」
「――自分の馬鹿さ加減に嫌気がさしていただけ」
琥珀はルカの為に怒ってくれたというのに、拗ねた彼をそのままにしてしまった。
ルカは、雛を受け入れる覚悟をしたのだ。しかも、リョウガと一緒に行動させることによって、これからは彼女ともっと密に接することになるだろう。
ただでさえ繊細な琥珀が、自分が居た場所に雛が居着いたと知ったら何と思うだろう。
「一度彼に会いに行って来るわね。……それで、建築は止まっちゃってる感じなの?」
琥珀のことが胸に引っかかりながらも、ここに彼は居ない。せっかく薊に会えたのだから、彼女に宵闇の様子を聞かなければと話を戻す。
「図面とかはないのよね……」
琥珀は脳内に完成図が完全に出来上がってしまっているらしい。誰かと共有することもなく、ひとつひとつ口頭で指示を出しながら建築しているのを何度も目にしたことがある。
そもそも、妖魔には図面という概念がない。共同で作業を進めることなど、本来ならばあり得ないからだ。
薊も少し困ったように肩をすくめて、建築途中の資材置き場の方へと視線を向ける。食材も建築用素材も、全ての素材を保管しておくための場所。しかし、琥珀の先導なしには、進められない部分があるらしい。
「仕分けの問題がな――それで建物の作りが変わるだろう? 上級妖魔であるあの方と、私たちでは――いや、比較的実力の近い狼と比べても、琥珀様の知識には勝てない」
「? そんなに?」
「素材を分類する概念が、そもそも違うらしい。長く在り続けていらっしゃるだけあって、あの方の知識は本物だよ」
肩をすくめる薊の言葉に、横に立つロディ・ルゥが、確かに、と頷く。まさかロディ・ルゥまでもが、他の妖魔を褒めるなんて思わず、ルカは目を丸めた。
「琥珀は、本物ですよ。ルカ様。うちの蜘蛛もそうですが――一部の妖魔には、絶対的な色彩感覚を持つ者がいるようなのです」
「色彩、感覚?」
「ええ。素材の色。力の方向性とでも申しましょうか」
ざぁっと、風が通り過ぎた気がした。
色。胸の中で、何かすとんと落ちるような感覚を味わう。
――それ、知っている。
初耳であるにも関わらず、何故か、心が反応する。まるで当たり前だと思っていた時の記憶が蘇ってくるかのように。
人が魔力を、そして素材を扱う場合には、まったく、触れることの無い特殊な概念。隣でハチガも、訝しげな表情をしていることからも、彼もまた、初めて聞く知識をどう受け取れば良いのか戸惑っているのだろう。
「色に関して最近、このあたりも変わったからな。アタシ達だけじゃ、どう仕分けすれば良いのか、見当もつかない。この資材置き場も、中をどう作れば良いのやら、琥珀様くらいしか分からないんだ」
「――変わった?」
「ああ。――峰の主が代わったから。試行錯誤の日々だが、それもまた悪くない」
はにかむようにして、薊は答える。
素材を扱いきれないのがもどかしくも、研究は楽しいらしい。頬を掻きながら微笑む彼女は、ロディ・ルゥに仕えてきたときの彼女とはまったく違う。清々しい表情が気持ちよく感じるが、彼女の言葉に引っかかりも覚える。
「峰の主が変わった?」
思わせぶりな言い方に、首を傾げるしかない。
何やら嫌な予感が胸に押し寄せ、ぎゅっと両手を握りしめる。
「何を言っている。君じゃないか。この峰を、宵闇を。全て、妖気で染め直したのは、君だろう?」
しかし、思った通りの言葉が返ってきて、ルカは両目を見開いた。
ロディ・ルゥが、誇らしげに目を細める。
何を馬鹿な事を、と口にしたいが、同時に実感してしまう自分もいることに、気がついた。
宵闇にて、峰の主=ルカ、という認識になりつつあるようです。
次回、直接エリューティオの元へ確認に行きます。




