はじめてのお食事(1)
それからはぽつぽつと、夜咲き峰の話をしていた。
風の主は、思った以上にルカの質問に答えてくれ、ルカの知的好奇心をたっぷりと満たしてくれた。
彼は流石永い時を生きているだけあって、恐ろしく博識だった。妖魔のことに関しては。妖魔の妖気の使い方や、人間の使用する魔力や魔術具との違い。ものの考え方やとらえ方。更には、夜咲き峰以外にも妖魔の住む地があることについても語ってくれた。
自分の妖魔データベースが大幅に更新されて、すぐにでも記録せねばと心が浮き立つ。
時間が経つのはあっという間で、日が若干落ち始めた頃に、レオンたちが帰ってきたと教えてくれる。どうやって彼が知ったのかは分からないが。妖気で察知できるのかもしれないと、仮説は立てられた。
菫の迎えに応じて、ルカは自室へと戻る。光の扉を潜ると、いきなり大きな声が飛び交っていた。
「だから、お前があの時出てこなけりゃ、つまみ出されることも無かったんだ」
「ええー、でも、綺麗なものがいっぱいだったからさ、あの店。見たくなるでしょう?」
「姿を消せるんだったら、消えて大人しく見てろって言ってるんだ! 毎日使用する食器だぞ。お嬢様に満足してもらえるものが手に入らなかったら、どう責任をとるんだ、お前っ」
怒るレオンに対して、鷹はずいぶんと楽しそうだった。ルカが入ってきたのに気がついたのだろう。悪戯っぽくにまりと笑って、レオンに言葉を投げかける。
「君、普段の言葉は悪いのに、ずいぶんルカ思いだね。僕と同じだ」
「お前なんかと一緒にするな。ずっとお嬢様に仕えてきてんだ。大切にして何が悪い!?」
一方、レオンはすっかり血が頭に上っているのか、ルカの存在に気がついていないようである。足音でレオンが気付かないのは珍しい。部屋の中の声も廊下には響いて来なかったし、この光の扉は防音の効果もあるのかもしれない。もちろん、目の前の変態が許せないだけかもしれないが。
まんまと鷹の誘導に乗せられてるレオンがとても哀れに思えてきて、ルカは視線を逸らした。が、このまま聞いているのも忍びない。
「あー、ありがと。レオン」
「ほれみろ、お嬢様は俺に感謝……って」
こほん。と、ルカは咳払いをひとつ。
ぴたりとレオンの口が止まった。面白いくらい瞬きをしている。横で鷹が嬉しそうに笑い転げてはいるのも聞こえてないのだろうか。呆然とした様子で、ルカを見つめている。みるみる顔が赤くなっていくのが面白くて、ついルカもニマニマしてしまった。
「どう? 必要なものは手に入った?」
「あ、ああ」
「そっか。お腹すいちゃったな」
「ああ、ちょっと待ってろ。準備するから――菫、手伝え」
くるりと踵を返し、レオンは奥の部屋へと去って行く。無駄に早足である。ルカと一緒に戻ってきた菫も、慌ててそれを追いかけた。
「ふふ、あー、おかしい。彼ね、ずっと君の話をしてるんだ」
「レオンが今日一日大変だったのが、身にしみて分かったわ」
こうやって鷹にからかい続けられたのだろう。口だけは悪いが基本的に育ちが良く、実直な彼だ。しないで良い苦労をし、かけないで良い気をつかい、かかないで良い恥をかきまくったことが手に取るように分かる。
ルカの存在に気がつかなかったくらいだ。もう精神的にもいっぱいいっぱいだったのだろう。何とも生暖かい気持ちになって、ルカは微笑んだ。
「鷹、ほどほどにしてあげてね?」
「ん? 何のことかな?」
とぼけつつも、にまにまとした口が、またおちょくるであろう事を物語っている。レオンの今後に深く同情しつつ、ルカはソファーに腰掛けた。
「どうだったかしら、アヴェンスは?」
「んー、面白かったよ。思ったより人も店も多かったし。王都とはまたずいぶん売っているものが違ったし」
「へえ」
「陶器なんかは顕著でさ。装飾がかなりシンプルだった。藍一色でさ。模様は結構細やかなんだけど。アレはアレでいいよね」
「ん? まってまって、鷹」
想像していた以上に具体的な感想が上がってきて、ルカは会話を止める。
「王都の大店にもずいぶん詳しくないと言えない感想よ、それ……」
「言ったじゃないか。王都にも居たんだって、僕」
「いや、それにしたって」
食器の装飾について語れるということは、まず、貴族か富豪層の文化について詳しいと言うことだ。今日から人間の文化についてどう教えるか、と頭を悩ませているのが馬鹿馬鹿しいくらい、彼の知識は豊富なのかもしれない。なんだか出鼻を挫かれた気分で、ルカは唸った。
しかし、気を取り直してアヴェンスについて尋ねる。どこからどう見ても五分の三裸で変態そのものな鷹だが、街の様を語らせてみると恐ろしくまともだ。人をからかうような語り口は相変わらずだが、内容そのものは、人間をよく観察しているからこその充実ぶりだ。
「スパイフィラス領は冬が厳しいって聞いてたけど、アヴェンスは違うのかしら?」
「んー、多分スパイフィラス領全体だと僕は見るね。豊作って言うより、魔術によって無理矢理作物を成長させたんじゃないかな。土地の魔力バランスがおかしくなってた」
年が明け、春は始まったばかりだ。寒さが厳しい冬を乗り越えた後とは思えないほど、市場には物が溢れていたらしい。
「王都に報告したいところだけど」
「レオンが伝達の魔術具を作るって準備してたよ? 風に許可をもらったらどうかな」
鷹の言葉にルカは頷く。領土全体の魔力バランスが崩れているということは、大型の魔術具を作動させている場合が多い。そのレベルになると王都による許可が必要なはずだが、そのような噂が流れてきていたことはなかった。となると、スパイフィラス領の上層部が独自で動いている可能性が高い。
「伝達の魔術具は絶対に必要ね」
これはかなり大きな問題だ。下手すると、レイジス王国内の勢力関係がひっくり返る。早急に報告し、対策を練って貰う必要があるだろう。
「ねえ、そのバランスがおかしくなってたって、いつくらいから変化しているのかわかる?」
「んー、どうだろ。あんまり気にしたことなかったしなあ。ここ一、二年ってところかな。ルカ以外のことにそんなに興味が無いからわからないや」
「できれば、私以外に興味を持って欲しいんだけど」
どこから来るか分からない情熱を、自分に向けないで欲しいと、ルカは切実に思う。
そこまで話していると、部屋に良い匂いが漂ってきた。
「お嬢様、食事の時間だ」
台車にいくつか料理をのせ、レオンが運んでくる。後ろからはティーポットを手に、菫が付いている。
どうやらこの光の扉、匂いまで遮断できるようだ。どうせなら鷹も遮断してくれて良いんだけど、と思ったが発言するのは止めておく。
「良い匂い!」
実にまる一日ぶりの食事だ。部屋に満たされる野菜の香りをいっぱいに吸い込む。幸せな気持ちで、ルカはほうっ息を吐いた。
「もう、お腹すきすぎて、よく分からなくなってたの」
「そうだろう。胃に優しいものにしておいたから、ゆっくり食べるといい」
「レオン、流石。わかってる!」
とりあえず褒めちぎっておく。普段だと冷静にかわしてしまう彼だが、鷹とのやりとりがあったからだろう。何やら自慢げに鷹の方を見ているのが面白い。
鷹とのコンビネーション如何では、レオンが実力以上を発揮できるようになるやも。と考えを巡らせる。が、先に胃に穴があくかと、不憫に思えてきたので止めておいた。
「レオンさんはすごいんですよ! 何でも一人でてきぱきしてしまって。私、何もお手伝いできませんでした……」
「菫は明日からみっちり扱いてやる。覚悟しとけ」
「はい、頑張ります!」
新しく侍女となる菫は真面目なのだろう。教えることに吝かではないようで、レオンも楽しそうだ。菫には早いところ仕事を覚えて、戦力になって欲しい。レオンの負担も減らしたいし、仕事を覚えること自体で人間の文化に馴染んでいくだろう。
テーブルへ移動すると、レオンが慣れた手つきで給仕をはじめる。環境が変わったせいだろうか。王都では当たり前だった一人だけの食卓が、妙に寂しくも感じた。
「レオンは?」
「俺は後だ」
「だよね」
わかりきった答えだが、ルカはがっかりした。昨日から慣れない環境で走り続けて、ようやく落ちついた気分になったのに、隣にレオンは来てくれないらしい。
「菫は?」
「私は、このようにお食事をいたしませんので」
こちらも案の上の答えで、だよねえ、と肩を下ろす。
すると横から「僕が食べるよ」と、最もご遠慮申し上げたい主張が聞こえてきた。
「妖魔って、食事しないんじゃないの?」
「んー、どうだろ。する必要がないからしないってだけだよ? 食べてみるのもまた一興でしょう」
鷹には何の不安もないらしい。
そもそも、消化器官が人間と同じかどうか分からないのに、どうやって排出するのかとかいう素朴な疑問は置いておくことにしよう。鷹がどうなろうと、ルカの知ったことではない。しかし、レオンにはそもそも納得できないらしい。
「おい。てめえ。曲がりなりにも主に相伴しようってのはどう言う了見だ?」
「主? ルカ、僕の主だったの?」
「……違うと言いたい」
もちろん、ルカとしては鷹との主従関係などきっぱり御免だ。便利なのは認めても良いが、今後付き従われると思うと、胃のキリキリが止まらなさそうだ。
今日一日で、うっすらと、残念至極の五分の三裸には慣れようとしていた。心の底から不本意だが。しかし、突然何をしでかすか分からない男に付きまとわれる趣味は無かった。
「ほら、主じゃないんだって。お客様だよね? ん。レオン。僕にもご飯」
「顎で使うな! ……まあいい、菫。俺のやり方を見ていただろう。てめえの練習台にしろ」
「はい! 頑張ります!」
こうして、夜咲き峰での初の食事は、だいたい肌色の男と一緒になった。
レオンの胃潰瘍待ったなし。
次は、今後の方針について作戦会議です。