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夜咲き峰の人々  作者: 三茶 久
第二章 火の主の愛し子
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ハチガと筆頭妖魔(1)

 無駄のない造形だと、ハチガは思う。

 人が生み落とされるがごとく、自然に形成された成り行きの顔立ちとは違う。まるで、何者かによって作り込まれたような顔立ち。

 血が通ったものとは思えぬ、人工物。そう思った方が納得できるほど、寸分の狂いもない完全な左右対称。


 人ならざる者。かくあるべくして造られた者。こんなにも美しい者は、一体どれほど、神の寵愛を受けて生まれたのだろうかとハチガは思う。

 神によって作り込まれた生命体と言われても、納得できる。いや、まるで神そのものだと言われても頷いてしまいそうな、完璧な存在。



 ――かのジグルス・ロニーも、とある妖魔を女神と称した、と、ルカが言っていたな。


 大興奮しながら、教えてくれた。ジグルス・ロニーの時代と繋がった、と。

 ミリエラの種をもたらした女神とも会えたし、血薔薇の死神も、この峰に存在していたと――想像してたのと全然違ったけれど、と彼女は笑っていた。

 にわかには信じられない話なのに、何故だろう、彼ら妖魔を見てしまうと、妙に納得してしまう。

 生きた伝説が、目の前に居ると言うこと。いや、目の前に居る存在は、伝説にもなり得るほど、印象に残り得るということに。




 その生きた伝説とも言える妖魔の筆頭は、ぼんやりと外の景色を眺めていた。

 縹色の豊かな髪はソファーに流れ、午前の柔らかな採光に美しく艶めいている。そして宝石のように透き通った碧色の瞳を涼しげに、ふわりと視線を移動させてきた。


「あの話の続きか――」


 声をかけられてはっとする。つい、彼に見惚れて、入口付近で突っ立っていたらしい。

 あの話――風の主もまた、分かっているのだろう。ハチガが何を訊ねに来たのか。

 夜咲き峰にたどり着いたその日。ここでのルカの生活について聞き出したのち、問うたのだ。その時ははぐらかされてしまったけれども。


「ええ」


 短く返事し、ハチガは近くのテーブルに向かって歩く。人間社会と異なるルールで動いているここでは、遠慮というものは考えぬ方が良いと聞いた。

 妖魔間の力の差と、人間でいう身分の差。それらの感覚は、近いようでいて、遠い。

 緊張しながらも、ハチガは適当な椅子に座る。そして、だらりとソファーで寛ぐ彼に冷たい視線を向けた。



「僕はまだ納得していない。この婚約の目的は、一体何なのですか?」


 両肘をテーブルにつき、軽く前のめりになる。そして、射貫くように彼を真っ直ぐに見つめたまま、ハチガは問うた。


「僕が知らぬところで、ルカがこの峰へ向かうことは決定されていた。人間社会では何もできぬ、地位すらもないたかが十四の小娘が。……ミナカミ家の筆頭は、自らの身内が生贄にされるのをただただ黙って見ている男では無いのですよ。父にはなんらかの思惑があったはず。表向きに、妖魔との繋がりを得る以外に、何か」

「ふん、そんなものは其方の父に聞けば良いでは無いか」

「語らぬことが多すぎるのです」

「だから私に聞くと?」


 風の主の視線が冷たく刺さる。侮辱するなと言わんばかりの誇り高き夜咲き峰の筆頭と、目が合うだけで背筋が凍る心地がした。

 強い抵抗を浴びる感覚。

 ああ、これが妖気なのかと実感する。

 身体中の魔力が塗りつぶされる感覚がして、五感が鈍る。

 他の妖魔とは明らかに違う。正面に立っているだけで逃げ出したい程恐ろしいのに、よくルカは、平気な顔をして隣に立っていられるものだと感心してしまう。



 ルカは、柔らかい笑みを浮かべるようになったと、ハチガは思った。

 スパイフィラス軍と対峙していた彼女を見たとき、見違えたと感じた。

 単に顔立ちが少し大人っぽく感じただけではない。風の主に抱きかかえられる事がまるで当たり前であるかのように、彼に心を許していた。

 人間社会では、いつもどこか遠慮して、明るい笑顔に寂しさを隠すかのようにしていた彼女が。


 それが、少し、悔しい。


「彼女は、もう十五だ。ヒトの社会で生きるならば、学生の身分から巣立ち、大人の仲間入りをする年ごろ――」

「そうらしいな」

「目的以前の問題です。そもそも、貴方に、本当にルカを娶る気があるのかをお聞きしたい」

「……」


 ピリ、と、空気が震えるのがわかった。全身を押し込めるような抵抗が一段と強くなった気がして、ハチガは目を細める。

 気がつけば、背中がぐっしょりと濡れている。細く身体が震え出し、己の意思ではどうにもできない。

 風の主から感じる明らかな威圧を、腹に力を入れてどうにか耐えた。


「妖魔である貴方が、わざわざ婚姻という形を持ち出したのは何故ですか。そこまでしてルカを側に置くのは?」

「……」

「そして、しばらく見ぬ間に、あの子が、魔力を――妖気までも身につけていたのは何故ですか? ――いや、貴方には、わかっていたのではないですか?」

「何をだ」


 風の主は短く言葉を切る。目を細め、言葉を待つ彼には、ハチガが何を聞きたいのか、もはや伝わっているのだろう。



「あの子の、生まれについてですよ」

「……」


 空気が、尖ったような感覚がする。それだけで、彼が、ルカの母親について知っていることを肯定していることを悟った。

 じわりと両手に汗がにじむが、ここで怯んではいられない。

 




 ハチガだって、ルカとは家族だ。妹の特殊な生まれが、気にならないはずがない。

 ハチガが産まれた後、自身の母は顔を覚える間もなくこの世を去った。だからハチガには実母の記憶が残ってはいなかい。

 しかし、ルカの母のことならば確かに覚えている。


 丁度ハチガ自身の物心がついた頃だった。

 父が連れてきた、月白の髪の女性。幼いながらも、その柔らかな空気に妙に惹かれたのを覚えている。そして、彼女こそ、その後ルカを身ごもることになる女性だったわけだが。


「あの方が家にいたのは、ルカが一歳になる前までの僅かな期間でした」

「……」


 とは言え、記憶がはっきりしているわけではない。兄たちの話で記憶を埋めてようやく、当時の様子が分かる程度だ。

 それでも風の主は、ハチガの言葉に耳を傾けた。明らかに威圧を発しながら。



 己の魔力を押し込むかのような気が、肌をピリピリ刺す。それだけで、彼がどれだけこの話に動揺しているのかが、よくわかった。


「気になるのですね?」

「……」

「知っているのでしょう、あの子の、母親のことを」


 聞きたいけれど、聞きたくない。そのような迷いがあるのだろうか。彼は、はいともいいえとも言わず、ただ、ハチガを見据える。

 ハチガはふと笑った。生まれてすぐに実母を亡くしたハチガにとって、彼女の存在はとても大切なものだった。もちろん、欠けた記憶の方が多いけれども、彼女に握ってもらった手の温もりくらい、覚えている。



 とにかく美しい、まるで月の光のような女性であった。ルカと同じ月白の艶めいた髪が、風に揺れる。そのほっそりとした後ろ姿。そして、穏やかな笑い声。

 優しい女性だったと、長兄は言っていた。

 まだ、皆がゲッショウにいた頃のこと。兄弟揃って縁側に並び、彼女は幼きルカを抱いて、月夜に向かって歌を歌った。

 それは柔らかな子守歌。彼女の呟いた言語は、聞いたことのない音の羅列だったけれども、幼いながらもなぜかよく知っているような、不思議な響きがしたものだった。



「少なくとも、我々ミナカミ家が大陸へ移ってきたのは、彼女がいなくなったからだ」


 ある日忽然と消えたルカの母を――いや、短い間ではあったが、彼女は確かにハチガ達の母親でもあった――追うようにして、カショウは海を渡ることを決めた。

 ただ、彼女を探すためだけに。


 常勝将軍と誉れ高きカショウ・ミナカミが、その地位も、国も、全てをあっさりと捨て去った。確かに、今の彼の性格を考えても、自分の立場に執着を示さない男であるため、不思議はない。しかし、ゲッショウ諸島連合はひっくり返るような大騒ぎだったはずだ。今でも、長兄のカエイは、笑いながら当時のことを振り返ることがあるが――。



「あの子の母親が何者だったのか。僕にはいまだに掴めないでいる。しかし――魔力を持たぬ子という異常な存在を生み落とした女性。父が躍起になって探し回るその存在。幼いながらに覚えている――あの女性は、普通ではなかった。そして彼女の忘れ形見であるルカも――普通では、なくなった」

「……」


 握りしめる手が熱い。じっと、視線を送ると、風の主はただハチガの言葉を待っている。



「……あの子の母親は、妖魔ではないのですか?」


 だから、ハチガは正直に、言葉にした。

 家族とレオンだけが知っている。知っていながら、口を閉ざしてきた。

 誰にも知らせるなと、カショウは言い続けた。

 ルカが普通では無い事くらい、ずっとずっと、知っていたのだ。


 幼かった彼女が擦り傷を作るたびに、思い知らされた。白い彼女の肌から流れるその血は、純粋な赤ではなかったのだから。

 僅かに違和感を感じる程度の色だった。だから、その違和感をルカ自身からも隠し、真実を覆って、彼女の成長を見守ってきた。

 ずっとルカの側にいてくれたレオンには苦労をかけたことも知っている。そして先日、その彼が内密に知らせてきた。

 ルカの血の色が、さらに紫に染まった、と。



「貴方は婚姻という枠を持ち出して、あの子を回収したに過ぎないのでは?」

「単に回収するだけだとしたら、他にやりようがいくらでもあるだろう」

「そう。だから気になっている。貴方があの子にこだわるのと同時に――何故、一族の筆頭である私の父も、一切の抵抗を示さないのか」


 王から話があったと、ルカを呼び出したときから、父カショウは冷静だった。

 愛しくて、大切に大切に育てた娘を手放すのに――しかも、人間ではない未知の存在に生贄に差し出すような状況であったにも関わらず――彼は動揺を見せなかった。

 まるで、彼女が妖魔に嫁ぐことを知っていたかのように。



「そのような些細なことに頭を割くのか」

「些細? そうでしょうか」

「ならば無駄と言い換えよう。其方の中で、もう、答えは出ているではないか」


 まるで肯定するかの物言いに、ハチガは大きく目を見開いた。

 ハチガがたどり着いたひとつの真実。それに軽く頷いた後、風の主は瞳を伏せる。



「峰が問題を抱えていたのは確かだ。いずれは彼女に管理を受け渡す日が来るとは思っていた。――あとは、守護だな」

「守護?」

「……あの娘を、彼の方の二の舞にするわけにはいかぬ」

「彼の方……」


 それはまさか、と口にする。

 しかし彼は、誰、と明言はしなかった。かわりに自嘲気味に笑って、額に手を当てるだけ。


「思った以上に、とんでもない娘だったがな。……守護も何も、私は彼女の力で成り立っているに過ぎぬただの傀儡だ。この先は、別の守護者が必要となるかもしれん」


 別の守護者、という言葉に、ハチガは目を丸くする。

 峰を管理する能力を失った風の主が、ルカに名を縛られて生きながらえた。レオン伝いに、何が起こったのかを大まかには聞いている。

 だからこそ、聞き捨てならない。


「――婚約者の身を、降りるとでも言うのですか!」


 ハチガの怒りが、虚しく部屋に響いた。

兄であるハチガは、ルカの母親の記憶があるようです。


次回、婚約について、です。

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